1-6 第一歩
「くっ……そがァ……!アタイが……アタイが負けるなんて……ッ!」
アスファルトの地に倒れ込んだまま、身体を痙攣させる長く艶やかな黒髪の女。頭に生えた二本の黄色い角が、傾きかけた夕陽を受けて鈍く光っている。
つい数秒前まで、あれ程の速度でこちらを切り刻んでいた相手が、今は地面に這い蹲ることしかできない。決着は余りにも一方的だった。
――収穫はあったな。俺の〈天衡〉は罰も指定出来る。これは大きい。
「――せつくん!お疲れ様です!」
Aが、メイド服のスカートの裾をひらひらと揺らしながら駆け寄ってくる。その声音には、心配が解けた直後の安堵と、少しの誇らしさが混ざっていた。
「ユニークスキルを使った犯罪――異能犯罪とでも呼ぶべきか。新世界の治安は最悪だな」
「仰る通りです。ですが初戦で上位級ユニークスキル相手に圧勝。流石せつくん……お見事でした」
「まあコイツは決して雑魚ではなかったけどな……」
「そのようですね」
眼鏡に手をやる。お気に入りの茶色いカラーレンズ入り金縁眼鏡も無事。ポケットの中のスマホも、どうやら無傷らしい。スマホなんて貴重品を貰って、その日に画面をバキバキにしました、では一二三に申し訳が立たない。
「ぐ……あァ!おい!てめェら……ァ!アタイを無視すんな……ァ!早くこの麻痺解けやァ……!」
地面でのたうつ竜人女の声が、夕暮れの駐車場へ響く。
「……と言ってもなあ、俺解き方知らないからな。まあ何れ解けるだろ。病み上がりの病人をカツアゲした罰だ。暫く大人しくしてな」
「……てめェ!……くっ、麻痺させるユニークスキルなんて隠し持ってやがったとはなァ……!」
――当然この女視点では「全身を麻痺させるユニークスキル」――そういう思考になる。これだけの情報から逆算して、「掟を定めるユニークスキル」という正解まで辿り着くのは不可能に近い。
「武器は最後まで隠しておくモンだぞ」
――この異能至上主義の新世界。最大の武器と成り得るユニークスキルはどう考えても隠すべきだ。能力を明かすことは、自分の攻略法を相手へ献上するのと同じ。極論、それは自殺行為に近い。
「……まァいい。てめェ、名前は何だァ……?」
「人に名前を聞くときは自分から名乗れ。社会経験がないのか?」
「……竜ヶ崎竜歌だァ」
「そうか、じゃあな。行くか、A」
「はい、せつくん」
俺達は薄暮の光の中、竜ヶ崎竜歌を置き去りにして、駐車場の奥に見える都心の街並みへと歩を進めた。
「――待てやてめェ!そりゃねェだろォ!」
「犯罪者に名前教えてたまるか」
軽く返しながらも、頭の片隅では別のことを考えていた。新世界で最初に接触した第三者が、病み上がりの人間を路上で襲う女。――成程、「異能至上主義」は伊達ではないらしい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――暫く歩くと、俺達は見慣れている筈の、しかしどこか決定的に違う景色へ辿り着いた。
人が行き交う街の中心地。記憶の中のランドマークと符合する。――渋谷駅ハチ公前、スクランブル交差点。人が行き交う賑やかな街の中心地。
道中、嘗ての雑多な雰囲気はどこかに残しながらも、車道も歩道も、街並みそのものも異様なほど整備されていた。青白い光を放つ超高層マンションが建ち並び、その中心には、ロータリーに囲まれた超高層タワーが威圧的な存在感を放って聳えている。
見覚えのある場所のはずなのに、目に映るもののスケールだけが何もかも一段大きい。昔の渋谷が雑踏だとすれば、こっちは巨大な都市装置だ。
高層ビルの壁面に設置された大型ビジョンには、金髪ツインテールのギャルモデルや、オレンジ色のサイドテール風の髪に、淡い青のメッシュが螺旋状に入った大きな編み込みが印象的なアイドルの女の子のMVが映し出される。
「おー、渋谷は更に進化してんのか……」
「八十五年も経っていますからね。因みに今では〈超渋谷エリア〉と呼ばれています」
「これは……慣れるまで少し時間が掛かるな……」
「ふふっ、そうですね」
〈超渋谷エリア〉の中心に聳える超高層タワーの脇――右手に見えるのは渋谷駅――否、超渋谷駅だ。アーチ状の透明色の屋根に覆われており、駅構内の様子がこの位置からでも判る。シンプルな構造に様変わりしているようで、ホームの両脇を一段掘り下げた溝の上に敷かれた二本の線路――ガイドウェイの上を、メタリックカラーがイカす流線型のリニアモーターカーが走行している。
