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2-3 公共の電波に乗せたワンツーフィニッシュ

 ――〈オクタゴン〉・一階リビング。


 夕食と入浴を済ませた〈神威結社〉の七人は、それぞれのパジャマに着替え、広々としたリビングへ集まっていた。


 時計の針は、二十一時半を少し回ったところ。


 本日の成果報告と、いよいよ翌日に迫った〈極皇杯〉についての話し合い――というのが一応の名目だった。


 (もっと)も、七人が揃った室内に、作戦会議らしい張り詰めた空気はない。


 天井から降り注ぐ柔らかな照明。床暖房の熱。風呂上がりの石鹸やシャンプーの匂い。暖かなリビングの窓の外では、真冬の夜が静かに更けていた。


 棚の上には、先日のEMB優勝で獲得した黒いチャンピオンベルトが飾られている。中央に埋め込まれた金色のプレートは、照明を受けて下品なほど眩しく輝いていた。


 俺は「夜用」の赤いニット帽を目深(まぶか)(かぶ)り、拓生と並んで格闘ゲームに興じながら、竜歌の武勇伝へ耳を傾けていた。


「――っつーワケだ!ボス!すげェだろ!?」


「ほう。それで竜歌が襲撃者を制圧したのか」


「見事な勝利でしたぞ。――って日向女史!やはりその格好は目のやり場に困りますぞ!」


「もー!オタクくん慣れろしー!」


 俺の左隣に座るのは、パジャマ姿の陽奈乃だ。


 普段は高い位置で結ばれている金髪を、今夜は下ろしている。毛先に向かって桜色へ移ろう髪が肩から背中へ流れ、いつもの活発な印象とは異なる、柔らかな雰囲気を漂わせていた。


 着ているルームウェアも、普段のヘソ出しと見せパンを組み合わせた派手な装いほど露出が高いわけではない。だが、ショートパンツから伸びる形の良い太腿(ふともも)は惜しげもなく露わになっている。


 ――相変わらずエロいな、この子……。


「でもよォ、これでまた連勝記録更新だァ!ボス!『なでなで』してくれェ!」


「よしよし、偉いじゃないか竜歌」


 俺は内心の雑念を仕舞い込み、犬のように頭を寄せてきた竜歌の黒髪を撫でた。


「ガッハッハ!そうだろォ!ボス!」


 竜歌は満面の笑みを浮かべる。その身を包むのは、達筆な「忠誠」の二文字が胸元に印刷された白いTシャツだった。いつ購入したのかは知らないが、寝間着にまで忠誠を主張するセンスは相変わらず理解不能である。


 その間にも、テレビ画面の中では派手な必殺技が応酬していた。色鮮やかなエフェクトが炸裂する度、ワイヤレスコントローラーが小さく振動する。


「ぶーん」


 足元では、フランがミニカーを床に走らせていた。銀髪を揺らしながら、小さな手で車を押している。周囲には積み木や人形、絵本といった玩具(おもちゃ)が無秩序に散らばっていた。


「……ってフラン、なんでまだ起きてるんだ」


「むむっ、もう二十一時を回ってますぞ?」


「フランちゃんっ!早く寝ないとダメですよっ!」


「フラン、まだねむくないよ?」


「雪渚と一緒に昼まで寝てるせいね……」


 陽奈乃の指摘に、俺は言葉を詰まらせた。


 ――ぐぬぬ……良くないな。俺の生活習慣がフランの成長に悪影響を及ぼすなら、早寝早起きを心掛けなければならない。


「……フラン、もうちょっと遊んだら寝るんだぞ。明日は〈極皇杯〉だからな」


「あい!」


 頭を撫でてやると、フランは嬉しそうに目を細めた。俺の癒やしである。


「ガッハッハ!フランにもアタイの勇姿を見せてやらねェとなァ!」


「そうですな!」


「でも竜歌さんもホント強くなりましたよねーっ!この一週間で見違えるようですっ!」


「ええ、日頃のトレーニングの成果ですね。ですが気になるのは……」


 天音の声音が、賑やかだった室内へ僅かな陰を落とす。


「そうね、あまねえ。『雪渚は〈極皇杯〉を優勝できない』って銃霆音が言ったって話だけど……アイツ何言ってんの?」


 ――今更説明の必要もないかもしれないが一応。〈極皇杯〉は今年で第十回を数え、去年の総参加者数は四十万人超、全世界での生中継の最高視聴率は九割を超えるモンスターイベントだ。第十回という節目――メモリアル大会でもある今年は更に注目度を増している。


