1-71 韻象操作
「――ボス!無事だったかァ!」
「――雪村!アンタ……ホントバカね。無茶するんだから……!」
先程まで銃霆音雷霧と殺し合いを演じていたステージの上に、竜歌と日向が殆ど駆け上がるように飛び込んでくる。ステージライトに照らされた二人の表情は、どちらもぐしゃぐしゃだった。涙の名残が目元に浮いている。だがその奥にあるのは、絶望ではなく、確かな安堵だった。
――生きている。
その一点だけで、二人の感情は堰を切ったように溢れてしまっているのだろう。
日向は息を切らしながら俺の直ぐ傍まで来ると、怒ったような、泣きそうな、困ったような顔で言った。
「雪村……痛いとこない?……ってないわけないわよね……」
そう言いながら、日向は自分でも何を確認したいのかわからないような手つきで、俺の肩や腕、胸元をそっと撫でる。服の破れや焦げ跡、血の痕、さっきまで壁に磔にされていた両肩の辺りを、指先で確かめるように。
その隣では、竜歌が未だ戦闘の熱を引きずったまま、足を踏ん張って銃霆音の方を睨みつけていた。赤い瞳の奥に宿るのは警戒と悔しさ、それから、ぎりぎりのところで取り戻した安堵だった。
――竜歌と日向。この二人には、俺が神話級ユニークスキル保持者だというところまでは話してある。だが、それが〈天衡〉という名で、どういう理屈で発動し、どんなルールのユニークスキルなのか、その詳細までは明かしていない。
だから、最後の銃霆音の一撃――あのレールガンめいた電撃が直撃した瞬間、俺が死んだと勘違いするのも無理はなかった。
「アルジャーノン♪オレの『雷霆韻電磁砲』を食らって無傷とかマジかよ♪」
「あれパンチラインって言うのかよ……。ラッパーとは思えねえネーミングセンスだ」
「うるせーよ♪〈神威結社〉♪」
――逆に言えば、天音と拓生、ハズレちゃんは違う。
あの三人は、俺のユニークスキルが〈天衡〉であることを知っている。そして俺が「被弾を禁ず」という掟のような防御手段を取れることも、凡そ理解している。だからこそ先刻、煙の向こうから無傷で立ち上がった俺を見ても、驚愕より先に、ある種の確信を持って見守っていられたのだろう。
「つーかその腕……」
俺がそう呟くと、銃霆音は自分の両肩を軽く竦め、まるで新しい服の感想でも語るみたいな軽さで笑った。
「ああ♪ビビったっしょ♪雷落とすだけじゃねーんだぜ♪ま、もうちっとあのままだったら出血多量でマジで死んでたけどな♪また着替えねーと♪」
冗談のように言う。だが実際、あれは冗談では済まない話だった。
あの男は一度、両腕を失った。それでもラップを止めず、雷を呼び、最後にはその雷で腕を再起動させるように、自分の身体へ再接続してみせた。
見れば今も、切断面の名残は痛々しく、服の肩口には赤黒い血が広がっている。人間の身体でやっていい動きじゃない。それなのに本人だけは、まるで大したことでもなかったかのように振る舞っているのだから、余計に狂っていた。
「――待て待てボス!何を仲良さそうにしてんだァ!」
竜歌が噛み付くように叫ぶ。
それを聞いた銃霆音は、面白がるように口の端を吊り上げた。
「おいおいドラゴンガール♪女にはわかんねー男の友情ってヤツだよ♪黙ってろ♪」
「おい銃霆音テメェ!今の時代『女が』とか良くねェンだぞォ!」
竜歌が眉を吊り上げる。
銃霆音はそんなことなどどこ吹く風で、銀色のグリルを覗かせながら笑っていた。
「うるせーな♪で、アルジャーノン♪オレは五分の異能バトルでアルジャーノンを『殺せなかった』♪つーことは延長戦、なんだよな♪」
「そうだな。EMB本戦か」
――最初から殺すつもりもなかった癖に良く言うな。
そう心の中で毒づく。だが、その建前が必要なのも理解していた。
銃霆音雷霧は、〈十傑〉の第八席。そしてラッパー。どちらの顔であっても、ただの私怨で俺を呼びつけたようにはしたくなかったのだろう。だから「殺し合いの延長戦」という形で、EMB本戦へ俺を引っ張る。そういう理屈を、あいつは自分の中でちゃんと通している。
「イエース♪知ってるだろーがこの後――二十二時半に〈超渋谷第一体育館〉だ♪遅れんなよ♪」
「わかった」
「決勝で会おうぜ♪負けんなよ♪」
「ああ」
その遣り取りを最後に、銃霆音は仲間を何人か引き連れて、ナイトクラブ内の喫煙所へと消えていった。戦闘の余韻を抱えたまま、〈十傑〉や〈神威結社〉以外の観衆達も、熱に浮かされたような顔で散り散りになっていく。
