2-2 一番槍
――一方、その頃。
竜ヶ崎竜歌、汚宅部拓生、葉月外の三人は、「真宿中央公園」に集まった元・〈韮組〉構成員達を取り仕切っていた。
冬の澄んだ陽光が、葉を落とした街路樹の枝から差し込んでいる。吐息が白く染まる程の冷気の中、公園の広場には二十人の男達が一糸乱れず整列していた。
嘗ては〈韮組〉の名の下、十三年もの間、〈神屋川エリア〉を支配していた者達だ。
だが今、その顔に嘗ての荒んだ気配は薄い。服装も身なりも整えられ、背筋を伸ばして立つ彼等は、既に犯罪組織の構成員ではなかった。〈神威結社〉の傘下で、街を守るために働く者達だった。
「全員受け取りましたな?今配ったのが、〈真宿エリア〉のパトロールに対する今週の給料ですぞ」
拓生の合図を受け、男た 達が手元へ視線を落とす。
白い封筒に収められた金貨を数えた一人が、驚愕に目を見開いた。
「すげぇ……!十万ゴールドも入ってるぞ……!」
「こんな貰っていいのかよ……!」
困惑した声が、冬の広場に次々と広がっていく。
金額そのものへの驚きだけではない。
嘗て彼等は、上の者から暴力と恐怖で使い潰されていた。働いた分だけ報酬が支払われ、自分達の仕事が正当に評価される――そんな当たり前のことさえ、彼等にとっては初めてに等しかった。
「お前らのパトロールは〈真宿エリア〉でも評判がいいからなァ!ボスのお前らに対する正当な評価ってヤツだァ!」
竜歌が胸を張る。
冷気を含んだ風が、腰まで届く艶やかな黒髪を大きく揺らした。頭から伸びる二本の黄色い角が、陽光を受けて金属めいた輝きを放つ。
「はいっ!実際、犯罪件数もこの一週間で二十分の一にまで減少しましたからねっ!」
ハズレが人差し指を立て、弾むような声で補足する。
それは偶然でも、数字上の誤差でもない。
〈韮組〉の崩壊に乗じて〈真宿エリア〉へ流れ込み始めた半端者や犯罪者達を、元構成員達が自らの足で見回り、未然に排除してきた成果だった。
「そうだァ!明日からの〈極皇杯〉、〈神威結社〉からはボスとアタイが出場するからなァ!お前らしっかり応援頼むぞォ!」
「「「了解ッ!!!」」」
二十人分の声が重なり、広場の空気を震わせる。
雪村雪渚と竜ヶ崎竜歌。十三年間に及ぶ支配を終わらせた二人が、今度は世界最大の異能大会へ挑もうとしている。元構成員達にとって、その戦いは決して他人事ではなかった。
「——ケケッ♪コイツらか♪アルジャーノンの傘下に入った〈韮組〉の構成員は♪」
場違いなほど愉快そうな声が割り込んだ。
公園のベンチから腰を上げ、ポケットに片手を突っ込んだまま歩み寄ってきたのは、〈十傑〉・第八席――銃霆音雷霧だった。
編み込まれたコーンロウの側頭部には、稲妻を象った金色のメッシュ。口元から覗く銀色のグリルが、冬の日差しを受けて鈍く光っている。
その背後には、〈鉛玉CIPHER〉の幹部達も控えていた。
金髪を緩く掻き上げるクランサブマスター、帯刀凌駕。
蝶を模した髪飾りを着けた金髪ロングの美女、揚羽蝶々。
褐色の肌と白髪が目を引く、モルカ・ツェイルグ・佐土。
そして、巨躯にストリートファッションを纏った大黒暴風羅。
五人が現れただけで、穏やかだった公園の一角が、ナイトクラブのステージさながらの異質な空間へ塗り替えられた。
「〈鉛玉CIPHER〉の皆さんっ!」
「「「お疲れ様です!銃霆音様!!!」」」
元構成員達が一斉に頭を下げる。世界の頂点たる〈十傑〉が突然現れたのだ。無理もない反応だった。
