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2-4 極皇杯

 ――二一一〇年十二月二十四日――クリスマス・イヴ。時刻は間もなく十五時。


 雲一つない冬空の下、〈王手街(おうてまち)エリア〉は、聖夜を目前にした熱気で満ちていた。


 世界八国の一つ、〈日出国(ひいづるくに)ジパング〉。旧世界におけるユーラシア大陸東部――アジア圏を中心として成立したこの巨大国家において、政治・経済・文化の中枢を担う首都が、この〈王手街エリア〉である。


 その心臓部を貫くメインストリートには、石造りの建物が隙間なく軒を連ねていた。


 赤茶色の屋根。尖塔を戴く教会。石畳を走る馬車。威勢の良い商人が呼び込みを行う露店。剣や槍を携えた冒険者じみた人々。目に映る光景は、旧世界のライトノベルで何度も見た、中世ヨーロッパ風の異世界そのものだった。俗に言う――「ナーロッパ」である。


 (ただ)し今は、その街並みの至るところに、赤と緑と金の装飾が施されていた。建物と建物の間には、星形のイルミネーションが渡されている。大通りの左右には雪化粧を施されたモミの木が並び、窓辺にはリースと蝋燭が飾られていた。


 異世界じみた街並みとクリスマスの装い。本来ならば節操のない組み合わせに思える(はず)なのに、不思議なほど調和している。


「せつくん、〈王手街エリア〉はマザーロマリオ教会に来た時以来ですね」


「そうだな、随分昔のことのようだ」


「フラン、ここきたことあるよ」


 俺の背中にしがみつくフランは、随分と機嫌が良いらしい。小さな手で俺の両肩を掴み、一定の調子でぺちぺちと叩いている。


「そうだな。フランとはこのエリアで出会ったんだよな」


 あの教会で保護した子供達。黒崎さんや杠葉(ゆずりは)姉妹との出会い。そして、フランが〈神威結社〉の一員になった日のこと。まだ二週間近くしか経っていない(はず)なのに、随分と昔の出来事のように感じられた。


 石畳の大通りには、道幅を埋め尽くすほどの露店が並んでいる。剣、槍、斧、弓、防具、回復薬。戦闘用の品だけではない。光を閉じ込めた瓶、宙に浮かぶ絨毯、美しい水晶玉――用途すら良くわからない魔道具が、所狭しと陳列されていた。


 どの商品も、ただ棚に並べられているだけではない。誰かの冒険を始める道具であり、誰かの命を救う切り札であり、(ある)いは誰かを殺す凶器になる。そんな無数の物語が、石畳の上で光を反射していた。