 ――明日のクリスマス・イヴから予選が、翌日のクリスマス当日には本戦が行われる。予選は、全参加者が八つのブロックに分かれ、バトルロワイヤルを異能バトルで戦い抜く。そして、各ブロックで最後に残った一名――計八名のみが本戦に進むファイナリストとなる。


 ――本戦では一対一の異能バトルをトーナメント形式で行う。優勝者には虹金貨(こうきんか)千枚――旧世界で言うところの日本円で十億円相当が贈られる他、〈十傑〉へのメンバー入りを果たすことも珍しくない。(すなわ)ち、〈十傑〉を除く者のうち、誰が最強か――「世界十二位」を決める超絶ビッグイベントだ。


 そして、去年その頂点へ立った雷霧が、俺の優勝を明確に否定した。


「『怪物(モンスター)』か……。雷霧や師匠程の……」


「それに銃霆音氏は『断言する』とまで言ってましたからな……」


「そう言えば、この前、十年後のフランちゃんも同じこと言ってましたよねーっ?」


 全員の視線が、床で遊んでいるフランへ向く。


 フランはミニカーを止め、不思議そうに小首を傾げた。


「フランはおにいたまがゆーしょーできないって、いってないよ?」


「はは、フラン殿には難しい話でしたな」


「十年後のフランちゃんはともかくとして、銃霆音はあれだけ大口叩いて雪渚と引き分けたんだから説得力なんかないわよ」


 陽奈乃は不満げに唇を尖らせる。


「だが雷霧との異能バトルは結局、俺が指定した時間制限がある中で、かつアイツに俺を殺す気がない――という極めて俺に有利な条件下でだ。正直本当にお互いが殺す気で戦って、俺が雷霧に勝てるとは思ってないよ」


「えー!雪渚なら勝てるのに!」


「そうですよ、せつくん。謙遜しすぎです」


「天音……陽奈乃……お前らがその雷霧よりも席次が上なのが一番怖えんだけどな……」


「ふふ……」


「えっへへー」


 左右から楽しげな笑い声が返ってくる。


 俺の右隣には、天音が腰を下ろしていた。相変わらずのメイド服姿だが、普段は整えられている雪のような白髪(はくはつ)も自然に下ろされ、肩から胸元へ柔らかく流れていた。


