1-72 Street Dreams
――〈超渋谷エリア〉、駅前。
スクランブル交差点付近に設けられたハチ公前喫煙所は、夜の都心のど真ん中にありながら、奇妙な閉鎖感を帯びた小さな箱庭のようだった。
頭上では、無数のビル群がそれぞれの窓明かりを夜へと押し広げている。白、青、橙。人工的な光が幾重にも重なり合い、眠ることを知らない都市の輪郭を鋭く縁取っていた。
交差点では信号が切り替わる度に人の流れが畝り、絶え間なく靴音と話し声が混じり合う。車道を滑る車のライトは、濡れてもいないアスファルトに水面のような艶を生んでいた。
喫煙所のパーテーション越しに見える向かい側。ロータリーに囲まれ、その中心で夜空にまで食い込むように屹立しているのは、超高層のオフィスタワーだ。無機質なガラスの外壁は、街の光を冷たく跳ね返しながら、どこか現実離れした威圧感を放っている。
親友・五六一二三が社長を務める〈天網エンタープライズ〉――通称、天プラ。そのオフィスタワーである。
俺は煙草を咥え、火を点ける。フィルター越しに吸い込んだ煙が肺の奥へ沈み、ゆっくりと熱を広げていく。戦闘の直後でまだ微かに震えの残る身体が、その刺激によってようやく現実へと引き戻されるようだった。凭れ掛かった喫煙所のパーテーションが、俺の体重を受けて微かに軋んだ。
「――つーわけだ。まあ、ある意味で銃霆音は、本当に『フェイク野郎』だった訳だ」
「なるほどーっ!そういうことだったんですねっ!」
「そういうことでしたか……。全てが腑に落ちました。流石せつくんです」
「銃霆音氏の目的は至ってシンプルだったのですな……」
「えっと……どういうこと?銃霆音はアタシを〈十傑〉から下ろそうとして……。それで雪村はアタシを庇ってくれて……。でも銃霆音はそうじゃなくて……?えーっと……?」
日向が眉を寄せたまま、完全に混乱した顔でこちらを見る。
高い位置で結んだ金髪のツインテールは、毛先にかけて桜色のグラデーションが掛かっており、夜の街の光を拾って甘く光っていた。白い短丈のキャミソールから覗く腹部、黒いレザーショートパンツから伸びる脚。派手で露出度の高いその装いは、この眠らない街の空気に妙に馴染んでいる。寒くないのだろうか。
「師匠、日向女史が理解できていないようですぞ。高卒故にw」
「――えっオタクくん、学歴厨なの!?きも!最悪じゃん!」
「安心しろ陽奈乃ォ!アタイも何一つわかってねェぞォ!仲間だなァ!」
長く艶やかな黒髪の女――竜歌が起伏のない胸を張る。彼女の頭に生えた二本の黄色い角が街の灯りの中で美しく輝いた。
「竜歌ちゃん、それ慰めになってないわよ……」
「おー、マジかお前ら。かなり丁寧かつ分かりやすく話したつもりだったんだが……」
「今の説明で理解できないとは、竜ヶ崎女史と日向女史がアホすぎますな……」
「なんだ拓生テメェゴルァ!出荷するぞォ!」
「――ぶひっ!?暴力反対ですぞ!」
「ふふ……賑やかですね」
「何なのコイツら……。で、ごめん雪村。もっかい説明してよ」
喫煙所の狭いスペースの中で早くも取っ組み合いを始めた拓生と竜歌を横目に、日向が呆れ半分で溜息を吐く。そのまま身を寄せるようにして、ルビーのような大きな瞳でこちらを下から覗き込んできた。その悪気ない上目遣いは、並の男なら堕ちてしまいそうな程の絶大な威力を誇る。
「要するに〈十傑円卓会議〉が始まった時点からの銃霆音雷霧の言動は全て演技だ。バトルだけは流石にガチだったと思いたいけどな」
「日向さんを〈十傑〉から下ろそうとした件ですね」
「ああ」
「えーっと、それは何のためなんだっけ?」
「銃霆音に与えられた、今年の〈極皇杯〉の〈十傑推薦枠〉を選ぶ権利があるだろ。俺にその資格があるか見極めるためだ。そのために奴は芝居を打った。断言してもいい。間違いない」
「そのために敢えて師匠を挑発した……ということですな」
「そういうことだな」
「えっと、でも雪村、待って。演技って言っても……銃霆音の奴はいつもあんな感じよ?今回は場を荒らしすぎだったけど」
「ああ。だからこそ誰も気付かなかった。アイツの〈十傑円卓会議〉における立ち振る舞いは完璧だったしな。俺も『そういう奴』だと思っていたから最初は俺も気付かなかった。いや、実際も『そういう奴』ではあるんだろうが……」
「銃霆音さんはご友人の帯刀さんを〈十傑推薦枠〉に選出したいと仰っていましたが……あれもそもそも嘘だった、ということですね」
