恋の練習相手
俺が通っている佟保学院の校門前には、伝言板が設置されている。
その脇にある木枠は、すでに何か所か塗装が剥がれていた。手で擦れば、まるで北海道に降る雪のような、白い木屑がぱらぱらと落ちてくる。
今日、その伝言板には、所狭しと貼られた部活動の新入部員募集のポスターに加え、新しいお知らせが一枚貼り出されていた。
「今年も年に一度の体育祭か……」
俺は人混みに入ることもなく、遠くからちらりと眺めただけだった。
その時、突然、人混みの中がざわついた。
灰白色の何かが人々の間を移動している。
小柄な姿が人混みから抜け出して、ようやくその顔がはっきりと見えた。
「先輩、おはようございます」
厄介な後輩が、馴れ馴れしく俺に近づき、勝手に親しい間柄のように挨拶してきた。
俺は聞こえなかったふりをして、そのまま一目散に校舎へ向かった。
許諾も空気を読んだのか、それ以上話しかけてくることはなかった。
右手を左腕で抱えるような姿勢で、その場に立ち尽くしている。どうやら友達を待っているらしい。
そして、特に何事もなく、ぼんやりと一日を過ごした俺は、退屈そうな顔で部室へと入った。
許諾はとっくに来ていたらしい。
ソファにだらしなく寝そべり、額にかかった髪は少し絡まっている。右手は今にも床につきそうなほど垂れ下がっていて、その手首には銀色に輝くブレスレットが巻かれていた。
俺がドアを閉めるまで、まるで寝起きの子犬のような不思議な生き物は、ぴくりとも動かなかった。
そして、ようやく声を上げた。
「まず、私を子犬みたいだなんて思わないこと! それと、今朝はどうして聞こえないふりをしたんですか?」
彼女は不満そうに頬を膨らませた。
まるで、骨を取り上げられた小型犬のようだった。
「お前のせいで、友達に嫌われたくないからな」
俺は腰を下ろしながら答えた。
「その理由、全然筋が通ってないじゃないですか! それに、私はもともと二人を会わせるつもりだったんですから」
許諾はそう言ってから、こちらを見た。
「先輩、私が部活に入った時、何て言ったか覚えてます?」
「忘れた。そもそも、そんなことをいちいち覚えてる奴なんているのか……」
「ああっ! もう、黙ってください!」
許諾は声を張り上げた。
「私は恋愛軍師として、この部活に入ったんですよ!」
「つまり、その友達がお前の用意した恋愛対象ってわけか?」
俺がからかうように言うと、案の定、許諾に怒鳴り返された。
「消えてください! 誰がこんな変態先輩に友達を紹介するんですか! ……あっ、でも、もし先輩が男の人でも構わないっていうなら、何人か紹介してあげてもいいですよ?」
「そりゃ残念。俺はどちらかというと、女の子のほうが好きなんだ」
「……じゃあ、陳先輩はどうですか?」
許諾が突然立ち上がった。
その天色の瞳は、まるでブラックホールのように俺の視線を吸い寄せる。
そのせいで、俺は目を逸らすこともできず、彼女と見つめ合うしかなかった。
「ゴホン……。先輩は綺麗だし、性格もいいと思う。でも、すごく人気があるだろ?」
「つまり、好きってことですね! 安心してください、私が協力すれば、先輩だってきっと……」
「無理だ」
俺はきっぱりと言い切った。
「先輩は俺のことなんて好きじゃない。それに、最近は……俺たち、もう決裂したようなものだから」
「はああああっ!?」
許諾は口を大きく開け、疑わしそうに俺を見つめた。
「本当ですか? 嘘ついたら犬になりますよ?」
「本当だ。それに、お前と同じ動物になるのも、案外悪くないかもしれないな」
「信じます。でも、その褒め言葉は受け取らないでおきます」
許諾は少し考え込んだ。
そして、両手の指を交互に組み合わせてから、きっぱりと言った。
「それなら、先輩が謝りに行けばいいんですよ! 安心してください、私もついていきますから!」
「陳先輩は部活がないし、もう家に帰ってるんじゃないか?」
「だったら明日です!」
許諾は左足を力いっぱい踏み鳴らし、俺を指差した。
「とにかく、この件はこれで決定です!」
「はいはい。分かったよ。ほかに何かあるか? ないならゲームでもするけど」
俺は毛足の長い座布団を二枚取り出し、床に並べてから腰を下ろした。
