1-58 Coming out in the Moonlight
――目を覚ました時、最初に見えたのは、泣きじゃくる仲間たちの顔だった。
「うぇぇぇぇぇぇぇえええん!おにいたまがぁ!おにいたまがぁ!」
視界はぼやけていて、焦点が合うまでに少し時間が掛かった。〈歌舞姫町エリア〉のネオンが滲んで、赤も青も紫も、全部が水彩のように溶け合っている。頭の奥が鈍く痛み、身体は酷く重い。肺へ空気を入れようとすると、胸の奥に一瞬だけ嫌な記憶のような違和感が走った。
――刺されたんだっけ、俺。
意識が少しずつ戻ってくる。視界の上から覗き込んでいるのは、涙で顔をぐしゃぐしゃにした拓生と竜歌、泣きそうな顔で唇を噛む日向、そして――俺の頭を抱くように膝を貸してくれている天音だった。
頬に触れる布の感触と、太腿の柔らかな温もり。膝枕だ、と脳が遅れて認識する。
俺に縋りついてわんわん泣いていたフランの頭を撫でてやる。
「フラン」
「おにいたま……!」
「――師匠!良かった……良かったですぞ……!」
「おォ!ボス!ボス!」
「雪渚センパイっ!」
「雪村……ホント馬鹿なんだから……」
集合場所になっていた「I♡歌舞姫町」のネオンサインがあるビル前、そこから真っ直ぐ延びた通りのベンチストーンの端。俺達はそこに腰を落ち着けているらしい。
「……悪い。心配掛けたな……」
不思議と刺された胸の痛みはない。天音がユニークスキルで治癒を施してくれたことは、火を見るより明らかだった。
「ううっ……うう……せつくん……!ごめんなさい……!私が……私が……もっとちゃんとしてれば……っ!」
「天音……」
「あの男を……ちゃんと殺すべきでした……!痛い思いをさせてしまって……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
涙で腫れた瞼。震える声。抱き締める腕には、いつもの余裕など一欠片もない。天音は本気で、自分を責めていた。
「天音が悪いわけじゃない。俺の不注意だ。ごめんな」
そう言うと、天音はますます泣きそうな顔をした。俺はそこで、漸く口にすべきことを口にした。
「――天音」
「……はい」
「天音は……〈十傑〉だったんだな」
「……はい」
天音は誤魔化すこともなく、素直に答えた。その言葉がすっと腑に落ちた。涙ぐむ日向が天音に声を掛ける。
「あまねえ……言うことにしたんだね……」
「はい、もうせつくんは誤魔化せませんよ」
「姉御……〈十傑〉……だったのかァ……」
「ずっと非公開だった〈十傑〉の第二席……雨ノ宮女史だったのですな……」
「あまねおねえたま……」
「せつくん……黙っていてごめんなさい」
――もっと早く気付けたことだ。蘇生の力なんて、正しく神話級ユニークスキルとしか言いようがないのだから。
「どうして言わなかった?」
――今思えば、〈神屋川エリア〉の城壁の外で、日向陽奈乃と初めて対面した時。日向は拓生の珍妙な出で立ちには言及して、天音のメイド服姿には何の疑問も抱かずスルーしたのも可笑しかった。それは……〈十傑〉として天音とは既に顔見知りだったからだ。
「――アタシが話すわ。いいわよね?あまねえ」
日向が涙を拭いながら言う。天音は小さく頷いた。
俺達は、月明かりとネオンの混ざる夜の中で、日向の言葉を静かに待った。
「あまねえはね、〈十傑〉の発足時から何十年も……ずっと〈十傑〉の一員だったの。アタシや今のメンバーが生まれる、ずっとずっと前からね。でもあまねえは病院に通い詰めて……『ずっと帰りを待っている大好きな人がいる』とだけ言っていたわ」
「それが……師匠だったという訳ですな」
「うん……。凄く悲しそうな顔をするから……雪村のことをアタシたちは詳しく聞けなかったのよ。けど……〈神屋川エリア〉で雪村、アンタを初めて見た時ね、あまねえがアンタを見つめる目でわかったの。『あ、この人なんだ』って。『あまねえがずっと待ってた人が、帰ってきたんだ』って」
日向は一度息を吸い、それから少しだけ目を細めた。
「あまねえのユニークスキルに蘇生の力があるってのは知ってたしね」
「……姉御」
「天音さんっ!」
日向の言葉に、天音は観念したように静かに続けた。
「私がせつくんに〈十傑〉だと言わなかったのは……せつくんに嫌われたくなかったからです」
その声音は、酷く弱々しかった。普段の天音からは想像しづらい程に。
「〈十傑〉なんて世界を崩壊させかねない力を持っている存在――嫌われても不思議はないですから……」
――違う。天音が怖れていたのは、恐らく「嫌われること」そのものではない。
――もう一度、大事なものを失うことだ。
――八十五年。気が遠くなる程の時間を、天音は俺を待つことに費やした。待って、耐えて、壊れて、それでも待ち続けた。そんな女が、やっと目の前へ戻ってきた俺に対して、臆病になるのは当然だ。
「……そんなことで俺が天音を嫌うかよ」
そう言うと、天音の肩が僅かに震えた。
「そうね。あまねえも、頭ではわかってたと思うわ」
日向が小さく肩を竦める。
