第6章 大名勢力の解体
【東京・皇居「廃藩置県」の断行】
戊辰戦争の煙が収まり、年号は「明治」へと改められた。
だが、新政府の足元は脆く揺れていた。
版籍奉還は行われたものの、全国に200以上存在する「藩」の実態はそのまま残された。
旧藩主たちが依然として領地と武士を抱え込んでいたからである。
「一蔵さあ、いま藩を潰せば、全国の不平士族がいっせいに刃を剥きますぞ! 薩摩の久光公だって黙っておられん!」
進が危惧を募らせて大久保に詰め寄った。
しかし、大久保利通の顔には一筋の躊躇もなかった。
「士族が反乱を起こすなら起こせ。……数千年の封建制を解体せねば、日本は欧米列強の植民地となるだけだ。一夜で藩をすべて潰し、中央集権の国家を創る」
明治4年7月14日。大久保は西郷隆盛や木戸孝允らを説得し、薩摩・長州・土佐の御親兵(約一万人)の武力を背景に、電撃的に「廃藩置県」を断行した。
知藩事(旧藩主)たちをすべて東京へ集めて罷免し、中央から県令(知事)を派遣する——。
数百年にわたる武家支配の歴史を、大久保はわずか一紙の詔書で完膚なきまでに解体してみせたのである。
「これで……武士の世は完全に終わった」
大久保は書類を片付けながら冷たく言い放った。
かつての主君・島津久光が怒り狂い、庭で花火を打ち上げて抗議したという報せが届いても、大久保の眉一つ動かなかった。
【欧米視察(岩倉使節団)と「現実」の衝撃】
廃藩置県という力技を成功させた大久保は、自ら大蔵卿として岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文らとともに欧米視察の旅へと出でた。
岩倉使節団である。
しかし、太平洋を渡り、アメリカ、イギリス、ドイツの地を踏んだ大久保を待っていたのは、誇り高き明治国家の建設者としての自負ではなく、圧倒的な絶望とショックであった。
「……これが、西洋か」
ロンドンの街にそびえ立つ工場群の煙突、縦横無尽に走る鉄道、巨大な蒸気船、そして近代化された軍事と産業。
自分たちが命を懸けて創り上げた「明治新政府」など、欧米の圧倒的な物質文明の前では、赤子の戯れに過ぎないと思い知らされたのだ。
「進……見よ。わしらが命を捨てて追いついたと思った西洋は、はるか先の空を飛んでいる」
ベルリンのホテルの一室で、大久保はランプの灯りの下、両手で顔を覆った。
その姿は、かつて寺田屋や会津で冷酷な決断を下してきた「鬼神」の面影を削ぎ落とされた、一人の無力な人間の露呈であった。
「このままでは勝てん。……清国(中国)の二の舞になり、日本は欧米に呑み込まれる……!」
【鉄血宰相ビスマルクとの対峙】
使節団は大日本帝国憲法の草案にも大きな影響を与えるドイツ(プロイセン)の宰相・ビスマルクと会談した。
『万国公法(国際法)などというものは、富国強兵を遂げた大国同士の都合に過ぎん。小国が権利を主張したければ、自ら力をつけ、兵を鍛える以外に道はないのだ』
ビスマルクの凄惨なまでにリアルな政治哲学に、大久保は魂を揺さぶられた。
「弱者は滅びる。それがこの世界の絶対の掟なのだ……!」
日本へ戻る船の上で、大久保は一睡もせず、来る日も来る日もノートに内政改革の計画を書き殴った。
日本の産業を興し(殖産興業)、富国強兵を推し進め、欧米と対等に渡り合える「内政重視の近代国家」を何としてでも創り上げねばならない。
「進。わしは変わった」
甲板の上で、太平洋の荒波を見つめながら大久保は呟いた。
「もう攘夷だの、士族の面目だのとぬるいことを言っている猶予はない。帰国したら……日本のすべてを再構築する。わしを阻む者は、たとえ誰であろうと……排除する」
その言葉の裏に隠されていたのは、留守政府を守る親友・西郷隆盛との、避けられない破滅的な衝突の予感であった——。




