バウム子爵家の家令の娘(ノビリス・ベイリーフ視点)
私はローレルが驚いている理由に心当たりがなかった。
思わず首を傾げてしまう。
「知り合いかい?」
私は、ローレルに対しても平然としているクラリスに尋ねた。
「私も魔法学園に通っておりましたので」
クラリスの返答に、私の方が驚いてしまった。
教養があるとは思っていたが、魔法学園に通っていたのか。
確か、彼女は今年で十九歳。
ローレルが十八歳だから、クラリスの方が一つ年上の学年になるはずだ。
学年も違い、その上、準男爵の娘であるクラリスをローレルが知っていたこと自体は不思議ではない。
だが、ローレルがクラリスに驚いている理由にはならない。
記憶力が人よりずば抜けて良いことを、私は知っている。
だからローレルがクラリスを知っていても、何もおかしいことではない。
「……バウム子爵家の家令の娘か」
ローレルがクラリスに問う。
決して疑問形の質問ではなかった。
確定情報としての確認だった。
「え?」
またもや驚いたのは私だった。
クラリスの出身地は、確かにバウム領だと聞いていた。
でも、バウム子爵家の家令の娘だとは聞いたこともなかった。
自分は本当にクラリスのことを知らないのだと、改めて実感する。
クラリス自身が自分のことを話したくなさそうだったから、聞かなかった。
しかし、私も王族。
下手な輩を側には置けない。
私の侍従がクラリスのことは調べており、問題はないと報告を受けていた。
バウム子爵家の家令の娘なら、確かに問題はないだろう。
その上、魔法学園も卒業しているとなると、侍従が私に近づく彼女を止めに入らなかったことにも納得がいく。
「失礼いたしました、ローレル殿下。バウム子爵家の家令セージ・イジーの娘、クラリス・イジーと申します。父は有り難いことに、ベイリーフ王国より準男爵位を賜っております」
クラリスは丁寧に、そして穏やかな口調でローレルに挨拶をした。
なるほど。
彼女が私とともに王宮へ行きたいと言った理由が、やっと分かった。
バウム子爵家の末娘、そして現王太子妃であるメリッサ妃のために、私についてきたのだ。
……私と少しでも一緒にいたいと思ってくれていた、とは思っていなかったが。
少しだけ期待していた自分がいたのも確かである。
「リモネン嬢から報告を受けている。バウム領の手練れを王宮に数名潜り込ませたと。君もその一人なのか」
独り言のように、ローレルは言った。
「いいえ、違います」
クラリスは即答した。
とても真剣な表情でローレルを見つめている。
いつも冗談めかした態度をとる彼女からは想像も出来ない姿に、私は言葉を失っていた。
「……違うとは?」
「リモネン様の手練れの中に、私は入っておりません。私は私の意思でこちらへ参りました。確かに私は、リモネン様の仰る手練れではございません。ですが、必ず役に立ってみせます」
クラリスはローレルに凛として言い放った。
「その上で『青薔薇の賢妃』も演じられると?」
「メリッサ妃殿下の名を汚すことは絶対にいたしません。バウム子爵家の名にかけて誓います」
はっきりとクラリスは言った。
ローレルは少し考え込み、改めてクラリスを見た。
王太子に見据えられても、クラリスは怯む様子はない。
背を伸ばし、ローレルを見返している。
ローレルに対して、このように受け答えが出来る下位貴族の令嬢を見たのは初めてだった。
初めて会った時から、とても度胸のある娘だとは思っていたが。
これほどまでとは。
「そうか」
息を吐くように、ローレルは短く呟いた。
「もし何か分かったら、ノビリス叔父上か、私の側近……シトラールかハーツに連絡してほしい。ハーツとも面識があるのだろう?」
「ございます」
ローレルの言葉に、クラリスは肯定する。
シトラールとは、メリッサ妃の次兄の名前だったか。
現在、王宮魔法師団の研究室に所属していると報告を受けている。
そして今は、人手不足のローレルの執務室で働いているとか。
クラリスから唯一出てくる男の名前がシトラールだった。
幼馴染だと言っていたことを思い出す。
ハーツ……イーズ侯爵家の嫡男か。
侯爵家の嫡男と交流があるのなら、彼女のここまでの立ち振る舞いにも納得出来る。
ローレルはまたもや、少し考え込むように視線を落とした。
そして意地の悪い笑みを浮かべ、クラリスを見た。
「シトラールと復縁する気はないか?」
「ございません」
ローレルの言葉に被せるように、クラリスは返答した。
しかも満面の笑顔を浮かべている。
驚いたのは私だけらしい。
復縁……。
クラリスはバウム子爵家の次男と付き合っていたのか。
私と出会う前とはいえ、心穏やかではいられない。
……現在も、クラリスと私は仕事関係以上の仲ではないのだが。
そんな話を聞くと、とても落ち着かなくなる。
「そもそも、シトラール様と復縁とは? 私はシトラール様のことを弟のようにしか思ったことはございません。シトラール様も私のことを、口うるさい姉としか思っていないでしょう」
クラリスは続けた。
「それに、シトラール様のご婚約は整ったと伺っております」
「……地獄耳だな」
ローレルは若干、目を細めた。
「シトラールの婚約者に『何か』あれば、君がその場に収まってくれると、私としては助かるのだが」
不吉な言い回しに、私はローレルを見つめた。
メリッサ妃の次兄の婚約者は、王家にとってよろしくない相手なのか?
そこはまだ報告を受けていない。
「そういうシナリオも用意していたのだが、君がノビリス叔父上のお気に入りなのは誤算だったな」
ため息を吐きながら、ローレルは言った。
気落ちしているようだ。
そして、私はいつの間にかクラリスの前に立ちはだかっていた。
その上、ローレルを睨んでいたようだ。
完全に無意識だった。
「シトラール様の婚約者に『何か』はございません。もし『何か』が起これば、バウム子爵家、そしてバウム領が黙ってはおりません」
「……そうだな」
ローレルはクラリスの言葉に、もう一度大きなため息を吐いた。
だけど、納得もしているようだった。
相変わらず、ローレルは思考の切り替えが早い。
こういうところは、本当に兄上にそっくりだ。
否、歴代のベイリーフ王国の国王と同じだと言っても過言ではない。
しかも歴代の国王より頭の回転が早いと、前国王である父上が言っていたことを思い出す。
歴史に名を残す国王になるのは間違いない、と。
「ローレル、メリッサ妃に挨拶をしたいのだが……」
「駄目です!」
私の言葉を遮るように、ローレルが大声で否定した。
そこまで拒絶しなくてもよいではないか。
やはり、私は嫌われるようなことをしてしまったのか。
本当に心当たりがないのだが。
「結婚式が終わり、しばらくしてから、改めて叔父上にはメリッサを紹介します」
ローレルははっきりと私へ言い放った。
結婚式が終わって、しばらくしてから?
そんなに私には会わせたくないのだろうか?
もしかして、私はローレルから異性にだらしないと思われているのかな。
メリッサ妃に手を出すと?
それはそれで、ショックなのだけど。
「メリッサ妃殿下にマートル・キンバイを会わせたくないだけでは?」
笑いを堪えながら、クラリスは私に小声で耳打ちした。
マートル・キンバイ。
私の仕事上の名前である。
有り難いことに、世間では若き劇作家として、マートル・キンバイの名は知れ渡り始めていた。
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