見慣れた渋谷の延長線上にあるはずなのに、そこを走る交通機関が一気に「未来」を主張してくる。知っている街なのに、自分だけが取り残されている感覚があった。
「あっ、せつくん。ここの路地裏で傷の手当てをしましょうか」
「ああ、そうだな。人目もなさそうだ」
――当然と言えば当然だが、矢張りAもユニークスキルを隠すことの重要性を理解している。人目につかなそうな場所に来るまでの道中、メイド服の美女連れの血塗れの俺は、行き交う人々にじろじろと見られたが、数少ない味方であるAのユニークスキルを街中で披露してバラす訳にもいかない。
「まだお話していませんでしたね。私のユニークスキルを一言で表すならば『超回復』です。せつくんの蘇生もその延長線上ですね。これ以上の人間を蘇生させるのは難しいとは思いますが……」
「超回復か……」
Aが指し示した路地裏は薄暗く、往来する人で賑わう〈超渋谷エリア〉の街中とは対照的だ。煙草の吸殻やパンパンに詰まった黒いゴミ袋が散乱し、烏がアスファルトにへばりついた何かもわからない白いゴミを啄んでいる。
「ではせつくん、傷を癒しますのでじっとしていてくださいね」
「ああ……」
Aがそっと目を閉じ、祈るように両手を合わせる。すると、俺の全身がじんわりと温かなものに包まれた。
熱い訳ではない。露天風呂へ肩まで浸かったときみたいな、深く力が抜ける温度だった。痛みが引いていくというより、身体の方が元に戻ることを思い出していくような感覚。
「おぉ……!」
裂けた皮膚が閉じる。滲んでいた血が引く。傷口だけではない。柄シャツも、黒のスキニーも、まるで時間が巻き戻るみたいに裂け目が塞がっていき、数秒前の損傷が嘘みたいに消えていく。
――これがAのユニークスキル。
明らかに人智を超えている。竜ヶ崎の身体強化系もそうだったが、こうして現物を見せられると、異能至上主義という言葉に変な誇張は一切ないのだとわかる。これ程の力が社会に蔓延しているなら、法も治安も価値観も、根こそぎ変わるに決まっている。
「はい、終わりました!」
「……ありがとう。なんと言うか……強力なユニークスキルだな。無機物まで治せるのか……」
「偉人級ユニークスキル・〈白使〉です。人体以外も原型さえ残っていれば大丈夫ですよ」
偉人級。中位級の〈癒光〉ですら十分に有用だと思ったのに、その更に二段上。Aは、この新世界基準でも十分に上澄みの側にいるのだ。
「言うならば天使さんの中位級ユニークスキル・〈癒光〉の完全上位互換か」
「せつくんに比べれば大したことはありませんよ。……それよりすみません、せつくん。私のために気を遣って、人目につかないところでユニークスキルを使わせてくれたんですよね?」
「まあユニークスキルをバラさないに越したことはないからな。当然のことだ、気にするな」
「はい!ありがとうございます!」
Aが嬉しそうに笑う。
「さて、これからどうするかだが……取り敢えずビジネスホテルにでも泊まって明日考えるか。今日は色々あって疲れた」
「かしこまりました。宿をお取りしておきます」
「ああ、A。その前に少し本屋に寄ってもいいか。この新世界のことを学んでおきたい」
今の俺には情報が足りない。街を歩いて、テレビを見て、能力を試したところで、まだ世界の輪郭しか掴めていない。生きると決めたなら、知ることから始めるしかない。
「そうですね!でしたら案内させていただきます」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「せつくん、私は同じ部屋でも良かったんですけど……」
「仕方ないだろ。シングルルームなんだから」
夜。ビジネスホテルへとやって来た俺達はそれぞれの個室に向かっていた。Aとは隣室だ。
部屋の前に立ってカードキーを翳す。Aが物寂しそうな表情を浮かべながら、俺の袖をそっと引いた。
「せつくん、では明日の朝、起こしに伺いますね」
「ああ、悪いな」
Aと一時的に別れ、個室へと足を踏み入れる。簡素な造りだがベッドにクローゼット、デスクにエアコン、テレビと一通りの設備は揃っていて、数日暮らすのには何の不便もなさそうだ。今日一日が濃過ぎたせいか、こういう凡庸なホテルの内装が寧ろ妙に落ち着いた。