「折角オレ様が〈オクタゴン〉に遊びに来てやったのにアルジャーノンがいねーんだもんな♪」
「銃霆音氏は師匠を気に入っておられますな……」
「ケケッ♪アルジャーノンはこの新世界に腐る程いるダセー奴じゃねーからな♪」
「雷霧ぅ、アタシの相手もしてよぉ」
蝶々が甘えるように銃霆音の腕へ絡みつく。
「ケケッ♪後で遊んでやるよ♪」
「それにしても雷霧さん、マジで羨ましいッスよ。あのEMB二代目王者・MC Algernonと戦ったんスから」
「そうデスネ!ワタシたち〈鉛玉CIPHER〉はMC Algernonの影響を強く受けてますカラ」
大黒に続き、モルカも感慨深げに頷いた。真冬の風が、雪を思わせるモルカの白髪をさらりと揺らす。
彼等にとって、MC Algernonは単なる過去の王者ではない。現在の〈鉛玉CIPHER〉の音楽、その根の一部を形作った存在だった。
「そーだな♪またアルジャーノンとはヤりてえな♪」
「ガッハッハ!〈十傑〉である銃霆音がこれだけボスを高く評価してんだァ!ボスの〈極皇杯〉優勝は間違いねェなァ!」
「——おっと、それはねーな♪ドラゴンガール♪」
銃霆音が銀色のグリルを覗かせ、にやりと笑った。
その口調はいつも通り軽い。だが、言葉の奥には、冗談では済ませられない確信めいた響きがあった。
「あァ!?テメェ!喧嘩売ってんのかァ!」
「買ってやってもいいぜ♪」
「テメェ……!」
竜歌の全身から、剥き出しの闘気が噴き上がる。
今にも銃霆音へ飛び掛かりかねない竜歌の腰へ、拓生が慌ててしがみついた。
「ま、待ってくだされ、竜ヶ崎女史!〈極皇杯〉の前日に〈十傑〉と喧嘩など洒落になりませんぞ!」
「アルジャーノンじゃ〈極皇杯〉は優勝出来ねーよ♪」
銃霆音の断言に、竜歌の動きが止まる。
「銃霆音さんも十年後のフランちゃんと同じことを言うんですねーっ!」
「銃霆音氏、そう思う訳を聞かせていただけませんかな……?」
拓生の問いに、銃霆音は直ぐには答えなかった。
銀色のグリルを舌先で擦り、集まった面々を一人ずつ見回す。その視線は、先程までの軽薄さが嘘だったかのように鋭い。
「〈極皇杯〉ってのは毎年、優勝するために全てを捨てたような『怪物』が現れるんだ♪が、去年の優勝者であるオレには断言出来る♪アルジャーノンはヌル過ぎる♪『怪物』の器じゃねえ♪」
空気が、僅かに冷えた。
雪渚が弱いと言っているのではない。
実際に雪渚と二度命を懸けて戦い、その強さも頭脳も生き様も認めた銃霆音が、それでも「優勝出来ない」と言っている。
だからこそ、その言葉は重かった。
「雷霧はそう思うのか。オレは雪村君の優勝、あると思ってるけどね」
帯刀が穏やかな声で異を唱える。
「リョーガは第八回〈極皇杯〉のファイナリストだったな♪」
「まあ、全ては神のみぞ知るってところかな……」
帯刀は、動きのある金色の髪を掻き上げた。
爽やかな表情は崩れていない。だが彼もまた、〈極皇杯〉という舞台の恐ろしさを知っている。だからこそ、雪渚の優勝を断言まではしなかった。
「……でもよ、あの竜ヶ崎龍帝を打ち破ったボスが負けるなんて有り得るのか……?」
「さあ……想像つかねえな……」
元・〈韮組〉構成員達が騒めき始める。
彼等にとって雪村雪渚は、十三年もの呪縛から解き放ってくれた大恩人だ。敗北する姿など、想像すら出来ないのだ。
――その時だった。
乾いた枝を踏み折る、小さな音。
竜歌の赤い瞳が、瞬時に公園の奥へ向く。