「まあ雷霧の話は気にしても仕方ない。『フェイク野郎』だし」


「ふふ、そうですね」


「マジそれな!」


「まァアイツ、ワケわかんねェからなァ!――つーかよォ、どうせなら姉御や陽奈乃、銃霆音とも〈極皇杯〉でガチでバトってみたかったよなァ!」


「お前ホント戦うの好きな……」


「残念ながら、我々〈十傑〉は〈極皇杯〉の運営サイドですからね」


「――むむっ、それで師匠。大和國(やまとのくに)氏との修行はどうだったのですかな?」


 ――〈十傑〉・第五席――大和國(やまとのくに)綜征(そうせい)。俺は結局、一度も、冷静な師匠の顔を(ゆが)めることすら叶わなかった。


「ああ、稽古は一通りつけてもらったがあの人強すぎるわ。一切の隙も見当たらないし、俺が〈天衡(テミス)〉で掟を定めてもそれを一瞬で看破してくる」


「マジかよォ!ボスが勝てねェってとんでもねェな……」


「何者だよ、あの人。読心術でも習得してんのか?木の枝振ってソニックウェーブ起こすし……」


「流石〈十傑〉ですな……」


「『剣聖大将軍』の異名は伊達じゃないってことですねっ!」


「まあ、あの大和國さんにあそこまで言わせた雪渚もさすがなんだけどね」


「そうですね。素晴らしい戦いぶりでしたよ。流石せつくんです」


 二人は素直に俺を褒めてくれているだけなのだろう。


 だが、雷霧と師匠。あれ程の化物――否、正真正銘の『怪物(モンスター)』達が優勝してきた大会なのだと思うと、胸の奥に冷たいものが沈む。


 俺は本当に、その頂点へ届くのか。


「そうだなァ!日付が変わればいよいよ〈極皇杯〉の予選だァ!みんなァ!しっかりボスとアタイの応援を頼むぞォ!」


「もちろん!アタシたちもしっかり雪渚と竜歌ちゃんを会場で応援するから!」


「あい!」


「張り切っちゃいますっ!」


「もちろんですぞ!」


「はい。いよいよですね……」


 天音が白い髪を耳へ掛ける。その動きに合わせ、風呂上がりの甘いラベンダーの香りが鼻先を(かす)めた。


 サファイアブルーの瞳には、期待だけではない。隠し切れない不安が、薄い影となって(にじ)んでいる。


 八十五年前、俺は彼女の前から勝手に消えた。だから天音が、俺の戦いを無条件に信じながらも、同時に恐れてしまうのは当然だった。


「ねー雪渚ー、〈極皇杯〉が終わったらさー、二人でデート行きたい~!」


 空気を変えたのは、陽奈乃だった。左隣から身を寄せ、まるで天音を挑発するように俺の腕へ抱きついてくる。


 柔らかな感触に邪魔され、コントローラーを動かす指が大幅に鈍った。


「あら陽奈乃さん。せつくんの妻である私の前でよくそんな発言ができましたね?呆気(あっけ)なくフラれた似非(えせ)ギャルの分際で」


「はー!?アタシが『フってほしい』って言って雪渚はそれに答えてくれただけだしー!実質まだフラれてないからチャンスあるしー!てかあまねえだって愛が重すぎて雪渚が受け止めきれてないじゃん!」


