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1-70 雷霆

「……陽奈乃ォ、泣くなよォ……!」


「銃霆音氏の言うことなんて気にする必要ありませんぞ……」


「ううん……違うの、違うの。雪村が……このままじゃ雪村が……」


「せつくん……」


 ステージの上に転がった、マイクを握ったままの右腕。切断面からは、余りにも生々しい赤が、だくだくと流れ出していた。舞台照明に照らされたその血は、ただの血液というより、人体の奥に隠れていた熱そのものが剥き出しになったみたいにどす黒く、痛々しく光って見えた。


 銃霆音は、その腕の先にまだ残っていたマイクを、左手で拾い上げる。俺はその動作を見ながら、ステージに広がる血溜まりへと視線を落とした。


「あー銃霆音、お前……本当に人間だったんだ」


 皮肉のつもりだった。だが、半分は本音でもあった。


 これまでの銃霆音雷霧という男は、余りにも「人間離れ」し過ぎていた。言葉一つで雷を呼び、神話級の異能を当然のように振るい、俺達の常識の上を、最初から誰もいない空みたいな顔で歩いていた。だから、こうして肉が裂け、骨が断ち切られ、血が流れる光景を目にして初めて、こいつもまた生身の器に閉じ込められているのだと、そんな当たり前の事実を確認させられた気がしたのだ。


「あーおけ♪死にたいのね♪」


 銃霆音はまるで指を少し切った程度の軽さでそう言った。そして次の瞬間には、再びbeatのリズムに体を預け始める。


 ――異常だ。


 片腕を落とされている。失血もしている。普通の人間なら、その痛みとショックだけで膝を折っても不思議はない。いや、ラップどころか呼吸を整えることすら困難な(はず)だった。


 なのにコイツは、まだ歌う。まだ音の上に立つ。まだマイクを握る。その執念が、(むし)ろ傷口よりも不気味だった。


「Yo-Yo♪そうだぜオレなら『銃霆音』♪Wackの脳天に響かす『銃声を』♪ハハッ♪」


 そのフロウに呼応するように、頭上で空気が裂ける。直後、青白い閃光が真上から振り下ろされた。


 落雷。


 雷鳴より先に、身体が動いていた。半歩、いや、半歩にも満たない距離だけ重心を逃がす。次の瞬間、俺が立っていた床板が爆ぜ、ステージの表面を焦がしながら光が弾け飛んだ。


 ――避けられる。


 だが、それは余裕を意味しない。単に、何発も見てきたことで、落雷の「癖」が身体に入り始めただけだ。


 そして今の一撃で、俺は一つ理解した。


 ――成程(なるほど)……。違う音で韻を踏むか、ある程度の時間が経てばコンボのリセット――(すなわ)ち、威力のリセットが行われるのか。


 神話級ユニークスキル・〈雷槌(トール)〉。韻を重ねれば重ねるほど、落雷は威力を増す。だがそれは永続的な蓄積ではない。同音の連鎖が途切れれば、蓄えた熱量は初期化される。


 ――なら、まだ読みようはある。


 脳内に〈天衡(テミス)〉を呼び出し、掟を刻む。


『掟:発声を禁ず。

 破れば、左腕が切断される。』


 右腕を断ったのと同じ、発声への制裁。次は左腕。


 〈天衡(テミス)〉の罰として直接的な「死」は指定出来ない。なら、確実にラップを潰し、機能を削ぐ。神話級だろうが何だろうが、音の上に立つ以上、マイクと発声を奪えばいい。


