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【栴檀外伝】「新・夢十夜」伊崎進の異世界転生の夢物語  作者: Kyoi
第八夜 大久保利通の波乱万丈
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第9章 大久保の最期

【暗殺劇前夜】


 五月雨がしとしとと赤坂の大久保邸の屋根を叩いていた。

  書斎の燈火(ともしび)の下、大久保利通は一心不乱に筆を走らせていた。


 そこためされていたのは、自らの命が尽きた後の日本を見据えた「明治三十年までの国家建設構想」——創業の第一期、内政充実の第二期、そして後進に国家を託す第三期にわたる、壮大な近代国家の設計図であった。


「……一蔵さあ」


 進が静かに冷えたお茶を差し出すと、大久保は筆を止め、眼鏡を外して深く息を吐き出した。

 その表情には、激動の維新を走り抜けてきた男の、言いようのない疲れと澄み切った静寂が同居していた。


「進……。この国は、あと二十年は内政の充実に専念せねばならん。殖産興業を推し進め、教育を普及させ、富国強兵を遂げる……。吉之助さあたちが流した血を無駄にせぬ道は、それ以外にないのだ」


「一蔵さあ……。今夜はどうか少しお休みください。ここ数日、まともにお休みになっておられないでしょう」


 進が痛切な面持ちで案じると、大久保はうっすらと微笑のようなものを浮かべ、窓の外の闇を見つめた。


「休む時間は……もうすぐいやというほど手に入る」


【最期の対話】


 大久保は手元の書状を愛おしそうに撫でた。


「吉之助さあが死に、わしもまた、世間から『不平士族を追い詰めた奸臣』と指弾されている。……だが、進。歴史の評価など、百年後の人間が下せばよい」


「一蔵さあ……」


「わしは自分のために一文の財も残さなかった。ただ、この国が欧米列強に呑まれず、民が豊かな暮らしを送れる礎を創ること——それだけを考えて生きてきた」


 大久保の静かな語り口に、進の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。


「知っております……! 貴方がどれほどのご私財を投げ打って国の事業を支え、借金まで背負って政府の仕事を推し進めておられるか! 天下は貴方を『冷血』と罵りますが、これほど無私で、この国を愛したお方はおりません!」


「泣くな、進」


 大久保はゆっくりと立ち上がり、進の肩に手を置いた。その手は固く、どこまでも温かかった。


「わしが倒れても、決して動揺するな。……わしが命を懸けて撒いた種は、必ずこの地に根を張り、巨木となって日本を支える。お前はそれを見届けろ」


 窓の外では、五月雨の音が夜のしじまにただ優しく響いていた。 死を翌朝に控えた巨星の覚悟は、静かに、そして完璧に完成していたのだった。


【東京・紀尾井町清水谷】


 明けて5月14日、薄曇りの朝。


 大久保利通は「明治三十年までの構想」を抱え、二頭立ての馬車に乗って内務省へと向かった。

 清水谷の緩やかな坂道に差し掛かったその時、草むらから躍り出た石川県士族・島田一郎らの白刃が、馬の足筋を断ち切った。


「暗殺者だ! 利通公をお護りせよ!」


 倒れる馬車。進が刀を抜こうと躍り出た瞬間、刺客たちの凄惨な刃が馬車の扉をこじ開けた。


『朝敵・大久保利通! 天に代わりて討つ!』


 車内で血を流す進の目の前で、大久保は微動だにせず、鋭い眼光で刺客たちを凝視した。


「……無礼者」


 それが、天下を統べた冷徹なる宰相の最期の言葉となった。


【亡霊たちの襲来と、西郷との再会】


 白刃の雨が降り下ろされ、地面に伏した大久保の体から大量の血が溢れ出す。

 その瞬間、周囲の景色がどろりと黒い闇へと変貌した。


 ─── 一蔵……一蔵さあ……───


 寺田屋で討たれた有馬新七ら精忠組の同志、会津若松の炎の中で死んでいった旧幕府軍の兵士たち、白虎隊の少年たち、西南戦争で散った不平士族たちの亡霊が、凄惨な血の渦となって大久保を取り囲む。


『お前が古い日本を破壊した!』 『身内を殺し、同志を血に染めて作った明治とは何だ!』


 怨霊たちが襲いかかる中、大久保は自らの喉を白刃で貫かれながらも、その亡霊たちを凄まじい意志の力で見つめ返した。


(……笑いたければ笑え。……わしが鬼となり、悪魔となり、お前たちの血の海の上に立つことでしか……この国は生き残れなかったのだ……!)


 その時、怨霊の渦の奥から眩しい黄金の光が差し込み、大きな体を揺らして歩み寄ってくる男がいた。

  西郷吉之助(隆盛)であった。


『……一蔵さあ。もう……よか。十分、働いたが』


 西郷がそっと手を差し伸べると、大久保の冷徹だった顔からすっと憑き物が落ち、かつて桜島の麓で貧しい芋を分け合っていた頃の青年の表情に戻った。


「……吉之助……さあ……」


 大久保は手を伸ばし、静かに息を引き取った。

 享年47。

 その死顔は、大任を完遂した男の安らかな静寂に満ちていた。


【進の覚醒】


 光と闇が激しく交錯し、大久保の最期を見届けた進の意識がどこまでも遠ざかっていく——。


 ——ハッと息を呑んで、進は目を覚ました。


 柔らかな朝の光が、自室の机の上を静かに照らしていた。

  進は自分の手を見つめた。

 そこには馬車の血も、明治の雨の冷たさもなく、ただ現実の温もりが宿っていた。


(大久保利通……。彼は国を救うという唯一の悲願のために、同志を斬り、親友を失い、自ら悪魔となって明治という時代を創り上げた……)


 己の人生における挫折や迷い、過去の悔恨——それらは英傑たちの背負った業の深さに比べれば小さな、だが等しく「生きているからこその苦悩」であったのだと、進は悟っていた。


(僕も……逃げるのはやめよう。己の現実に向き合い、僕自身の足で、僕自身の歴史を歩んでいかなければならない)


 進は力強く立ち上がり、部屋の窓を大きく開け放った。 朝の澄んだ風が頬を撫で、どこまでも広がる青空が、新しき一歩を踏み出す進の眼前に広がっていた。


(第八夜・完/全八夜・終結)



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