「でも実際せつくんの妻は私じゃないですか?もうそれが答えじゃないですか?あと私の方が胸も大きいですし。対戦ありがとうございました」


 天音は勝ち誇ったように一礼する。


「キー!!超マウント取られてんだけど!!」


 対する陽奈乃は、仔犬のように騒ぎ始めた。


「見ろ拓生、俺のために二人の美女が争っているぞ。絶景かな絶景かな」


「……雨ノ宮女史はもう日向女史で遊んでますな」


 陽奈乃が俺を巡って天音へ喧嘩を売り、天音が余裕の返答で迎撃する。この三日程で、既に何度も見た光景だった。


「今日の喧嘩も雨ノ宮女史の勝ちですな……。というかお二方……どんどん仲悪くなってませんかな……?」


「ガッハッハ!喧嘩するほど仲がいいって言うじゃねェかァ!」


 竜歌の言う通り、二人の仲が本当に悪い訳ではない。


 罵り合ってはいても、互いの美点を認め、必要な時には迷わず手を差し伸べる。ある意味では、以前より遥かに距離が近付いていた。


 特に天音は、陽奈乃と暮らし始めてから、口数も表情も明らかに増えている。敬語こそなかなか外れないが、以前のように感情を胸の奥へ押し殺さなくなった。


 陽奈乃もまた、〈神威結社〉へ馴染むにつれ、明るさの裏に隠していた繊細さや、豊かな喜怒哀楽を素直に見せるようになっている。


 そして俺が画面から目を逸らした、その僅かな隙を拓生は見逃さなかった。待っていましたとばかりにコントローラーを操作し、俺のアバターへ回避不能の連続攻撃を叩き込む。


「あっ……拓生てめー!それバグ技だろ!」


「フフフ……!公式から声明が出ていない以上は仕様ですぞ!」


「ぐぬぬ……」


「フフフ……!今期のランクマッチ世界八位の師匠では三期連続世界一位の小生には及びませんな!」


「ぐぬぬ……」


 完全に敗北した俺は、コントローラーをガラス製のローテーブルへ置き、ソファの背凭(せもた)れへ深く身体を預けた。


「てかオタクくんはともかくとして……雪渚もどれだけやり込んでるのよ……」


「神ゲーだぞこれ。陽奈乃もやるか?」


「――じゃなくって雪渚!よーく考えて!旧世界からの仲だからって、それは新しい恋をしちゃいけない理由にはならないわ!」


「あァ?そうなのかァ?」


「――せつくん。この人、せつくんがリビングに忘れたボールペンを股間に押し付けて毎晩ヨガってますよ。耳障りな嬌声(きょうせい)が私の部屋まで響いてきます」


「ちょっ……!なんでそれを――じゃなくって、そんなことしてないし!」


「見てください、せつくん。綺麗な自白でしたね」


「めっちゃ恥ずい……!死ぬ……!雪渚、今顔見ないで!」


 陽奈乃は両手で真っ赤になった顔を覆う。


 対する天音は、珍しく意地の悪い笑みを浮かべ、勝利の余韻へ浸っていた。


「なんだァ、キョーセイってのはァ?食えるのかァ?」


「あのー……お二方……小生もいること忘れてませんかな……」


「――で、でもそれ言ったらあまねえだってそうじゃん!雪渚の部屋にこっそり取り付けてた監視カメラさー!一回雪渚にバレて外されたのにまた取り付けようとしてたし!」


「なっ……!ちっ……違うんです、せつくん。飽くまでせつくんに危険がないように……!」


 今度は天音の顔が真っ赤に染まる。不意を突かれた彼女は俺から目を逸らし、白い毛先を指先で弄り始めた。


「ほら雪渚!自白した!自白した!」


「くっ……陽奈乃さん……手強いですね」


 ――何やってんだ、コイツら……。


「お前ら……マジでいい加減にしろよ……」


 呆れながらも、俺の胸には言葉にし難い温かさがあった。


 天音と陽奈乃。二人が俺を好きだと言ってくれることは、素直に嬉しい。二人とも、俺には勿体ないほど魅力的な女性だ。


 陽奈乃の想いに応えてやりたいという気持ちが、皆無な訳でもない。彼女の過去を知れば尚更、もう十分に報われていい人間だと思う。


 仮に俺と陽奈乃が恋愛関係になったとしても、天音は表向きには祝福するだろう。だが、同時に必ず深く傷付く。


 八十五年間、俺だけを想い、俺が目を覚ます日を信じて待ち続けた天音を、俺は既に泣かせ過ぎた。そんな俺に、再び彼女の心を踏み(にじ)る権利がある(はず)もない。


 誰かを選べば、誰かを傷付ける。だからといって曖昧な態度を続ければ、もっと深く二人を傷付けるかもしれない。


 この一週間、何度考えても答えは出なかった。


 ただ一つ決めているのは、天音にも陽奈乃にも、嘘を吐かないこと。都合のいい言葉で二人を縛らず、可能な限り誠実でいることだけだった。


「――とは言えこのままではせつくんの貞操の危機ですね……。やはり〈極皇杯〉の開会式での親善試合(エキシビションマッチ)……負けられません」


「おォ!『えきしびしょん』ってアレだろォ!?姉御と陽奈乃がバトるってやつ!」


 例年、〈極皇杯〉の開会式では、〈十傑〉同士による親善試合が行われる。そして今年は、つい先日その正体を公表したばかりの第二席・雨ノ宮天音と、第七席・日向陽奈乃が戦うことになっていた。


「一年に一度の楽しみですよねーっ!」


「雨ノ宮女史のバトルは新世界の多くの者にとっては初見ですからな。回復のユニークスキルでどう戦うのか――注目度も高いですぞ」


 最近、俺たちへの襲撃が増えている理由の一つもそこにあるのだろう。


 世間では、天音の〈聖癒(ラファエル)〉は回復に特化し、戦闘には向かないと思われている。


 陽奈乃も、卑怯な手段によるものとはいえ、かつて竜歌の兄・竜ヶ崎龍帝に敗北した事実が広まってしまった。


 ならば二人が〈十傑〉であっても、数で押せば〈極皇杯〉前に俺を潰せるのではないか。そんな浅はかな期待を抱く者がいても不思議ではない。実際には、戦闘力のない人間が〈十傑〉に座れる(はず)もないのだが。