メインフロアにはまだ焦げた臭いが残っていた。雷に打たれた床の焼け跡。飛び散った血。途切れたbeatの余韻。それら全てが、先刻までこの場所で行われていたものが単なるパフォーマンスではなく、本物の死闘だったことを物語っていた。
俺は竜歌に向き直る。
「よし、〈超渋谷エリア〉に向かうぞ」
「おォ……ボス。は、話してくれるんだよなァ?」
竜歌の声は強がりを含んでいたが、その奥にある不安は隠しきれていなかった。
何が起きていたのか。何故、銃霆音と俺が、途中からあのような空気になったのか。それが理解出来ないまま次の戦いに向かうのは、仲間として余りにも落ち着かないのだろう。
「まあな。どうやら俺達は……物凄い勘違いをしていたみたいだぞ。つーか全部銃霆音が悪いんだが」
「雪村、どういうこと?」
日向が眉を寄せる。その顔には、銃霆音に対する怒りと、俺に対する苛立ちと、事情を知りたいという焦りが入り混じっていた。
二人を連れてステージを下りる。メインフロア側では、VIPテーブルに残っていた面々が俺達を迎えた。
最初に口を開いたのは天音だった。彼女はいつものように、けれどいつもよりほんの少しだけ安堵を滲ませた丁寧な口調で、深く一礼する。
「〈十傑〉相手に引き分けるとは……私の心配も杞憂でしたね。お見事でした」
「まあ時間制限アリの特殊ルールだったけどな。ありがとう」
ハズレちゃんは身体ごとこっちへ乗り出し、ポップな青髪を大きく揺らしていた。拓生は丸々とした体を上下に揺らしながら、鼻息荒くこちらへ手を振る。その横ではフランがちょこんと座り、小さな顔をこちらへ向けていた。
「おにいたま、かみなりばちばちしてた」
「おー、フラン。いい子だな」
俺が踞んで頭を撫でると、フランは嬉しそうに目を細める。その無垢な反応が、張り詰めていた空気をほんの少しだけ和らげた。
「しかし不思議ですな。素人目ながら、師匠と銃霆音氏が、最後の最後で互いを理解し合ったような……そんな印象を受けましたぞ」
拓生が顎に手を当てながら真顔で言う。
ハズレちゃんも大きく頷いた。
「なんかそんな感じでしたねっ!」
天音も、どこか考え込むように睫毛を伏せる。
「そうですね。お恥ずかしながら、私もよく理解できておらず……」
――そうだろうな。
あの場で何が起きていたのか。銃霆音のラップがどの段階から「攻撃」ではなく「告白」へと変質していたのか。そして俺が、いつ、何を理解したのか。それは命を賭けて対峙していた俺だけが、漸く掴んだものだった。
「そうだな。まあ引っ張るような話でもない。移動しながら話すとしよう」
そう答えたところで、VIPテーブルの一角に集まっていた〈十傑〉の面々が立ち上がった。
最初にこちらへ歩み寄ってきたのは、鮮やかなオレンジ色のサイドテールを揺らす少女――〈十傑〉・第九席――漣漣漣涙だった。彼女は迷いなく俺の両手を取ると、そのままきらきらとした笑顔を向けてくる。
「雪渚くんっ☆ボク感心しちゃったなっ☆銃霆音くんと引き分けるなんてっ☆」
「おー、涙ちゃん。どうも」
「あっ☆『涙ちゃん』って呼んでくれて嬉しいなっ☆」
そう言って涙ちゃんは可愛らしくウインクを飛ばした。肩に垂らした大きな編み込みに沿って螺旋状に入った青のメッシュが、ミラーボールの残光を受けてきらきらと光る。その姿だけ見れば、さっきまで〈十傑円卓会議〉で銃霆音とやり合っていた同一人物とは思えない程、無邪気で眩しかった。
「見事で御座るな。我が兄弟――終征ですら銃霆音殿相手に一分持たなかったものを……五分も耐え抜くで御座るか」
落ち着いた声でそう続けたのは〈十傑〉・第五席――大和國綜征。その糸目の奥には静かな興味が宿っていた。
――対峙して理解った。初手から余裕で即死するレベルの落雷を、言葉と共に連打してくる銃霆音を相手に、真面な人間が数十秒生き延びることすらまず不可能だ。
俺が生きていたのは、単純に身体能力が高いからじゃない。〈天衡〉という、根本的に理不尽な神話級ユニークスキルを持っていたからだ。
「流石神話級ユニークスキルだねぇ」
〈十傑〉・第六席――噴下麓が、甘ったるい声でのんびりとそう言う。
「まあ十中八九、『掟を定め、破った者には罰を与えるユニークスキル』どすなぁ」
〈十傑〉・第四席――徒然草恋町が煙管を口元で揺らしながら、当然のように言葉を継いだ。
「実に面妖なユニークスキルで御座るな……」
――コイツら……!
