1-5 黄昏時のチュートリアル
「――はっ!やはりお前の方が『天才』だよ!雪渚!」
「せつくん……っ!やっぱり!凄いです!」
Aが背後から豊満な胸を押し付けるように抱きついてくる。その柔らかな圧と、背中越しに伝わる体温とは裏腹に、俺の頭は急速に冷えていった。
眼前の〈審判ノ書〉に浮かぶ、神々しい金文字。灰色の脳細胞が、ようやく与えられた材料へ貪欲に食らいつき始める。
――神話級。
――Themis。
――ギリシャ神話における、「法と掟」の女神。
「……これが……俺のユニークスキル……」
「雪渚、流石としか形容し得ない。やはりお前は『天才』だ」
――自分は優秀なのだから神話級ユニークスキルだろうと先刻、思い込んでみて、丁寧にフってみたが本当に神話級ユニークスキルが出たか……。
「神話級ユニークスキルだと解釈して問題ないよな?」
「ああ、ギリシャ神話の法と掟の女神――テミスの名だろう」
――これ、本来なら「いや、あれだけフっておいて下級ユニークスキルかーい!」の奴だろ。どうやら〈審判ノ書〉にお笑いのセンスは皆無らしい。
俺の背中に抱きついたまま離れないAが無垢な疑問を口にする。
「せつくん、このユニークスキル……どんなユニークスキルなんでしょうね」
「何となく推測は出来るが……神話級ユニークスキルは大陸を消滅させるレベルなんだろ……。推測が外れる危険性を考慮すると、下手に検証も出来ないな」
能力の名からある程度の方向性は読める。だが、読めることと、試していいことは別問題だ。神話級という時点で、下手な検証は事故では済まない可能性がある。洒落にならない被害が出てから「やっぱり違いました」では遅過ぎる。
「ふふ、私と一緒に調べていきましょうね」
「そうだな……一二三、俺は体調は問題なさそうだ。寧ろAのユニークスキルによる蘇生の影響なのか、頗る調子がいいくらいだ。俺はもう出るよ」
「せつくん……ですが……」
不安そうなAの髪を、俺は軽く撫でた。白いミディアムヘアが指の間を滑る。壊してしまった相手にする仕草としては、余りにも穏やかだった。
「A、大丈夫だよ。もう俺はAを置いて何処かに行ったりしない。さっきも言ったろ。俺は生き抜いて覆す。今度こそ、最期には笑って死んでやるんだ」
「そっか……。そうですよね、せつくん!うん、うん!」
Aはぱっと表情を明るくし、再び俺の背中へ強く抱きつく。その嬉しさがあまりにまっすぐで、少しだけ胸が痛んだ。俺がたった一言、生きると言っただけで、こんなふうに喜ばせてしまうくらいには、Aは長い時間を飢えていたのだ。
視線を戻すと、一二三はいつの間にか立ち上がっていた。俺は一二三に告げる。
「一二三。八十五年間、世話になったな。この礼は必ず」
「なに、親友だろ。気にするな。……雪渚、お前にこれを」
そう言って一二三が俺に手渡したのは、目測で縦十六センチ、横六・五センチ程度のガラス板だった。
「一二三、これは……?」
「ガラス板のように見えるがそうじゃない。俺がCEOを務める企業――〈天網エンタープライズ〉で開発した、この新世界におけるスマートフォンだ。画面に触れてみてくれ」
――そうか。俺が使っていたスマートフォンは、自殺したときに諸々の履歴や足が付きそうな情報を消した上でぶっ壊してしまったな。
「ほう。こうか……?」
促されるままに触れると、無機質だった板の表面へ洗練されたロック画面がふっと浮かび上がる。更に上へフリックすれば、ホーム画面には整然とアプリが並んでいた。反応速度も表示の滑らかさも、八十五年前のスマートフォンより一段上だ。進化というより、道具としての完成度が研ぎ澄まされている感じがする。
「その中央、『SSNS』と記載されたアプリアイコンを開いてくれ」
一二三の指示に従ってそのアイコンをタップすると、「雪村 雪渚」、その下に「Yukimura Setsuna」と記載されたプロフィール画面が表示された。
更に下部のメニューバーにある、人と人が握手しているイラスト付きの「フレンド」を開けば、既知の二人の名が並んでいた。
「SSNS。これもウチ――〈天網エンタープライズ〉で開発・提供しているアプリだが、要するにSNSの機能と電話・ビデオチャット・DMの機能を統合したものだ」
「お前すごい開発するのな……」
「新世界じゃ大抵の人間はこのスマートフォンとSSNSを利用している。『フレンド』にAさんと俺を登録しているから、何かあれば連絡してくれ」
「至れり尽くせりだな……。ありがとう一二三」
「ああ」
「――五六先生!ここにいらっしゃいましたか!山本さんが呼んでますよ!」
突然病室に飛び込んできた看護師の女性が、一二三を見つけるやいなや声を掛ける。
「おっと、すまない。直ぐに行くと伝えてくれ」