 そう思ったのも束の間だった。


「――Thunder(トンダ) Rhyme(ライム)が拡声する『ニューメディア』♪名の通り♪韻を踏むことがオレの『宿命だ』♪」


 轟音。続けざまの二発。


 俺は避ける。(ほとん)ど反射に近い動きで、焼け焦げた床を蹴り、肩を捻り、雷の線を身体の横に流す。


 その直後だった。


 ぼとっ――。


 鈍い音を立てて、銃霆音の左腕が肩口から切り離され、ステージへ落ちた。


 切断面から血が噴き出す。赤い飛沫がムービングライトの青と赤を浴びて、毒々しい黒紫に見えた。


 ――入った。


 だが、次の瞬間に見たものは、理屈の外側にあった。


 銃霆音は、無様にも、しかし一切の躊躇いもなく、マイクを咥えた。


 床に落とさない。音を止めない。奪われた左腕の代わりに、歯で、首で、肩で、肉体の残った部分全てを使って、マイクだけは守り切るという意思が剥き出しになっていた。


 そしてそのまま、脇にマイクを挟み込み、口元へ強引に押し上げる。


「――はぁ……はぁ……!既についてるぜ『百馬身差(ひゃっくばしんさ)』ァ♪Wackの首斬る『ジャック・ザ・リッパー』♪ハハッ♪」


 ――想像を絶する痛みだろうに……ラップを()めないのか。そもそもショック死や失血死をしてもおかしくないものを……。


 ――だが最悪だな。〈裂刃(ジャックザリッパー)〉という偉人級ユニークスキルで日向の家族や親友は惨殺されたと聞く。それを知っていながら、日向の前で「ジャック・ザ・リッパー」という単語を出すことそのものが極めて不快だ。


 悪趣味なんて言葉では足りない。これはもう、他人の傷口へ指を差し込んで、その悲鳴でビートを取るような所業だ。


「今後方走ってるのはお前だし斬られたのもお前じゃね?自分の状況わかってんのか?」


 吐き捨てるように言う。だが銃霆音は、その毒を楽しむように唇を歪め、更に言葉を継ぐ。


「時には『きつく』♪時に『傷付く』♪『イズム』と『リズム』で時代を『築く』♪Wackは『沈む』♪(したた)る『(しずく)』♪イカれた奴らがヤバさに『気付く』♪」


『7combo♪』


 可愛らしい電子音声が無慈悲に告げる。七連。再び増幅に乗った落雷群が、青白い残像を引きながらステージへ降り注いだ。


 一本。

 二本。

 三本。

 四本。

 五本。

 六本。

 七本。


 その全てが、轟音と共に俺を喰らいに来る。俺は足を刻み、身体を折り、回し、僅かな軌道の空白に身を滑り込ませる。雷の直撃を避ける度、皮膚の上を熱風が撫で、耳の奥がびりびりと痺れた。


 だが、避けるだけではない。俺はその最中、銃霆音そのものを見ていた。


 ――おかしい。


 腕を落とされた。両腕を失った。それなのに、(なお)、声量は落ちない。呼吸も、リズムも、フロウも、致命傷を負っている人間のそれじゃない。


 そしてラップの内容。最初はただの煽りだと思っていた。だが、違う。余りに露骨だ。


 銃霆音は今、俺と戦いながら、何か(・・)を伝えようとしている。


「――ガキの頃なら『貧乏人』♪だがその分オレの(ライム)が届くぜ『心臓に』♪オレが連れてく『新境地』♪今じゃ新世界を牛耳る『B-Boy(ビーボーイ)』だぜ♪」


「「「Wooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!」」」


 〈鉛玉CIPHER(なまりだまサイファー)〉の面々の歓声が爆ぜる。メインフロアの後方へ下がった若者達は、恐怖と熱狂の入り混じった表情で拳を突き上げていた。


 ――まさかコイツ……!


 雷を避けながら、俺の脳裏に一つの可能性が浮かぶ。それは、余りに馬鹿げていて、同時に、目の前の異様さを説明するには余りにもぴったりだった。


 再び、三発。頭上から落ちる光を避けつつ、俺は〈エフェメラリズム〉を引き絞る。狙うのは本体ではない。今、脇に挟まれているマイクだ。


 放つ。パチンコ玉は一直線に飛び、銃霆音のマイクへ鈍い音と共に命中した。


 だが、マイクは落ちない。びくともしない。両腕を失って(なお)、肩と胸筋と脇の圧だけで、まるで万力のように固定している。


 ――腕が切断された状態であれだけ脇に力を込められるか?なんつー執念だ……。


「母親が身体を売っていた『あの頃から』♪路地裏のゴミ漁り殴られた『横腹』♪これは電気を帯びる『言葉だ』♪板の上がオレの『仕事場だ』!!!」


「「「Wooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!」」」


 落雷が舞台を打つ。青白い閃光がステージを塗り替え、その度に観客の顔が断片的に照らし出される。恐怖に引き()った顔。熱狂に酔った顔。そして、そのどちらでもない、「魅せられている」顔。