――銃霆音雷霧との異能バトルの終盤、突然俺の脳裏を過った光景。それは、俺が蘇って、病室のベッドの上で天音と共に見たテレビのニュースだった。
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きょうの話題
・〈十傑〉・第八席、銃霆音 雷霧様、A級犯罪者集団二十五名を掃討か
・S級クラン・〈高天原幕府〉へ密着
・第十回〈極皇杯〉、予選エントリー受付開始
・〈不如帰会〉、信者二名を逮捕
・〈日出国ジパング〉・きょうの天気予報
・きょうのユニークスキル占い
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――銃霆音雷霧は、間違いなく〈十傑〉として動いていた。あの男は〈十傑〉であることに誇りを持ち、その役割も十分に果たしている。そこに嘘はない。
「元は『〈十傑〉に相応しくないから』日向を〈十傑〉から下ろすと言う話だったはずだ。言動からも〈十傑〉であることに誇りを持っていることは窺える」
「確かに……銃霆音氏は〈十傑〉としての活動は精力的に行っておりますな……」
「ああ。そんなアイツが、〈十傑〉の格を下げるような雑な真似をするとは考えづらい。そうじゃないなら〈十傑推薦枠〉を選ぶ権利が与えられた時点でテキトーに帯刀を選出して丸投げ……ってことも出来た筈だしな」
「そうですね。〈十傑円卓会議〉での銃霆音さんや〈十傑〉の皆さんの発言からも窺える通り、〈十傑推薦枠〉の候補として帯刀さんのお名前が挙がったのも初めてでした」
「事実、〈十傑円卓会議〉は第一席の皇さんが進行していたが、実際に議論のイニシアチブを握っていたのは殆ど銃霆音だ。それはアイツが場を荒らしていたのもあったが、議論を展開させていたのもアイツだった」
だからこそ、余計に不自然だった。場を壊しているようで、実際には場を自分の都合の良い方向へ運んでいた。あの男は感情任せに見えて、終始、目的を見失っていなかったのだ。
「ですが師匠。銃霆音氏が師匠を見極めるために日向女史を〈十傑〉から下ろす等と言って煽る必要があったのですかな?」
「アイツは異能バトルで、フリースタイルをしながら、自身のバックボーンを歌った。〈鉛玉CIPHER〉の連中の反応を見るに、あの場で語られた奴の過去は事実なんだろう。仲間を大事にしているのも伝わった。アイツの評価軸はその点だ。俺が、『仲間を大事にする奴』なのか否か」
「どうやらそのようですね。日向さんを〈十傑〉から下ろす、と煽ることでせつくんがそれを庇うのか。その点を見極めたのでしょう」
「そうですねーっ!雪渚センパイのことを昨晩のニュースで知って、〈十傑推薦枠〉の候補として考えたんでしょうねっ!」
「はい。昨晩のニュースで語られたせつくんの凄まじい伝説。そしてその人が〈十傑円卓会議〉の場に現れた。そして、〈十傑〉・第二席である私の想い人でもあった。〈十傑推薦枠〉の候補としては申し分ないですから」
「恐らく追放指名をするのなら天音の方が俺との関係性もあってやりやすかったんだろうが、『日向陽奈乃が竜ヶ崎龍帝に敗北した』……っつー丁度良い議題があったしな。それを利用したんだろう。俺と日向に面識があるのも明白だったし」
「銃霆音……アイツ馬鹿だと思ってたけどそんなことを考えてたの?」
日向がぽかんとした顔で言う。夜風に煽られ、桜色の毛先がふわりと揺れた。
「日向……銃霆音は日向の数万倍賢いぞ。誇張抜きで」
「えっ……嘘でしょ。最悪なんだけど」
日向が露骨に顔を顰める。
――とはいえ、日向が救いようのないアホというわけではない。単純な学力で言えば、平均か、それより少し下くらいだろう。普通に生活するには何の支障もないレベルだ。
ただ、銃霆音雷霧という男は異常だった。あいつは賢過ぎた。あの短時間で〈神威結社〉も〈十傑〉も纏めて煙に巻き、全てを自分の土俵に引きずり込んだ。
――いや。もしかすると〈十傑〉の中には、途中で気付いていた者もいるかもしれないが。
「銃霆音氏が師匠の喧嘩を買ったのは……単純な好奇心ですかな?」
「そうだな。〈十傑推薦枠〉に相応しいかを見極めるなら異能バトルの強さも重要な要素だろうしな。これからやるMCバトル――ラップバトルは俺から提示した条件だが、その点も含めて見極めるということだろう」
