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偽りの冷酷  作者: 月


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第4話 回想

手紙を持っていったのは、修自身だった。


直接手渡したわけではない。新入りの彼に、そんな資格はなかった。門を叩いた初日、門番の詰所で二刻ほど待たされた後、世話役の兄弟子に案内されて厳の書斎の外へと連れてこられた。扉は開いていたが、中へ入る勇気はなかった。彼は渡り廊下の板敷きに跪き、懐から父親の手紙を取り出すと、両手で頭上に高く掲げた。

手紙は体温で温もりを帯び、封筒の角は少し柔らかくなっていた。数ヶ月に及ぶ旅路の途中、汗に濡れては乾き、乾いては濡れを繰り返した痕跡だった。

兄弟子が手紙を受け取り、厳の文机の上に置いた。修は終始うつむいたままで、視線には板の木目と、机の端に置かれた厳の手だけが映っていた。——長く、節の太い指。親指と人差し指の付け根には分厚い凧(たこ)ができていた。その手が手紙に触れることはなかった。


「下がれ」


修は頭を下げて退出した。厳がいつ手紙を開くのか、そこに何が書かれているのかも知らなかった。

父親が手紙を封じ、彼に手渡した時に残した言葉は一つだけだった。

『名門の屋敷に着いたら、これを厳という男に渡せ。問われたことだけに答えろ。何も問われなければ、口を開くな』。

修はその言葉を、寸分違わず胸に刻んでいた。


書斎には、厳一人だけが残された。


文机の前に腰を下ろし、手紙を見つめる。

封筒に躍る文字には見覚えがあった。

二十年前、剣南道の軍幕の中で目にした筆跡。当時は濃墨が惜しみなく使われ、払いの一筆一筆に若き日の気概と野心がみなぎっていた。だが今の文字は細く痩せこけ、角が削げ、ところどころ震えながら書かれていた。

老いゆえではない。手に傷を負っているか、書いている最中に身体が震えていたのだ。


厳はすぐに手紙を開かなかった。

机の上に置いてあった磨き途中の鉄剣を持ち上げ、再び磨き始める。

剣身にこびりついた錆が、午後の光の中で暗く赤い光を放っていた。左から右へ、右から左へ、ゆっくりと拭っていく。手拭いの布地が徐々に赤褐色に染まっていく。片面を擦り終えると、返してもう片面を擦る。業物(わざもの)ではあるが、長らく刃が立てられていない。剣を膝の上に置き、ようやく手紙を取り上げた。


手紙は短かった。目を通すのに、幾分もかからなかった。


読み終えた後、厳はそのまま微動だにせず座っていた。窓外の槐(えんじゅ)の葉が風にさざめく。午後の日差しは夕刻の金色へと変わり、さらに鈍色の灰色へと落ちていく。手紙は握りしめられたまま、手のひらの凧によって無意識のうちにしわくちゃに押し潰されていた。


『本来であれば、息子の成長を待ち、兄上の元へと送り届けて弟子入りさせるつもりでございました。しかし家中に異変が生じ、もはや一刻の猶予もございません』


家中に異変。細かな事情を聞かずとも、この五文字で察しがついた。かつて陣中で杯を交わした男がどのような憂き目に遭ったのか、一刻の猶予もないという言葉が何を意味するのか。我が子の成長を待てずに送り出さねばならぬ理由——家が潰えたか、命が尽きかけているかのどちらかだ。


『いま、この身体ひとつを以て兄上のもとへ寄せ集め、生きていく道を賜りたく存じます』


厳の視線が、この一行で最も長く止まった。


こうした託され方をするのは、これが初めてではない。一族の門閥では、亡き同門から引き取った遺孤や、零落した分家から拾い上げた親族の子供など、毎年何人かがやってくる。

だが彼らには通常、身元を引き受ける親族が付き添い、挨拶状や正式な儀礼が用意されているものだ。

しかし、この少年には何もなかった。

手紙一通と、彼自身だけ。

気の遠くなるような道のりをたった一人で歩んできたのだ。

父親が息子を差し出す際に使った「この身体ひとつ」という言葉——それは弟子入りでも託児でもなく、ただの肉体という「物」として知人に差し出し、引き換えに命を買おうとするものだった。そこには希望も期待もなく、追い詰められた者が最後に弾いた冷徹な勘定しかなかった。


『もし兄上の意に叶い、真伝を授けて生きる道を拓いていただけるならば本望。もし眼に留まらぬようであれば、ただの末弟として、あるいは雑役として使っていただいても構いません。生の成敗、すべては本人の運命(さだめ)。決して怨み言は申しません』