 次第に、銃霆音にとっては敵である(はず)の拓生やハズレちゃん、竜歌すら、黙り込んでそのラップに呑まれ始めていた。俺だけが先に感じ取っていた「違和感」が、今、確信へ変わる。


「|Put your hands upプチョヘンザ♪母親は病気で『死んじまった』♪ガキのオレは帰りを『信じ待った』♪」


 〈鉛玉CIPHER(なまりだまサイファー)〉の若者達は、掲げた片手を前後に振り、銃霆音の圧巻のパフォーマンスに魅入っている。轟音と共に襲い来る落雷は、まるでそのラップに一輪の花を添えるように、美しく弾けた。


 こいつのラップは、心そのものだ。人生の火傷も、怒りも、飢えも、母の死も、全部(まと)めて、雷に変えて叩きつけている。


「貧しいってだけで大人に『怒られたんだ』♪『ボコられたんだ』♪大人に何度も言われた『モノマネラッパー』♪その上で言いたいぜ♪『子育てママ』♪親に『感謝』!!」


「「「Wooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!」」」


 威力を増した雷を避ける。頬の横を焼くような熱が走る。足元の床板が弾け飛び、靴底に伝わる衝撃が骨まで響く。


 次第に、〈鉛玉CIPHER(なまりだまサイファー)〉の若者達の歓声は単なる野次や煽りではなくなっていた。仲間を応援しているのではない。目の前で剥き出しになっていく「銃霆音雷霧という人間」そのものに、食らっているのだ。


「だってオレも出逢えたぜ大事な『仲間』♪オレにとっちゃコイツらは大事な『宝』♪」


「お前……」


 思わず、声が漏れた。それは挑発ではない。理解してしまったことへの、(ほとん)ど驚嘆に近い反応だった。


「お前もそうだろ『アルジャーノン』♪テメェに捧げる(ライム)の『核弾頭』♪仲間は大事にしなきゃ『いなくなんぞ』♪」


 ――コイツ……!やっぱり……そういうことかよ……!


 落雷を三度(みたび)、身を(ひるがえ)して回避。眼前に雷が落ち、視界が青く焼ける。


「Yo♪アルジャーノン♪理解したみてーだな♪」


「ああ。お前……ヤバ過ぎだろ……」


 ――なんて奴だ……。これが……〈十傑〉……!新世界の頂点かよ……!


「だがまだネタバラシはナンセンスだぜ♪オレも久々に(たぎ)ってる♪あと三十秒ある♪最後まで音の上で踊ろうぜ♪」


 銃霆音は、ダイナミックマイクを力強く脇に挟んだまま、痛々しい姿で、それでも笑っていた。歯に嵌めた銀色のグリルが、赤と青のライトを受けて妖しく光る。


 ――仕方ねーな。


 俺も口元を歪める。ここまで来て、野暮は出来ない。


「仕方ねーな……」


「エイヨー♪お前にヤバさを伝える『啓蒙家(けいもうか)』♪お前はここらで『GAME OVER(ゲームオーバー)』♪あの日抱えてた『劣等感』♪それすら武器にして今じゃ『天王山(てんのうざん)』!!!ハハッ♪」


 再び〈エフェメラリズム〉を引く。狙いはマイクではない。今度は銃霆音の肩口――マイクを脇で固定している筋肉そのものだ。


 放つ。命中。鈍い音と共に、銃霆音の顔が一瞬だけ苦痛に歪む。


 だが、マイクは落ちない。


「――ボス!どうなってんだよこれよォ!」


「あいつら……何考えて……?」


「銃霆音氏の表情が変わりましたな……。どういうことですかな……?」


「せつくん……?」


 ステージ下の仲間達の声が聞こえる。疑問は当然だ。さっきまで本気で殺し合っていた(はず)の二人が、今は別の熱で向き合っている。


 ――〈十傑〉との頂上決戦は、異様な雰囲気のまま、終局を迎えようとしていた。雪村雪渚と銃霆音雷霧。その両者の表情には、つい先刻までの殺気とは別の色が差し始めていた。


「MC Algernon(アルジャーノン)の『エンドロール』♪オレの(ライム)は今宵『天を昇る』♪Thunder(トンダ) Rhyme(ライム)の頭上に『打ち上げ花火』♪マイクで証明♪『口だけじゃない』!!」


