第1章 伊豆の孤影と、源家の血脈
【京・平治の乱、敗走の闇】
進が目を覚ますと、そこは冷たい雨が降りしきる黒々とした冬の森の中であった。
遠くで馬のいななきと、鎧の触れ合う金属音が不気味に響いている。
己の身なりを見下ろすと、水干の上に胸当てを付け、腰に短刀を差した若き侍の姿となっていた。
彼のすぐ傍らで、雨に濡れながら肩を激しく上下させていたのは、面持ちにまだ幼さを残しながらも、凛とした気品と強い意志を秘めた十三歳の少年——のちの鎌倉幕府を開く源頼朝(三郎頼朝)であった。
「……進か。父上たちとは……完全にはぐれてしまったな」
頼朝の声は落ちついていたが、その小さな手は寒さと恐怖でかろうじて刀の柄を握りしめて震えていた。
【都の栄華と、途絶えたエリート街道】
進の頭の中に、この時代の記憶が流れ込んできた。
頼朝は河内源氏の棟梁・源義朝の三男として生まれた。
上に二人の兄がいたが、母が格の高い正室(熱田大宮司の娘・由良御前)であったため、幼少期から「源氏の正統な跡継ぎ(嫡男)」として大切に育てられた。
十二歳で二条天皇の蔵人(秘書官)に補任され、都で華々しいエリート街道を歩んでいた頼朝。
その傍らには、幼少期から小姓として身の回りの世話をし、文武の学問をともに修めてきた進の姿があった。
しかし、平治元年(1159年)。父・義朝が平清盛らと争った*平治の乱に十三歳で初陣として参戦するも、源氏軍は凄惨な敗北を喫した。
東国へ逃れる途中で吹雪に阻まれ、父や兄たちとはぐれた頼朝と進は、平氏の追っ手が網の目を張る美濃の山中で、ついに捕らえられてしまったのだった。
【六波羅の檻と、池禅尼の奇跡】
永暦元年(1160年)、京・六波羅。
捕縛された頼朝と進は、平氏の本拠地である六波羅の冷たい牢格子の中に囚われていた。
父・義朝は尾張で裏切りに遭い討たれ、兄たちの首も京の河原に晒された。
源氏の血を引く男たちは例外なく殺されていく。
朝廷からの処刑の裁定を待つばかりの暗闇の中、頼朝は膝を抱え、じっと壁の一点を見つめていた。
「進……わしは、ここで死ぬのだな。源氏の嫡男として生まれながら、何一つ成し得ぬまま……」
「頼朝様……」
その時、牢の外からカツンと足音が響き、格式高い女房の着物を纏った高貴な女性が姿を現した。
平清盛の継母——池禅尼であった。
亡き我が子・家盛の幼少期に生き写しであった頼朝の姿を見た池禅尼は、胸を締め付けられ、清盛に向かって死罪の撤回を強く迫ったという。
『清盛、頼朝の命を助けてやっておくれ。幼くして身寄りを失ったあの者を斬れば、我が家門に不吉な業が残りますぞ』
清盛は難色を示したが、母の猛烈な哀願を断りきれず、奇跡的に一死を減じられ「伊豆国への流罪」へと減刑が決まった。
【孤独なる配流…伊豆・蛭ヶ小島への旅立ち】
命こそ助かったものの、それは「罪人」として都を追われ、見知らぬ辺境の地で果てしない幽閉生活を送ることを意味していた。
京を出る日、鳥羽の河原で振り返った頼朝の目に映ったのは、かつて自分が華やかに歩んだ都の絢爛たる町並みと、それを誇らしげに見下ろす平家の赤い旗印であった。
「進……わしを生かしたことを、平清盛は必ず後悔する日が来る。……いや、後悔させてみせる」
十三歳の少年とは思えぬ、低く冷たい声。
その瞳には、敗者としての深い悲哀と、胸の奥底で渦巻く漆黒の怨念が宿っていた。
二人は過酷な護送の旅を経て、伊豆の刈茅生い茂る僻地——蛭ヶ小島へと連行されていく。
名門の御子から一転して一無の流人へ。
約二十年にも及ぶ、途方もなく長い孤独の歳月が、いま幕を開けようとしていた——。




