1-73 天使長の独白
――〈超渋谷第一体育館〉。
その敷地内は、異常とも呼べる人混みで、人の波に押し潰されそうになる程だった。人と人との隙間は殆ど消え失せ、押し寄せる体温と熱気と息苦しさが、巨大な濁流のように場を満たしている。足を止めればそのまま人の波に呑まれ、踏ん張れば別の流れに横から押し潰される。少しでも気を抜けば、立っていることすら難しかった。
「――押さないでくだされ!いっ、痛いですぞ!」
「――拓生ォ!何かいい道具ねェのかァ!」
「竜ヶ崎女史!小生はネコ型ロボットじゃありませんぞ!」
「――汚宅部さん!竜歌さん!ハズレさん!大丈夫ですか!?」
「なんとかなァ!」
「ハズレちゃんもなんとか無事ですっ!」
「あ、雨ノ宮女史!どこにいるのですかな!?」
「――後ろです!」
「ぐぬぬ……首すら動かせませんぞ……!」
圧死するのではないかと思う程。いや、実際、ここで数人が倒れていたとしても何一つ不思議ではない。そんな人の洪水の只中で、雨ノ宮、汚宅部、葉月、竜ヶ崎――〈神威結社〉の四名は、既に三時間も押し流され続けていた。
「――いつまでこの状態なんだよォ!もう三時間もこの調子でよォ!さっきから全然進んでねェぞォ!――おいッ!なんだてめェ!アタイのケツ触ンじゃねェ!」
「ハズレちゃん死んじゃいますーっ!」
「うおお……小生の豊満なボディが破裂しそうですぞ……!」
「――あァ!!ボスの活躍が観れねェじゃねェかよォ!大会が終わっちまうぞォ!」
「雨ノ宮女史!雨ノ宮女史だけでも……翼を広げて脱出できないのですかな!?」
「む、無理です!こんな状態では翼を広げられません!」
メイド服に身を包む白髪の美女――〈十傑〉・第二席、雨ノ宮天音は、人波に身体を押し付けられながら、只管同じことを考えていた。
――最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ……!
胸の内で膨れ上がるのは、怒りとも焦燥ともつかない熱だった。
――本当に最悪だ。せつくんのご活躍を見逃すなんてことがあっていいはずがない。
そもそも、こんなことになったのも全部銃霆音さんの所為だ。銃霆音さんがSSNSで余計な告知などしなければ、ここまで異常な人集りになることはなかったはずだ。
三時間前、せつくんだけは何とか出場者用出入口へ押し込んだ。あれだけは正しかった。せつくんの折角の晴れ舞台が、こんなことで奪われてはならない。例え私自身が見届けられなくても、せつくんには立っていてほしかった。
そして日向さんは、フランちゃんを連れて、神話級ユニークスキル・〈天照〉で夜空へ飛び上がり、この地獄のような人混みをあっさり脱していった。恐らく今頃は無事に会場入りしているはずだ。
――翼がなくても飛べるなんて、今はとんでもなく羨ましい。
「――姉御!ボスは……!ボスはちゃんと参加できてるんだよなァ!?」
「――はい!大丈夫です!せつくんは今まさに中で戦っておられるはずです!」
「雪渚センパイっ!待っててくださいねっ!」
「日向女史やフラン殿も余裕でこの人混みを抜けたとなると、あとは小生らだけですぞ!」
「……そうですね」
私は、息を大きく吸い込んだ。
――大声なんて、暫く出していなかった。せつくんに相応しい、慎ましくお淑やかな女性でありたかったから。せつくんを一歩後ろで、支えて差し上げることのできる女性でありたかったから。
――でも、今はせつくんは見ていない。
――せつくん、一度だけ。
――私が私に課した役割を、破ります。
「――汚宅部さん!!!ハズレさん!!!竜歌さん!!!」
喉が裂けそうになる程の大声が、自分のものとは思えない勢いで飛び出した。
「――死んでも突破します!!!!」
喉の奥が熱く痛む。張り裂けそうな声だった。
滅多に声を荒らげない私の大声に驚いた様子の汚宅部さんとハズレさん、竜歌さん。水を打ったように一瞬の間を置いた後、三人はニヤリと口角を上げた。
「「――了解!!!」」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――三時間超にも及ぶ格闘の末、〈神威結社〉の四名は、どうにか〈超渋谷第一体育館〉のエントランス――玄関ホールへと転がり込むことに成功した。
吊り屋根式の巨大なアリーナ。四千平方メートル級の広さを誇る場内は、それだけでも圧倒的なのに、今夜はそこへ一万三千人規模の熱狂が注ぎ込まれている。
「――おォ!人はクソ多いけど外よりは楽だなァ!」
竜歌さんが、開放感を全身で感じ取るように背伸びをする。
「そうですねっ!やっと解放されましたっ!」
「いやはや、身動きが取れると一気に楽になりましたな」