 だからこそ、親善試合(エキシビションマッチ)で二人が戦い、その強さを誇示することに大きな意味があると思えた。


「ふふ……妻と片想い馬鹿女の格の違いを見せつけてあげますよ」


「ふん!絶対あまねえに負けないから!」


 ――その時だった。


 ピンポーン。


 深夜の屋敷に、インターホンの音が響く。


 全員が壁掛け時計へ目を向ける。長針と短針は、ちょうど午前二十二時を示していた。


「あァ?客かァ?」


「こんな時間に珍しいですねーっ!」


「なんだこんな時間に。非常識だな。学歴が低いのか?」


「ふふ、せつくん。それは問題発言ですよ」


「雪渚、アタシ出てこよっか?」


「あーいや、俺が出よう」


 俺はソファから腰を上げ、玄関へ向かった。扉を開く。真冬の冷気が、一瞬にして暖かな屋内へ流れ込んできた。


「さむっ……」


 〈オクタゴン〉の敷地へ入るための黒い縦格子門。その向こうには、カメラ、照明、集音マイクといった撮影機材を抱えた複数の人間が集まっていた。


 門番を担当している元・〈韮組(にらぐみ)〉構成員の二人が、彼等を追い返そうと必死に押し留めている。


「――あっ……!雪村雪渚さんが現れました……!」


 マイクを握った女性が俺を見つけ、カメラへ向かって声を上げる。


 俺が靴を履いて外へ出ると、背後から仲間達も顔を覗かせた。


「優勝候補の〈十傑推薦枠(ワイルドカード)〉に直撃インタビューということですね」


「もー、折角みんなで話してたのにー」


「おォ!そういうことかァ!」


「師匠、この時期はもう優勝候補の出場者には無礼講、というのが〈極皇杯〉の通例ですぞ」


「ほー、そんなものか」


 雷霧が本気ではなかったとはいえ、俺は〈十傑〉・第八席と異能バトルで引き分けた。更にEMBで雷霧を破り、〈十傑推薦枠(ワイルドカード)〉にも選出された。今や俺は、第十回〈極皇杯〉における優勝候補の一人として、世界中から注目されている。


