第27話『少年シャロンの躾』
シャロンはアメリカ北部ミシガン州生まれ。
幼い頃から父の仕事で主に南部のミズーリ州、ミシシッピ州、ヴァージニア州などを転々としていた。
12歳の頃、珍しくCIAより先にモサドに目をつけられたらしく、イスラエルに連れてこられた。きっとユダヤ人コミュニティ繋がりだったのだろう。
生まれ育ったアメリカは、母国なのにあまり安らぎの思い出が無い。
特に北部と南部では全く気質が違う。
また、南部の住人同士でも黒人と白人の間に埋めがたい人種の分断があった。
もちろん、全てが対立していた訳ではない。融和的な黒人も理解のある白人も居るには居る。
だがここは銃社会。一般人に過ぎないのに腰にホルダーをぶら下げて、平気で威嚇する白人を何度も見かけてきた。
たまに正義に燃え人種の融和を説く白人がいたら「30分後にまたここに来る。その時にお前がまだ消えていなかったらどうなるか分かるな?俺の視界に入るな!この裏切り者!」と恫喝しながら立ち去るような物騒な大人たち。
大人同士のこうした対立は常に威嚇を産み、殺伐とした分断を目撃する度に、子供ながらに心がささくれ立った。特に無抵抗な黒人夫婦が警察官に射殺された悲惨な事件が起きた時と、大統領選挙の時などは。
大規模な抗議デモが連日ニュースになり、トランポリンが大統領に選出された時も、激しい罵り合いの動画映像がシャロン少年に暗い心の傷となっていつまでも離れなかった。
この国では銃の所持は合法であり、常に銃撃事件が発生している。そんな不穏な状況下、表立った対立は一向に減らない。個人の主義・主張がそれぞれ異なるのは分かる。しかし、その異なる者同士が田舎の狭い共同体の中で激しくぶつかり合い、平和共存の道を探る意思が見当たらないのはどうしたものか?隣人とは意見が合わない。そんなの分かりきっている筈なのに、飽きもせず意見の対立はあちらこちらで起き、情け容赦なく激しい論争となる。自分の意見は絶対で異なる見方や姿勢は許せない。そうした頑固で独善的信念は、時には生命の危険すら感じさせる程だった。
そんな状況にあったアメリカ。
シャロンが母国から切り離されイスラエルに連れてこられた時、特に違和感は感じなかった。
ここも対立が日常の社会だったから。
「あぁ、ここでも命懸けの対立があるようだ。母国アメリカと何も変わらないや。」ユダヤ人とパレスチナ人の当たり前の対立。加えて同じユダヤ人なのにパレスチナやその他のアラブ諸国との融和を説く者。あぁ、ここでも同胞同士の意見の対立があるのか。過去に見てきた母国アメリカの白人と黒人の対立や、ほぼ一方的な白人による黒人への暴力と迫害。見かねた同胞である白人の融和の呼びかけ。やっぱり同じじゃないか!!これが正直な感想であった。
それらを見てきたシャロンにとって、人は憎しみ合うもの。せめて自分は身近な所に気の合う仲間や友達を見つけて面白おかしく、快適に過ごせりゃそれでいい。
いつしかそう思うようにしていた。
だからここのクラスメイトたちとの日常会話でも、平気で人種差別的な発言が見られた。黒人やパレスチナ人、イラン人などを対象にして。
友里恵や蓮は日本人としてそうした環境で育ってない分、どう接するべきか分からない。ヘイトはタブーとされてきた日本。
政治的な発言も感情的な罵り合いに発展するのを恐れ、極力話題を避ける風潮。
ここの学校では、そんな日本人の最大の弱点が露呈してしまう。
つまり日本人は政治的議論を好まず、意見の対立をぶつけ合う状況を本能的に避けようとするあまり、問題に蓋をし先送りにしようとする事勿れ主義の無責任な姿勢に終始する特性。
しかし、それではエージェントとして、教師として務まらない。 これは致命的欠点なのだ。
