2-1 Xmas Adam
第2章「極皇杯篇」開幕です!
よろしくお願いします!
――二一一〇年十二月二十三日。年の瀬の気配が、街のあちこちに白く降り積もり始めていた。雷霧との激戦、陽奈乃の〈神威結社〉加入――あの濃密過ぎる夜から、もう一週間。明日には、いよいよ〈極皇杯〉予選が始まる。
たった七日。されど七日だ。その短い時間の中だけでも、世界は随分と騒がしかった。
四億人のフォロワーを抱える陽奈乃のSSNSに投稿された、「〈神威結社〉加入」を告げる一報は、万バズどころか、文字通り「億バズ」した。
それだけじゃない。〈韮組〉壊滅のニュース、雷霧との異能バトル、EMB決勝での優勝――幾つもの出来事が芋づる式に繋がった結果、特に何も投稿していない俺のアカウントにすら、気付けば二十万人を超えるフォロワーが群がっていた。
世界が勝手に騒いでいる。そんな感覚だ。だが、そんな外野の熱狂とは無関係に、俺は今、もっとずっと差し迫った現実を前にしていた。
――現在、俺は、「剣聖大将軍」の異名を持つ〈十傑〉・第五席、大和國綜征と激闘の真っ最中だった。
「――雪渚殿、脇が甘いで御座るよ」
「……くっ!」
乾いた声と同時に、空気が裂ける。
場所は〈桜和門エリア〉。江戸の城下町をそのまま引き剥がして新世界へ移植したような、徹底して和の美意識で統一された街だ。通りには瓦屋根が連なり、白壁の塀が伸び、冬の日差しを受けた石畳が硬質な光を返している。その中心に鎮座するのが、師匠――大和國綜征が率いる世界二位のクラン・〈高天原幕府〉の本拠、〈桜和門城〉だった。
眼前に聳える天守閣は、青空の底を突き破るみたいに高い。石垣は分厚く、塀は重なり、四方を固める縄張りには一切の隙がない。美しいというより、圧倒的だった。その城前広場で、俺は今、師匠に圧倒されていた。
「遅い……。遅いで御座るな」
「うおっ……!やっば……!」
師匠の右手にあるのは、刀ではない。細い木の枝だ。なのに、その一振りで生まれるのは、空を裂く斬撃そのものだった。
枝木が掠れた音を立てる。次の瞬間、眼前の空間が真横に割れたように見えた。衝撃波だ。大気を削りながら走る不可視の刃を、俺は身体を無理矢理捻り込むようにして回避する。
頬の直ぐ脇を、真冬の風が鋭く通り抜けた。その冷たさが、皮膚ではなく神経を直接引っ掻いた気がした。
敷地内には、天守閣を背にして〈高天原幕府〉の精鋭達がずらりと並んでいる。袴姿の男達の視線は、酷く静かで、それでいて熱を孕んでいた。その一角に混じって、天音とフラン、陽奈乃も固唾を呑んでこちらを見守っている。
俺は舌打ちを噛み殺し、脳内で掟を定めた。
『掟:攻撃を禁ず。
破れば、炎上する。』
「嗚呼、雪渚殿。今――ゆにーくすきるを使ったので御座ろう?」
心臓が一瞬だけ止まる。
――なんでわかるんだよ……!
大和國綜征。筋骨隆々の上裸に黒袴を纏い、モヒカン風ツーブロックの側頭部には大きなX字の傷跡。長身で、古風な糸目で、静かに立っているだけなのに空気が変わる。冬の陽光はその姿を照らしているというより、寧ろ彼の輪郭に従って整列させられているようだった。
「――扨、『攻撃』がとりがあで御座るか?」
師匠が一歩踏み出す。その足運びは、異様なくらい軽い。巨体が地を踏んでいる筈なのに、音が遅れて聞こえる。
枝木が振られる。また、ソニックウェーブ。今度は先程よりも近く、速く、鋭い。
「――あっぶ!」
身を逸らした俺の頬を浅く裂き、赤い線が走る。避けた先で、その衝撃波はギャラリーの一角に立っていた一人の青年へ向かった。
赤い着物風の上着、紺色の袴風の下衣、長い黒髪を後ろで束ねた爽やかな顔立ち。
大和國終征。師匠の実弟であり、〈高天原幕府〉のクランサブマスターにして、昨年の〈極皇杯〉準優勝者だ。
彼は反応すら一拍遅れなかった。腰の鞘から抜かれた刀が白い軌跡を走り、師匠の放った衝撃波を真正面から断ち切る。音がぶつかる。空気が震える。冬空の青が、一瞬だけ滲んで見えた。
そして、次の瞬間。師匠の全身を、激しい炎が包み込んだ。
めらり、と燃え上がるという表現では足りない。それは一瞬で燃焼の極点に達したみたいな炎だった。袴の裾も、上裸の胸も、握っていた枝木も、纏めて業火に呑まれる。燃え尽きた枝木は灰となって地に落ちる。午後の快晴の下、熱気がこちらの頬を撫でた。俺の頬から垂れた血が、その熱でじわりと温度を変える。
「ほう……『攻撃すると炎上』という掟で御座ったか」
だが師匠は、少しも動じなかった。燃えている。全身が、派手に、容赦なく。なのに、まるで珍しい茶でも淹れられたかのような顔で、自分の身体を観察している。
――おかしいだろ、この人……!
