24.意識の誘導
「それで、〝交差点の事故〟だけど——」
目の前にあるスナック菓子の袋を開けながら、拓海が話題を切り出す。スナックのガーリック臭が広がった。拓海はそのハート型のスナックを「うまっ、懐かしっ」と言いながら頬張っている。
「祐介と原田さんは、何か分かったことある?」
「あります、あります! ね? 美咲ちゃん?」
祐介と美咲は、周囲の知人や友人に〝交差点の事故〟の話題を振ってみたらしい。すると、全員が事故そのものを覚えていなかった。テレビやネットでも騒がれるような大事故が身近で起こったのに、だ。全員が覚えていないのは確かに不可解だ。しかも、その話を続けようとすると不自然に話題を変えるらしい。ニュースサイトの事故の記事を見せても完全スルー。
先日の瑠華と同じだな。
「ある程度予想はしていたので、それほど驚かずに済んだのですが……。当たってほしくない予想でした」
美咲の顔は浮かない。
「俺も姉貴が近くに住んでるから聞いてみたけど、やっぱり知らなかったな。逆に『ボケたの?』とか散々な言われようだった……」
「拓海さん、お姉さんもこっちに住んでるんですか」
「あれ? 言ってなかったっけ? 西梅窪だよ」
「武蔵天川の隣りだ。近いっすね」
わたしも初めて聞いたぞ。
ああ、でも昔の記憶には確かに姉が居たな。
「そういえば、あの事故の続報って、全然聞かないよな」
事故の翌日くらいから、報道からプッツリと姿を消したらしい。不自然だ。
つまり——
無かったことにしたがっている誰か——いや、〝何か〟がいる。
神……?
いやー、本当にいるの?
会ったことないしなー。
お、このクッキー旨っ。
どっかの有名店のだって美咲が言ってたな。
「クロちゃん、クッキー気に入ったのかな?」
「クァー」
「うふふ、それじゃまた持ってくるね。うちに遊びに来たら、美味しいお菓子たくさんご馳走しますよぉ」
「クァッ」
よい心がけだぞ、ブルジョワ娘。よし、美咲の家の近くにも別宅を用意するか。
問題は移動だな。今度、電車の上にでも乗ってみるかな。
「美咲ちゃん家へのお誘いなんて、うらやまけしからん!」
きーっ、と紙ナプキンを食いちぎる祐介は無視しておく。
「あー、話が逸れまくりだぞ。で、どこまで話したっけ?」
「あの〝交差点の事故〟はヤバイ! ってことですよ、拓海さん」
この数日ずっと考えていたという祐介が語った考察によれば——
『そんな事故は無かった』と、この世界が決めた。
人類はそれに合わせて調整された。
……ほう、なるほど。面白い。
でも、ドヤ顔で言われるとイラッとする。
「調整された……って、お前、そんな怖いことよく冷静に言えるな」
そう考えないと説明がつかないと祐介は言う。
「まあ、納得できる部分はある——」
「私は納得できないです!」
語気を強めてきっぱりと言い切る美咲に、拓海と祐介が驚いて目を丸くする。
「森川くんの言っている意味は分かります。常識なんて、所詮人間に測れる範疇のことですし。信じられないようなことが、この世には当たり前にあるのかも知れません。でも——
納得はしたくありません」
「み、美咲ちゃん?」
「……私たちは生きているんです。日々、生きた〝証〟を残しているんです。それが、知らないところで無かったことにされたら……あんまりじゃないですか」
美咲はそれがたまらなく悲しいと言う。やるせなさと無力感、そして怒りも感じている。一生懸命生きているからこその言葉。
彼女の心配はそれだけではなかった。あの事故では死者も複数出て、入院を余儀なくされている人たちも大勢いたはず。事故が無かったことにされるなら、彼らの存在はどうなってしまうのか。
確かに。それ、どうなるの?
あ……。真詩緒も、か。
記憶喪失な上に、失踪届も捜索願も出ていない少女。
もしも真詩緒があの事故の当事者なら、隠された事実の調整を受けた犠牲者かも?