思わず額に手を当てたくなる。
〈十傑円卓会議〉で俺は、自分のユニークスキルを『その身に受けた攻撃を全て反射するユニークスキル』だと偽った。あの場では、それが最善だったと今でも思っている。正直に〈天衡〉の詳細を明かすわけにはいかなかったし、銃霆音と仲間たちを同じ場に置いていた以上、手の内を見せる愚は犯せなかった。
だが、今の彼等の言い方はどうだ。最早、「推測」の範囲ではない。答えそのものを、既に手の中へ収めた者の話し方だった。
「そのユニークスキルを冠する神の名は……ギリシャ神話のテミス……といったところかな?」
〈十傑〉・第一席――皇世王が爽やかにそう告げた。その目は穏やかでありながら、全てを見通しているかのような静けさを帯びていた。
――元より〈天衡〉を知っていた杠葉姉妹や黒崎は兎も角、俺がユニークスキルを偽証していたことを他の〈十傑〉まで理解していたのか……。
――クソ恥ずかしいなこれ。
俺の偽証が完全に通り切るとは思っていなかった。腕の切断という現象が起きた時点で、『その身に受けた攻撃を全て反射するユニークスキル』では説明出来なくなるのは当然だ。
だが、そこから「掟を定めて罰を与える神話級ユニークスキル」という正解に辿り着くには、情報が少な過ぎる筈だった。それをたった五分の戦闘観察で導く。
矢張り〈十傑〉は〈十傑〉だ。ただ強いだけの連中じゃない。頭も目も、根本の認識力からして化け物じみている。
「はあ……しょーもない嘘吐くモンじゃないですね……」
半ば自嘲混じりに漏らすと、皇は肩を竦めて笑った。
「ははは、いやいや雪村君。寧ろ先程の〈十傑円卓会議〉――あの場面で正直に雪村君がユニークスキルの詳細を白状するようなら、かなり期待外れだったよ。雨ノ宮君の『待ち人』がどんな人物なのか、〈十傑〉の興味はその一点に注がれていたからね」
「うーん、複雑な心境ですね……」
「でも期待を超えてきたよねぇ。雷霧と引き分けるなんて……というか雷霧の異能バトルが『勝利』以外の結果になったのって初めてなんじゃないかなぁ」
噴下が言うと、大和國が静かに頷く。
「麓殿、其れは〈十傑〉皆がそうであろう」
「あぁ、そうだったねぇ」
「ですが結局銃霆音さんの目的がよくわかりませんわね。影丸は何かわかったかしら?」
杠葉槐が小首を傾げる。
その問いを受け、黒崎影丸は一歩進み出て恭しく頭を下げた。
「いえ……お恥ずかしながら」
「銃霆音君の考えは読めない部分があるからね。とは言えEMBの本戦が終われば話してくれると思うけどね」
――〈十傑〉も気付いていないか。
その事実を確認して、俺は逆に少しだけ落ち着いた。成程。銃霆音雷霧の真の意図――あの五分間で、あいつが何をしようとしていたのか。それは、同じく命を削り合いながら真正面で受けた俺だけが掴んだものなのだ。
「雪渚くんと銃霆音くんはこれからラップバトルするんだよねっ☆」
涙ちゃんが明るく訊ねてくる。
「ああ、涙ちゃん。決勝まで勝ち進めればそうだな。勝ち進むけど」
「頼もしいねっ☆ボクたちも応援してるよっ☆」
「そうだね漣漣漣君。では雪村君、僕たちも〈超渋谷エリア〉へと移動するよ。君がどんな言葉を残してくれるのか、楽しみにさせてもらうよ」
「ええ、また後ほど」