人の気配などなかった筈の植え込み。園路を囲む木々の陰。遊具の死角。公衆便所の屋根。管理棟の裏手。
何処に潜んでいたのか。
冬の日差しが届かないあらゆる物陰から、白装束を纏った百を超える影が、滲み出るように姿を現した。
刀、槍、斧、鎖鎌。
武器を手にした襲撃者達が、合図すら交わさず一斉に地を蹴る。
殺意の奔流が、〈神威結社〉一同へ殺到した。
「ケケッ♪敵襲か♪」
「——お前ら!迎撃準備を!」
元・〈韮組〉構成員の一人が、反射的に声を上げる。
男達が武器へ手を伸ばした、その時。
「……必要ねェ」
低い声が、殺到する足音の中を貫いた。
竜歌の姿が掻き消える。——否。消えたのではない。誰の目にも、その初動を捉えられなかっただけだ。
次の瞬間――公園の空を、無数の銀光が縦横無尽に走った。
鉤爪・〈ヴァンガード〉が大気を裂く。冷えた空気が悲鳴を上げ、遅れて鋭い破裂音が連続する。
先頭を走っていた白装束の男が崩れた。
「ぐっ……!」
続いて、その背後の男。
「がはッ……!」
更に右手から回り込もうとしていた十人余りが、見えない何かに薙ぎ払われたように宙を舞う。
一斉に襲い掛かっていた筈の百余りの白装束が、まるで一本の糸で吊られていた人形のように、殆ど同時に力を失った。
武器が地面へ落ちる。刀身が石畳を叩き、甲高い音を散らした。
土煙がゆっくりと晴れていく。
その中央に立っていたのは、両腕の〈ヴァンガード〉を広げた竜歌だった。
長い黒髪が、斬撃の余波を孕んで激しく翻っている。
襲撃者達は誰一人として命を失ってはいない。だが武器を握る手の腱、踏み込む脚、身体の平衡を保つ急所――その全てを瞬時に、正確に潰されていた。
百人以上を相手にした戦闘は、始まってから僅か数秒で終わった。
「やるじゃねーか♪」
「竜歌さんっ!」
「アタイはボスの右腕だァ!こんな雑魚に手間取ってたら、ボスの支えにはなれねェ!」
高らかに言い放つ。
その背中には最早、〈神屋川エリア〉で泣きながら雪渚へ助けを求めた少女の面影はなかった。
十三年間、兄の暴力に抗い続けても届かなかった。
だが今は違う。
仲間を得て、鍛錬を重ね、守るべき者を得た竜歌は、確実に強くなっていた。
「敵襲も今週だけで三回目ですな……」
拓生が倒れた襲撃者達を見回し、辟易したように肩を落とす。
「全部竜歌さんが一人で片付けてくれてますけどねーっ!」
「大方、〈極皇杯〉の優勝候補であるアルジャーノン狙いだろうな♪仲間を潰して心を折ろうってワケだ♪」
銃霆音の分析に、竜歌が〈ヴァンガード〉を乱暴に振り払う。
「ケッ!そうはさせねェよォ!」
殺気の残滓が、冬の空気へ消えていく。
雪渚が自分達を救ってくれたように、今度は自分が雪渚を守る。その決意だけは、誰にも折れない。
すると帯刀が何かを思い出したように腕時計を確認し、銃霆音へ告げた。
「雷霧、そろそろレコーディングの時間だ」
「おっ、リョーガ♪そんな時間か♪」
「あァ?帰るのかァ?」
「じゃあな♪〈神威結社〉♪明日の〈極皇杯〉、楽しみにしてるぜ♪」
「お、おォ……」
銃霆音は最後に、値踏みするような視線を竜歌へ向けた。それが「お前も見極めてやる」という意味なのか、単なる興味なのかは分からない。
軈て〈鉛玉CIPHER〉の面々は、冬の並木道を並んで歩き、その場を去っていった。賑やかな一団の姿が見えなくなっても、銃霆音が残した「雪渚は優勝出来ない」という言葉だけが、冷たい空気の中に薄く漂っていた。
「はーいっ!というワケで皆さんっ!解散ですっ!」