「そうだなァ!外は死ぬかと思ったぜェ!」
人の往来は激しいものの、十二分に身動きは取れる。ようやく自分の足で立ち、自分の意思で方向を決められる。それだけのことが、この上なくありがたかった。
人混みに揉まれて乱れたメイド服の裾を整えながら、駆け足で階段へと向かう。そんな私とハズレさん、竜歌さんの背後を、息を切らしていた汚宅部さんが踏鞴を踏みながら、ワンテンポ遅れて追い掛けてくる。
「ま……待ってくだされ!お三方!」
「拓生ォ!あれくらいでバテてんじゃねーぞォ!」
館内の奥からは、アリーナの熱気がそのまま漏れ出してくるようだった。微かに聞こえるビート。何重にも反響する大歓声。それだけで、既に試合が白熱していることが嫌でもわかる。
――「EXTREME MC BATTLE」――通称、EMB。MCバトルの世界的な大会でもあり、世界八国に六十四あるエリアでそれぞれ予選トーナメントが行われる。各エリアのEMB予選の優勝者が、今宵の本戦に一同に集う。そこで最後に立っていた者が、EMB王者となる。
そして、その本戦会場がこの〈超渋谷第一体育館〉だった。
アリーナは、地下一階、一階、二階に分かれている。地下一階はステージを真正面から堪能できる最前空間。一階と二階はアリーナの外周に沿ってぐるりと設置された観客席だ。
「――雨ノ宮女史!こちらの階段から地下一階と二階に行けますぞ!」
「ステージを正面から観られる地下一階一択です!行きますよ!」
「りょ、了解ですぞ!な、何だか雨ノ宮女史が殺気立ってますな……」
「当然です!急ぎますよ!」
「行きましょうっ!」
「ッしゃァ!行くぜェ!」
階段を駆け下りる。その先で、広大なアリーナ空間が一気に視界へ開けた。
高い天井。満員の観客。無数の視線が一つのステージへ収束している。正面奥の大型LEDスクリーンには、ステージに立つ二人の男の写真とMCネームが大きく映し出されていた。
『――勝者、Thunder Rhyme!!!』
「「「「Wooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!」」」」
凄まじい歓声が、空間そのものを揺らした。畝るような、大歓声。
ステージ中央には、スーツ姿の強面の司会。その片側で、敗者となったらしい男が肩を落としている。もう片側に立っていたのは、編み上げたコーンロウに稲妻型のメッシュを走らせた男――〈十傑〉・第八席、銃霆音雷霧。改め、Thunder Rhyme。
「MC Mogaー!!!」
「良かったぞー!!!」
MC Moga――敗者となってしまった男のMCネームなのだろう。会場中から賞賛の拍手と、声援が飛び交う。
走ったことで乱れた呼吸を、ゆっくりと呼吸して落ち着かせる。天井に設置されたカラフルなムービングライトの光が、ド派手にステージ上を奔る。その演出が、更に会場に集う満員の観客のギアを加速させる。
ステージの片側に立つThunder Rhymeは、勝利の喜びを表現することもなく、マイクを口に近付け、一言だけ残してステージの裏へと去っていった。
「――イカしてたぜ♪」
『素晴らしいバトル……!素晴らしいバトルでしたが……惜しくもBEST4で敗退してしまいました。MC Moga、何か言い残したことがあればお願いします』
司会の男が、項垂れて悔し涙を流す男にそう声を掛ける。男は服の袖で涙を拭いながらゆっくりと立ち上がると、マイクを再び口に近付ける。そして、私たち観客へと向き直り、話し始めた。
「……MC Algernonと戦ってみたかった。でもぶっ飛ばしてくれたのがThunder Rhymeで良かった。関わってくれた人全員にBig upだ!また来ます!ありがとう!」
「「「「Wooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!」」」」
『素晴らしいバトルを見せてくれたMC Mogaに拍手を!』
割れんばかりの拍手と歓声。この大歓声が立派に戦った男への賛辞だということは、十二分に理解できた。温かい拍手と歓声に見送られながら、MC Mogaは観客へ一礼し、ステージの裏へと去っていった。
――盛り上がっているのは大いに結構だが、はっきり言ってせつくん以外はどうでもいい。
「いやーっ!盛り上がってますねーっ!」
「すッげェ……なァ。なんつー盛り上がりだよォ……!〈極皇杯〉みてェじゃねェかァ!」
「いやはや……小生は詳しくありませんが、どうやらギリギリで間に合ったようですな」
『……さあ!次はいよいよ決勝戦です!これより十五分間の休憩を――』
――決勝戦。その言葉が耳に入った瞬間、私の心臓が強く跳ねた。
――あと一試合。
――せつくんは……!