「雪渚センパイっ!異能バトルに時間制限を設けたのはどうしてだったんですかっ!?」
「俺も神話級ユニークスキルだから少なくとも完敗はないだろうと感じていた。……だが、相手は地球の体積の二割を削るような奴だからな。実戦経験も積んでいるだろう。長引かせては確実に負けると思った」
「……うん。いい判断だと思うわ。異能バトル自体も延長狙い――ラップバトルで決着をつけるつもりだったわけね」
「ですが銃霆音氏はEMBを三連覇しているラッパーですぞ。ラップにおいて銃霆音氏が手を抜くとは考えられませんな」
「ああ。アイツは全力で来る」
――HIPHOPの四大要素の一つ、ラップ。生い立ちも、怒りも、矛盾も、恥も、誇りも、言葉に乗せてぶつけ合うのがMCバトルだ。マイクを持って向かい合えば、その人間がどんな生き方をしてきたのか、どれだけ誤魔化しても滲み出る。
だからこそ、俺が〈十傑推薦枠〉に相応しいか見極めるには、最高の舞台とも言える。
「アンタ、その大会の第二回王者……なのよね?よくわかんないけど勝てるの?銃霆音はラップに関しては間違いなくこの新世界最強の男よ」
「ラップバトルってのは即興でやるモンだ。その場に立って、その場で生まれた言葉で戦う。だからこそ本当にやってみないとわからないな。どちらにせよこの先は男の意地だ。勝つしかない」
――時間制限を設けた特殊ルールとは言え、戦闘では銃霆音と引き分けた。これから行うのが異能バトルではない以上、銃霆音から〈十傑〉の資格を剥奪することは適わなくなった。が、勝てば虹金貨三百枚を奪い取るという契約はまだ有効だ。
「そっか……。でもアタシを庇って戦ってくれるんだもんね。応援しかできないけど……勝ってね」
「ああ、ありがとう」
「――ちょっ、勘違いしないでよね!?ア、アタシがアイツのこと嫌いなだけで、アンタのこと好きなわけじゃないから!」
突然顔を赤くして言い直す日向。その慌て方が如何にもわかりやすくて、思わず口元が緩む。指先で挟んだ煙草から、白煙がゆらゆらと立ち上った。
「はは、わかってるって」
すると、その遣り取りを、難しい顔で聞いていた竜歌が漸く口を挟む。
「おォ……さっきから言ってる内容が全然わかんねェな。結局銃霆音のヤツは何がしたかったんだァ?」
――おー、マジかコイツ。
――竜歌は究極のアホだ。日向と違って救いようがないレベルで。まあ竜ヶ崎の生い立ちを考えればそれも仕方ないのだが。
「銃霆音はそこまで悪いヤツじゃないって話だよ」
「あっ、師匠……説明が面倒になりましたな」
「おォ!アイツ悪いヤツじゃなかったのかァ!……ん?じゃあなんで陽奈乃を〈十傑〉から下ろそうとしたんだァ?」
「アホ……じゃなく竜歌さん……私から後で説明しますね……」
「おォ!姉御ォ!頼むぜェ!」
――さて、アホは放っておいて……。
徐にポケットからスマホを取り出し、〈世界ランク〉の画面を開く。
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Solo Ranking
1.【X】皇 世王
2.【X】雨ノ宮 天音
3.【X】飛車角 歩
4.【X】徒然草 恋町
5.【X】大和國 綜征
6.【X】噴下 麓
7.【X】日向 陽奈乃
8.【X】銃霆音 雷霧
9.【X】漣漣漣 涙
10.【X】杠葉 槐
10.【X】杠葉 樒
12.【S】海酸漿雪舟
13.【S】大和國 終征
14.【S】幕之内 丈
14.【S】冴積 四次元
16.【S】馬絹 百馬身差
16.【S】猿楽木 天樂
16.【S】霧隠 忍
16.【S】庭鳥島 萌
20.【S】――非公開――
21.【C】雪村 雪渚
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「お、二十一位……!?めっちゃ上がったな」
「銃霆音さんと引き分けたためでしょうね」
優雅に佇む天音が俺の様子を見て、欲しい答えをくれた。
天音が当然のように答える。宣言通り、彼女の名前も第二位として公開状態に戻っていた。
その画面を、拓生と竜歌、ハズレちゃん、日向が揃って覗き込む。
フランは相変わらず親指を咥えてぼうっとしている。時間的にもおねむだろう。
「この三十位以内のトップランカーのうち三名がこの場に集まっているとは……いやはや現実味がありませんな」
