1-69 CONTINUE THA SAGA
――銃霆音雷霧。
彼の出生地は、戸籍の上では〈歌舞姫町エリア〉の一角に建つ古びた雑居ビル、その三階の一室ということになっている。
だが、実際に彼が産声を上げたのは、そのビルの表向きの住所ではなく、さらに奥まった、店の者すら「部屋」とは呼ばないような狭いバックヤードだった。
窓はない。昼も夜もわからない。湿気を吸って変色した壁紙は端から捲れ、床には長年染み込んだ何かの痕が、幾重にも黒ずんで浮かんでいた。申し訳程度に敷かれた薄汚れたクッションは、体を預けるためのものではなく、ただ「ここにも人間が寝ることはできる」と言い訳するためだけに置かれているようだった。
鼻を刺すのは、消毒液の匂い。安い香水の匂い。汗と酒と煙草と、男と女の混ざり切った体臭。更に、その全ての底に沈殿する、乾ききらない体液の臭気。
薄いカーテン一枚の向こうでは、夜ごと、いや、朝も昼もなく、酔客の品のない笑い声が響いていた。女たちの甘ったるく作られた嬌声と、ベッドの軋みと、誰かが吐いた愚痴と怒鳴り声が、壁の薄さの所為で何一つ隠されることなく流れ込んでくる。
そこに静寂というものは存在しなかった。生まれる前から、彼はもう、誰かの欲望の残響の中に置かれていた。
母は店の女だった。若い頃はそれなりに値がついたのだろう。だが雷霧が物心つく頃には、その美しさは疲労と生活苦に擦り減り、濃い化粧で辛うじて「まだ売り物だ」と自分に言い聞かせているような有り様だった。
父親が誰なのかは、最後までわからなかった。客の誰か。或いは何人か。もしかすると、そのどれでもないのかもしれなかった。
少なくとも、祝福されて生まれてくる命ではなかった。予定外の事故の延長。店の帳簿にも、男達の記憶にも、社会のどこにも、最初から存在を勘定されていない子供。
だから、雷霧は生まれた瞬間から「余りもの」だった。愛の証ではなく、誰の責任でもないまま押し付け合われる後始末。店にとっても、客にとっても、街にとっても、彼は最初から「いてもいなくてもいいもの」として扱われていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――十三年前。〈歌舞姫町エリア〉。
夜の街は、正気を嫌っていた。
赤。紫。青。毒々しいネオンが濡れたアスファルトに色を溶かし、通りを歩く男女の輪郭を歪に照らし出している。香水の匂いと酒の匂いが、夜気の中で温く混ざり合う。
客引きの男達は獲物を探す野犬のような目で通行人を値踏みし、女達は笑顔という名の仮面を貼り付けたまま、男達の視線を器用に往なしていた。
クラブから漏れ出る重低音が、地面そのものを脈打たせる。甲高い笑い声。潰れた嬌声。誰かが吐き、誰かが怒鳴り、誰かが抱き合う。この街には、欲望だけが煌びやかに飾られ、それ以外は全て暗がりへ押しやられていた。
そして、その「暗がり」こそが、雷霧の世界だった。
華やかな表通りの一本裏。飲食店や風俗店の裏口が並び、業務用のゴミ箱が無造作に積まれた路地裏。そこだけは、まるで祝祭から切り離された別の国みたいに暗かった。
八歳の雷霧は、そこにいた。
痩せ細った腕で、重たいゴミ袋を引き寄せる。裂けかけたビニールを爪で抉じ開け、まだ食えそうなものを探る。
腐りかけた野菜。齧り残しのパン。骨の周りに僅かに肉の残ったフライドチキン。引っ繰り返った弁当の白米。半分溶けた菓子パン。汁を吸ってぶよぶよになった揚げ物の衣。
そのどれもが、本来なら食い物と呼ぶことを躊躇うような代物だった。だが彼にとっては、それでも立派な「獲物」だった。持ち帰れば、母が少しでも腹を満たせるかもしれない。それだけで、その夜は生き延びられる。
「……これ、まだいける」
指先が触れたのは、魚の皮だった。油と塩をたっぷり吸い、冷え切って尚、微かに美味そうな匂いを残している。少年の目が、夜の底でほんの一瞬だけ明るくなった。