「色々売ってますな!商人としては興味深いですぞ!」


「おおっ!閉業につき在庫一掃(ざいこいっそう)セールらしいですよっ!」


「ハズレちゃん、それこの前もやってたぞ……」


「〈王手街エリア〉名物の閉店詐欺ね……」


「ふふ、せつくん楽しそうですね」


 ――世界観は統一してくれよ。


 そう思わないでもない。


 だが、アニメやゲームに親しんだ人間としては、画面や本の中にしか存在しなかった街を歩いているだけで、どうしても心が浮き立つ。


 初めて訪れた訳ではない。それでも、石造りの街並みにランタンの光が灯り、巨大なクリスマスツリーが冬空へ伸びる光景には、素直に感嘆せざるを得なかった。


 暖かな冬の日差しが、俺の赤いニット帽を照らしている。


「――むむっ、あれですな!」


「おっきいですねーっ!」


「来たかァ!〈天上天下(てんじょうてんげ)闘技場〉……ッ!」


 メインストリートの先。首都の中心部に、それはあった。


 巨大。その形容だけでは、到底足りない。


 空へ向かって何層にも積み上がる石造りの外壁。等間隔に並ぶ巨大なアーチ。人間が蟻程にしか見えない無数の入場口。


 円形の外周は、左右の視界へ収まり切らない。見上げれば、上層部が冬空そのものを押し上げているように錯覚する。


 〈天上天下(てんじょうてんげ)闘技場〉。世界最大の異能大会――〈極皇杯〉の「本戦」会場である。


 今日行われるのは予選だ。それでも開会式や親善試合(エキシビションマッチ)は、この巨大闘技場で実施される。


 既に正面入口の周辺には、地面が見えなくなる程の人間が集まっていた。


「おい、すげぇ……。〈十傑〉・第二席の雨ノ宮天音様に第七席の日向陽奈乃様だぞ……!」


「陽奈乃ちゃん顔良っ」


「〈十傑推薦枠(ワイルドカード)〉の雪村だ!……ってことは〈神威結社〉か……!」


「天音様ビジュ爆発してんじゃん……!」


「アルジャーノン頑張ってー!」


 俺たちの存在に気付いた者から、波紋のように騒めきが広がっていく。


 無数の視線。向けられるスマートフォン。呼び掛ける声。


 俺は軽く片手を振りながら、人々が自然と開けた道を進んだ。


 後ろには天音、陽奈乃、拓生、ハズレちゃん、竜歌が続く。


 四億人のフォロワーを抱える陽奈乃は、慣れた様子で愛想良く手を振っている。一方の天音は、少し戸惑いながらも、声を掛けてくる人々へ(うやうや)しく頭を下げていた。


「おーおー、中々の人気だな。俺ら」


「さすがボスに〈十傑〉だぜェ!」


「小生は肩身が狭いですぞ……!」


「拓生、お前は一週間で虹金貨(こうきんか)三百枚――旧世界で言う三億を五億に増やした化物だぞ。俺じゃ出来ねー芸当だ。もっと自信持っていいって」


「そ、そうですな!師匠にそう言ってもらえると救われますぞ!」


「それを言っちゃうとハズレちゃんも何もないですよーっ!」


「拓生もハズレちゃんも俺が欲しくて〈神威結社〉に誘ったんだ。何も恥じることはない」


「雪渚センパイは優しいですねーっ!雪渚センパイ大好きですっ!」


 巨大なアーチ状の入口を(くぐ)る。眩しかった冬の日差しが遮られ、石壁に囲まれた薄暗い空間へ入った。ここは闘技場の観客席の直下にあたる巨大ロビーらしい。


 高い天井を支える太い柱が規則的に並び、その間を、出場者や関係者らしき人間が絶え間なく行き交っている。


 剣士、魔術師、軍人、格闘家、暗殺者。着ている服も、携えている武器も、(まと)う空気も違う。ただ一つ共通しているのは、彼等全員が今日、世界の頂点を目指して戦うということだった。


 人混みの奥に、「出場受付」と記された白い札が見える。カウンターの前まで進み、奥に座る女性へ声を掛けた。


「あのー、〈極皇杯〉にエントリーしたいんですが」


「ご無沙汰しております。〈神威結社〉様」


 大きな赤いリボンを着けた、糸目の女性。見覚えがある。王手街ギルドの受付嬢――綿貫(わたぬき)(わたし)だ。


「綿貫さん」


「ご活躍のお噂はかねがね伺っております」


「そりゃどうも」


「念の為、クランとお名前を教えていただけますか?」


「〈神威結社〉の雪村雪渚です」


「確認させていただきます」


 綿貫は正面へ展開されたホログラムディスプレイを操作した。半透明の画面に、細かな文字列や顔写真が流れていく。


 数秒後、彼女は顔を上げ、受付嬢らしい愛想の良い笑みを浮かべた。


「……はい、〈十傑推薦枠(ワイルドカード)〉の雪村雪渚様ですね。お待ちしておりました。お話は〈十傑〉の皆様より伺っております」


 ――把握済み、と……。まあ当然か。


「〈神威結社〉から出場されるのは雪村様のみでよろしいでしょうか」


「おォい!準優勝候補のアタイを忘れてんだろォ!」


「あんま言わないだろ。『準優勝候補』……」


「相変わらず竜歌ちゃんはアホね……」


「ふふ、通常運転ですね」


「竜ヶ崎女史、『アタイ』ではなく名前を伝えるのですぞ……!」


 拓生が小声で耳打ちする。


 竜歌は何か重大な事実へ気付いたように目を見開き、いつもの大声で名乗った。


「おォ!そうかァ!竜ヶ崎竜歌だァ!」


 声が巨大ロビーへ響き渡る。


 周囲の人間が一斉にこちらを振り返ったが、当の本人は一切気にしていない。


 綿貫も慣れた様子でホログラムを操作し、竜歌の登録情報を確認した。


「ありがとうございます。確認いたしました。エントリーフィーは一名様当たり銀貨一枚となります」


「はい、二人分のエントリー費です」


 そう言ってポケットから取り出した銀貨を二枚、カウンターに置かれたつり銭受け皿――正式名称、カルトンに載せる。


「銀貨二枚、確かに確認いたしました。では、こちらをどうぞ」


 綿貫が、俺と竜歌の前へ一つずつ置いた。


 赤い、ハート形の宝石。大きさは成人男性の拳ほど。磨き上げられた表面には濡れたような光沢があり、内部では血液にも似た赤い光が、ゆっくりと脈打っている。


 ただの宝石ではない。一目見ただけで、理屈では説明できない不気味さが肌を撫でた。


「ご説明いたします。今お渡ししたのは〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉という、〈極皇杯〉専用に開発された、〈極皇杯〉でのみ有効な魔道具です。そちらはエントリーの証明も兼ねております」