「――みんな!」
可愛らしい声が、斜め上から降ってきた。
顔を上げる。二階席から、光を纏った小柄な影がこちらへ飛んでくる。金髪のツインテール、その毛先には桜色のグラデーション。発光しながら宙を滑るその姿は、この喧噪の中でも一目でわかった。
「おねえたまたち!」
その腕に抱えられているのは、銀髪の少女――フランちゃんだった。
「日向さん……!フランちゃん……!」
「日向女史!フラン殿!合流できて良かったですぞ!」
「おォ!フランに陽奈乃ォ!」
「結局アタシもファンの子たちに見つかっちゃって、ついさっき来れたばかりなんだけどね」
「〈十傑〉ですからなあ……」
日向さんは発光を止め、すとんと私たちの前に降り立った。日向さんのファッションは露出度の高い服装だが、派手な髪色や整った顔立ちも相俟ってか、女である私から見ても、途轍もなく可愛い。フォロワー数四億人を抱える「#ぶっ壊れギャル」の異名は伊達ではない。
「ふぁあ」
フランちゃんが小さく欠伸をする。
「フランちゃんっ!おねむですかっ?」
「フランちゃんはいつもならお休みの時間ですからね……」
――ここ数日で、せつくんと日向さんは随分仲良くなった。もちろん、それは良いことだ。せつくんは沢山の良いお友達に恵まれてほしいと心から思うし、「最期に笑って死にたい」というせつくんの願いを叶えるため、私も全力でお手伝いしたい。
でも。
「フラン!眠かったらアタイの背中で寝るかァ!?ボスがいねェ間にフランを守るのは右腕であるアタイの役目だからなァ!」
「りゅーかおねえたま、ありがと。でも、フラン、おにいたまのらっぷ、みたい」
――さっきの〈十傑円卓会議〉で、せつくんが銃霆音さんから日向さんを庇ったときは、正直嫉妬したし複雑だった。「私だけじゃないんだ」と思ってしまった。そんなことで嫉妬してしまう自分は最低だ、とも。
「ホントごめんね……アタシだけ先に抜けちゃって」
「ホントだぞォ!陽奈乃ォ!」
「そもそも竜ヶ崎女史が勝手に突っ走るから日向女史と逸れたんですぞ……」
「ガッハッハ!終わったこと言っても仕方ねェだろォ!」
「竜歌ちゃん、何してんの……」
――日向さんはとても素敵な女性だと思う。外見が可愛らしいことだけではない。ほんの少しだけ気が強そうに見えるが、実際は気配りもできて、他人を思いやれる心を持った素敵な女性だ。私はそれを知っている。知ってしまっている。
――せつくんの好みは何となくわかる。
――本当は、こういう子の方が好きなんじゃないか。
もっと明るくて、女の子らしくて、眩しくて。私みたいに、重くて、待ち続けているだけの女ではなく。
――だとしたら嫌だな。
――せつくんも男の子だから。
――日向さんがその気になったら、勝てる気がしない。
「――あまねえ?どうかしたの?具合悪い?」
不意に掛かった声に、私は我に返る。
「あっ、い、いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
日向さんの表情には、純粋な心配の色だけが滲んでいた。それが余計に胸に刺さる。
「大丈夫そ?無理しないでね」
「はい、ありがとうございます」
――嗚呼、私は本当に最低だ。
――せつくんに相応しくない。
「日向女史、他の〈十傑〉の皆さんも来ているのですかな?」
「うん、二階の来賓席――そのVIP席に座ってるわよ」
二階席を見上げる。アリーナを取り囲む観客席の、その一角だけが別世界のように切り取られていた。ガラス張りのVIPルーム。その向こうに、一際濃い存在感を放つ集団が座している。
見覚えがありすぎる面々だった。空気そのものを変えるような〈十傑〉の面々。双子の姉妹の背後には、黒い燕尾服を着た若い執事も控えている。
「そ、それで日向さん――」
「わかってるって、あまねえ。大丈夫。雪村は決勝に残ったらしいわ」
その一言で、胸の奥に張り詰めていたものが僅かにほどけた。
――良かった。せつくんなら大丈夫だと頭ではわかっていても、せつくんのことになるといつもドキドキしてしまう。
「そうですか。当然ですね」
「さっすが雪渚センパイですっ!」
「姉御ォ!良かったなァ!まだボスの試合が残ってるってことだよなァ!」
「ふふ、そうですね」
「雨ノ宮女史が嬉しそうで何よりですな」
――そのときだった。またしても、聞き覚えのある男の声が響いた。
「――雨ノ宮さん?」
振り向く。黒いワイシャツの上から羽織った白衣。ウェーブがかった短い黒髪。スマートな印象の眼鏡。端正な顔立ち。この新世界における巨大企業――〈天網エンタープライズ〉のCEOにして、せつくんの親友。五六一二三だった。
「〈神威結社〉……活躍の噂は聞いているよ。君が竜ヶ崎さんだね?雪渚の仲間になったか」
「おォ!テメェかァ!ボスの親友ってのはァ!」
「五六氏!来てたのですな!」
「五六さん……」
「ああ、銃霆音君のSSNSでの告知を知恵川君が見つけてな。その生配信に雪渚が映っていたのだから驚いた」
「そりゃそうですな……。まさかこの前蘇ったばかりの親友が、その数日後には新世界の頂点である〈十傑〉と生配信で殺し合っているとは思いませんからな……」
「はは、全くだな」
その軽いやり取りを聞きながら、私は静かに一二三を見る。
――五六一二三。実のところ、私はこの男があまり好きではない。
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