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1-81 初恋は実らない

 ――気付けば、雪が降っていた。


 柔らかく、音もなく、吐く息に触れれば溶けてしまいそうな白い雪。


 雪の向こうへ遠ざかっていく五人の影。


 その背中を見つめながら、アタシはもう、隣に立つあまねえが何に気付いているのかを理解していた。きっとあまねえも、アタシが何を言おうとしているのか、わかっている。


 だから、ちゃんと言わなきゃいけないと思った。


「――あまねえ、さっきはごめんね。アタシが雪渚のことどう思ってるか……もうあまねえは気付いてて、それであまねえは少し嫌だったんだよね?」


「……ごめんなさい。日向さんが嫌いなわけではないんです」


 申し訳なさそうに、あまねえが(うつむ)く。メイド服の白と黒のコントラストの中で、その白髪(はくはつ)だけが雪明かりを集めるみたいに淡く光っていた。


「ううん、わかってるよ。えっとね、あまねえ。あまねえにはちゃんと話しておかなきゃ……」


「はい。聞かせてください」


 あまねえが、真っ直ぐにアタシの目を見る。逃げられないな、って思った。でも、逃げるつもりもなかった。


 この人にだけは、ちゃんと伝えておかなきゃいけない。この人だけには、誤魔化したくなかった。


「――あまねえ、アタシ……雪渚のことが好き」


「……はい」


「好きって雪渚に言おうと思う。それで……フってもらうんだ」


「日向さん……」


 あまねえが少しだけ驚いた顔をした。多分、アタシがもっと(こじ)れると思ってたのかもしれない。あるいは、黙って身を引くと思ってたのかもしれない。


 でも、これはアタシなりに考えて、考えて、考えた末の結論だった。


「ごめんね、あまねえ。あまねえからしたら迷惑な女だよね……」


「いえ……そんなことは……」


「でも……ちゃんとフラれないと、雪渚のこと、諦めきれない気がする。ちゃんと諦めないと、これまで通りあまねえと話せない気がするから……」


 好きになってしまった。それはもう仕方ない。止められなかった。


 でも、そのまま曖昧にしていたら、きっとこの気持ちはずっと濁る。雪渚にも、あまねえにも、そしてアタシ自身にも、汚い形で残ってしまう。それだけは嫌だった。


「……いえ、お気持ちはわかりますよ。……あと、ごめんなさい日向さん、私も謝らなければいけません」


 あまねえが静かに言葉を継ぐ。長い睫毛(まつげ)に、白い雪がひとひら乗って、すぐに消えた。


「日向さんはせつくんのことを好きなんだ……って気付いたとき、幕之内さんとくっついてくれればと思っていました。……ごめんなさい」


 ――ああ、やっぱりあまねえは素敵な人だ。


 ――アタシじゃ敵わない。そんなこと、最初からわかってた。


「ううん。いいよあまねえ。アタシもね、さっきまで最低なこと考えちゃってた。あまねえがいなければアタシが雪渚の彼女になれたのかな、って。あまねえ、ごめんね」


 口にしてしまうと、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。汚い感情だった。ちゃんと自分でわかってる。でも、好きになってしまったら、そんなことまで考えてしまうんだ。


 あまねえは何も責めなかった。ただ、少しだけ寂しそうに笑った。


「ふふ、お互い様でしたね。私は……日向さんだったらいいのかなって思ってます。私と日向さんの二人でせつくんと――」


「――ううん、ダメだよそれは。同情で言ってるならやめて。雪渚がそんな、人を傷付けるような真似しない人だって、あまねえが一番わかってるでしょ?」


 言いながら、胸が痛くなった。でも、それだけは言わせちゃいけなかった。


 雪渚は、そんな風に誰かの優しさを継ぎ接ぎして受け取る人じゃない。地獄を必死で生きて、生ききれなくて、それでももう一度立ち上がろうとしている人だ。誰よりも痛みを知っているあの人が、そんな曖昧な形で人を抱えるわけがない。


「あっ……そうですね……。せつくんにも失礼な発言でした。取り消します」


 あまねえが小さく目を伏せる。


 ――でもあまねえはアタシのことを想って言ってくれたんだよね。ありがとう、あまねえ。


「うん。……じゃ、あまねえ、行ってくるね」


「はい……」


 小さく頷いた瞬間、アタシの身体は眩い光に包まれた。足先が地面を離れ、軽く跳ぶ。次の瞬間にはもう、満月の浮かぶ雪空へと身体が放り出されていた。


 神話級ユニークスキル・〈天照(アマテラス)〉。「光速」で空を飛び、「光速」で殴り、「光速」で蹴り飛ばす。――アタシが〈不如帰会(ほととぎすかい)〉へ復讐するために授かった力。


