昼休みの恋心
翌日の昼休み。
俺は椅子に座り、何度もスマホを更新していた。
けれど、待っているメッセージは一向に届かない。
「昨日、一緒に帰らなかったことで怒ってるのか? それとも何かあったのか……」
しばらく考えた末、俺はやっぱり様子を確認することにした。
校舎の半分ほどを横切り、三年生の教室へ向かう。
ガラス越しに、先輩のクラスを覗き込む。
教室の端にある白い壁際の空間に、広がる黒髪が不思議なほど馴染んでいなかった。
「学校にはいるのか……。じゃあ、単純に怒ってるだけか」
俺は小さく呟く。
「なら、もういいか。適当にどこかで食べよう」
両手をポケットに戻し、最近流行っている曲を鼻歌で歌いながら、俺はゆっくりとその場を離れた。
その瞬間。
視界の端に、一瞬だけ先輩の特徴的な暗紫色の瞳が映った気がした。
でも。
いつもよりずっと暗く。
まるで生気を失ったような、淡い絶望を宿しているように見えた。
【でも、こういうことは田先生に任せればいい】
【だって俺は、彼女の彼氏じゃない】
【部外者の俺が、口を出す資格なんてないだろ】
【……そうだよな】
そう自分に言い聞かせた。
韓江たちがどこへ行ったのか分からなかった。
……いや、違う。
韓江は今日は一人で昼を食べると言っていた。
それでも、彼女持ちの女の子と一緒に昼食を取る気にはなれなかった。
たぶん宋玥綺も、いつもの友達と食べているだろう。
【なら、とりあえず部室に行ってみるか】
【ついでに、自分の予想が当たっているか確かめよう】
そう決めると、俺は教室へ戻り、弁当を持ってきた。
時間を確認するため時計を見る。
すると――
昼休み終了まで、もうほとんど時間が残っていなかった。
【いつの間に……昼休みってこんなに短かったか!?】
「はぁ……はぁ……」
弁当をこぼさないよう必死になりながら、全力で走る。
部室に着いた頃には、もう一口も食べる気力すら残っていなかった。
それでも、何か食べなければと思いながら、俺は恨めしそうに弁当を見つめる。
そして、扉を開けた。
昨日、俺が帰ったあとも先輩が残っていたから、鍵を差し込むことなく、そのままドアノブを掴んで開ける。
「きゃっ……!? 誰!?」
部室の中。
そこには、例の面倒な後輩がいた。
机に突っ伏しながら、ほとんど乾いた野菜ばかりの、見るからに寂しい弁当を食べている。
「ん? 許諾。普段ここで昼食食べてるのか?」
俺は疑問に思って尋ねる。
「それより、その弁当……どうしたんだ?」
「何? 最近ダイエットしてるだけだけど?」
許諾は怒ったように箸を俺へ向けた。
「だって先輩みたいに、見た目を気にしない人とは違うから」
「じゃあ、なんでここで食べてるんだ? 教室に友達いないのか?」
「うっ……!? そ、そんなわけ……」
「無理するなよ」
俺は淡々と言った。
「最近、金に困ってるんじゃないか?」
「え?」
「どうして分かったって顔だな」
俺は続ける。
「大量に漫画を買ってただろ。でも新品のまま一冊も開いてなかった」
「たぶん友達へのプレゼントだ」
「それに、前に見てただろ。バイト募集の広告」
「……」
許諾は少し黙った。
「毎日ネットで仕事探してるのに、全然見つからないんだよね……」
「両親も遠くにいるし、料理もできないし」
「だから、こういう安い弁当しか食べられなくて……」
「はぁ……」
俺はため息をついた。
「ほら、食べろよ」
自分の弁当を彼女の前へ押し出す。
「さっき急いで走ったせいで、俺もあんまり食欲ないし」
「でも食べ物を無駄にするのは良くないだろ」
「だったら、お前が食べればいい」
許諾は興味深そうに弁当を覗き込む。
そして――
「えっ!?」
大声を上げた。
「なにこれ!? どうしてこんな豪華なの!?」
「あ、この手紙……妹さんから?」
ご飯粒のついた唇を少し緩ませながら、彼女は手紙へ手を伸ばす。
「それは見るな!」
俺は慌てて取り上げた。
「先輩!」
許諾は叫ぶ。
「兄妹間の禁断の恋愛を見せてください!」
【こいつ、一体どんな文学少女なんだ……】
「普通の兄妹だから」
「それより早く食べろ」
「顔色、もうお腹空きすぎて黄色くなってるぞ」
「本当?」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……」
「とにかく、お前が食べ終わるまで帰らせない」
俺は少し迷ってから続けた。
「それと……」
「また妹の作った弁当を食べたいなら、明日もここに来てもいい」
「ありがとうございます! 先輩!」
許諾は嬉しそうに笑った。
「たとえ後でお金ができても、絶対また来ます!」
「はいはい」
「じゃあ、野菜一口くらい食べさせてくれ」
「お腹が空いてなくても、栄養は取らないとな」
「はい!」
許諾は素直に弁当箱を差し出した。
【……待て】
【これって間接キスじゃないか?】
【……いや、違うか】
とにかく。
空腹限界だった俺は、少しだけ野菜を口にした。
薄い塩味しかしない野菜の根だったが――
不思議と、いつもとは違う味がした。
「これ、本当に美味しいね。先輩」
許諾の瞳には、青々とした光が宿っていた。
その清らかで心地よい声が、頭の中で何度も再生される。
俺は黙って彼女の顔を見る。
その食べ方は、まるで小さな犬みたいだった。
気づけば。
俺は夢中になっていた。
頬杖をつきながら、ただ彼女を眺めていた。
そして――
彼女がふと顔を上げる。
その瞬間。
俺は確信した。
昼間だというのに。
まるで夕日の赤い光が、二人の顔を包んでいるようだった。
【……なんというか】
【こいつ、意外と可愛いじゃないか】
「ずっと……見て……」
許諾の顔が赤くなる。
「な、何!?」
「もしかして……私みたいな……」
「可愛い後輩に……」
「ドキドキしたの……?」
【初めて見る照れ方だ】
「いや」
俺は答える。
「可愛い犬を見たら、誰でも好きになるのか?」
「私は犬じゃない!!」
「そんな堂々と自分が可愛いって認めるのか?」
「……まあ」
「でも、弁当を食べてる姿は確かに可愛いけどな」
「もう二度と来ません!」
許諾は勢いよく言った。
「……お金ができたらだけど」
【……】
「それと」
彼女は続ける。
「二年生の授業開始時間って、一年生より10分早いんだよね?」
「ああ、知ってる」
「でも言っただろ」
「お前が食べ終わるまで帰らないって」
「じゃあ……」
許諾は少し考えて。
「もっとゆっくり食べようかな」
「それがいい」
「よく噛んで食べろ」
「そんなに全部肯定しなくてもいいんだけど」
許諾は唐揚げをくわえながら呟いた。
でも。
本心では、きっと嫌じゃない。
なぜなら。
気づかないふりをしていたけど――
彼女は一瞬だけ。
こっそり笑っていたから。
俺には分かった。
本当に、一瞬だけだった。




