第3章 仕掛けられた罠
【陥穽の罠】
昌泰4年(901年)1月25日。
その罠は、目にも留まらぬ速さで張り巡らされ、静かに落とされた。
事態が動き出したのは、寒気が一段と底冷えする正月下旬のことだった。
時平は朝廷内部に広がる「反・道真」の貴族層——学者出身の台頭を苦々しく思っていた旧来の大貴族たちを水面下で束ね上げ、ひとつの恐ろしい筋書きを完成させていた。
「伊崎、帝の心はガラス細工のように脆い。疑念という名のひびを入れれば、あとは勝手に割れていくものだ」
時平は暗い自室で、冷たい笑みを浮かべながら進にそう漏らしていた。
時平の手口は極めて巧妙だった。
道真の実力や実務の失敗を責めるのではなく、醍醐天皇の「最も深い恐れ」を突いたのだ。
醍醐天皇はまだ17歳と若く、父である宇多上皇との政治的な主導権争いに密かな不安を抱いていた。
時平はその隙を逃さなかった。
「右大臣・菅原道真は、宇多上皇様と意を通じ、醍醐天皇様を廃立して、自らの娘婿である斉世親王(ときよしんのう/宇多上皇の皇子)を即位させようと企んでおります」
この「謀反の密告」を、時平は実妹・穏子(のちの醍醐天皇の皇后)や、帝の側近を通じて、あたかも確たる証拠があるかのように内々で奏上させたのである。
【濡れ衣と、塞がれた言路】
その日の夜。
「道真が……皇位の廃立を……?」
若き醍醐天皇にとって、それは己の存在根底を揺るがす衝撃の報だった。
父・宇多上皇がなぜ道真ばかりを重用したのか。
なぜ自分を飛ばして道真とばかり密談を重ねていたのか。
疑心暗鬼に囚われた帝の脳内で、それまでのすべての疑問が「謀反の予兆」としてひとつに繋がってしまった。
その夜のうちに、事態は決した。
道真には何の弁明の機会も与えられなかった。
急報を聞きつけた宇多上皇が、異例の事態を止めるべく内裏へ駆けつけ、醍醐天皇との面会を求めた。
しかし、内裏の門は時平の意を受けた警護によって固く閉ざされ、上皇は凍てつく寒空の下、何時間も立ち尽くした末に追い返された。
(言路が完全に塞がれている……)
傍らで見守る進の背筋に、氷のような寒気が走った。
弁明しようにも、帝に届く道筋はすべて時平の手によって断ち切られていた。
正当な取り調べも、公卿たちによる審議すらない。
暗闇の政治工作によって、国家の最高幹部の一人である右大臣が、一夜にして「賊」へと仕立て上げられたのだ。
【太宰権帥への左遷】
翌日、左遷の詔勅が下された。
菅原道真の右大臣職を解き、「太宰権帥」へと降格した上で、筑前国(福岡県)太宰府へ移す——事実上の流罪であった。
さらに、道真の子供たちも揃って流罪となり、一族は完全に解体された。
清涼殿の回廊で、進は左遷の決定を知らされた直後の道真の姿を遠目に見かけた。
かつて陣定で圧倒的な知性を放っていた右大臣の面影はそこにはなかった。
ただ、信じていた帝と国に裏切られた悲しみと、身に覚えのない大罪を着せられた絶望に、肩を落として茫然と佇んでいた。
道真の瞳には、怒りよりも深い「虚無」が宿っていた。
「見たか、伊崎」
背後から、足音もなく時平が近づいてきた。
その顔には、長年の政敵を排斥した勝利者の笑みがあるはずだった。
……だが、時平の表情は驚くほど硬く、陰惨であった。
「……勝ったのだ。これで藤原の家は守られた。私の道も、これで邪魔する者はいない」
時平は呟いたが、その声は微かに震えていた。
力でねじ伏せ、濡れ衣を着せて勝ち取った勝利。
道真のあまりにも無抵抗で哀しげな去り際は、時平の胸の奥底に、消し去ることのできない「罪悪感」と「恐れ」の影を永遠に刻みつけたのだった。
「太宰府へ発つまで、一切の猶予は与えん。ただちに京を追放せよ」
時平は吐き捨てるように言い残し、背を向けて歩き去った。
梅の蕾が綻び始めた京の都で、のちに歴史を揺るがす「昌泰の変」は、こうして一人の青年の狂気と謀略によって幕を閉じたのだった——。