――だが、その細やかな希望は、次の瞬間、何の前触れもなく踏み潰された。
「おらァッ!」
脇腹に、重い蹴り。
息が一気に肺から吐き出される。雷霧の小さな身体は軽々と横へ吹き飛ばされ、背中からゴミ袋の山へ叩き付けられた。袋が破れ、生ゴミが周囲に飛び散る。腐汁が頬にかかり、鼻の奥に酸っぱい臭いが突き刺さった。
「またお前かよ、クソガキ」
見下ろしていたのは、白いコック帽を被った大柄な男だった。腹の出た身体を無理やり白衣に押し込め、口元には無精髭。どう見ても「料理人」というより、店の裏で威張り散らすチンピラ上がりの用心棒みたいな風体だ。男は裏口から出てきたばかりらしく、煙草を咥えたまま、不快そうに眉をひそめていた。
「このゴミ箱はなァ、うちの店のモンなんだよ。捨てたモンだろうが、てめえみてえなドブネズミに漁らせるために置いてんじゃねえ」
「ご、ごめんなさい……でも……」
「でも、じゃねえよ」
腹を踏まれる。靴底がぐり、と内臓を潰すように捻られた。
声にならない悲鳴が喉の奥で引っかかった。息が出来ない。痛みよりも先に、呼吸が奪われる恐怖で視界が狭くなる。
「お前みてえなゴミがよ、店の周りうろついてっと客が嫌がんだよ。わかるか?てめえは汚いんだ。臭えんだよ」
また一発、蹴り。今度は肋骨の辺りだった。骨に直接響く鈍い衝撃に、身体がくの字に折れる。
「俺が作った料理の残飯を食いたきゃ、まず金持ってこい。金も払えねえクソガキが、人間様の食いモンに触ってんじゃねえ」
「……痛い……やめて……」
「その顔もムカつくな」
頬を踏まれた。石畳に顔面を押し付けられ、唇が裂ける。鉄の味がじわりと口の中へ広がった。片目には涙と泥が流れ込み、視界が滲む。
「二度と来るんじゃねえぞ」
最後に、顔面目掛けて蹴りが飛ぶ。世界が白く弾けた。
男は、雷霧がぴくりとも動かなくなったのを確認すると、面倒でも片付いたという顔で煙草の吸殻を吐き捨て、何事もなかったように踵を返した。裏口の扉が閉まり、路地裏には再び、腐敗した食べ物と排泄物と湿った紙の臭いだけが残される。
暫くして。少年の指先が、微かに動いた。
「……う、ぅ……」
喉の奥から漏れたのは、泣き声にもならない掠れた息だった。痛い。目の奥が熱い。脇腹も顔も腹も、どこがどう痛いのかすらわからないほど全部が痛かった。
それでも雷霧は、まず、自分の身体より先に、さっき見つけた魚の皮を探した。泥塗れのアスファルトの上に落ちていたそれを、土と髪の毛ごと拾い上げる。袖で乱暴に拭い、胸に抱え込む。
――これだけは、持って帰らないといけない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
雷霧の帰る場所は、歓楽街の外れにある古びた風俗店の裏部屋だった。
表では、派手な看板が夜を照らしている。笑い声と嬌声と、金が落ちる音が絶えない。だが、従業員用の裏階段を上がった先にあるその部屋だけは、店の一部でありながら、店の誰からも見ないことにされている空間だった。
「……ただいま、母さん」
「雷霧?おかえ――っ、あなた!」
薄い布団の上で体を起こしかけていた母が、息を呑んだ。雷霧の頬は赤黒く腫れ、唇は裂け、服には泥と腐汁と血が染み付いている。
「またやられたの!?誰に!?」
「平気だよ。いつもの」
雷霧は無理矢理笑ってみせた。裂けた唇がぴり、と痛んだが、そんなことはどうでもよかった。
「ほら、見て。今日は魚の皮があった。あとパンの耳も」
少年は胸に抱えていたものを広げた。母はそれを受け取ろうとして、途中で手を止めた。震える指先が、そっと少年の頬の腫れに触れる。
「……ごめんね」
「なんで母さんが謝るんだよ」
「私が、ちゃんとしてれば……あなたにこんなこと……」