 すっかり夜の(とばり)が降りた〈超渋谷エリア〉の街を、上空から見下ろす。まだ眠っていない街は、あちこちに灯りを残していた。ビルの窓、イルミネーション、車のライト、コンビニの白い照明。その全部が、冬の夜気の中ではどこか(はかな)く見えて、痛いほど綺麗だった。


 ――ああ、今からフラれるってわかってるのに、こんなにドキドキするんだ。


 好きって言うのって、こんなに怖いんだ。胸がうるさい。呼吸が落ち着かない。頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 ――さっきの幕之内くんもこんな気持ちだったのかな。悪いことしちゃったかな。


 ――本当は、二番目でもいい。雪渚の一番じゃなくてもいいから、雪渚に愛されたい。彼女になりたい。触れてほしい。名前を呼んでほしい。


 でも、そんなことを言っちゃいけない。雪渚にも、あまねえにも、失礼だから。


 光の粒みたいに雪を切って、夜空を駆ける。景色が次々に流れていく。クリスマスも近いせいか、街はもう聖夜の装いだった。露出した肌に当たる雪が、少しだけ冷たい。


 ――〈神威結社〉に入ることだって、アタシの中では打算だ。


 雪渚は仲間をすごく大事にする。女としてじゃなくていい。恋人じゃなくていい。同じクランで戦う仲間としてでもいいから、大事にされたい。アタシのことを、ちゃんと必要だって思ってほしい。


 ――短かったなぁ、アタシの初恋。でも、アタシは雪渚の邪魔になっちゃいけない。雪渚に愛されたいなんて、願ってはいけない。


「あ……いた……」


 雪渚はすぐに見つかった。こんなに広い街の中でも、雪渚の姿だけはすぐに見つかる。


 ――アタシが雪渚のこと好きだからかな。それとも、あいつが変な格好してるからかな。


 へへ。まあ、なんでもいっか。


 ――前髪は崩れてないかな。メイクは取れてないかな。……うん、大丈夫。


 アタシはゆっくり高度を落とし、駅前の屋外喫煙所に入ろうとする雪渚たちの背後で静止した。イルミネーションの光が、浮かんだアタシの輪郭を淡く照らす。


「雪渚……っ!」


 アタシの声に、喫煙所へ入ろうとしていた雪渚が振り向く。見上げてくるその顔を見た瞬間、胸がぎゅっと苦しくなった。


 竜歌ちゃんとオタクくん、ハズレちゃん、フランちゃんは、何かを察したのか、静かにその場を見守っている。


 雪は、全部知っているみたいに、優しく降り続いていた。


「日向……?どうした……?」


 ――ああ、声もカッコいいな。心臓、ホントにうるさい。


「雪渚、話があるの。大事な……大事な話」


 ――でも、アタシは今からこの人にフラれるんだ。


「そうか……」


 ――アタシは……親友の舞白(ましろ)の将来を奪ってしまった。だから恋なんてしちゃいけないんだと思ってた。


 そんなアタシが、初めて好きになった人。最初で、多分、すごく大きな人。


「聞いてくれる?」


「ああ」


 ――言うんだ。好きって。


「――雪渚、アタシはアンタが好き」


 言葉は思ったよりすっと出た。


 雪渚が少しだけ驚いた顔をする。でもすぐに、優しい声で返してくれた。


「ありがとう。嬉しいよ」


 ――そっか。嬉しい、って言ってくれるんだ。


「それにしてもいきなりだな」


「仕方ないじゃん。好きになっちゃったんだから……」


 雪渚は、急かしもしなければ、困った顔で遮りもしなかった。ちゃんと聞いてくれていた。それだけで、また泣きそうになる。


 満月とイルミネーション、それに雪。全部が雪渚の姿を幻想みたいに見せていた。


「ほら、さっきも超カッコよかったし……〈十傑円卓会議(サミット)〉のとき銃霆音からアタシを庇ってくれたじゃん?銃霆音に歯向かうなんて……死ぬかもしれないのに……」


「あのときは……単純に銃霆音に腹が立っただけだ。結局誤解だったけどな」


 ――そんなことないよ、雪渚。雪渚があのとき、アタシのことを想って怒ってくれたの、アタシはちゃんとわかってるよ。


「……でも!守ってくれたのは事実じゃん!アタシすごく嬉しかったんだよ!?」


「……そうか」


「それでね、あまねえが送り出してくれたの。あまねえは凄く素敵な人だよ。可愛いし、料理も上手だし、スタイルもいいし、優しいし、クールでカッコいいし、ずっと綺麗だし、一途だし――ホント、雪渚なんかは勿体ないくらい!」


