二
「ごめんね、待たせちゃって」
そういって俺達の前に座る生徒会長。息は弾んでおり、急いできた事が窺える。
「いえ、大丈夫です。それよりも、先輩もドリンクバー頼みますか?」
「そうね、ありがと」
そう言いながら向けられる笑顔にドキリとしてしまう。俺は平静を装いつつ店員を呼んだ。
「それよりも、そっちの二人は?」
席に座りながら先輩が聞いてきたのは、佐立とスノウの二人の存在だ。集会の後、ファミレスで待っていてと言われた俺は、最初一人で行こうとしていたのだが、二人が断固として着いていくというので渋々了承したのだ。もちろん先輩には今初めて言う事だが。
「すいません、友達がどうしても来たいって」
「別にいいのよ。そっちのほうが好都合だし」
「え? なんですか?」
「ううん、こっちの話」
ほぼ初対面なのに、先輩はとても話しやすかった。どこかのコスプレ厨二病や見た目だけヤンキー総長とはわけが違う。これだけのやりとりなのに、俺は先輩に少なからず好意を持ってしまっていた。柔らかな笑みとその綺麗さからだろうか。
「とりあえず、はじめましてかな? 私は麻生芳。一応生徒会長をやらせてもらってます」
「こちらこそはじめまして、俺は――」
「高橋啓介君、でしょ?」
その返答に、俺を含め佐立もスノウもぎょっとする。おれ自身、まだ一度も名乗った事がないからだ。
「なんで啓介の名前知ってんだ?」
「それは、興味があるからよ」
「興味ってなんですか?」
「それはあなたには関係ないと思わない?」
先輩の言葉に、少しだけスノウがむっとする。佐立もどこか訝しげな表情で先輩を見ていた。すこしだけ空気が張り詰めたかと思ったが、先輩はふっと笑みを浮かべその空気を容易く壊す。
「なんてね。そんな怒らないで? 普通の女の子として男の子に興味を持ってるだけよ。それだけ」
「はぁ……」
なんだかよくわからない返答に、俺は曖昧な返事をすることしかできない。
「それよりもさ」
「なんですか?」
先輩が身を乗り出してきた。豊満な胸元が強調され、目のやり場に困る。
「白い髪のあなたと啓介君、付き合ってたりするの?」
俺はそれを聞いて、おもわずコーラを吹き出した。
「うお!? こら、啓介! 汚ねぇな!」
「ご、ごめん! なんか会長が変なこと言うから――」
「そうですよ! 私と啓介さんが付き合うだなんてこと、ありえません!」
「そんな、完璧に否定されるのも男としては微妙なんだけど」
俺達のやり取りを見ていた会長がくすりと笑う。俺達はその笑いに、思わず口を噤ませた。
「ははは、そんな面白い反応が返ってくるとは思わなかった」
けたけたと笑う会長。俺は、そんな会長をどこか恨めしげに眺めていた。しかし、そんな俺の視線をもろともせず、会長は話し続ける。
「でも、私にとっては大事な質問なのよ。付き合ってないならいいわよね?」
目を細めてスノウを見つめる先輩。スノウはその視線を受けて首を傾げていた。佐立は小さくため息をついて頬杖をついている。興味がないのだろう。
「私はもっと啓介君と仲良くなりたいんだ。だから白い髪のあなたと、そっちの厳つい君。二人が私に協力してくれると嬉しいんだけどな」
「え?」
「明日、みんなで動物園にいきましょ? 友達も一緒なら、別に気まずくないわよね?」
上目遣いで見つめてくる先輩。つい見惚れてしまうその綺麗さに、俺は返事を返せずにいた。すると、佐立が肘で俺を小突いてくる。そっちを向くと、顎で先輩を指している。
あ、えっと……。
「俺は別にかまいませんけど……」
「俺も構わない」
「私も予定はないですが」
「なら決まりね! あ、みんな私のことちゃんと名前で呼んでよね? 会長とか他人行儀な呼び方したら怒るんだから!」
そういって口角を上げた先輩。いつのまにか主導権を握っているこの勢いについ押されてしまう。俺は、妙なことになったなと考えながら、視線を窓の外にうつした。
◆
俺が家に帰ると、母さんは台所で忙しなく動いていた。珍しく姉ちゃんも一緒だ。そんな二人を見ながら、俺は明日の事を考えながら憂鬱な気分になっていく。
「ただいま」
「遅い! あんたも手伝いなさいよ、ほら!」
そういって、姉ちゃんから台布巾と人数分の箸を渡された。はいはい、とつぶやきながら、俺はテーブルを拭き箸を並べていく。四人掛けのテーブルは少し広い。
「すぐご飯でいいかい? もうできるんだよ」
「ああ、ありがと」