「へえ……」


 竜歌は眉間へ皺を寄せながら、赤い宝石を裏返したり、指先で突いたりしている。


「そちらを左胸――心臓の位置に押し当てていただけますと出場者様との同期が完了します」


 指示に従い、〈犠牲ノ心臓〉を左胸へ押し当てる。硬い宝石が服へ触れる。


 次の瞬間。


 赤い宝石は輪郭を失い、水面へ沈む血のように、音もなく胸の内側へ溶け込んだ。


「……っ」


 ドクン。


 心臓が、大きく跳ねた。


 一瞬だけ、自分の鼓動とは別の拍動が、胸の奥へ割り込んできたような感覚があった。


 皮膚にも服にも、痕跡は残っていない。だが確かに、何かが俺の心臓へ寄り添っている。


 ――同期が完了した……ということか。


「そちらはユニークスキルによって破壊されることはなく、出場者様の身体から離れることもございません。〈極皇杯〉で優勝、もしくは敗退するまで、出場者様と共に存在し続けます」


 綿貫は、何度も同じ説明を繰り返してきたのだろう。


 淀みのない口調で続ける。


 俺に倣い、隣の竜歌も〈犠牲ノ心臓〉を左胸へ押し当てた。赤い光が、彼女の軽装鎧の奥へ吸い込まれていく。


「〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉は、その名が示す通り、所持者様の心臓――すなわち、命そのものを一度だけ肩代わりいたします。出場者様が〈極皇杯〉の競技中に『死亡』した場合、〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が自動的に発動し、死を代わりに引き受けます」


 周囲の喧騒が、僅かに遠のいた気がした。


 死亡。


 綿貫は、負傷でも戦闘不能でもなく、確かにそう口にした。


成程(なるほど)……ゲームで言うところの残機が一機増えるイメージですかね。本来一機しかない命を二機に増やしてくれる……」


 口にしてから、その比喩が妙に軽薄だったことに気付く。


 残機。


 ゲームなら、使い切っても画面が暗転するだけだ。


 だがこれは違う。


 予選で敗れれば、俺は実際に一度、死ぬ。心臓が止まり、肉体を破壊され、命を失う。その結果だけを、この魔道具が肩代わりする。


 ――裏を返せば、〈極皇杯〉において、優勝者以外は一度は「死ぬ」ということだ。


「仰る通りです、雪村様。流石ですね。他の初出場者の方と比較して、理解がお早いです。ですので出場者様がどれほど激しい戦闘を行われても、〈極皇杯〉競技中における生命の安全は保証されます」


 事前に調べていた情報と相違はない。この〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉があるからこそ、出場者は一切の手加減なく、相手を殺すための攻撃を繰り出せる。


 そして同時に、この装置は敗者から言い訳を奪う。殺せば犯罪になるから。本気を出せば相手が死ぬから。そんな言葉は、〈極皇杯〉では通用しない。


 殺しても、相手は生き返る。だから、敗北とは純粋な実力不足の証明になる。


「この魔道具……強力過ぎませんか?」


「ええ。ですので、〈極皇杯〉でのみ効力を発揮するよう厳重に制限されております。製造費用も途方もない額ですので、費用対効果に見合っているかは判断いたしかねますが……」


成程(なるほど)……」


「あァ?よくわかんねェなァ……?」


「竜歌……お前〈極皇杯〉に七度出場してるんじゃなかったのか。なんで理解してないんだ……」


「アホですな……」


 竜歌は十一歳の頃から、七年連続でこの大会へ参加している。


 目的は、兄――竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)を殺すための資金を得ること。


 優勝賞金があれば。本戦へ進んで名を売れば。強力な魔道具を買えれば。


 そうやって、七年間もこの場所へ立ち続けた。


 だが、一度として本戦へ進めなかった。


 毎年、予選序盤で敗退している。


 今の竜歌の実力を知っているからこそ、その事実が〈極皇杯〉の過酷さを物語っていた。


「言葉を選ばずに言えば……要は、相手を気にせず殺していいってことだよ。これがあれば、本当には死なねえから」


「おォ!すげェじゃねェかァ!」


 竜歌の目が、一瞬で輝いた。


 ――理解が早いのか遅いのか、わからない奴だな。


 とはいえ、過去七年の竜歌と、今の竜歌は違う。


 〈オクタゴン〉の設備。〈十傑〉である天音や陽奈乃との実戦訓練。


 何より、竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)という呪縛から解放され、自分自身のために強くなろうとしている。