美咲の言葉に、他人にまで思い至れない自分を恥じるように、拓海と祐介は項垂れてた。
「あの、別に二人を責めたわけではないですよ? あのまちには多くの知り合いがいるので……」
「そういえば、高校時代の友人がたくさんいるって言ってたもんね」
「そうなんです。友人たちとまちづくりの市民活動にも参加していまして」
「まちづくり?」
美咲が通っていた高校には『地域協働クラブ』というのがあって、学校の伝統として武蔵天川市のまちづくりに参加しているそうな。将来を担う若者の意見や活動時のマンパワーの提供は、行政側からは喜ばれ、生徒側も内申に有利に働く。WIN-WINの関係だ。そのクラブに所属していた美咲とクラブメンバーは、活動を通じて知り合った多くの人々と今もなお交流を続けている。
道理でまちを心配しているわけだ。
「まちで起こる出来事って、無視できないんです。なのに、無かったことにされ思い出せもしないなんて、悔しいじゃないですか」
ここで三人が気になったのは、過去にも無かったことにされた事実があったのか、ということ。
「確かにその可能性はあるけど……俺は今回の〝交差点の事故〟だけが特別だと感じている」
「どうしてです?」
「だって、あまりに雑すぎないか?」
「雑?」
「うん。事故の話を振ったときのみんな態度、あきらかに不自然だろ? それにネット記事などの記録や痕跡もそのまま残っている。神みたいな存在が昔から暗躍していたにしては、あまりにお粗末じゃないか。慣れてたらもっと上手くやれるって。神だぞ?」
それはわたしも思ったぞ。
ただ、神と決めつけるのはいかがなものか。
「うーん、そう言われれば……処理に慣れていない人の行き当たりばったり感はありますね」
「だろ? 素人臭いというか」
「素人? ……ふふ、ふふふ、神様に素人って……。あはははは!」
ツボったらしい。美咲が腹を抱えている。
「なんか真剣に考えていたのが馬鹿みたいです。本条さん、すごいですね。うふふ」
「それに〝神託〟だ。〝幹〟を急いで隠す必要があったから、応急処置のような雑な処理になった気がする」
「あー、なるほど。それは面白い考察ですね」
なんか都合よく考え過ぎな気もするけどな。
「クロ? どうした?」
ブンブンと首を横に振るわたしに、拓海が気づく。
「俺、何かおかしなことを言ったかな?」
「クァ」
まあ、気にするな。たいしたことではない。
「クロは何が言いたかったんですかね?」
「うーん、わからんな。決めつけは良くないってことかな?」
「クァッ」
「お? 当たってるんじゃないですか?」
当たり。
今度は縦に首を振っておく。
「うふふ、クロちゃんは賢いんだね」
実は、だいぶ分からなくなってまーす。
神はいるのか。神じゃない奴の仕業なのか。
それは、一人なのか、複数なのか。
そもそも、敵なのか味方なのか。
それに——
「〝交差点の事故〟を無かったことにしたい理由ってなんだと思う? そして、俺に〝神託〟を授け〝目〟を与えた理由は? なんで俺なの?」
そう、それ。
拓海に何をさせようとしているのか。
「選ばれたのは、拓海さんだけなんですかね?」
おー、それはわたしも考えていなかったぞ。
わたしみたいな存在も、ひとり——いや、1羽じゃないかもしれないのか。
「ますますわからん!」
拓海が頭を掻きむしっている。
祐介がもうひとつ疑問を呈した。
「なんで俺と美咲ちゃんだけ、忘れたはずの〝交差点の事故〟を思い出せたんですかね?」
拓海は、複数のヒントを与えたからだと言うが、祐介と美咲はそれを否定する。
「ネット記事まで見せたのに、誰ひとり思い出すことはありませんでした」
瑠華もそうだったな。
何が違うのかな?
「えっへん! それについては俺に仮説があります。聞きたいですか?」
「おー。森川教授、是非その仮説とやらを聞かせなさい」
「それはですねえ……拓海さんがいたからですよ!」
胸を張りながら、拓海をビシッと指さす祐介。
「俺?」
そういえば、そのときの様子を説明してくれていたな。拓海には、祐介と美咲の周囲に靄がかかったように見えたと。空間が歪んだ、と言っていたか。ボーッとする二人の目の前で、手を叩いたり振ったりしたら正気に戻ったと。
「あっ、そういうこと? いや、どういうこと?」
拓海よ、察しが悪いな。
わたしには何となく祐介の仮説が見えてきたぞ。
「〝目〟ですよ。この世の真実を、本条さんの〝目〟だけが捉えるんです。ひゅー、カッコ良すぎ」
「わからんぞ」
「〝目〟というのはあくまで比喩で、〝世界の力〟というか〝世界からの干渉〟を拒絶できる能力だと思うんです」
そして、その能力は——
干渉を取り除くこともできる。
「ね、どうです? すごいでしょ?」
「森川くん! 見直したわ」
「美咲ちゃーん!」
デレデレしているところ申し訳ないが、元々の評価はイマイチということだからな。
「俺に……そんな力が?」
頭を抱える拓海を、祐介はスーパーヒーローだとか言って持て囃している。そんな二人を生暖かい目で見守る美咲。ふんわりさんって、こういうとき便利だね。
「今度、試してみましょう。みんなの忘れた記憶が戻るかもしれませんよ」
「試すって何を?」
「拓海さんが『記憶よ戻れ〜』と祈りながら、触れればいいんじゃないですか?」
「インチキ霊媒師かよ!」
「あははははは、やめてくださいよぉ〜、もう!」
祐介の言う〝世界〟が、わざわざ隠したことを暴くのって、人間にとって果たして良いことなのか。微妙だよね。安易に人々の記憶を戻すことには、美咲も拓海も難色を示している。まあ、拓海の場合は目立ちたくないし、そんなことできるとは思っていないからだろうけど。
「相手をよく選んで、慎重に行きましょう」
わたしも美咲の意見に賛成だ。
「この謎の現象って、記憶が改ざんされたり、消去されたわけじゃないですよね」
「そうだな。言ってみれば、考えないように意識を誘導されている感じかな」
「「意識の誘導……」」
なるほど、意識の誘導ね。考えることができないってのは厄介だからな。
「この〝意識の誘導〟は、どのタイミングで発生するんですかね?」
いい質問だぞ、祐介。更にポイントアップ。
その後、三人でああだこうだと議論していたが、答えなど出るわけもなく。それは今後の検証結果次第だろう。検証方法といっても、今はまだ具体案が無いけども。
現時点での推察としては——
「隠された真相に近づく行為が検知されたとき〝意識の誘導〟は発動する」
これが最も有力だ。
あの刑事の二人も、真相に繋がる情報を得ようとしたのかな?