許諾もその流れに乗るようにソファへ座り直し、尋ねてきた。
「先輩、霖岚青泽って知ってます?」
「歩いてる時に誰かが話してるのを聞いた気がする。どうした?」
俺はガムの箱を手に取り、小袋を三つ取り出すと、一気に口へ放り込んだ。
許諾も落ち着いた様子で手を伸ばし、優雅に一袋を取り出した。
「彼は一年生です。サッカーが上手だから、女子の間ではそこそこ人気があるんですよ。でも最近、三年生の陳先輩にかなり一途らしいって噂が流れていて……。だから私は、彼を私たちの最大の敵だと認定しました!」
「要するに、今日はもうほかに用事はないんだろ?」
俺は振り返って許諾を見た。
彼女は少し迷っているような顔をしていた。
けれど、やがて何かを決心したようだった。
「……そうですね。実は、もう一つだけあります」
そう言い終えた時、許諾の頬は夕日に照らされたように赤くなっていた。
「その……先輩。明日、私の練習に付き合ってくれませんか?」
「何の練習だ?」
俺はわざととぼけてみせた。
「体育祭のことですよ! 私も競技に参加するんです!」
許諾は俺を睨みつけた。
正直なところ、今の俺なら、彼女の取り扱い説明書を一冊書けそうな気がする。
「そもそも、なんで体育祭に参加するんだ?」
俺は不思議に思って尋ねた。
「俺なんて、体育祭は退屈だと思ってるし、去年だって試合をほとんど見てなかったぞ」
「誰が先輩に私の試合を見てほしいなんて言いましたか!」
許諾は顔を赤くして反論した。
「ただ、一人で練習している間に、先輩みたいな変態に荷物を盗まれないか心配なだけです!」
「お前、ツンデレが過ぎて前後の論理が完全に矛盾してるぞ。それに、同じクラスの友達に頼めばいいだろ?」
「あ……」
許諾は俯き、首を少しすくめた。
「私、クラスに友達があまりいないんです」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
口にしかけていた言葉を飲み込む。
「……分かった、分かった。クラスでそんなに寂しい思いをしてるなら、仕方ない。俺が少しくらい手伝ってやるよ」
それから、すぐに付け加えた。
「勘違いするなよ。子犬に走り方を教えるのって、なんだか面白そうだと思っただけだからな」
許諾は俺をじろりと睨んだ。
「先輩って、本当に犬に噛まれたことがあるんじゃないですか?」
「残念ながら、今のところはないな。でも、これから先は分からないぞ」
「それなら、その犬には先輩の口を先に噛みちぎってほしいです」
「うん……ああ。そういえば、お前、笑うのを我慢できてないぞ。八重歯が見えてる」
「わああっ!」
許諾は大声を上げ、ぷいっと顔を背けた。
「せ、先輩のせいで笑ったんじゃありませんからね! 美少女の口元をじろじろ見るなんて、やっぱり変態じゃないですか! 陰キャ先輩!」
そんな意味のない言い争いが、しばらく続いた。
結局、ゲーム機の電源すら入れていない。
俺は窓を開けた。
秋の気配を含んだ涼しい風が吹き込み、部室にこもっていた少しばかりの煙たい空気を吹き飛ばしていった。
窓の外では、一人の女子生徒が体育祭の応援ダンスを練習していた。
遊び部の窓の外には、あまり知られていない細い路地がある。
放課後ともなれば、人通りはほとんどなくなる場所だ。
窓を開ける音が聞こえたのか、彼女はこちらを振り向いた。
紫色の長い髪と瞳。
水面の揺らぎのように、桜の花が開くように広がる舞い。
「よっ、宋玥綺。今年も練習するのか?」
「もちろん。前部長みたいに暇じゃないからね」
宋玥綺は微笑みながら答えた。
そして、その視線が俺の向こう側へと移る。
「あれ? 遊び部にも新しい部員が入ったんだね」
俺の後ろに立っていた許諾は、どうしていいのか分からない様子だった。
手足が凍りついたかのように、ぎこちなく固まっている。
さっきまで俺と軽口を叩き合っていた時とは、まるで別人だった。
「こ、こんにちは……」
許諾はおそるおそる挨拶した。
読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます!久しぶりの更新になりますが、今日は2話更新を目指して頑張ります.