そう言って俺は料理ができるまでの間、リビングのソファーに腰をかけた。ここ最近、わけのわからないことが多すぎる。どうして動物園なんだ? 断ることができない状況だったから了承したけど、先輩からみてほとんど初対面の人たちを動物園に誘うか? 理解ができない。
それに、俺はもしかしたら死ぬかもしれないんだ。そんな場合じゃない……。
そんなことを考えていると、ふと鼻腔をくすぐる匂いに気づいた。
あれ、この匂い。
ふとしたときに香った匂いは、香ばしい油の匂いだ。
「あれ? 今日もしかして二十日?」
「なにあんた。気づいてなかったわけ? ほんと、馬鹿なんだから」
あきれたように姉ちゃんは悪態をつく。その足でテーブルに料理を並べていくが、その料理は案の定カツ丼だった。
「今日の卵、ちょっと堅そうだね」
と言った瞬間、俺の頭に衝撃が走る。姉ちゃんに叩かれていた。
「あたしがつくったの! いらないならあげないけど?」
「ごめんなさい! なにとぞ俺にカツ丼をたべさせてください!」
「最初からそう言ってればいいのよ」
頭を下げて姉ちゃんを拝む。本気で謝っているわけじゃないが、こんなやりとりは俺達の間ではよく行われていたことだった。
「あの人も、よくそんな風に私に謝ってたっけな」
味噌汁を運びながら、母さんが感慨深げにそんなことを言った。
「父さんが死んでもう三年か」
カタリと味噌汁のお椀を置く音がリビングに響いた。その音は少しだけ悲しげだ。
そう、毎月二十日は父さんの月命日。その日は決まって、父さんが大好きだった母さんのカツ丼が出されるのだ。
自然とその日は家族皆で夕食を食べるようになっていた。今回は、色々ありすぎて、つい忘れてしまっていたのだが。
カツ丼と味噌汁が並べられると、俺達は自然と席に着く。そしていざ食べようとはしを持とうとした矢先――、
ピンポーン
と、インターホンの音が鳴り響いた。
「あら、こんな時間に誰かしら?」
そう言って母さんが玄関へと小走りで向かう。俺と姉ちゃんは目を見合わせて、改めてカツ丼に箸をつけようとしたが、間もなく今度は母さんの声がリビングに響いた。
「啓介、あんたにお客さん」
「俺に?」
誰だ? 中学時代の友達とは最近疎遠だし、高校での知り合いも数えるほどだ。直接尋ねてくるような奴といえば……、
「どうしたスノウ。何か用か?」
こいつしかいないだろう。
スノウはその白い頬を少しだけ赤く染め息を切らしている。その上気した様子はどことなく色気があった。普段とは違うその様子に、俺の胸はすこしだけドキンと脈打つ。
「夜分にすいません。今いいですか?」
「ああ。それで、どうしたの? 急ぎの用事?」
「あ、そうなんです。大変なんですよ! もう、まったくもってわからないんです!」
慌てた様子で詰め寄ってくるスノウ。俺はその剣幕に押されつつ、なんとかスノウと距離をとる。
「ちょ、ちょっと待て! どうしたんだよ、ゆっくり話してみて」
そう諭すと、ようやくスノウは取り乱していることに気づいたのか、大きく深呼吸をした。そして息を整えると、真顔で俺に聞いてきた。
「明日、動物園行くんですよね!? 何着て行けばいいですか!?」
俺は思わずスノウを玄関の外に放り投げ、問答無用で鍵をかけた。
◆
「ひどいですぅ。本気で悩んでるのに」
外に追い出したはいいが、叫び声とドアを叩く音が止まないため、やむなくスノウを中に入れる。リビングのほうからひしひしと伝わってくる『夜なんだから静かにしろよ』という無言のプレッシャーが痛い。
「まあ、悪かったよ。でも、なんだっていきなり着る服の相談なんだ?」
「それなんですが、色々調べた結果、休日に動物園に行くなら制服はあんまり着ていかないのが普通みたいで。でも、制服以外に持っている服って死神の服しかないんですよ。色々調べても定番っていうのは服装には明確に定義されてないみたいで……。死神の鎌から服を生み出そうにも、何を出さなきゃならないかわからなくて」
どこか聞き流せない言葉もあったが、今はそれどころじゃない。こいつの悩みを解決して、揚げたてのカツをつかったサクサクかつ丼を腹に収めなきゃいけないんだ。
「ですから、何をきて行けばいいのか教えてください! 啓介さんしか聞ける人、いないんですよぉ」
スノウはぱっちりとした両目に涙を溜め俺をしたから見上げてくる。って、その角度はいろいろとやばい。こいつ、無自覚でそれやってるなら相当の悪女だろう。