炎に包まれたまま、師匠はゆっくりと俺に歩み寄る。その一歩一歩が、常識の方を焼き殺してくる。
「化物っすよ……師匠……」
喉の奥から出た声は、我ながら情けなかった。我に返って〈エフェメラリズム〉を構え、パチンコ玉を連続で射出する。乾いた破裂音。一直線に走る銀弾。
だが師匠は、それを全て手刀で払い落とした。弾き返す、ではない。払い除ける。まるで鬱陶しい木の葉でも払うみたいに。
そのまま距離を詰められる。次の瞬間、胸に開いた掌が当てられていた。
「うぐっ……」
掌底。ただそれだけの筈なのに、胸骨の内側で何かが爆ぜた錯覚が走る。心臓が暴れ、肺が潰れ、臓器が纏めて一度逆方向へ引っ繰り返されたみたいな衝撃だった。以前戦った〈韮組〉・組長――竜ヶ崎龍帝とは比較にならない。
これは「強い」じゃない。別の生き物だ。
呼吸が乱れる。視界の端が白く霞み、俺はその場に踞み込んだ。胸の中心を押さえ、なんとか呼吸を繋ぐ。
「はぁっ……はぁっ……」
俺はトランプ柄の柄シャツの上から胸を抑えて、あまりの痛みに思わずしゃがみ込む。荒れる呼吸を必死に整える。その様子を見兼ねた二人の人物が、俺たちを囲っていたギャラリーから飛び出してきた。
「――せつくん!」
「――雪渚……っ!」
「おにいたま」
ギャラリーから、二つの影が飛び出してくる。天音と陽奈乃だ。少し遅れて、よちよちとフランも走ってくる。三人とも、本気で心配している顔だった。
天音は祈るかのような仕草で神話級ユニークスキル・〈聖癒〉を発動し、俺の痛みを包み込むように癒していく。冷え切った身体に、温い春の水が流れ込むような感覚だった。
陽奈乃は俺の顔を覗き込み、フランは足元でじっと俺を見上げている。
「……雪渚、大丈夫?痛くない?」
「あ、ああ……ありがとう」
「おにいたま」
「よしよし、フラン」
頭を撫でると、フランは嬉しそうに目を細めた。
顔を上げる。そこには、もう炎の消えた師匠が立っていた。髪も袴も上裸の肌も、殆ど焦げた様子がない。先刻の炎が嘘だったみたいに、ただ堂々と、天守閣を背負って立っている。快晴の青空と、冬の太陽と、この男の組み合わせは、妙に完成され過ぎていた。
「師匠……降参です。次元が違い過ぎますよ」
「ははは、雪渚殿。まだ実力を隠しているように見受けられるが?」
「……勘弁してくださいよ、師匠。全力でやっても勝てそうにないから降参です。師匠ならお見通しでしょうに」
本心だった。俺が神話級ユニークスキル・〈天衡〉をどう組み立てようと、この人には「通した先」が見えない。隙がない、というより、付け入る余地という概念そのものが見当たらない。
「ははは、だが天晴れで御座るな。拙者を相手取って一分持つなど、麓殿以来の好敵手で御座るよ」
そう言って師匠は豪快に笑う。その笑いには、勝者の余裕と、強者だけが持つ純粋な賞賛が混じっていた。
「師匠……やっぱ枝木で空を割ったって話……マジですよね……」
「はは、どうだったで御座るかな……」
――頭を使ってどうこう……という次元じゃない。圧倒的な強さの前には、どんなに卓越した頭脳も無意味なのだと思い知るには十分な経験だった。
「せつくん、傷は癒えたかと思いますが、あまり無理して動かれない方がよろしいかと」
「ああ、ありがとう、天音。楽になった」
ゆっくりと立ち上がる。視界の向こうには、天守閣と石垣、白砂の枯山水。この〈桜和門城〉を中心に発展した〈桜和門エリア〉は、旧世界の日本の美意識を異様なまでに研ぎ澄まして保存したような場所だった。文系科目の方が好きだった俺からすれば、正直かなり刺さる景色だ。
「師匠、剣術だけでなく武術の心得もあったんですね」
「肉弾戦となると麓殿や日向殿に軍配が上がるで御座るがな」
その時、師匠の袴の内側から電子音が鳴った。四和音の着信音。新世界において逆に珍しい。師匠はスマートフォンを確認し、小さく目を細めた。
「むっ、ばいとの刻で御座るな」
〈十傑〉として莫大な報酬を得ている筈なのに、アルバイト。金のためというより、世界と触れていたいのだろう。そこがまた、師匠らしかった。
「忝ないで御座るな、雪渚殿。刻限で御座る」
「いえ。師匠、今日もありがとうございました」
――俺が〈極皇杯〉の〈十傑推薦枠〉に選ばれてから、師匠の方から「手合わせをしたい」と連絡をくれた。最初の立ち合いで俺は完敗し、それでも「稽古をつけてやっても良い」と言ってくれた。それ以来、俺は勝手にこの人を師匠と呼ばせてもらっている。