「急いでくださいね!」
看護師はそう言い残し、ぴしゃりと扉を閉めた。
病室に一瞬だけ静けさが戻る。長く停滞していた時間が、ここへ来て急にまた動き始めたようだった。
「悪いな、一二三。時間取らせた。じゃあ……行くよ」
「Aさんもいることだし、大丈夫そうだな。今度はゆっくり二人で酒でも酌み交わそう」
「ああ」
――こうして、俺の八十五年間にも及ぶ入院生活は幕を閉じた。
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Aが用意していた、俺が当時好んで着ていた白黒の豹柄の柄シャツと黒のスキニーパンツ、着て、赤いニット帽、真新しいスニーカー。
八十五年ぶりに病衣を脱ぎ捨て、その大きな病院の自動ドアを出ると、眼前に広い駐車場と、その向こうに都心の街並みが広がっていた。
夕陽が低く差している。世界は橙に染まり、建物の輪郭も、停車した車の屋根も、遠景のガラス窓も、どれも少しだけ美化されて見えた。
病室の白とは違う、本物の外気。それが肺へ入ってきた瞬間、ようやく俺は外に出たのだと実感した。
Aは俺の左隣で、当然のように腕を絡めてくる。
「ふふ、さてせつくん、今夜は宿に泊まりますか?」
「A……気持ちは嬉しいんだけどちょっと動きづらいから一旦離れようか。待合ロビーで凄い目で見られてたぞ、俺ら」
「え~、関係ないです~!」
頬を膨らませて反駁するA。Aにしてしまったことを思うと、俺にAのしたいことを妨げる権利はないだろう。
――さて、Aの記憶も取り戻してやらないとな。
そんなことを考えながら背後の建物を振り返る。巨大な総合病院の最上階外壁には、「五六総合病院」のサインが掲げられていた。
――副業で総合病院の開業医。いねえってこんなやつ。
そう脳内でツッコミを入れた瞬間、「何か」が俺の右の頬を掠めた。蹴り上げた右脚が、その「何か」が蹴り上げた右脚と交差する。硬質な衝撃が走る。
「――せつくん!」
視界に飛び込んできたのは、やさぐれた雰囲気の、長い黒髪の女だった。頭には二本の黄色い角。太腿の露出した軽装の鎧。黒を基調とした装備は、機動性だけを偏執的に追い求めたような作りになっている。夕暮れの光が、その輪郭を妙に劇的に照らしていた。
女の両手には、黒い鉤爪。俺の頬から落ちた血がアスファルトへぴちゃりと落ち、その小さな音が、これから始まる戦いの合図のように響く。
「アタイの蹴りを受け止めるたァ……やるじゃァねェか……!」
彼女の両手には鋭く光る黒い鉤爪が装備されている。俺の頬から血が滴り、アスファルトの地面へとぴちゃ、と落ちる音がこれから始まる戦いを予感させていた。
「――せつくん!」
「A、大丈夫だ。危ないから離れててくれ」
「せつくん……かしこまりました」
――Aは恐らく回復に特化したユニークスキル。この時代なら最低限の護身術くらいはあるかもしれないが、戦闘能力を当てにする局面ではない。ここは俺が前に出るしかない。
Aは心配そうな表情を浮かべながら、それでも従順に、俺達から距離を取った。その広い駐車場に停められた乗用車のボンネットが、斜陽を美しく反射する。俺達は交錯した脚を地に下ろし、向かい合った。
「……お前、さっき病室を外から遠巻きに覗いてた奴だな」
「ほォ、気付いてやがったかァ……!」
――そう、この黒髪ロングの女は先刻、俺が二階の病室でAとニュースを観ていた際、窓の外の木の上からその様子を遠巻きに観察していたのだ。
「何の用だ?」
「なァに、殺すつもりはねェよ……。持ち金置いてってくれりゃァいい」
「生憎だが無一文でな。他を当たりな」
「はッ!嘘吐くんじゃねェよ!メイドなんか連れやがってよォ、金持ってねェとは言わせねェぜェ!」
――Aのことだろう。メイド服姿で高級感もある。街で見れば、確かに金持ちの付き人に見えても不思議はない。
「アタイはそこのメイド女がお前に会いに病院に通い詰めてるのをこの数日見ててよォ!お前が出てくるのを待ってたんだァ!柄シャツなんか着やがってよォ、狙ってくれって言ってるようなもんだろォがァ!」
「病み上がりなんだけどな……」
――言っても聞く耳持たないな。だがこちらにとって悪くはない。まだ俺の神話級ユニークスキル――〈天衡〉の全貌は見えていないが、検証機会としては丁度いい。
「仕方ないな、金が欲しけりゃ俺を倒してみな」
「いいぜェ!殺ってやるよォ!……うおおおおぉおおおぉおおおぉおォォォ!!!」
女がそう気合いを入れた途端、その身体がメキメキと悲鳴を上げ始めた。それは筋肉の膨張というより、骨格そのものが別の生き物へ寄っていくような、不快で原始的な変貌の音だった。