「……一言『助けてくれ』と請うことが、それほど難しいのか」

厳は手紙に向かってぽつりと言った。低く抑えた声の中に、わずかな揺らぎがあった。


手紙を裏返し、他に書き置きがないか確かめる。何もない。ただその数行だけだ。再び表に返し、最初から最後までもう一度読み返した。


読み終える頃には、夕闇が書斎のすみずみにまで満ちていた。厳は手紙を元の折り目に沿って丁寧に畳むと、封筒に戻して机の端に置いた。そして立ち上がり、廊下へと向かった。修はまだそこに跪いていた。午後から黄昏まで、膝下の板間には彼の体温で温められた二つの痕が残っていた。姿勢を崩すこともなく、手紙を掲げていた両手は膝の上に正しく置かれ、背筋はまっすぐに伸びている。立ち上がることを許されない限り、永久に跪き続けるかのように。


厳は見下ろすように少年を観察した。痩せた子供だ。跪く道着の背から肩甲骨がくっきりと浮き上がり、首は細く、指先にはしもやけの痕が残っていた。

貧しさゆえの痩せ方ではない。

何ヶ月もの過酷な旅によって擦り減らされた痩せ方だ。

生まれ持った体躯の骨組みは悪くない。ただ、長いあいだ碌なものを食べていないのだ。


「父親は」

厳が問いかけた。

「息災か」


修は顔を上げた。

驚いた様子はなく、ただ問いかけた者が返答を待っていることを確認するように。

「……生きております。手紙を書いた時点では、まだ」


厳はそれ以上追及しなかった。修の目を見つめる。問いに答えるその瞳に、一切の揺らぎや怯えはなかった。


「文を修めたことはあるのか」

「父より教わりました」

「武は」

「……ございません」


厳は黙し込んだ。

廊下に跪く少年を見下ろす。

入門を乞う者が師の目通りを待って跪くのは、この一族の決まりだった。だがこの少年は、門番の詰所で二刻待たされた挙句、ここで半日も跪き続けているのだ。何ひとつ口走らず、余計な問いも発せず、ただ背筋を伸ばしてそこにいた。


厳は背を向け、書斎へと戻った。しばしの後に戻ってきたその手には、濃紺の道着が一揃い抱えられていた。まだ糊の効いた新品で、几帳面に畳まれていた。彼はそれを修の目の前、床の上に置いた。


「着替えろ。明朝、寅の刻。演武場へ来い」


修は視線を落とし、道着を見つめた。それから顔を上げ、厳の目を見返した。その瞳には、落涙するほどの歓喜も、安堵の色もなかった。ただ静かで、当然の結果を受け止めるかのような光だけがあった。あたかも、この門をくぐった時から自分が追い出されないことを知っていたかのように。

過信ではない。

彼には「追い出される」という選択肢そのものが存在しなかったのだ。

行く当てなど、世界のどこにも残されていないのだから。


「……感謝いたします、師匠」


修は両手で道着を抱え上げ、ゆっくりと立ち上がった。長時間の正座で膝が痺れていたが、彼は奥歯を噛み締め、よろめくのを耐えた。

弟子たちの住まう中庭へと足を進め、数歩歩いたところで立ち止まり、振り返った。

厳は変わらず廊下に立っていた。

修は唇をかすかに開いた。父のこと、手紙の内容、そして師と父がいつ出会ったのか——訊きたいことは山ほどあった。

だが、問いかけることはしなかった。父の言葉があったからだ。

『何も問われなければ、口を開くな』。


彼は口を閉じ、道着を抱きかかえると、石畳の廊下を歩み去っていった。


厳はそのまま立ち尽くし、小さく痩せた背中が塀の角へ消えていくのを見届けていた。手には、今もあの手紙が握られている。

長く握りしめられていた紙片は、掌の体温を吸い上げ、あのかすれた文字をわずかに温めていた。

封筒の筆跡をひと目見つめると、厳は書斎へと引き返した。

文机の上には、磨きかけの鉄剣が横たわっている。

彼は再び座に就き、手紙を剣の傍らに置くと、使い古した布を手に取って磨き始めた。

ゆっくりと、左から右へ、右から左へ。

窓枠の隙間から滑り込む黄昏の最後の光が剣身を照らし、浮き出た暗赤色の錆が、まるで凝固した血のように鈍く光っていた。


厳は剣を裏返し、もう片面を擦り始めた。

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