第4章 芋粥
【幽玄の芋粥】
深夜の古寺。
朝廷の密使を送り返した観世座の密室では、より確実で抜け目のない第二の暗殺計画が静かに練られていた。
「香による毒殺は、風の向きや些細な行動で逸れてしまう。確実に命を絶つには、やはり直接体内へ送り込む他ない」
観阿弥の重々しい言葉を受け、世阿弥が頷く。
しかし、義満の身辺警護は鉄壁だ。
三人の毒見役が別々の刻限に試食する徹底された体制を破るには、毒見の目を完全に欺く「特殊な毒」と「絶対に断れない給餌の機会」が不可欠であった。
そこで白羽の矢が立ったのが、義満が目がないほど愛してやまない京の最高級の生菓子――甘葛を練り込んだ「特製の芋粥」だった。
この計画には、理系分野にも通じる緻密な知識を持つ進も密かに手助けをした。
用意されたのは、体内の消化酵素と混ざり合うことで時間をかけてじわじわと毒性を発揮する、特殊な精製を施した「時間差の毒」だった。
毒見役が一口食べてから数時間の間は一切の変調をきたさない。毒見役が「異状なし」と判断して下げられた後、義満の口に入ってはじめて、体内深くで遅効性の毒素が完成する仕組みであった。
迎えた能興行の日。
舞台が跳ね、酒宴の席で上機嫌となった義満のもとへ、観阿弥が恭しく特製の芋粥を捧げ持った。
普段の義満であれば、猜疑心の塊となり、出されたものを迂闊に口にすることは絶対にない。
しかし、その日は能の余韻と酒の酔い、そして何より大好物の甘い香りに理性のタガが僅かに緩んでいた。
「ほう、観阿弥。これは余の好物ではないか」
毒見役たちが別室で試食し、相応の時間を置いて「毒性なし」と確認された椀が、義満の前に滑り出される。
高座の影で見守る進の心臓が、激しく跳ね上がった。
義満は豪快に笑うと、躊躇することなくその芋粥を喉へと流し込んだ。
(飲んだ……! 完璧だ……!)
計画は成功したはずだった。
この毒が体内で完成すれば、二日後には胃腸を破壊し、不可逆の病死へと追いやるはずであった。
しかし――事態は予期せぬ方向へと狂い出していった。
二日過ぎ、三日過ぎても、足利義満が体調を崩したという報せは一切届かなかった。
それどころか、義満は「太上天皇」の称号獲得へ向けてさらに執念を燃やし、連日のように公家や僧侶を呼びつけては精力的な政務と宴を繰り広げていた。
その生命力は病むどころか、むしろ勢いを増しているようにすら見えた。
「……何故だ」
楽屋の奥で、世阿弥が美貌を歪め、低く呻いた。
「毒の調合に狂いはなかったはず。毒見役もすり抜け、義満公は確かにあの粥をすべて平らげた。なぜ何の変調も来さないのだ……!?」
静かに座す観阿弥も、厳めしい顔で腕を組み、深く考え込んでいた。
義満の脅威はいまや最高潮に達している。
次男・義嗣の元服を親王同等に行う儀式の日取りも迫り、朝廷の命運は本当に破滅の一歩手前まで追い詰められていた。
(毒が効かない……? 義満という男は、毒すらもねじ伏せるほどの強靭な生命力の持ち主なのか、それとも……こちらの仕掛けが見抜かれているのか……?)
声を出せない進は、冷や汗を流しながら二人を見つめていた。
失敗は許されない。次にしくじれば、勘づいた義満の刃が観世座全体に襲いかかる。
絶対的な権力者・足利義満の不気味なほどのタフさを前に、観阿弥と世阿弥は絶望的な暗雲の中で、次なる一手を見出せずに追い詰められていた――。