「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォ!」
肌に鱗が浮く。その鱗は夕陽を受けて不気味な光沢を放ち、黒い鉤爪の隙間から覗く爪は、切っ先で光を反射して一層の鋭さを見せる。
さらに下半身には、鱗を纏った大きな尻尾。人と竜の中間。荒々しく、醜悪で、それでいて一種の機能美すら感じさせる姿だった。
「伸ばした爪だけじゃ足りねェよなァ!アタイの蹴りを受け止めたお前に敬意を表して全力で相手してやるよォ!」
「相手してやる、は俺の台詞だろ……」
――形容するならば竜人化。アニメなんかでよく観る人と竜の狭間の存在、ドラゴニュート。これがこの女のユニークスキル、という訳か。
「お前も運が悪ィヤツだァ……!残念だったなァ。アタイのユニークスキルは上位級ユニークスキルだァ!〈竜鱗〉の本気を見せてやるよォ!」
――上位級ユニークスキル――世界人口の上位数パーセントが持つユニークスキル。この女……自ら武器である筈のユニークスキルをバラした時点で賢くはなさそうだが、目に見えない程のスピードで俺の頬に傷を付けた身体能力。個人の才能に応じた階級のユニークスキルが発現する、という事実を踏まえれば、この女が上位級ユニークスキルを持つというのも頷ける。
「上位級ユニークスキル……」
――運動神経は俺とほぼ互角か、それ以上。チュートリアル戦にしては少し骨がある気もするが……。
「――っしゃァ!来ねェンならこっちから行くぞォ!」
女は、そう息巻くとその場から「消えた」。直後、左頬へ鋭利な線が走る。
「――『竜ノ鉤爪』!」
その直後、続け様に柄シャツごと、右肩が切り裂かれる。生地の裂ける感触。遅れて熱い痛み。肩口から滲んだ血が、白黒の豹柄シャツへじわりと広がっていく。
「――せつくん!」
――ギリシャ神話の「法と掟」の女神、テミスの名を冠する神話級ユニークスキル――〈天衡〉。俺の推測ではこうだ。
――「掟を定める」ユニークスキル。そして、掟を定める以上は、掟を破った際の罰があると考えるのが自然だ。
「――『竜ノ鉤爪』!」
女の猛攻が続く。シャツが更に裂け、全身に浅い裂傷が増える。血が滲み、皮膚が焼けるように痛む。だが、不思議と頭は冴えていた。
――自殺した時に比べれば、全然痛くないな。
「――おらおらァ!ビビって反撃もしねェのかァ!?」
「お前な、そんなに金が欲しけりゃ倉庫バイトの夜勤でもしてろ。お前のその体力があるなら労基ガン無視の三十連勤も余裕だろ」
「――るせェ!真面目に働いてちゃァキリがねェんだよ!『竜ノ鉤爪』!」
女は目にも止まらぬ速さで、次々と俺の身体を切り裂いてくる。まるで妖怪・鎌鼬を彷彿とさせる程に。Aは少し離れた場所で、その様子を心配そうに見守っている。
――さて、そう考えると、〈天衡〉は恐らく、「掟を定め、掟を破った者には罰を与えるユニークスキル」だと考えられる。なら重要なのは、何を禁じ、どう罰するか。試すなら、まずはシンプルに。相手の攻撃行動そのものを折る形が良い。
「――ずっと突っ立ったままで!何がしてェンだてめェ!」
「せつくん……っ!」
「ほら見ろォ!お前の使用人のメイドも心配そうにしてんじゃァねェかァ!」
「……あの、誤解していませんか?私が心配しているのはご主人様ではありませんよ」
Aの声音は妙に落ち着いていた。少しだけ口元が緩みそうになる。
――まあ当然だが殺す気はない。軽く試してみるか。
「――心配なのは貴女です」
「あァ!?」
――上位級ユニークスキルであることに誇りを持っているようだが悪いな、俺は三階級特進の神話級ユニークスキルだ。
『掟:衣服に損傷を与えることを禁ず。
破れば、全身を麻痺する。』
それは声でも呪文でもなかった。宣言ですらない。ただ、世界のどこかに「そういう法」を一行、書き足すような感覚。
そう脳内で思考した瞬間、俺の身体はまた新たな傷を創る。すると刹那、黒髪の女の猛攻が、ぴたりと止む。俺の眼前に突如として現れたその女は、アスファルトに倒れ込むようにして、空中から地に落ちた。
「――なッ!?」
竜人の女はその場で這い蹲り、四肢を思うように動かせずに悶えた。何が起きたのか理解出来ていない顔だった。だが、理解していないのは当然だ。法に従っているつもりの人間は、法そのものが今この瞬間書き換わったなど想像しない。
俺はアスファルトの地面に這い蹲るように悶えているその女を見下ろすように立って、黒いスキニーのポケットに両手を突っ込んだまま、告げた。
「勝負あったな」
「……くっそ……ッ!動……けねェ……!」
夕陽が黒い軽装鎧を照らす。竜の鱗も、鉤爪も、麻痺した今となってはただの飾りだ。
新世界での、俺の初戦。決着は余りにも静かで、余りにも一方的だった。