ベッドへ腰を下ろし、買ってきた本の入ったレジ袋を放る。そのまま大の字になって天井を見上げると、自然と浮かんできたのはAの顔だった。
――A、可愛かったなあ。
百人いれば百人が「美人」と答えるだろう顔立ち。しかもスタイルまで抜群。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。そんな子が、八十五年も俺を待ち続けて、今もあんな風に真っ直ぐ好意を向けてくるのだ。好きになってまうやろ。
だが、それ以上に引っかかるのは別のことだった。
――Aはどうして、あんなにも俺を好いてくれているんだろう。
矢張りAのことは思い出せない。一二三の言う通り、人格も話し方も服装も変わってしまったのなら、今のAが俺の記憶と繋がらないのは当然なのかもしれない。それでも、彼女の好意だけが余りにも本物過ぎて、理由を知らないまま受け取るには少し重かった。
「Aの記憶を取り戻してやるのが最優先事項か……」
そう呟いた途端、俺は勢い良く身体を起こした。
「よし、その辺りも含めて、Aと話をしに行くか」
廊下へ出る。時刻は二十三時を回っていた。人の気配は薄く、ホテルの廊下は妙に静かだ。
隣室の前に立ち、ノックする。
コンコンコン
「A、ちょっといいか」
――返事がない。
もう一度、三回。
コンコンコン
「A?」
脳裏に、夕方の竜ヶ崎の顔が過る。異能犯罪。最悪の治安。能力を持った暴力。もしAが、俺の知らないところで何かに巻き込まれていたら――
「A!おい!」
ドアノブへ手を掛ける。そして、そこで気付く。扉は開いた。オートロックの筈なのに。
心臓が跳ねた。
――Aは回復特化。戦闘能力はないに等しい。もし竜ヶ崎みたいな連中に襲われでもしたら。
「――A!」
そのまま部屋へ踏み込む。だが、室内は蛻の殻だった。荒らされた形跡はない。寧ろ綺麗過ぎる。それでも焦りは収まらない。
耳を澄ます。シャワールームから、水音。
安否確認、それしか頭になかった俺は、そのままシャワールームの扉を開けた。
「――A!」
「――きゃっ!」
……そこには、豊満な胸を揺らしながら、シャワーを浴びているAがいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「すみません、せつくん……。まさか鍵が壊れているとは思わず、お見苦しいものをお見せしてしまって……」
Aは顔を真っ赤に染めて俺の隣にちょこんと座っている。ベッドの柔らかさも、今は気不味さに拍車を掛けるだけだ。
「いや、そんなことはない。俺の方こそ早とちりして悪かった……」
――気不味い。新世界初日から、我ながら酷い事故を起こしたものだ。
「……いえ、とんでもございません。それよりせつくん、私に何か御用があったのではありませんか?」
「あ、ああ……。取り敢えず、Aの記憶を取り戻してやりたいと思ってな」
「本当ですか!?嬉しいです」
ぱっとAの表情が明るくなる。
「いつまでもAって呼ぶのは変だろ。本名で呼んでやりたい」
「せつくん、嬉しいです。私……実はせつくんに忘れられてしまったと思ったとき、とても悲しかったんです」
「………………」
言葉が詰まる。自分に悪意はなくても、相手を傷つけていた事実は変わらない。Aの言葉は責めていないのに、責められるよりずっと効いた。
「もちろんせつくんが悪いわけではありません。でも、せつくんに私のことを思い出していただけたら、それほど幸せなことはありません」
「そうか……。悪いな、何か切っ掛けがあればいいんだが……」
「そうですね……。でしたら、明日、私の家に来ませんか?少しリニア――エクスプレスで移動することになりますが、穏やかで良い村ですよ」
家。そこには、今のAへ繋がる何かがきっと残っている。記憶を取り戻す手掛かりにもなるし、Aが今どこで、どんな風に生きてきたのかを知ることにもなる。
「そうだな。何かわかるかもしれないしな」
「はい。ありがとうございます、せつくん。私のために」
「気にするな。さて、俺は部屋に戻って寝るよ」
「かしこまりました。でしたら、改めてまた明日」
「ああ」
こうして、俺は新世界での一日目を終えた。明日という日が、俺にとって本当の意味での第一歩になる気がした。
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