 門の手前で立ち止まると、鉄格子越しに複数のカメラレンズを向けられた。


「深夜にすみません、雪村さん!ジパングTV(テレビ)の者ですが!」


「はあ」


「〈十傑推薦枠(ワイルドカード)〉に選ばれたわけですが……ズバリ!明日からの〈極皇杯〉!意気込みをお聞かせください!」


 差し出されたマイク。眩しい撮影用ライトの向こうで、レンズが俺を捉えている。


 この映像は間もなく、世界中へ流れるのだろう。


 ――正直なところ。


 〈極皇杯〉で優勝出来なくとも、最期に笑って死ねるほど、俺は既に恵まれている。


 八十五年前の俺には、信頼出来る仲間など一人もいなかった。勉強と結果だけを求められ、誰にも助けを求められず、最後には独りで海へ沈んだ。


 だが、今は違う。


 俺を無条件に信じてくれる天音がいる。


 血は繋がっていなくとも、俺を兄のように慕ってくれるフランがいる。


 変わった奴だが誰よりも正直な拓生がいる。


 いつも場を盛り上げてくれるハズレちゃんがいる。


 俺をボスと慕ってくれ、いつだって真剣な竜歌がいる。


 こんな俺を好きだと言ってくれる陽奈乃がいる。


 騒がしくも頼れる仲間がいる。


 毎日が楽しい。


 この幸福だけでも、蘇った意味は十分にあったと思える。


 それでも、俺は勝たなければならない。


 異能至上主義の新世界では、善意も幸福も、力がなければ簡単に踏み(にじ)られる。


 実際、俺の仲間を狙った襲撃は、この一週間だけで三度も起きている。


 俺が力を示せば、〈神威結社〉へ手を出そうとする者は減る。


 天音と陽奈乃が親善試合(エキシビションマッチ)へ出場することを許したのも、同じ理由だ。


 俺達は弱くない。


 俺達に手を出せば、必ず相応の代償を支払うことになる。


 それを世界へ刻み込むために、優勝という結果が必要だった。


 ならば答えは、一つしかない。


 俺は赤いニット帽を押さえ、さらに深く(かぶ)り直す。


 そして、カメラのレンズの奥――この生中継を見ている新世界中の人間を、真っ直ぐに見据えた。


「――ああ、優勝します」


 静かな声音だった。だが迷いはない。


 大仰な言葉を重ねる必要もなかった。


 俺が一言を発した直後、報道陣の間に緊張が走る。


 背後では、天音と陽奈乃、拓生達が、俺の宣言を黙って受け止めていた。


 その静寂を突き破るように、竜歌が俺の隣へ飛び出してくる。カメラへ向かって、堂々と中指を立てながら。冬の夜風に、艶やかな長い黒髪が大きく(なび)いた。


「――そんでアタイがボスに続いて準優勝だァ!テレビの前のクッソ雑魚共ォ!〈神威結社〉の進撃に震えて眠りなァ!!」


「こっ……これは大胆なワンツーフィニッシュ宣言が出ました!〈神威結社〉のお二人の活躍に()うご期待です!あ、お二人共!こんな時間にありがとうございました!」


 報道陣は慌ただしく頭を下げると、興奮冷めやらぬ様子で機材を抱え、夜道の向こうへ去っていった。


 月光の差す庭園に、静寂が戻る。真冬の寒空には、薄雲を纏った朧月(おぼろづき)が浮かんでいた。


「ボス!言ってやったぜェ!」


「ナイスだ、竜歌。よくやった」


「ガッハッハ!当然だァ!」


「ほら、雪渚!竜歌ちゃん!早く!風邪引くよ!」


 玄関から陽奈乃に急かされ、俺達は暖かな屋内へ戻った。


 リビングへ入るなり、拓生が虚空へ片腕を差し込み、ノートパソコンを取り出す。


「むむっ、スレも盛り上がってますな」


 画面を覗くと、〈極皇杯〉に関する巨大掲示板が表示されていた。つい先程の中継を見ていた者達が、既に凄まじい速度で書き込んでいる。


――――――――――――――――――――――――

第十回極皇杯スレpart.239(558)


>アルジャーノン優勝宣言!

霧隠(きりがくれ)の優勝予言しとくわ

>優勝宣言きちゃー!!!

>今年神回の予感

>雪村優勝宣言アツ

>勇気あんなー

>優勝宣言ってマジ?チャンネル何番?

十傑推薦枠(ワイルドカード)きちゃ!

>アルジャーノン勢い乗ってるわ、まじで優勝ある

>雪村と一緒に映ってた角生やしてる子可愛くね?

>わかる

>まな板やん

>竜ヶ崎竜歌やろ

>オープニングセレモニーでトリクラ出るってマジ?

>マジらしい。友達から聞いた。

>こどおじwww友達いないだろwwwパソコンカタカタwww

>↑お前の方が友達いなさそうで草

>↑効いてる効いてるwww顔真っ赤www

>まあでも優勝候補筆頭は海酸漿(うみほおずき)は不動。

 次点で幕之内、冴積(さえづみ)、大和國。次いで知恵川(ちえがわ)馬絹(まぎぬ)、雪村あたりが横一線か。

>↑猿楽木(さるがき)犬吠埼(いぬぼうざき)が出ない時点で極皇杯エアプ確定

 お前は極皇杯語んな

>大和國弟今年は行くっしょ、頭一つ抜けてるわ

>↑去年Thunder(トンダ) Rhyme(ライム)に瞬殺されたじゃん

>銃霆音様は強すぎたからしゃーない

>ガチで天音様と陽奈乃様と一つ屋根の下なの裏山

>↑お前じゃ無理www

>↑なおここまで全員無理な模様

>俺たち全員、女に相手にされないからここいるんだぞ

>俺らの萌ちゃん今年出ないの?

>馬絹、知恵川のエントリーって確定してる?

>ggrks

――――――――――――――――――――――――


「……インターネット過ぎるだろ」


 画面の向こうでは、既に世界中の人間が優勝者を予想し、候補者を論じ、互いを罵り合っている。


 十数時間後には、ここに並べられた名前の多くが、同じ戦場へ集う。それぞれが誇りを背負い、過去を背負い、人生を懸けて頂点を目指す。


 雷霧が語った、全てを捨ててでも勝利を求める『怪物(モンスター)』も、その中にいるのだろうか。


 そして俺もまた、そこへ踏み込む。


 守りたいものを得てしまったからこそ。


 今度こそ、大切なものを失わないために。


 夜は、静かに更けていく。


 皆が誇りと誇りをぶつけ合う〈極皇杯〉。


 皆が己の人生を懸ける〈極皇杯〉が――いよいよ幕を開ける。

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