「でも、服のこと聞かれたって女子の服なんてわかんないしな……」
力なく呟いて途方にくれていると、後ろから声がかかる。嫌な予感しかしない。
「誰? 彼女?」
姉ちゃんがにやにやしながら俺を見下ろしていた。その表情には、野次馬根性という文字しか伝わってこない。俺は露骨に嫌がってみたが、そんなのは俺の姉ちゃんには伝わるはずもない。
「違うよ、学校のクラスメイト」
「まあ、あんたなんかにこんな天使みたいな女の子、もったいないからね。それより……なんだか困ってるみたいじゃない? ――あ、私、この子の姉のなつめ。よろしくね」
「あ、はい。よろしくおねがいします」
「で? 何の用? 嫌味言うために来たならどっかいってほしいんだけど?」
「何よ。あんた、少しは姉を敬っても罰はあたらないわよ」
なんだかよくわからない方向に話がすすみそうだったため俺がすかさず姉にこの場からの退席を促したのだが、それは叶わない。
「えっと――」
「スノウです」
「スノウちゃん? ね。よかったらなんだけど……、私の服でよかったら貸そうか? もし嫌じゃなかったらなんだけど」
姉ちゃんが提案した案にスノウは目を見開いて驚いている。
「え!? その、別に嫌じゃないですけど……」
「なら決まり! 動物園に行くのね? 待ってて! 適当にコーディネイトしてあげるから」
そう言って姉ちゃんは駆け足で二階に上がると、なにやらばたばたと荷物をひっくり返している音が聞こえてきた。その怒涛のような展開を、スノウは未だに受け入れきれていないようだが、俺はなれているので特に驚きもしない。
「えっと、どういうことですか? なんで啓介さんのお姉さんが、え?」
「あんまり深く考えないでいいよ。姉ちゃんはいつもこんなだから。困ってる人を放っておけない人なんだ。……父さんに似てるんだよ」
俺はその言葉に含まれている自嘲をごまかすかのように、精一杯の笑顔を作り上げる。その不自然さにスノウは気づいてないようだ。
「似てる? ですか?」
「まあ、言うなれば俺とは正反対のスーパーヒーロー予備軍ってことだよ」
その言葉の意味をスノウはわかっていなかったのか、きょとんとした顔で俺を見ていた。どこか気まずくて目をそらす。そんな空気を察したのか、ただのおばちゃん根性なのか、今度は母さんが後ろから話しかけてくる。
「ね、よかったらその子も食べていきなさいよ、カツ丼」
そんなこんなで、なぜだか食卓にスノウが加わることとなった。
◆
「美味しい!」
「でしょ? こいつは何作っても文句言うんだから。ほんと、罰当たりよ、この愚弟!」
なんだってカツ丼を目の前にしてそんなことをいわれなきゃならないんだ。気持ちよく、美味しく食べている俺の気持ちを逆なでするのは姉ちゃんでも許さない。
「ちゃんと美味しいよ?」
と思っても、ここは日本人魂。当たり障りのない返答は生まれたときから磨かれている。
「何よ。ちゃんと美味しいって。あたりまえでしょ? 何度も作ってるんだから」
「当たり前って。姉ちゃんが作れる料理ってこれだけじゃん。どこが当たり前なんだが。卵も堅い――」
「何? ご飯食べたくないわけ?」
「ごめんなさい」
俺が反射で謝ると、般若のごとき姉ちゃんの顔が、ゆっくりといつもの表情へと戻る。その様子をみてスノウはけたけたと笑っていた。
「仲がいいんですね」
「よくない!」
「よくない!」
俺と姉ちゃんの声がハモる。その事実に俺は心底嫌そうに顔をゆがめてやったが、そんな様子をみて再びスノウが笑い声をあげた。
「あはっ、ははははっ」
「何笑ってんだよ」
妙に癪に障ったので、俺はスノウのカツを横から奪い取ってやった。そしてすかさず口に放り込む。
「あ、何するんですか! それ、私のですよ!」
「もう食べちゃったからね。余計なことした罰だ」
「食べ物の恨みは恐ろしいんですよ! すぐ、その罪を償いなさい!」
そう言いながら、スノウは俺の丼に向かって鋭くはしを向かわせる。俺はその攻撃を寸前のところで避けながら、反撃に出た。
む? こいつ、ただの死神じゃないな。こうも軽やかに俺とはしの攻防を繰り広げるとは。こうなったら俺も本気で――。
「余計なこといってないで、早く食べなさいな」
母さんは、そんな俺達を見ながら、優しく微笑んでいる。が、声は笑っていない。冷たく重い言葉に、俺とスノウはすぐさま矛、もといはしを収める。
ようやく静かな食卓が戻ったか。やっとゆっくりカツ丼を食べれる。そんなことを思っていると、スノウが唐突に口を開いた。
