1-67 ナイトクラブ電撃戦
――〈歌舞姫町エリア〉のカラオケ店。防音材に囲まれたその一室で、俺達〈神威結社〉は、ギャル風の出で立ちの女――日向陽奈乃の話を、ただ黙って聞いていた。
テーブルの上には、途中まで飲まれたオレンジジュースのグラス。結露した水滴が、ゆっくりとガラスを伝い、木目調のテーブルへぽたりと落ちる。その小さな音すら耳に刺さる程、部屋の空気は静まり返っていた。
「――それでアタシは〈十傑〉になって一年、今日まで過ごしてきたの」
話を終えた日向は、力を使い果たしたように小さく息を吐いた。その表情には、語り終えた安堵と、改めて傷口を抉じ開けた直後の痛みが、どちらも色濃く滲んでいた。
「……噂程度に聞いてはいたものの……そういうことだったのですな」
拓生が絞り出すように言う。
俺は無言のまま煙草を咥え、ライターを擦った。火の先が一瞬だけ赤く咲き、煙が細く立ち上る。それを肺に入れて、ゆっくり吐き出す。そうでもしないと、この重苦しい沈黙に押し潰されそうだった。
換気扇の唸る音だけが、酷く五月蝿かった。
「ハズレちゃん、ショックかもですっ……!」
「ひなのおねえたま、たいへん」
「……〈不如帰会〉……許せませんな……」
拓生の呟きに、誰も反論しない。
そんな中、座っていた竜歌が、ふいに立ち上がった。いや、立ち上がったというより、衝動に突き動かされるように前へ出た。そしてそのまま、日向の前で膝を折り、汚れた床へ額を打ち付けるように頭を下げた。
「……竜歌……ちゃん?」
「――すまねェ!陽奈乃ォ!」
竜歌の声は、普段の豪放な調子とは違って、酷く掠れていた。
「アタイが……アタイが兄貴を止められるだけの力があれば……ッ!陽奈乃の家族やダチは……そんな目に遭わずに済んだかもしれねェ!」
床に押し付けられた拳が震えている。謝罪というより、懺悔が形を取ったに近い。
――〈韮組〉・組長――竜ヶ崎龍歌。俺が先日倒したその男は、〈不如帰会〉の会員番号一桁でもあった。竜歌は、その「妹」だ。
無論、そんなことで竜歌を責めるのは筋違いだ。だが本人にとっては、理屈じゃないのだろう。
「待って、竜歌ちゃん!」
日向が慌てて身を乗り出す。
「ううん、竜歌ちゃんはずっと竜ヶ崎龍歌を止めようと戦ってたんでしょ?だったら、竜歌ちゃんは悪くないわ」
「……ッ!」
竜歌は顔を上げられないまま、歯を食い縛った。
日向の言う通りだ。竜歌は一人で抗い続けていた。それは事実だ。
だが一方で、事実として、竜ヶ崎龍帝を一人倒したところで〈不如帰会〉が潰える訳ではない。会員番号一桁の一人が落ちただけだ。しかもその一人を倒したことで、今度は俺自身が確実に連中へ認識されたことになる。
――要するに、俺はもう、完全に関係者だ。
「……ッ!陽奈乃はアタイを助けてくれたってのに情けねェ……!」
竜歌が拳を握る。その声には、悔しさと、どうにもならなさと、自分への怒りが、ぐちゃぐちゃに混じっていた。
「アタイは〈不如帰会〉の幹部の一人すら倒せやしねェ!」
――事実、竜ヶ崎龍歌は人智を超越した強者だった。英雄級ユニークスキル・〈帝威〉――「全てにおいて相手のステータスを『一だけ』上回るユニークスキル」。
一見すれば最強だ。現に、普通の相手ならどうしようもない。あれを崩せたのは、単に俺の頭脳がカンストしており、「一だけ上回る」ことが不可能だったからに過ぎない。
――そういう意味では、〈十傑〉もまた、能力値がカンストした連中ばかりなのは間違いない。十数分後に戦うのは、そんな〈十傑〉の第八席に座する男――銃霆音雷霧――。
「竜歌さん、あまりご自分を責めないでください」
天音が静かに言った。声は柔らかいが、その奥に芯がある。
「陽奈乃……姉御……すまねェな……」
「しかし、日向女史が〈不如帰会〉への復讐のために〈十傑〉へ加入したというのはわかりましたが……」
拓生が眼鏡を押し上げる。
「銃霆音氏はそれを知っていながら、日向女史の〈十傑〉としての資格を剥奪しようとしたのですな……」
「そうですね……」
天音が頷く。
「〈不如帰会〉はその余りの残虐性から、〈十傑〉内でも情報は厳重に扱われています。無闇に公表しても防げる類のものではありませんし、却って人々の不安を煽るだけですから」
「うん……今となってはアタシもそれは理解できるわ」
日向は苦い顔で言った。理解はしている。だが、納得とは別だ。そういう顔だった。
天音の声が、僅かに低くなる。
「日向さんが〈十傑〉の資格を失い、〈十傑〉でなくなるのだとすれば、日向さんの〈不如帰会〉への復讐は――絶対に叶わなくなります」