「オレは平気。母さんの方が腹減ってるだろ」
雷霧は床に座り込み、新聞紙の上に戦利品を並べた。魚の皮。パンの耳。半分潰れたコロッケ。それは食卓と呼ぶにはあまりに惨めだった。けれど二人にとっては、これでもちゃんとした夕飯だった。
母は魚の皮を半分に割った。僅かに大きい方を、躊躇いもなく雷霧の前へ差し出す。
「ほら、あなたが食べて」
「母さんが食えよ」
「私はお腹空いてないの」
「嘘つけよ。昨日から何も食ってないだろ」
母は、困ったみたいに笑った。目尻の皺が、年齢よりずっと深い。若い頃は綺麗だったのだろうと、雷霧にもわかった。だが今の母は、痩せて、頬が痩けて、咳をする度、肩が折れそうに揺れていた。
「……雷霧」
「ん?」
「あなたは、こんな場所にいちゃいけない子よ」
「じゃあ、どこにいればいいんだよ」
「……もっと、まともな場所」
そんなもの、どこにあるんだろう、と雷霧は思った。この街には、金を持っている奴と、持っていない奴しかいない。食う側と食われる側しかいない。まともな場所なんて、最初からこの世のどこにも存在しない気がした。
それでも雷霧は、母の前では夢を語った。夢ぐらいなければ、毎日があまりに惨めで、あまりに救いがなかったからだ。
「オレさ、いつか〈十傑〉になる」
「……ふふ」
「〈十傑〉になったらさ、この街の誰より偉くなるだろ?そしたら、母さんをこんなとこから連れ出して、でっかい家に住ませてやる」
「ふふ、そう」
「何でも買ってやる。飯も、服も、薬も。母さん、何も我慢しなくてよくなる」
母は、泣きそうな目で笑った。
「ありがとう、雷霧。あなたなら……きっとなれるわ」
その言葉だけが、少年にとっての祈りだった。この街の誰も信じられなくても、母のその一言だけは、本当であってほしかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――その冬、母は死んだ。
死に方は、あまりに呆気なかった。神様に試練として与えられた死ではなかったし、ドラマティックな最期でもなかった。ただ、栄養も薬も休息も足りない身体が、ある日、限界を迎えただけだった。
雷霧がいつものように食い物を探しに出て、殴られて、踏まれて、それでも何かを持って帰ってきたときには、部屋の周りに野次馬が集まっていた。
「救急車まだか!」
「呼んでる呼んでる!」
「さっきまで咳してたと思ったら急に倒れたんだってさ」
「薬も飲めてなかったらしいぞ」
「どうせ栄養失調だろ」
「子供がいるのにねえ」
どいつもこいつも、可哀想な話を肴にしているだけだった。自分の不幸ではないからこそ覗き込める顔。自分はまだ「そっち側」じゃないと安心したいだけの目。
雷霧は、人垣を押しのけて部屋に飛び込んだ。
「――母さん!」
母は床に倒れていた。誰かが無理矢理寝かせたのだろう。薄い毛布が腹にかかっている。顔色は土みたいに悪く、唇は紫に変わり、呼吸は今にも切れそうに細かった。
「ら……い、む……」
「母さん!しっかりして!ほら、今日、パンあったんだよ!甘いのも!」
「……いいの、そんなの……」
「よくない!食えよ!食ったら元気になるって!」
母の指が、震えながら雷霧の手を探る。細い。驚くほど細い。折れた枝みたいだった。
「雷霧……あなたは……私みたいに……なっちゃだめ……」
「母さん!」
「あなたは……私の……」
そこで母は小さく咳き込み、唇の端に血を滲ませた。
「……自慢の、息子……」
「母さん、やめろよ!縁起でもないこと言うなよ!」
「最後まで……一緒に……いてあげられなくて……ごめんね……」
その声は、もう言葉の形を保っていなかった。微かな息だけが漏れて、指先から力が抜ける。
「……母さん?」
返事はなかった。
