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偽りの冷酷  作者: 月


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3/4

第3話 亀裂


翌朝、夜明け前の木霊(こだま)が響くほどに静まり返った道場。

板張りの床には、まだ薄暗い朝もやが低く立ち込めていた。

修は、新しく巻き直された包帯の圧迫感に耐えながら、一人で正座していた。

昨日の命の危機は脱したものの、全身の筋肉は繊維の一本一本が燃え尽きたように軋み、呼吸を深く吸い込むだけで昨日折られた脇腹が鋭く主張する。道着の擦れるかすかな摩擦すら、傷口には万力で絞められるような激痛だった。

ギィ……と、重い板戸が開く。

音もなく入ってきた厳は、昨日のお白洲での豪奢な衣服ではなく、着古された灰色の稽古着を纏っていた。その手には、ずっしりと黒光りする素振り用の重木刀が握られている。

厳は修の正面に立つと、冷徹な眼光を突きつけた。

「立て、修。昨日の不始末、帳面を合わせるぞ」

「……御意」

修は歯を食いしばり、床を押して立ち上がった。膝が笑いそうになるのを、強引にねじ伏せる。自分の木刀を執り、正対して構える。

その刹那、風が爆発した。

残像すら残さぬ厳の踏み込み。黒木刀が、修の脳門めがけて一直線に振り下ろされる。

修は本能的に己の木刀を斜めに掲げ、受け流そうとした。しかし、相手は厳だ。万全であっても防ぎきれるか怪しい一撃が、満身創痍の腕にまともにかかる。

「ぐ、うっ……!」

凄まじい衝撃波が腕の骨を伝い、肩が悲鳴を上げた。修はたまらず数歩後退するが、厳は追撃の手を緩めない。間髪入れずに放たれた足払いが、修の軸足を正確に払った。

ドサリ、と派手な音がして修の身体が板の間に叩きつけられる。

背中と脇腹の傷が同時に開き、道着の裏にじわりと赤いシミが広がっていく。

「……何だその無様な受けは。昨日の千練巌の再現のつもりか」

厳は倒れた修を見下ろし、木刀の先を床に突き立てた。

「上で全て見ていた。……おい、あのやり方はねえだろ」

修は口内の血を床に吐き捨て、這うようにして再び立ち上がろうとする。

「……やり方、ですか」

「そうだ。懐に潜り込んでの頭突きに、あえて脇腹を殴らせて肉を切らせる骨断の戦法。あれではただの飢えた野良犬の噛み合いだ。お前は我が直伝の武技をどこへ捨ててきた? 」

修はよろめきながらも木刀を構え直し、師の鋭い視線を正面から見据え返した。

「綺麗事じゃ……あの状況は生き残れませんでしたよ、師匠」

掠れた声に、隠しきれない揺れが混じる。

「相手は万全の暗部が三人。対する俺は、師匠の『お心尽し』のせいで肉体が焼き切れる寸前だった。あそこで型通りの美しい武技なんて気取ってたら、最初の三分で本当に肉片にされてました。――sれがあの場で、俺にできる唯一の正解だったはずだ!」

「口が減らないな」

厳の目が、わずかに細められた。

「ならば、その野良犬の戦い方が、この俺に通じるかどうか試してみろ」

次の瞬間、厳の姿が完全に視界から消えた。

修の背後に、冷徹な気配が立ち上る。気付いた時には遅い。厳の木刀の柄頭(つかがしら)が、修の背中の「気脈の要衝」へと容赦なく突き込まれた。

「が、はっ……!?」

痛烈な衝撃。しかし、その激痛と同時に、不思議なことが起きた。

昨日から体内の奥深くで滞り、鉛のように重く燻っていた経絡の詰まりが、厳の一撃によって無理やり風穴を開けられたように、一気に弾け飛んだのだ。

体内を駆け巡る気流が、一瞬にして正常な軌道へと還流していく。

厳は息を荒くする修から一歩引き、木刀を肩に担ぎ直した。

「頭突きも、肉を切らせる戦法も、己の肉体という資産をドブに捨てる愚者の戦いだ。二度とあんな無茶な戦い方をするな。お前が死ねば、俺の帳面が赤字になる」

そう言い捨てると、厳は踵を返し、道場の出口へと歩き始めた。

「今日の稽古は終わりだ。すぐに食事を摂れ。狂った気脈は今の一撃で叩き直してやった。……それともう一つ」

厳は戸に手をかけたまま、振り返らずに言った。

「泥塗れの不細工な勝利だったが、……生きて戻ったことだけは、褒めてやる」

バタン、と静かに戸が閉まる。

道場に残された修は、木刀を杖代わりにしながら、ようやく深く、正常になった呼吸を肺いっぱいに吸い込んだ。身体の芯から、じわりと熱い力が戻ってくるのを感じる。

修は閉ざされた扉に向かって、不敵に、しかしどこか憑き物が落ちたような笑みを浮かべた。

「……お心のこもった治療、痛み入りますよ、師匠」

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