その言葉が、部屋の中で重く沈んだ。
俺は吸い終えた煙草を灰皿へ押し付け、静かに立ち上がった。テーブルの端に置かれていた伝票を取る。その動きに、皆の視線が集まった。
「――ボス!どこに行くんだァ!」
竜歌が顔を上げる。
俺は扉の取っ手に手を掛けたまま、振り向かずに言った。
「時間だろ。行くぞ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――〈歌舞姫町エリア〉。
夜の街は、相変わらず馬鹿みたいに明るかった。ネオンが濡れた路面に滲み、色とりどりの光が人の脚元で揺れている。
酔客の笑い声、呼び込みの声、車の排気音、どこかの店から漏れる重低音。雑多な騒音が幾層にも重なって、この街ならではの喧騒を作っていた。
その通りの一角、嘗てトー横と呼ばれていた若者達の溜まり場の近くに、ナイトクラブ・〈NERF〉の看板はあった。
地下へ続く階段は、薄紫と青のネオンで照らされている。階段の奥から、低く腹へ響くような音楽が漏れてきていた。
「ここですな……」
「ああ」
俺達はそこを降りていく。
一段、また一段。靴底が金属の縁を軽く打つ度、後ろから仲間達の足音が重なる。その規則的な音が、これから向かう場所の危うさを余計に際立たせていた。
扉の前に立つ。重低音が、もう壁越しに伝わってくる。
俺は一度だけ息を吐き、扉を押し開けた。
途端に、光と音と匂いが一気に流れ込んできた。
ミラーボール。天井を走る赤と青のムービングライト。バーカウンターに並ぶボトル。壁際に設置されたソファ付きのVIP席。床には、酒と煙草と香水と汗の匂いが混ざった、夜の箱特有の空気が沈殿している。
営業時間外なのだろう。客でぎゅうぎゅうというほどではないが、それでも人はいる。
ストリート系の服に身を包んだ若い男達が、通路の一角でサイファーを回していた。別の場所では男女がバーカウンターで寄り添うように喋っている。音楽に合わせて、身体を小さく揺らしている者もいた。
そしてメインフロアの一角――VIP席には、見慣れたような、見慣れたくもないような連中が座っている。――〈十傑〉だ。
「――影丸!ワタクシ、あのカクテルというものが飲みたいですわ!」
金色の装飾が目立つソファから身を乗り出し、瞳をきらきらさせる杠葉槐。相変わらず元気だ。
「いけません、槐お嬢様。お嬢様はまだ未成年なのですから」
背後に控える黒崎が、落ち着き払った声で返す。
「…………だ、ダメだよ。…………え、槐お姉様。……お、お酒なんて飲んじゃ」
黒崎の言葉に、縫いぐるみを抱えるゴスロリ少女――二人目の〈十傑〉・第十席――杠葉樒が続き、姉を窘める。
槐は頬を膨らませて、不満そうに拗ねてしまった。
「ぶー!影丸も樒もケチですわ!」
「ケチで結構でございます。お嬢様方のお身体に何かあっては私奴、菰様に合わせる顔がございません」
いや、ケチとかそういう問題じゃねえだろ。未成年をクラブに入れるなよ、というツッコミを呑み込みつつ、俺は視線を摺らす。
「雪村殿……来たで御座るな」
酒を徳利から注ぎながら、古風な糸目の侍――〈十傑〉・第五席――大和國綜征がこちらを見もせず呟いた。
「ええ……」
返事をしつつ、俺はフロアの奥を見た。
銃霆音の姿はVIP席にない。代わりに、赤と青のライトで照らされた立派なステージが、奥に据えられている。
そこだ。
ステージの中央に、銃霆音雷霧が立っていた。その隣には、長めの金髪を揺らす男。二人で何か話している。
軈てこちらに気付いた銃霆音が、唇の端を吊り上げた。中指をくい、と動かし、俺をステージへ招く。
「師匠……完全に煽られてますな……」
「腹立つヤツだぜェ……」
「せつくん……お気を付けて……」
「ああ、行ってくる」
俺は〈神威結社〉の面々と日向を、〈十傑〉から少し離れたVIP席へ残す。そのまま、一人でステージへ上がった。
木製の段差を踏む度に、妙に音が良く響いた。
ステージの上は照明の熱で少し暑い。メインフロアの仄暗さとは対照的に、ここだけが戦場みたいに明るかった。
「ガリ勉クンがビビらずよく来たじゃねーか♪MC Algernon♪」
「よお、フェイク野郎。遊びに来てやったぜ」
「イキってられんのも今のうちだけどな♪」
「――おいおい、雷霧。そりゃいくらなんでも失礼だろ……」
割って入ったのは、隣にいた金髪の男だった。ウェーブがかった長めの金髪。青いレンズのラウンドサングラス。顎髭。
如何にも音楽畑の人間だが、銃霆音よりはずっと真面そうに見える。
「おいおいリョーガ♪コイツ、〈十傑〉のオレに生意気にも歯向かってくるんだぜ♪」
