第4章 義兄・赤橋守時の戦死
【丹波国篠村八幡宮〜京・六波羅】
山々に囲まれた丹波国篠村八幡宮(京都府亀岡市)。
新緑の境内には、足利高氏の呼びかけに応じた西国の武士たちが溢れ返り、白地に二つ引両の足利の旗印が風を孕んで翻っていた。
「わが先祖は八幡太郎義家公! 今日より後醍醐帝の綸旨を奉じ、北条得宗の暴政を討ち滅ぼす!」
高氏の朗々たる宣言が静寂を突き破ると、兵たちの地鳴りのような歓声が山々を揺らした。
5月7日、高氏率いる軍勢は京へとなだれ込んだ。
攻撃目標である六波羅探題(北条家が設置した京の統治機関)は激しい動揺に包まれた。
まさか幕府の最精鋭として送られた足利高氏が、一転して最大の敵として襲いかかってくるとは夢にも思っていなかったのだ。
六波羅の陣営は火の海と化した。
矢の雨が飛び交う中、高氏は馬上で太刀を振り下ろし、かつて仲間であった北条の武士たちを容赦なく切り伏せていった。
北方探題・北条仲時らは北方へと逃亡を図るも捕らえられ、自害。京の六波羅探題は、わずか一日にして壊滅した。
【鎌倉の悲劇〜赤橋守時の孤立】
京からの「足利高氏反逆」の報せは、早馬によって一刻も早く鎌倉へと届いた。
得宗・北条高時をはじめとする幕府首脳陣は激怒した。
『足利は裏切り者だ! 名門の面皮をかぶった賊である!』
その怒りと疑念の矛先が向けられたのは、執権であり、高氏の正室・登子の実兄である赤橋守時(北条守時)であった。
「守時! 貴様も妹の登子とともに足利と通じていたのではないか!?」
北条一族的会議の場で、執拗に詰問される守時。
守時は一切の弁明をせず、ただ静かに深々と頭を下げた。
彼自身、妹の夫である高氏の苦悩や北条政治の限界を誰よりも理解していたからこそ、その胸は切り裂かれる思いであった。
「……疑われて命を惜しむ赤橋守時ではございません。わが身の清白は、戦場にて明かしてみせましょう」
【洲崎の戦いと守時の壮絶な最後】
元弘3年5月18日。新田義貞の軍勢が鎌倉へと迫る中、守時は自ら志願して最前線である洲崎(神奈川県鎌倉市)へと出陣した。
守時の率いる軍勢はわずか。
周囲の北条の武士たちすら「どうせ裏切るのだろう」と冷ややかな目を向ける中、守時は誇り高く白馬に跨がり、新田の大軍へと突撃を繰り返した。
『わが名は赤橋守時! 北条一門の誇りにかけて、一歩も退かぬ!』
一番手から十五番手までの怒濤の突撃。
守時の身は数十箇所の矢傷と刀傷で血煙を上げ、鎧は朱に染まった。
そして最後の一兵となっても刀を振るい続け、ついに自ら腹を召して壮絶な討死を遂げた。
「義兄」として、そして「北条の執権」として、高氏の反逆の汚名を己一人の血で洗い流すかのような、哀しくも凄惨な最期であった。
【高氏の苦悶】
六波羅を滅ぼし、勝者として京の足利館に入った高氏のもとへ、鎌倉からの報せが届いた。
「高氏様……。鎌倉にて、義兄・赤橋守時様が……洲崎にて討ち死にあそばされました。……登子様の命は、新田軍の手によってなんとか救い出されたとのことです」
進が重い口を開くと、高氏は手にしていた杯を床へ叩きつけた。
「守時殿……! なぜだ……! なぜわしを呪って死んでいかなかったのだ……!」
高氏は両手で顔を覆い、慟哭した。
自分が「討幕」という大義のために挙兵したことで、心優しき義兄が「裏切り者の身内」として追い詰められ、命を落としたのだ。
「進……。わしが六波羅を滅ぼしたから、守時殿は死んだのだ。わしが登子を愛したから、登子の兄が殺されたのだ……!」
「高氏様……」
「これが……これが源氏の棟梁となる代償なのか!? 武士の頂点に立つために、わしは己の愛する者たちの血を吸い続けねばならぬのか!?」
高氏の咆哮は、夜の京の街にむなしく響き渡った。
鎌倉幕府の崩壊という巨大な歴史の歯車は回りはじめたが、高氏が踏み出した道は、己の身内すら犠牲にする凄惨な「業の底なし沼」であったのだ——。