それ故にエージェント養成時代、他の仲間たちと散々訓練してきた筈なのに、いざ、この学校で先生として教壇に立つと、少年たちの刺々しい言葉の攻撃がとても痛く感じる。
でも怯んでばかりもいられない。問題を直視し、正面からぶつかり解決する。それがここで求められる最大のスキルなのだから。
アーシャもカミラもリンダもマルシアもこの手の議論はお手のもの。男性陣の劉もアレクセイもペーターもビシャイもそう。
彼らは何でこんなに議論好きなの?って思える程、重要な課題やつまらない・くだらないテーマまでトコトン話し合う。今思えば、あの時はディスカッション時代と命名したいくらい。
正直呆れ果ててしまうし、疲れる。それでも我慢して付き合っているが。
お陰様で『口八丁手八丁』なやり手を自認する迄になれた。
こうして訓練を重ねるうち、彼らとは何とか議論ができるまでになったが、それは見識と大人としての成熟した思考にプラスして、HALO 《はるお》君に直結して作られたチップを通しての知能向上に負うものも大きかった。
つまり蓮と友里恵が実践してこれたのは、積み重ねてきた事実に基づいた知的議論だった故に、論理に齟齬が生じない、綺麗で知的なものだったから。
とは言っても、そこは煩悩の体現者、友里恵と蓮が加わった事でどうしても低次元で身勝手な詭弁が混じってしまっていたが。
しかし先生としての立場と、相手が大人になりきれていない中途半端な少年となると勝手が違う。
どうも会話や議論が噛み合わないのだ。
「友里恵先生、何で黒人を差別してはいけないの?」
「じゃぁ聞くけど、シャロンは自分が黒人の人たちに差別されたり侮蔑されたらどう思う?」
「出たよ!質問に質問返し攻撃!」
「攻撃じゃないわ。質問に質問で返しただけよ!」
「ん?・・・それって同じじゃん?何だよ!答えてないじゃないか!」
「そうかしら?今の質問がシャロンの質問に対する答えよ。分からない?」
「分かんないよ!僕が黒人たちにバカにされたら怒るに決まってるだろ!当たり前じゃん?」
「じゃぁ、黒人の人たちだって同じでしょう?あの人たちがシャロン如き生意気で憎たらしい小僧に軽く扱われたりバカにされたら、そりゃぁ怒るに決まってるでしょ?そうじゃない?シャロンはそんな相手の立場になって考えられない程、お子ちゃまなのかしら?」
「如きって・・・。生意気で憎たらしい小僧って・・・その言い方!酷いだろ!先生のクセに!」
「酷い?そうかしら?でもね、シャロンも今、感じたでしょ?人を見下したり悪意を持って接したら、その人も相応の扱いを受けるものよ。ご両親にそう教わらなかった?
相手に敬意を以て接する事。挨拶も大事だし、相手の立場になって考えてあげる事も大事なの。
ここに居るあなたたちはどう言う訳か、そうした教育を受けてこなかったみたいね。」
「だってそうだろ?僕たちの身の回りの大人たちだって皆、僕が言った通りの生活をしていたのだから。それが当たり前だったよ。それを違うって言うんか?」
「その結果が明けても暮れても争い、殺しあってきたんじゃなかった?
つまりね、大人もその姿を見て育ってきたあなたたち子供も、皆んな平和な人間社会を生きてゆくための躾が成っていなかったからなのよ。隣人のエゴにエゴで返していたら、争いの種になるってどうして分からないかなぁ?
それを教えるのが躾。人間の初歩で基本の教えよ。
特にあなたが育ってきたアメリカは、分断と憎しみに満ちた社会だったようね。
私が特に特に許せないのは、KKK団という犯罪組織。彼らはヘイトの塊で、私たち日本人に対しても『原爆二発じゃ足りなかった』って公言しているそうじゃない?