「「「Wooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!」」」


 その瞬間だった。


 落雷は、轟音と共に、俺の頭上ではなく――銃霆音の足元に、力なく落ちた二本の腕へと突き刺さった。


 バチバチ、と火花が散る。焼ける肉の臭いが、またしても鼻を突く。その青白い電光に照らされて、転がっていた(はず)の二本の腕が、不気味な程くっきりと浮かび上がった。


 そして――。その二本が、浮いた。


「――ロボットアニメかよ……!」


「両腕落としたぐれーでエンドロールってか?〈十傑〉舐めんな♪オレの抱えた地獄に比べりゃ屁でもねえ♪」


 青白い電流を帯びた二本の腕は、糸も何もない空中を、まるで見えない意思に操られるように滑走し始めた。神経と筋肉と骨が、雷によって無理矢理「再稼働」させられている。そんな、(およ)そ生命の法則に反した光景だった。


 次の瞬間、その両腕は、凄まじい速度で俺へ迫った。


 避ける暇はなかった。


 左右の肩口を同時に掴まれる。万力のような握力。そのまま背中から壁へ叩き付けられた。


「うぐっ……いや……これアリかよ……!」


 肺の中の空気が押し出される。肩関節が悲鳴を上げる。壁と両腕に挟まれ、身体が完全に固定される。


 ――不味(まず)い……!動けない……!


 二本の腕が、まるで処刑台に(はりつけ)にするみたいに、俺の身体を壁へ押し付けている。


 肩の骨が軋む。握力だけで肉が潰れそうだった。


 目の前、数メートル先。銃霆音は、銀色のグリルを覗かせて笑っていた。


「――動揺してNo Answerの『リアクション芸人』♪バッターアウトで『スリーアウトチェンジ』だ♪」


 ――その瞬間。


 ナイトクラブ内の光が、ふっと沈んだ。壊れた訳ではない。だが空間全体が、一瞬だけ「夜そのもの」に呑まれたみたいに暗くなる。


 その暗がりの中央で、銃霆音の眼前に、青白いエネルギー体が生まれていた。


 最初は小さな火花だった。だがそれは呼吸をするように脈打ち、一つ、また一つと雷を吸い込み、膨張していく。


 美しい、とさえ思った。余りに暴力的で、余りに人知を逸しているからこそ、逆に神秘的に見えてしまう類の光。


 バチバチ、と。バチバチ、と。空気そのものを焼きながら、青白い塊は次第に銃霆音の全身を隠す程まで肥大していく。


 ――レールガン……!


 脳裏に浮かんだのは、その単語だった。いや、厳密には砲身も弾丸もない。だが目の前のそれは、兵器と呼ぶしかない規模の電磁砲だった。


 そして次の瞬間、それは超高電圧・超火力のレーザービームへと変貌した。一直線。逃げ場なし。狙いは、壁に縫い付けられた俺。


「ハハッ♪沈め♪アルジャーノン♪」


 その直前、脳内に最後の掟を打ち込む。


『掟:被弾を禁ず。

 破れば、無傷で済む。』


 兵器じみた極太の電光が、轟音と共に放たれた。視界が、白で埋まる。耳が潰れる程の破裂音。全身を包む熱。俺の輪郭すら飲み込む程の白煙が、一気に立ち上がった。


 同時に、スピーカーから大音量で流れていたbeatが、ぴたりと止まる。


「――ボス!」


「――雪村!」


「雨ノ宮女史!これは……あれですな……」


「はい。お見事でした」


 煙が、ゆっくりと晴れていく。焼けた空気の向こう側。ステージの反対、四メートルほど先には、銃霆音雷霧が立っていた。


 彼の両肩からは、二本の腕がしっかりと生えていた。正確には、「戻っていた」。先程まで床に転がっていた腕を、自ら再び接続したとしか思えない有り様だった。


 銃霆音は、煙の中から現れた無傷の俺を見て、満足そうに笑った。そして右手に持ったマイクを通し、静かに言う。


「……殺せなかった、か♪」


「残念だったな」


 それ以上の言葉はなかった。必要もなかった。


 神話級ユニークスキル同士が真正面からぶつかり合い、互いに殺し切れなかった。その事実だけで、もう十分だった。


 ――全戦全勝を重ねていた俺の戦績は、この夜、初めて「引き分け」で終わった。

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