「そうですねーっ!〈神威結社〉も強くなりましたねっ!」
「おォ!姉御も世界二位で陽奈乃も世界七位じゃねェかァ!すげェなァ!」
「竜歌ちゃん……〈十傑〉の第二席と第七席なんだからそうでしょ……」
「おォ?そうなのかァ?――なァボス!これはこの下も見れるのかァ?」
「ああ、こうやってスクロールすれば見られるぞ」
「おォ!すげェ!名前がいっぱい書いてあるじゃねェかァ!」
――銃霆音に勝って、虹金貨三百枚をぶんどったら竜歌にもスマホを買い与えてやらないとな。
すっかり短くなった煙草を灰皿スタンドに捨て、喫煙所を出る。夜の街は行き交う若者達で賑わっていた。異常な程に。
「むむっ、ヤケに人が多いですな」
「おにいたま、ひと、いっぱい」
「よしよし、そうだな、フラン」
「おォ?みんな同じ方向に向かってねェかァ?」
「〈超渋谷第一体育館〉の方向じゃない?」
「大きな会場ではありますが……変ですね。そのキャパを考慮しても人が多すぎます」
そう話していたところで、通りすがりの若い男女が天音の姿に気付き、目を輝かせながら駆け寄ってきた。
「――〈十傑〉・第二席の雨ノ宮さんですよね!?生配信観ました!」
「生配信……ですか?」
「うわ……!スゴい!陽奈乃様もいる!めっちゃカワイイ!」
「あ、ありがと」
「それにあなたが雪村さんですよね!?Thunder Rhymeとのバトル、マジでスゴかったっす!この後のEMB本戦、楽しみにしてます!」
――Thunder Rhyme。銃霆音雷霧のMCネーム――ラッパーとしての名義だ。
「あ、ああ……どうも」
「すみませんでした!急にお声掛けして!頑張ってくださーい!」
「えっスゴ……雨ノ宮さんもめちゃ美人――って待ってケンくん!」
二人はそれだけ言うと、足早に人混みの中へ消えていく。向かう先は、矢張り〈超渋谷第一体育館〉の方角だった。
――なんだ?生配信?バトル?それにまだ名前しか公表されていない筈の〈十傑〉・第二席。天音の姿を見て、何故一目で〈十傑〉・第二席本人だと見抜いた?
「な、なんだったのですかな?」
「なんだァ生配信って?姉御ォ、動画でも回してたのかァ?」
「いえ……そんなことはしておりませんが……恐らく」
「あーあまねえ、そういうことね……。マジ最悪、アイツの仕業ね」
「待ってくれ、俺も訳が分からん」
「雪村。また銃霆音の仕業よ。忘れてたわ、アイツらの城――ナイトクラブ・〈NERF〉って二十四時間三百六十五日、『NewTube』で生配信してるのよ」
「はい。目的はシンプルにHIPHOPを世界中に広めるため、だったような気がしますが」
「動画サイトか。そうか、生配信していたということは――」
「――はい。先程の異能バトルの様子――全て世界に筒抜けです」
「マジか……」
漸く繋がった。だから天音を見て、〈十傑〉・第二席だと即座にわかった。だから俺と銃霆音が引き分けたことも、これからEMB本戦に向かうことも、街行く人間が当然のように知っていたのだ。
――銃霆音――アイツが異能バトルの直前、態々取り決めを復唱したのは、「世界」を証人にした……ということか。というか更に最悪なのは……。
「雪村。これ見て」
日向が可愛くデコられた自身のスマホ――その画面を俺に見せる。そこに映っていたのは、SSNSの銃霆音雷霧のアカウント――そのプロフィールページだった。フォロワー数は七千万人。最新の投稿欄には、動画サイトのURLとともに、短い文が載っている。
「二十一時開戦。要チェック系。全員で見極めろ。」
投稿時刻は二十時四十分。俺達がまだカラオケルームで、日向の過去を聞いていた頃だ。
「バトルのタイミングでの視聴者数は確認できませんが……〈十傑〉である銃霆音さんがわざわざ告知したということは、相応の人数が視聴していたことは容易に想像できてしまいますね……」
「アイツ……!そういうことか。銃霆音が、じゃない。『世界』に、〈十傑推薦枠〉を決めさせようとしている……!」
「……銃霆音氏も本気ですな」
「問題ねェだろォ!ボスが銃霆音を倒すからなァ!」
――相手にとって不足なし、か。
喧騒の向こうで、信号が青に変わる。人の流れが一斉に動き出す。その全てが、これから始まる本戦へ吸い寄せられていくように見えた。
「――よし、行くか」
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