彼らは黒人だけでなく、他の有色人種全体を憎み蔑む白人至上主義者で平気で他人に危害を加える集団だそうね。
労働者が足りないと言ってアフリカから武力で強制的に住民を拉致し、アメリカに奴隷として連れてきておいて、人間扱いをせず強制労働に従事させたのに、奴隷制が廃止されたら今度は徹底的に差別して迫害する。
こんな非人道的で身勝手な事ってある?挙げ句の果てにその他の有色人種まで攻撃する?
私はあの言葉を聞いてとても不快な気持ちになったわ。吐き気がする程にね。とても許せない!って思ったわ。
でもね、私たち日本人は、あなたたちアメリカ人が日本に原爆を落としても、無差別空襲をしてきても、あなたたちを恨まないって決めたの。」
「でもあの戦争は日本人が真珠湾を攻撃したせいだって習ったよ。
悪いのは日本じゃないか!」
「それはあなたたちの国がそう主張しているだけ。私たち日本人はそう考えていないわ。日本はあなたたちの国『アメリカ』とは戦争したくなかったの。でもそうせざるを得ない程、追い込まれたのよ。だから私たちは、やむを得ない戦いに引き摺り込まれたって思っているわ。
でもあの戦争もどっちが悪いか?って追及しても、今となってはあまり意味がないと思うの。
戦争はどっちも自分に正義があると信じてするものだから。
戦争はどちらに非があるかではなく、どちらにも非があるから止められなかったのよ。そうは思わない?
戦争の原因である恨みや憎しみは何も産まないわ。
無理解も無関心も戦争を引き起こす隙になるわ。
戦争は悲劇よ。二度と起きてはならない。起こしてはならない。
そうした決意を持って講和を結び、あなた達アメリカ人と手を携えてきたの。
恨みを捨て、蟠りを捨て友好の道を選んだの。
反省するってそういう事。
では戦争を無くするにはどうするって?それを考えるのが反省なの。
でもね、先日講師のHALO 《はるお》君も言ってたけど、戦争はいづれか一方だけが悪いのじゃないわ。それにいづれか一方だけでするものでもない。
例え一方的な侵略でも、必ず相手がいるもの。だから自分だけが戦争反対を唱えるだけじゃ無意味よ。
自分だけじゃなく、相手も戦争なんか出来なくしなくちゃ意味がないの。
自分が戦争を反対するなら、仕掛けようとする相手にもその手を封じるのが本当の意味での戦争回避なのよ。
人種対立もそう。お互いがまず、武装を放棄する状況を作って、その次に融和と信頼を構築する努力をするの。
まず、相手に対する憎しみを捨てる。
嘘をつかない。
誠実に接する。
お互いに尊敬と敬愛の心を持つ。
その上で少しづつ信頼を勝ち取る。
これはね。
人として、まずは一番近しい家族で培うものなの。
そのためには親が子に人としての生き方を教える。
それが躾なの。それが人間の基本。
今、私たち教師があなたたちに教えようとしているのがそれなのよ。」
ポカ〜ン・・・・・。
シャロンもハーシェルも分かったような、まだ分からないような顔をしている。
まだ、今は・・・・。
でもこのクラスと同時進行で国際連邦の管理下、アメリカやイスラエルでも大人たちの躾のし直しが進んでいた。
分断を産んできた人種対立をやめさせるため、国民教育とディスカッション、TVやネットを駆使した長期大規模キャンペーンを国家プロジェクトとしてスタートさせて国民融和に全力で取り組んだ。
歴史や社会で起きている現実的な問題をキチンと理解させて、直視する。
そのためにはまず、授業・講義を真面目に聞く姿勢と集中するよう規律を徹底的に学ばせ、自ら模範的な生徒として躾を受け入れる姿勢と習慣を身につけさせる。
これは生徒・学生の年代だけでなく、全部の社会人・大人も対象にした国主催のセミナーや講話・通信教育で大々的に実施された。