 希望的観測を差し引いても、今年は十分に戦える(はず)だ。


「ではお二人方、間もなく開会式が始まりますので、出場者観覧席入口へお進みください。ご健闘をお祈りしております」


「はい、ありがとうございます」


「おォ!」


「雨ノ宮様、日向様は十傑観覧席へお願いしますね」


「はーい!」


「かしこまりました」


 〈天上天下闘技場〉の観覧席は、大きく三種類へ分けられている。


 一般観客席。


 出場者と、そのクラン関係者が使用する出場者観覧席。


 そして、世界の頂点に座する者達のための十傑観覧席。


 十席に十一人が名を連ねる人類最強の集団は、当然のように特別待遇らしい。


「雪渚、竜歌ちゃん、頑張ってね!」


「せつくん、竜歌さん、ご健闘をお祈りしております」


 天音が俺の前へ立ち、両手で俺の手を包んだ。


 柔らかな指。微かな体温。サファイアブルーの瞳には、絶対的な信頼と、それでも消せない不安が同居していた。


「ああ……勝ってくる」


「――ッしゃァ!行くかァ!」


 出場者観覧席入口へ足を踏み入れる。


 上階へ続く階段を、竜歌、フラン、拓生、ハズレちゃんと共に駆け上がった。


 先頭を行く竜歌は、一段飛ばしで勢い良く上っていく。俺がそれに続き、後ろでは拓生が丸々とした腹を揺らしながら、必死に追い縋っていた。


「――ってなんで拓生とハズレもこっち来てんだァ!?お前らも出るのかァ!?」


「でっ……出ませんぞ!出場者のクランメンバーであれば出場者観覧席への立ち入りも許可されていますからな!」


「どうせならいい場所で観たいですからねーっ!」


「そうかァ!なァボス!開会式があるんだよなァ!?一番前の席で観るかァ!?」


「ああ」


「そうですな!」


「そうしましょうっ!」


 長い階段を上り切る。視界が、一気に開けた。


「……マジかよ」


 思わず、声が漏れた。


 円形闘技場を取り囲む、果ての見えない観覧席。上を見ても、下を見ても、右を見ても、左を見ても人間しかいない。一段一段の客席が地平線のように曲線を描き、何層にも重なりながら遥か上空まで続いている。


 収容人数、一千万人。数字として聞いたときには、現実感がなかった。


 だが、今は違う。無数の人間が立てる騒めきが、一つの巨大な生物の呼吸のように闘技場を震わせている。


 その中心には、街一つが収まりそうなほど広大なフィールドが広がっていた。


 出場者観覧席にも、既に人が密集している。


 俺達は辛うじて空いていた最前列を見つけ、そこを陣取った。


 着席した直後から、背後で押し殺した声が飛び交う。


「おい……見ろよ……優勝宣言の……」


「雪村か……」


「〈神威結社〉のヤツらだろ……?雨ノ宮様や日向様のクランの……」


「優勝宣言って怖いモノ知らずかよ……」


「同じブロックになりたくねーって……」


 背中へ突き刺さる視線には、敵意、警戒、好奇心、恐怖――様々な感情が混ざっていた。


 だが、昨夜あれだけ堂々と宣言したのだ。今さら他人の視線に怯える理由はない。


「はっ、コイツら、日和(ひよ)っちまって敵じゃねえな」


「あァ!始まる前からビビってるヤツらに負ける気がしねェよォ!」


「よ、よく平気ですな……お二方……」


「緊張感ありますねーっ!」


 俺と竜歌が本当に優勝、準優勝を独占するなら、決勝で戦うことになる。それなら、それで構わない。世界中の人間へ、〈神威結社〉が頂点を独占できるクランだと示せるだけだ。