そうして〈十傑〉の面々は、各々この場を後にしていく。ナイトクラブの喧騒の中、強烈な存在感を放ちながら去っていくその背中は、どこまで行っても「世界の頂点」と呼ぶに相応しい異物感を纏っていた。
そんな中、一人だけその場に残り、俺へと近づいてくる男がいた。
「――雪村様。先日はお世話になりながら、ご挨拶が遅れ申し訳ございません」
「……黒崎さん」
黒い燕尾服に身を包む、整った顔立ちの若い男――黒崎影丸。清潔感のある短い黒髪。穏やかに整えられた口元。執事として完成されすぎた佇まい。その腕には花柄の二本の傘――黒いゴシック調の傘と、白い和傘が掛けられていた。主人である杠葉姉妹のものだろう。
――彼と初めて会ったのはマザーロマリオ教会だった。フランや子供達を救い、その流れで杠葉姉妹から〈オクタゴン〉を譲り受けることになった。そして、その過程で判明した。この黒崎影丸という男が、〈十傑〉ではないにも関わらず、神話級ユニークスキル保持者であることを。
――神話級ユニークスキルを持つ人間の過半数は〈十傑〉だ。〈十傑〉ではない神話級保持者という一点において、黒崎は俺と奇妙な共通項を持っている。
だが。
だからこそ、余計にわからない。
「……おや、いかがされましたか?雪村様」
黒崎が柔らかな微笑みを浮かべる。だがその微笑みの奥に、感情の起伏は殆ど見えない。
「ああ、いえ。ご壮健で何よりです」
「ありがとうございます。先刻の銃霆音様との異能バトルは素晴らしいものでございました。流石、神話級ユニークスキルを持つ雪村様……といったところでしょうか」
――掴めない。
〈十傑〉ですら、少し話せばその人間臭さの断片くらいは見える。傲慢さ。優しさ。軽薄さ。面倒臭さ。未熟さ。善意。悪意。だがこの男には、それが見当たらない。
丁寧だ。礼儀正しい。完璧だ。そして、その完璧さのまま、何も掴ませない。
「それはお互いにでしょう?黒崎さん」
「いえいえ、私奴など。では雪村様、失礼いたします」
「はい」
黒崎は深く一礼し、そのまま去っていった。その背中を見送っていた竜歌が、訝しげに眉を寄せる。
「なんだァ……?アイツ……変なヤツだなァ……」
「黒崎氏は掴みどころがない方ですなぁ」
「……そうだな。……よし、俺たちも行くか」
「はいっ!行きましょうっ!」
「おにいたま、おんぶして」
「おう」
フランを背負いながら立ち上がる。
すると竜歌が、今更のように目を輝かせて声を張った。
「つーかよォ、ボスはやっぱすげェな!一晩で〈十傑〉に認められやがったァ!」
「竜ヶ崎女史……小生たちはとんでもない方についてきてしまったようですな……」
「ふふ……せつくんであれば当然のことですよ」
「雪村……アンタ……」
日向が言葉の続きを飲み込む。その声音には、驚きと、呆れと、どこか少しだけ誇らしさが混ざっていた。
――そうして俺達は、〈歌舞姫町エリア〉――ナイトクラブ・〈NERF〉を後にした。
冬の夜風が、熱を帯びた肌に心地良く触れる。色町のネオンは相変わらず派手で、月光はその上から冷たく降っていた。夜の歓楽街を歩く六人と一人の影が、長く、長く路面に伸びる。
その影を見送るように、〈歌舞姫町エリア〉の看板は赤や紫に光り続けていた。まるで、これから始まる更に騒がしい夜の続きを、街そのものが待ち構えているかのように。
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