これは建国以来の一大プロジェクトである。
『建国』=『アメリカ独立革命』とは、フランス革命に先駆けて啓蒙思想の理想の実現を結実させた歴史的金字塔である。
これまでの国民の精神的支柱は『自由』だった。
だがそこには何故か『平等』と『博愛』が欠落していた。
(フランス革命の有名なスローガン『自由』『平等』『博愛』の精神は、本来1789年より前のアメリカ独立革命(1775〜1783)で成し得た市民革命が起源の筈だった)
その後、今に至るまでその平等と博愛を欠落させたままできた結果、飽くなき貪欲さで急速に生産力を増やし軍事力を強化。こうして第一次世界大戦後、世界を席巻する覇権国家となった。だがやがて平等と博愛という極めて重要な理念を欠落させたまま多人種国家を形成させてしまうと、それまで抱えてきた自己矛盾で、国内には分断と不平等・理不尽が蔓延し、その自己矛盾が原因で国家の弱体を招き、疲弊した落日の国家に成り果ててしまった。だからその全ての矛盾の元凶である白人至上主義と、私利私欲の覇権主義を打倒し、国民が一致団結し、本来目指した啓蒙思想実現のため再び立ち上がる。
今度こそ崇高な理念を着実に実行し、人々が皆、平和で笑顔溢れ輝ける社会と国家を再び構築し直すのだ。
そのためには全ての国民に対して強力な教育と躾が必須だった。
自由とは個人のエゴであってはいけない。
自由を社会や相手に対して行使する以上、必要以上に個人の権利のみを主張していてはいけない。
自分は地域コミュニティの責任ある一員であると自覚し、平等と博愛の意味を噛み締め、配慮と調和の取れた自己抑制の行動を心がけられる人格を形成する。
特に災害時に見られる究極の人間の本性。
台風や大地震の時、略奪が横行する社会と、一致団結し助け合い苦難を乗り越えようとする社会。
フリーメーソンZ会が本気で動いた真の動機である。
つづく
今回はアメリカとイスラエルの問題にスポットを当てました。
でも、裏テーマで日本人の病巣についても暗に触れています。
それは『事なかれ主義』。
問題を敢えて避けて通る慣習。特に政治について語る人を避ける風潮。自分だって不満を持っているのに、ブツブツ独り言のように不平を呟くだけで何もしようとしない者。
「だって自分が何を言っても、世の中変わらんし。」達観したように諦めの境地に浸る人。
先進国『日本』。GDP世界第3位とか、抜かれて第4位とか言われているけど、世帯あたりの所得は平均200万円以下が51%以上とか。
長時間労働に喘ぎ、低賃金を我慢して、バカ高い負担の税金。
その税金は国民に還元されず、特定の外国と外国人に手厚い予算を割き、国民はおざなりにされている。
この状況って誰が悪いのでしょう?
皆んな怒っている筈なのに、誰も声をあげない。関心を持たない。選挙に行かない。何もしないで放置。
自分のオールを他人に任せて、後は知らぬふり。
バブル崩壊後日本人は貧しくなった?貧しくしたのはこんな状況を放置した自分たちだって何故思わない?
自分には何の責任も無い?じゃぁ、誰のせい?唯の責任転嫁じゃないの?
どんなに面倒くさい問題でも、避けたい話題でも、必要なら立ち上がり声を上げるべきじゃないのかなぁ。
高市内閣が成立した時、世間の政治を見る潮目が変わったように感じたけど、まだまだ日本人の本質は変わっていないように見えるのは私だけ?
私が試みているのは世論喚起。自分が正論だなんて思っていない。
反対意見や全否定でも構いません。私が欲しいのは反応です!自分の意見を持って欲しい。
考える事を止めないで!声を呑み込まないで!批判する事を恐れないで!怯まないで!ぶつけてください。
「私はこう思う。」そう表明できる勇気を持った人を心から尊敬します。