その瞬間、部屋から音が消えた。――本当は消えてなんかいなかったのだろう。野次馬の騒めきも、遠くのサイレンも、通りを走る車の音も、全部そこにあったはずだ。けれど雷霧には、何一つ聞こえなかった。
母の手だけが、急速に冷えていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「残念ですが、お母様はお亡くなりになられました」
病院で、医師はそう言った。
白い壁。白い照明。白いマスク。その無機質な清潔さが、雷霧には酷く腹立たしかった。
「……なんで」
「……?」
「なんで母さんが死ななくちゃいけないんだよ!」
気づいたときには、雷霧は医師の胸倉を掴んでいた。大人達が慌てて止めに入り、痩せた少年の身体が何本もの腕に押さえつけられる。
「オレたちが何したって言うんだよ!オレも!母さんも!必死に生きてきただけだろ!」
「落ち着きなさい!」
「落ち着けるかよ!」
叫んでも、何も戻らない。世界は、あまりにも静かだった。
その夜、雷霧は病院の非常階段に一人蹲り、初めて本気で思った。
――こんな世の中、全部ぶっ壊れろ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
母が死んでから暫くの間、雷霧は文字通り野良犬になった。
店は少年を置いてくれなかった。客の忘れ物みたいに、ある日当然のように追い出された。
だから彼は、〈歌舞姫町エリア〉の夜そのものを寝床にした。閉店後の店の裏口。ビルの屋上。段ボールのある路地。時には駅のトイレ。寒い夜は自販機の排熱に背中を押し付け、朝が来るのを待った。
腹が減れば盗む。見つかれば殴られる。逃げ切れれば、その日だけは勝ちだった。
だが人間は、空腹だけで壊れる訳ではない。もっと厄介なのは、喋る相手がいなくなったことだった。
母の死後、暫くして、雷霧は自分の声を一切使わなくなった。言葉は誰にも届かない。叫んでも意味がない。そうわかってしまったからだ。
そんなある夜だった。
――〈歌舞姫町エリア〉・トー横界隈。
ビルの手前の広場には、家に帰れない若者達が屯していた。酒を回し飲みし、煙草をふかし、安いスピーカーから流れる音楽に身体を揺らしている。誰もが何かから逃げてきた顔をしていて、そのくせ笑うときだけやけに眩しかった。
雷霧は、その輪の外れ、階段の端に一人で座っていた。そこで、一人の少年が近づいてきた。
「君、一人?」
金髪の少年だった。だが、この街の夜にありがちな軽薄さが、どこか足りなかった。笑い方は軽いのに、目だけが妙に真っ直ぐだった。
「……そうだけど」
「俺は帯刀凌駕」
「…………」
「で?君、死ぬほどつまんなそうな顔してるけど、暇?」
雷霧は鼻で笑った。死ぬほどつまんなそうな顔――随分な言い草だったが、否定も出来なかった。
「暇だけど」
「じゃあ遊ぼうぜ」
「遊ぶ?」
「そ。こんな腐った街に真面目に付き合ってても損じゃん。だったら、こっちが先に笑ってやった方が勝ちだろ」
「……意味わかんね」
「意味なんて後でついてくる」
凌駕はそう言って、スプレー缶を一本差し出した。
「今から壁に落書きしに行く。捕まったら全力で逃げる。どう?」
馬鹿みたいだ、と雷霧は思った。だが、その馬鹿さが、酷く眩しかった。
「……いいね」
「決まり。君、名前は?」
そこで初めて、雷霧は少しだけ笑った。
「オレは――銃霆音雷霧」
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それから雷霧は、夜を変えた。
正確には、変わったのは世界ではなく、自分の見え方だった。世界は相変わらず腐っていて、理不尽で、弱い者から潰される。だが、その中でも笑える時間はあるのだと知った。
凌駕と連み始めると、仲間はあっという間に増えた。
親に追い出された奴。学校に居場所のない奴。店の女に育てられた奴。暴力から逃げてきた奴。何かを失って、それでも夜の街にしがみついていた奴。