「さっき啓介さんが言ってましたけど、お姉さんって啓介さんのお父さんに似てるんですよね? どんな人だったんですか? お父さんって……」
その言葉に俺達家族は目を見合わせた。別に、聞かれたくないことを聞かれたとか、そういうわけではない。スノウにはさっき、今日が月命日だということ、そのカツ丼は父さんの分だということ、残ったカツ丼はいつも捨てるから食べてくれると助かることなど、一通り話していたので、単なる興味からなのだろう。
その質問に俺は正直に答えた。
「父さんは変わった人だったよね」
「そう?」
そんな俺の言葉に、母さんはきょとんとした顔で俺を見る。
いやいやいや、あの父さんを見て、そんな驚かれても俺が困るんだが。
「そうでしょ! だって父さんって絶対に行動おかしかったし」
「そうだったかしら? いつもカッコいいとは思ってたけどね」
満面の笑みを浮かべる母さんは、どこか懐かしげだ。
「無駄よ、啓介。母さんは父さんにベタぼれだったからね。あんなめちゃくちゃな行動でも、こんな風に言えちゃうのよ」
どこかあきれた顔の姉ちゃんは、まだサクサク感の残っているカツを口に放り込む。
俺もそれに続けと、カツ丼を口にかきこむ。かみしめる度にわき出る肉汁が俺の舌を踊らせる。父さんの味ともいえるカツ丼のうまみを味わいながら、俺は記憶の中の父さんを思い出していた。
「おかしい行動?」
そんな会話を聞きながら首をかしげていくスノウ。そんなスノウに俺は父さんのことを話してやった。
家族旅行にでかければ、お金がなくて困っているヒッチハイカーを乗せてとんでもないところまで行ってしまうし、授業参観にくるかと思えば、道中見かけたゴミを拾ってきたのかリアカー一杯にゴミ袋を積んで学校にやってくるし、マイホーム資金として貯めといたなけなしの貯金を困っている友人のためにすべて融資してあげたり(結局、友人は成功して色を付けて返してもらえたらしいが)、捨て猫を見つければ、飼い主が見つかるまで奔走していた。
要するに、超がつくほどの善人でお人よしだったのだ。大したことをするわけじゃないけど、助けられた人からしたら父さんはヒーローみたいなものだった。
「素敵な方だったんですね」
「どうかな。巻き込まれるほうは迷惑だったけど」
「ほんとに」
俺の言葉に姉ちゃんも同調する。
ただ、父さんはそれだけじゃなかった。たしかに家族には迷惑をかけてきたけど、見つけた猫に餌をあげて満足している、偽善的な俺とは違うんだ。俺ができないことをやってのける父さんのことは、俺はずっとかっこいいと思っていた。けど、同時に俺の中には父さんに対する嫉妬心が膨れ上がっていた。憧れていたけど憎んでいた。そんな表現が当てはまるかもしれない。
だってそうだろう? 俺が絶対追いつけない存在として、ずっと俺の目の前に立ちはだかるんだから。もっと、どうしようもない人だったら、俺はこんな感情なんて抱かない。劣等感だって感じずにすんだのに。
父さんのことを思い出すと、ついついそんなことを考えてしまう。
「あんな奇行につき合えるんだから、母さんもちょっと変わってるよね」
「当たり前でしょ。愛してるんだから」
なぜだかドヤ顔を浮かべた母さんは、どこか幸せそうだった。そんな母さんを見ながら、俺も姉ちゃんもスノウも優しく微笑んでいた。
◆
「良いご家族ですね」
夕食も終わり、俺はスノウと玄関に行き、姉ちゃんが持ってきた服を手渡した。どこかこそばゆいスノウの言葉を聞きながら、俺は恥ずかしさから目線を外す。
「まあ、な」
「今日はなんだかご飯まで食べさせてもらってすいませんでした。カツ丼美味しかったです」
「よかったら、また食べにこいよ」
「はい」
そうやって笑うスノウの笑顔は、とても眩しかった。
この笑顔が明日も見れるなら、動物園も悪くないか。銀行にさえ近づかなきゃ、きっと大丈夫……だよな?
そんな根拠のないことを考えながら、スノウの後ろ姿を見送った。
いつのまにか夜も更け、俺はベッドの中で眠りにつく。そして、いい加減うんざりしてきた五回目の夢を見る。そこでは、いつもの如く、いやもちろん会長だっていうことは今日知ったのだが、涙を流し叫んでいた。そんな会長を見て、俺は不謹慎にも綺麗だな、と思いながら、腹で銃弾を受け止める。
そして、思う。そういえば、なんでスノウはここに居てくれないんだろうと、そんな、どうでも良いことを。