「「「お疲れ様でした!!!」」」
ハズレの声を合図に、元・〈韮組〉の男達もそれぞれの担当区域へ散っていく。
倒れた襲撃者達は別働の構成員が拘束し、警察へ引き渡す手筈となった。つい先程まで百人以上の殺意が渦巻いていた公園には、徐々にいつもの穏やかさが戻り始める。
「竜ヶ崎女史。師匠にこれから帰宅する旨伝えておいてくれますかな?」
「『帰宅する胸』……?ワケわかんねェこと言ってんじゃねェぞォ!拓生ォ!」
「相変わらずアホですな……」
「竜歌さんっ!スマホで雪渚センパイに、帰ると連絡するんですよっ!」
「おォ!アタイが連絡していいのかァ!?」
先程まで百人以上の襲撃者を瞬時に制圧していた女と同一人物とは思えないほど瞳を輝かせる。
「竜ヶ崎女史、師匠からスマホを買ってもらって喜んでいた様子でしたからな」
「ッしゃァ!任せろォ!アタイがボスに連絡をしてやるぜェ!」
竜歌は軽装の鎧と肌の隙間へ大切そうに挟んでいた、真新しいガラス製のスマートフォンを取り出した。雪渚が買い与えたものだ。
透明感のある画面が陽光を弾き、宝物のようにきらきらと輝いている。実際、竜歌にとってはどんな宝石より価値のある品だった。
「えーとよォ、ぼ、す、い、ま、か、ら、か、え、る……ッと!これで完璧だァ!さすがアタイだなァ!」
一文字ずつ声に出しながら、慣れない指先で入力する。百人の動きを一瞬で見切った手が、今は小さな文字盤を相手に悪戦苦闘している。
漸く完成した短い一文を何度も確認し、竜歌は満足げに送信ボタンを押した。
たった一件のメッセージ。それでも、自分から敬愛するボスへ連絡出来たことが、どうしようもなく嬉しかった。
「拓生ォ!ハズレェ!アタイの勝利をボスに伝えなきゃなんねェぞォ!」
「そうですな!〈神威結社〉に竜ヶ崎女史が加入してからというもの、竜ヶ崎女史の成長は著しいですな」
「〈オクタゴン〉のトレーニングルームのお陰だなァ!〈十傑〉の陽奈乃や姉御も手合わせしてくれて強くなれてるのを実感するしよォ!」
「実際、〈十傑〉と手合わせできる機会なんてないですからねっ!〈神威結社〉はスゴいですよっ!」
竜歌は無意識に、自らの鉤爪を見下ろした。
以前ならば、兄に一矢報いることすら出来なかった。
今は、百人余りの敵を前にしても迷わず仲間の先頭へ立てる。その変化は、自分自身が誰よりも理解していた。
「実際今でしたら、もしかすると師匠とも良い勝負するのではないですかな?」
「ボスが怪我するのが嫌だからって姉御に止められてボスとは戦えてねェけどよォ。銃霆音がなんと言おォが、ボスと当たるなら〈極皇杯〉の決勝だァ!ボスの優勝で文句はねェが、前みてェに簡単には勝たせてやらねェぞォ!」
「本当に〈極皇杯〉が楽しみですな。バッチリお二方を応援させてもらいますぞ!」
「はいっ!私も応援しますっ!」
「おォ!さすが拓生にハズレだァ!頼もしいぜェ!――ッしゃァ!早く〈オクタゴン〉に帰ろうぜェ!」
「そうですな!急ぎますぞ!」
三人は肩を並べ、公園の出口へ向かって歩き始めた。
冬の陽光が、その足取りを柔らかく照らしている。肌を刺す冷たい風に、竜歌の艶やかな黒髪が大きく靡いた。その表情には、明日の戦いに対する恐怖など欠片もない。
あるのはただ、雪村雪渚の右腕として誰よりも先に敵陣へ飛び込み、誰よりも強く戦うという、揺るぎない決意だけだった。
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