皆どこか壊れていた。だからこそ、他人の壊れ方にも敏感だった。
誰かがbeatを流す。誰かが韻を踏む。誰かが笑う。最初は、ただの遊びだった。
けれど雷霧にとって、ラップは、HIPHOPは、直ぐに遊びではなくなった。
殴られた怒りも、腹の減りも、母を奪われた絶望も、言葉にして吐き出せば、少しだけ呼吸が楽になる。音に乗せれば、汚れた過去すら武器になる。そして何より、皆が「食らった」と笑う度、自分がこの世に存在していていいのだと思えた。
――ラップは、大人に殴られ続けてきた雷霧にとって、初めて手にした「人を殴り返せる言葉」だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
十七歳になった頃には、雷霧はもう頭一つ、いや、頭三つは抜けていた。
MCバトルではまず負けない。即興で韻を踏ませれば、誰も追いつけない。怒りと過去を燃料にしている癖に、言葉だけは妙に冷えていて、だから余計に怖かった。
「やっぱ雷霧さん、別格だわ」
仲間の一人が、半ば呆れたように笑う。
「EMB、出てくださいよ。マジで」
「雷霧さんなら優勝できるって」
「ていうか、優勝してくんねーと困る。〈鉛玉CIPHER〉の看板だろ」
仲間達は本気だった。雷霧はその顔を見渡した。誰も命令していない。ただ、期待していた。信じていた。
それが、嬉しかった。
母を救えなかった自分でも。壊れたガキのままの自分でも。こいつらのためなら、勝ってみたいと思えた。
「……しゃーねえな♪」
口元を歪める。
「お前らがそこまで言うなら、ちょっち獲ってくるか♪」
歓声が上がった。その輪の中にいるときだけ、雷霧は自分が独りではない気がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『――よって!EXTREME MC BATTLE 2107 GRAND CHAMPIONSHIP FINAL!頂点に立ったのは――Thunder Rhyme!!!!』
歓声が、会場を引っ繰り返した。
赤と青のムービングライト。耳を劈く爆音。観客席で跳ねる腕の波。スポットライトの中心で、青年は拳を掲げる。
その目は、勝者の目だった。だが同時に、もっとずっと遠い場所を見ている目でもあった。
「すげえ……!」
「やっぱ雷霧だ!」
「獲りやがった……!」
観客席では、凌駕達が叫んでいた。泣いている奴もいた。抱き合っている奴もいた。雷霧はそれを見て、珍しく胸の奥が熱くなるのを感じた。
――母さん。あんたが見てるかどうかは知らねえけど。
――オレ、まだ終わってねえよ。
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それから二年。
第九回〈極皇杯〉。四十万人を超える参加者の中から、異能バトルの頂点を決める祭典。〈天上天下闘技場〉。
『――圧倒的!圧倒的でした!第九回〈極皇杯〉、優勝は――!!――銃霆音雷霧ぅぅぅぅぅ!!!!!』
世界が揺れた。
『〈極皇杯〉を優勝された銃霆音雷霧さんは、今!この瞬間より!〈十傑〉となります!』
無数の歓声。無数の熱狂。無数の視線。
雷霧はその中心で、笑っていた。だがその笑みの底にあったのは、達成感よりも先に、焼け残った一つの執念だった。
――母さん。
夜の最底辺で、残飯の魚の皮を半分に分け合った、あの部屋。咳き込みながら、それでも「あなたならなれる」と言ってくれた、あの声。
全部、まだ耳に残っている。
だから雷霧は、歓声のド真ん中で静かに思った。
――母さん、オレ、〈十傑〉になったよ。
――オレの伝説は、ここからだ。
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