第4章 大政奉還そして戊辰戦争
【京都・二条城と岩倉邸の暗雲】
慶応3年10月14日、15代将軍・徳川慶喜は大政奉還を断行した。
政権を朝廷へ返上し、武力討幕の大義名分を奪うことで、徳川家を「諸侯会議の議長」として新政府の頂点に留まらせる——慶喜の一世一代の高度な政治的妙手であった。
京の街が「幕府がなくなった」と湧き立ち、西郷までもが「慶喜公には一本取られた」と苦笑する中、大久保一蔵(利通)ただ一人は、一切の笑みを浮かべず、二条城の方角を冷たく見据えていた。
「慶喜の狙いは完全に見えている。政権の形だけを朝廷に返し、実務能力のない公家どもを裏から操って、再び徳川の世を続ける気だ」
大久保は、密かに手を組んでいた公家・岩倉具視の隠遁先(京都・岩倉)へと足を運んだ。
【密室の策謀】
薄暗い岩倉邸の奥間。
行灯の灯火の下で、大久保と岩倉具視、そして進が車座になっていた。
「一蔵、慶喜にまんまと先手を打たれたな。朝廷には政務を執る人材も金もない。このままでは慶喜が新政府の総裁となるぞ」
岩倉が焦燥を募らせて呟くと、大久保はゆっくりと首を振った。
「岩倉様、焦る必要はございません。政権を返したというのなら、徳川の『官位』と『領地』もすべて没収せねば筋が通りません」
「……徳川の四百万石をすべて召し上げると? 慶喜が承知するはずがなかろう!」
「承知させる必要などございません」
大久保の瞳に、禍々しい漆黒の光が宿った。
「受け入れ得ぬ過酷な条件——『辞官納地』を突きつけ、慶喜を追いつめるのです。激怒した徳川の兵が自ら先に刀を抜けば、それこそがわが薩長にとって、徳川を『朝敵』として根絶やしにする絶好の大義名分となります」
傍らで聞いていた進は、背筋に冷や汗が流れるのを感じた。
大久保は平和裏な政権交代など端から望んでいない。
徳川家を完全に打ちのめし、二度と立ち上がれないよう、戦争へと引きずり込もうとしているのだ。
【王政復古の大号令】
慶応3年12月9日(1867年1月)。
大久保の冷徹な手配により、薩摩・安芸などの兵が京都御所の九門を封鎖。
幼き明治天皇の御前で「王政復古の大号令」が宣言された。
摂政・関白、そして江戸幕府の廃止。
新たな政治体制の樹立。
その夜、御所内の小御所にて、新政府の首脳陣による歴史的な「小御所会議」が開かれた。
山内容堂(土佐藩前主)らが「慶喜公を会議に呼び、新政府に加えるべきだ」と猛反発し、大久保や岩倉を怒号で面罵した。
会議は荒れに荒れ、山内容堂の圧迫に公家たちが怯え始めた。
「一蔵さあ……どうする。このままでは容堂公の言い分が通ってしまうぞ」
別室で控えていた西郷が案じて大久保に耳打ちした。
大久保は表情一つ変えず、短く言い放った。
「短刀一本あれば事足りる。……言葉で聞き入れぬなら、容堂公をここで刺し殺してでも決定を貫く」
大久保の意を受けた西郷が、会議場に向かって「ただ短刀一本の覚悟があれば済むこと」と噂を流させると、場の空気は一変。
殺気に呑まれた山内容堂らは沈黙し、会議は大久保の思い通りに「慶喜の辞官と納地」を決定したのだった。
【「血を流さねば、新しき世は生まれん」】
深夜、大雨が降りしきる御所からの帰り道、大久保と進は提灯の灯りを頼りに歩いていた。
「一蔵さあ……。慶喜公は大政を奉還し、戦を避けようとされました。そこまで徳川家を追い詰め、血を流させねばならないのですか。……これではあまりに惨酷です」
進が堪えきれずに問い詰めると、大久保は足を止め、濡れた提灯を掲げて進の顔をじっと見つめた。
「惨酷……? 進、お前は甘いのだ」
大久保の声は、降りつける雨音よりも冷たく、重かった。
「三百年の病根は、生ぬるい膏薬を貼ったくらいで治るものではない。徳川という巨大な骨組みを骨の髄まで叩き折り、根絶やしにせねば、古い日本は何度も蘇り、結局は外国の餌食となる」
大久保は提灯を強く握りしめた。
「慶喜が哀れと思うか? 徳川の武士たちが惨めと思うか?……わしは、これから生まれてくる何百万の日本の民のために、悪魔となっているのだ。慶喜が怒り、徳川が兵を挙げた時こそ、古き時代の本当の終わりだ」
大久保の読み通り、過酷な条件を突きつけられた大阪城の徳川方の臣下たちは激怒。ついに鳥羽・伏見の地へと進軍を開始する。
徳川家を罠に嵌め、国家を未曾有の禁門の戦乱——「戊辰戦争」へと引きずり込んだ大久保利通。
その冷徹な政治劇の幕が、静かに、そして凄惨に上がったのだった——。