 ――アタシがあまねえだったらな。雪渚に好きって言ってもらえたのかな。


「日向な……誰の味方なんだ」


「へへ、雪渚、だからアタシをフってね。できるだけ……思いっきりがいいな」


「……わかった。それで日向が満足するなら」


 ――ごめんね、雪渚。嫌なことさせちゃって。


「そりゃアタシだって雪渚とデートしたりえっちなことしたりしたいよ?でもあまねえのことも大好きだから……付き合ってくださいってのは言わないでおくね。あと、その……」


 ――これはアタシの我儘(わがまま)だ。せめて一つだけ。せめて一つくらい、残してほしい。今日という日の、思い出を。


「なんだ?」


「……ほ、ほら、今からアタシ初恋の人にフラれるワケじゃん?そ、その代わりってワケじゃないんだけど……えっと、あの、アタシのこと、名前で呼んでくれると嬉しいな……。あ、あれだよ!友達としてってことね!」


 ――アタシ、(みじ)めだな。何言ってんだろ。ほんとに。


 泣きそうになるのを、必死でこらえる。


「陽奈乃って呼べばいいのか?」


「う、うん……。嬉しい。ありがと……。でも雪渚、これだけは覚えてて。アタシはこの先、何があっても雪渚の味方をする」


「わかった。ありがとう。……じゃあ陽奈乃。覚悟はいいか?」


「う、うん……。あっ雪渚、待って……!やばいこれから雪渚にフラれると思うと泣きそうかも」


 堪えきれずに滲んできた涙を、慌てて拭う。


 ――ダメだ。泣くな。ちゃんとフってもらうんだ。せめて笑顔で。これ以上、雪渚に面倒をかけちゃダメだ。


 だからアタシは、八重歯を覗かせて笑った。両手を腰に当てて、少しだけ宙に浮いたまま、無理矢理でも堂々と見せる。満月も、イルミネーションも、雪も、全部がアタシの気持ちを溶かしてしまいそうだった。


「――もう大丈夫!よし!雪渚!フっちゃえ!」


 雪渚が少しだけ笑って、それから、真っ直ぐに言う。


「はは……。じゃあ陽奈乃」


「うん」


「俺を好きになってくれてありがとう。……でも、俺は陽奈乃とは付き合えない。大事な女がいるからな」


「うん……。そっか……」


 ――そうだ。わかってた。最初から。アタシが頼んだことだもん。ちゃんとフってって。


 でも、いざ言われるとこんなに痛いんだ。胸の真ん中に、冷たいものがずぶずぶ沈んでいくみたいだった。


 アタシはそれを誤魔化すように、笑ってみせた。ちゃんと、最後まで笑って終わらせなきゃいけないと思った。


「あー!ちゃんとフラれたら意外とスッキリするんだね。――はい!アタシの用件は終わり!はい雪渚!帰って!」


 ――ダメだ。泣く。


「ええ……一緒に帰らないのか?」


「うん、あまねえと一緒に帰るから」


「そうか……わかった」


「うん。ほら、みんなもっ!」


「……日向女史……わ、わかりましたぞ」


「陽奈乃ォ……」


「ひなのおねえたま……?」


「えーっ!ハズレちゃん、カラオケとか行きたいですーっ!」


「竜ヶ崎女史、ハズレ女史、フラン殿、今は帰りますぞ」


「おォ……そうだなァ……」


 ――みんな優しいな。ありがとう。


「陽奈乃、じゃあ気を付けて帰ってこいよ」


「うん、ありがと」


 ――たった数時間の、本当に短い初恋だった。


 雪渚たちが去っていく。その背中が遠ざかって、見えなくなった瞬間だった。


 もう、無理だった。


「うっ……ううっ……うう……」


 目の奥が熱い。喉が痛い。息が詰まる。満月も、イルミネーションも、それから雪も、アタシに寄り添うみたいに(にし)んでいた。


 ――あーダメだアタシ。フラれたのに。ちゃんとフラれて、終わったのに。


 まだ全然、雪渚のこと好きだ。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああん!!!!」


 イルミネーションの灯る街の真ん中で、アタシはその場に(うずくま)って泣き叫んだ。雪の降る夜に、その声だけが痛いほど響いていく。(むせ)び、泣きじゃくり、みっともないくらい声を上げて。


 その慟哭(どうこく)は、雪の降る冬の街に、いつまでも、いつまでも虚しく響き続けた。

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