「うむ、明日は〈極皇杯〉の予選で御座るな」
「そうですね。〈十傑推薦枠〉に相応しい結果を出せるよう、全力を尽くします。天音や陽奈乃、雷霧や師匠が俺にくれた〈十傑推薦枠〉――無駄にはしません」
「うむ。期待しているで御座る」
師匠はそう言って、袴姿の男達を引き連れ、その場を去っていった。
入れ違うみたいに、陽奈乃が勢い良く俺へ抱きついてくる。豊満な感触が腕に押し付けられる。
「雪渚!お疲れ様!カッコよかったよ!」
「いやいや完敗だって……。あれでユニークスキル使ってないんだろ?化物だろマジで……」
「――陽奈乃さん!大和國さんが去ったからと言ってせつくんにくっつきすぎです!離れてください!迅速に!」
「えー!やだー!」
始まった。
取っ組み合いを始める二人を横目に、背後から静かな足音が近づいてくる。
振り向くと、先程ソニックウェーブを斬り払った青年――大和國終征がこちらへ歩み寄っていた。赤い着物風の上着に紺の袴風衣装、その上に羽織った水色の半纏が冬の空気に良く映える。丁髷や総髪のように長い黒髪を頭頂部で束ね、爽やかな顔立ちだが、そこにいるだけで只者ではないとわかる。
「雪渚殿、兄者とあのれべるの戦いをされるとは流石です。矢張り銃霆音殿と引き分けた実力者ですね」
大和國終征。昨年の〈極皇杯〉決勝で雷霧に敗れたものの、四十万人超の参加者の中で準優勝まで駆け上がった怪物だ。しかも〈高天原幕府〉のクランサブマスター。強くない訳がない。
「終征さん。ありがとう」
「雪渚殿と〈極皇杯〉で手合わせ出来るのを楽しみにしております」
にこりと笑う。だが、その柔らかさの奥には研ぎ澄まされた刃が見えた。師匠とはまた別種の強者だ。
「ええ。お互い頑張りましょう」
そうして俺達は大きな城門を出て、〈桜和門城〉を後にした。白壁と木組みの連なる和の街並み。冬の澄んだ空気。脇を人力車が通り抜け、更にその脇を、時代錯誤も甚だしい飛脚が疾走していく。異様なのに、不思議と景色として成立しているのがこの街の怖いところだった。
陽奈乃は帰り道で買った三色団子を咥えながら、俺や天音と並んで歩いている。俺も同じく団子を一本咥えたまま、桜和門駅へ向かっていた。
「やっぱり間違いなく去年のファイナリスト――優勝した銃霆音を除いた七名は優勝候補の一角よね。その中でもBEST4に残った三名は規格外だし……。まあもちろん雪渚が優勝するんだけど」
団子をもぐもぐしながら、さらっととんでもないことを言う。俺達の足下を、冬の陽光が長く伸びていた。
「あのな……。まあそのつもりだが……」
フランも小さな手で団子を握っている。
「フラン、美味しいか?」
「おいち」
「良く噛んで食べるんだぞ」
「あい!」
〈十傑〉を除いた世界最強を決める大会、それが〈極皇杯〉だ。去年のファイナリストを見ても、雷霧、終征さん、幕之内――知っている面子だけで充分過ぎるほどおかしい。出場する俺や竜歌は、明日からそんな猛者達の海へ放り込まれることになる。
「そうですね。それに昨年のファイナリストだけが優勝候補という話でもなく……今年は何か波乱が起きそうな気がしてなりません。せつくんが優勝する、という未来だけは確定していますが」
――二人は全く悪気なく、俺を褒めたいだけなんだろうが……ナチュラルに俺にプレッシャーを掛けていることに全く気付いていないな……。
「うーん、そうよねあまねえ。でもアタシたちは雪渚を全力で応援しよ。〈十傑〉としてはフェアじゃないかもしれないけど知ったことじゃないわ」
「そうですね。とは言えやはり、全て取るに足らない些事ですよ、陽奈乃さん。せつくんが優勝しないというならばそれはクソ大会です」
少し前より、天音の言葉選びが明らかに荒くなっている。だが嫌な感じはしない。寧ろ、壊れた心が少しずつ「人間の温度」を取り戻している兆しにも見えた。
「世界的な〈極皇杯〉をクソ大会……ってあまねえ……。あまねえが〈十傑〉じゃなかったら炎上してる問題発言ね……」
その時、ポケットのスマートフォンが震えた。確認すると、竜歌からのDMで、「ぼす!いまからかえる!」と来ていた。
「お、竜歌達も無事終わったようだな。このまま〈オクタゴン〉に戻るか」
「うん!」
「はい、せつくん」
裏起毛の赤いニット帽が、冷えた風を遮ってくれる。冬の日差しは低く、柔らかく、俺達の影を長く引き延ばしていた。
明日はいよいよ〈極皇杯〉の予選だ。その事実だけが、団子の甘さの奥で、じわじわと重くなり始めていた。