「雷霧……またお前が何か言ったんだろ……」
「リョーガ」と呼ばれたその男は、俺に向き直ると、申し訳なさそうに言った。
「雪村君……だったよな。君のことはニュースで観たよ。悪いな、うちの雷霧が。多分、また人を傷付けるようなことを言っちまったんだろ」
男は謝意を示すように片手を上げた。
「俺は帯刀凌駕。雷霧がクランマスターを務める〈鉛玉CIPHER〉のクランサブマスターで、普段はDJをしてるんだ。雷霧とは親友でね、普段はここにいる仲間たちと音楽作ったり馬鹿やったりしてる」
――成程。銃霆音が好き勝手暴れる分、こっちが外面とクッション役を担っている訳だ。
「ああ、どうも」
「ほら、あそこにいる金髪のキャバ嬢が雷霧の彼女の揚羽蝶々。あそこにいる白い髪のダンサーがモルカ・ツェイルグ・佐土、イカつい風貌のダンサーが大黒暴風羅。〈鉛玉CIPHER〉の幹部だよ」
帯刀が顎で示した先には、それぞれ強い色を持った連中がいた。
フーセンガムを膨らませながらこちらを値踏みする金髪の美女。褐色肌に白髪が映える、華奢なダンサー。身体そのものが威圧感の塊みたいな男。彼等の存在感が〈鉛玉CIPHER〉の層の厚さをこれでもかと言う程に主張していた。
「それにしてもまさかこの時代に第二回EMB王者のMC Algernonと会えるとはね……。光栄だよ。ウチじゃ『NewTube』上で君のバトルを観て食らった連中も多い」
「そうか。ありがとう」
「雷霧との異能バトルとは関係なく、EMBの本戦はそのまま出場してくれるんだろ?」
「おいおいリョーガ♪黙って聞いてりゃ楽しそうに話してんじゃねーよ♪MC AlgernonとのMCバトルも面白そうだがよ♪その前に殺し合いでコイツは死ぬっての♪」
「雷霧、お前な……」
帯刀は本気で呆れた顔をしたが、それ以上は止めなかった。諦めているのか、信じているのか、或いは、その両方か。
銃霆音は床へ置いてあった58マイクを拾い上げる。そのまま唇を寄せ、クラブ中へ呼びかけた。
『うーし、同胞共♪EMB本戦前でブチ上がってるトコわりーけどよ♪オレを殺そうってWackが来てる♪バトルやるからちょっち集まってくれや♪』
低音が良く通る。たったそれだけで、フロアの空気が変わった。
「お?なんだ?異能バトル?」
「マジ?雷霧さんのバトル観られるの?」
「ヤバ!行こうぜ!」
散っていたクランメンバーたちが、ぞろぞろとメインフロアへ寄ってくる。笑いながら。期待しながら。完全に見世物を見る目だった。
――二十人弱。こいつらが〈鉛玉CIPHER〉か。
「よっしゃ♪リョーガも危ねーから下りてろ♪」
「おい、雷霧……ホントにやるのか?」
「男の意地ってヤツよ♪わかんだろ♪」
帯刀は一瞬だけ目を伏せ、それから俺の肩へ軽く手を置いた。
「……わかった。雪村くん、健闘を祈るよ」
「ああ」
帯刀がステージを降りる。
その瞬間、ステージの上には俺と銃霆音だけが残った。
下には、〈十傑〉。〈神威結社〉。〈鉛玉CIPHER〉。ざっと三十人以上。
赤と青のライトが交互に降り、俺達の影を舞台上で長く切り替える。どこかの照明が熱を持ち、空気が少し焦げたように匂った。
「――ボス!ぶっ飛ばしてくれェ!そんなヤツよォ!」
「――師匠!ファイトですぞ!」
「――雪渚センパイっ!センパイのキュートなハズレちゃんも応援してますからねっ!」
「おにいたま」
ステージの下から、仲間の声が飛ぶ。
暗めのフロアの中で、天音と日向だけは、はっきりとこちらを見つめていた。天音は静かに祈るように。日向は、唇を引き結んだまま、息を呑んで。
銃霆音はダイナミックマイクを握った。ケーブルはない。ワイヤレスだろう。
対する俺は、黒いスキニーのポケットから〈エフェメラリズム〉とパチンコ玉を取り出す。
異能バトル。MCバトル。その両方の始まりに相応しい取り合わせだった。
「改めて♪〈鉛玉CIPHER〉主宰のクランマスター兼〈十傑〉・第八席――銃霆音雷霧 a.k.a. Thunder Rhymeだ♪」
「〈神威結社〉・クランマスターの雪村雪渚 a.k.a. MC Algernonだ」
「レペゼンするのは『minority』♪テメェを蝕む『ダイオキシン』だぜ♪」
「その『ダイオキシン』は『ワシントンD.C.』までぶっ飛ばして『埋葬式』してやるよ」
言葉と共に、クラブの空気がぴんと張る。
重低音。
光。
酒と煙草の匂い。
視線。
歓声を上げかけて、けれど息を潜める観客。
――新世界は冬。その夜の歓楽街の地下で、世界の頂点の一角との決戦が、今正に幕を開けようとしていた。