「おにいたま、このひとたちもきょくのーはいにでるひと?」


 俺の背中から、フランが顔を覗かせる。


「そうだぞ」


「ぶぅ、ゆーしょーするの、おにいたまだもん」


「はは、ありがとう。フラン」


 フランを背中から下ろし、隣の席へ座らせる。小さな両脚は床へ届かず、宙でふらふらと揺れていた。


「そういや終征(しゅうせい)さんや幕之内とも話したかったが……流石に人が多過ぎてここから見つけ出すのは無理だな……」


 今年の出場者は、四十八万人。その大半が、この出場者観覧席のどこかに座っている。人間一人を探すなど、砂浜から特定の砂粒を見つけ出すようなものだった。


「あァ……アタイも手毬(てまり)に会いたかったんだけどよォ……」


「手毬の奴もやっぱり参加するんだな」


「おォ!クラン・〈十二支〉に誘いたいヤツが歴代ファイナリストにいるって話だからなァ!」


「〈極皇杯〉のファイナリスト経験者か……。予選突破の大きな障壁になりそうだな」


「なァに!ボスとアタイなら問題ねェよォ!」


 手毬も出場している。終征さん、幕之内、知恵川。それ以外にも、俺が知らない怪物が無数に潜んでいるのだろう。


 四十八万人規模の大会だ。予想もしない人物が参加していても、何一つ不思議ではない。


 視線を一般観客席へ移す。出場者席に漂う緊張感とは対照的に、そちらは既に祭りの様相を呈していた。


 軽食や飲み物を抱えた売り子が階段を行き交い、派手な衣装を(まと)ったチアガールたちが観客を煽っている。


 応援旗。サイリウム。巨大な横断幕。観客席の一部では、開会前からウェーブまで起きていた。


 世界八国へ同時生中継され、視聴率は九割を超える。ファイナリストへ残るだけで、その後の人生が変わる。企業、国家、クランから勧誘が殺到し、世界中からスターとして扱われる。


 優勝者へ贈られるのは、虹金貨(こうきんか)千枚――日本円換算で十億円。更に希望すれば、〈十傑〉入りすら事実上確約される。


 大会のキャッチコピーは――「一夜で人生が変わる」。誇張ではない。勝てば、人生が変わる。負ければ、一度死ぬ。余りにも単純で、余りにも狂った大会だった。


「竜歌は七度出場したんだよな……」


「あァ。情けねェ話だがよォ、本戦どころか、毎年予選の序盤でぶっ飛ばされて負けてんだよなァ……」


「竜ヶ崎女史が即敗退するレベルですからな……。油断は禁物ですぞ」


 俺は赤いニット帽を深く(かぶ)り直した。巨大闘技場の上空を吹き抜ける冬風が、頬を冷たく撫でていく。


「とは言え今年は兄貴を殺すためじゃねェ」


 竜歌の声音が変わった。いつもの馬鹿みたいに明るい大声ではない。それでも、確かな力があった。


「アタイを救ってくれたボスのため……アタイを拾ってくれた〈神威結社〉の仲間のため……そしてアタイ自身のためだァ!なんとしてでも勝つぞォ!」


 過去七回。竜歌は、兄を殺すためだけに戦ってきた。


 勝利は目的ではない。憎悪を晴らすための金を得る手段だった。


 だが、今年は違う。誰かを殺すためではなく。自分と仲間の未来を掴むために、彼女はここへ立っている。


「ああ。竜歌はそれでいい」


「おォ!任せろォ!」


 露出の多い黒い軽装鎧を纏った竜歌は、堂々と胸を張った。


 黄色い双角。腰まで届く艶やかな黒髪。冬の日差しを浴びたその姿は、兄の影に怯えていた頃とは比べものにならないほど逞しい。


 ――頼もしいな、コイツは……。


 俺も、負けていられない。守りたいものは、もう十分過ぎるほど増えた。


 だから、勝つ。


 雷霧が何を知っていようと。


 十年後のフランが、どんな未来を見ていようと。


 俺は、その結末を覆す。


 その瞬間。


 闘技場を包んでいた雑多な騒めきが、唐突に切り裂かれた。


 観覧席の至るところへ設置された無数のスピーカーから、女性の声が轟く。


『――世界十一億人の〈極皇杯〉ファンの皆様!!!』


 一千万人の観客が、一斉に顔を上げた。


『お待たせしました!!!』


「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」


 地鳴りのような歓声が、闘技場の底からせり上がってくる。


『それでは!!!』


 空気が震える。冬空までが、巨大な熱狂に呑み込まれていく。


『ただ今より!!!』


 俺は、眼下に広がる戦場を見据えた。左胸の奥で、〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が本物の心臓へ重なるように、赤く脈打つ。


『第十回!!!』


 四十八万人の人生。一千万人の観衆。世界十一億人の視線。その全てが、今、この場所へ集まっている。


『〈極皇杯〉!!!』


 俺は膝の上で拳を握り締めた。


 ここから先は、殺し合いだ。


『開会式を!!!』


 それでも不思議と、恐怖はなかった。あるのは、身体の奥底から湧き上がる高揚だけだった。


『始めます!!!!!』

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