「でも、どうしても、また雪村が離れてしまうのが怖かったんだと思うの。だからあまねえは、雪村が目覚めた日に、SSNSのグループチャットを通じて、アタシたち〈十傑〉全員に、雪村の前では他人のフリをするようお願いしたの。だからアタシは〈神屋川エリア〉で、あまねえとは初対面のフリをしたの」
――杠葉姉妹も、涙ちゃんも、飛車角さんも、日向も――。みんな、天音の願いを汲んで、知らないフリをしていた……。
「……そうか」
「そうだったんですな……」
「せつくん……いえ、皆さん……秘密にしていてごめんなさい」
「いや姉御……謝ることはねェだろォ……」
「そうですよっ!事情があったんですからっ!」
「全くですぞ!水臭いですぞ!」
「天音……心配性だな。大丈夫、俺はもう離れないから」
――俺の自殺は、未だ尾を引いている。こんな風に、世界の頂点に影響するまでに。
その言葉に、天音の瞳が再び揺れた。
「はい、はい……!ごめんなさい……。もう隠していることはございません」
「そうか……」
「むむっ、待ってくだされ。となると雨ノ宮女史も師匠と同じく神話級ユニークスキル……ということになるのですかな!?」
「はァ!?拓生ォ!ボスが神話級ユニークスキルだとォ!?」
「神話級ユニークスキル……そうだったのね。いや……ニュースで観た雪村のスペックを考えると、不思議はないわね」
「そういや竜歌や日向には言ってなかったな……。で、天音、どうなんだ?」
「はい。〈聖癒〉――それが私の神話級ユニークスキルです」
――ラファエル。ユダヤ教の四大天使やキリスト教の三大天使に数えられる、癒しを司る大天使か……。
「ガッハッハ!よく考えてみりゃァ、さすがボスに姉御だぜェ!アタイの恩人が神話級じゃねェわけがねェもンなァ!」
「いや竜ヶ崎女史……その理論は意味不明ですぞ……」
「竜歌さんはアホですからねっ!」
「――おあッ!?ハズレェ!」
それでも、竜歌やハズレちゃんの底抜けの明るさが、この重い空気を少しだけ軽くしてくれる。
「でもホント……深くは刺さってなかったのが不幸中の幸いだったわ。あまねえのユニークスキルで治るとはわかっていてもちょっと泣いちゃったじゃない!」
「悪かったって……」
「雪村、あまねえ……アタシもごめん。アタシが集合場所を勝手に決めちゃったせいで……」
「それを言ったら俺が二階堂と戦ったのが原因だ。日向は悪くない」
「はい。せつくんの仰る通りです。日向さんが悪いわけではありませんよ」
「うん、ありがと。雪村、あまねえ」
そこで、天音が少しだけ呼吸を整えてから告げた。
「せつくん、こうなったからには私は〈十傑〉・第二席だと世間に公表します。その方が敵も近寄りませんし、せつくんも安全でしょうから」
その時、フランが小さな手で天音のメイド服の裾を引いた。
「フラン、あまねおねえたま、やさしいからすき」
「ふふ、ありがとうございます、フランちゃん。私も大好きですよ」
天音はにこやかに微笑むと、フランの頭を優しく撫でた。
フランは嬉しそうに目を細める。
俺はそれを見て、思わず口を開いていた。
「……天音」
――俺の自殺で天音は壊れてしまった。俺の自殺で、天音の尊い八十五年を奪ってしまった。これは償いなんかじゃない。天音は、報われるべきだ。
「はい、なんでしょう。せつくん」
俺はゆっくりと身体を起こした。まだ少し眩暈はしたが、問題ない。静かに腰を折り、ポケットへ手を差し入れる。
――いつか渡そうと思っていたもの。いつ渡すのが正しいのか、ずっとわからなかったもの。
小さな箱を取り出して、開く。月光を受けて、指輪が静かに光った。
「――結婚しよう」
その一言を口にした瞬間、まるで世界の音が一度消えたような気がした。
歓楽街の騒めきも、ネオンの明滅も、遠くの笑い声も、全部が酷く遠くへ退く。天音だけが、そこにいた。
彼女の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「……っ!いいんですか……!私なんかで……」
「天音がいいんだ。いつもそばにいてくれて、ありがとう」
天音は、何度も何度も頷いた。泣きながら、それでも笑っていた。
「嬉しいです……!私こそ……よろしくお願いします……!」
その声は震えていたのに、不思議と、とても綺麗だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――〈歌舞姫町エリア〉。俺達は極めて普通の、何処にでもあるようなチェーンのカラオケ店に足を踏み入れた。
「なァ、陽奈乃ォ。カラオケだろここよォ。こんなとこで〈十傑円卓会議〉やるのかァ?」
「〈十傑円卓会議〉の開催場所は〈十傑〉しか知り得ないと言われてましたが……まさかカラオケとは思いませんでしたなぁ」
「もう!馬鹿なの?超大事な〈十傑円卓会議〉をカラオケでやるわけないじゃない!」
日向が呆れたように言い放ち、受付カウンターの内側にいる若い男性店員へ声を掛けた。
「――〈十傑円卓会議〉に来たわ」
「日向様に雨ノ宮様。お待ちしておりました。ご一緒の方々も〈十傑円卓会議〉へ……?」
「皇さんの指示でね」
「かしこまりました。どうぞこちらへ」
男は〈十傑〉である日向や天音に敬意を示しつつ、そのままカウンターの内側へ俺達を通した。バックヤードらしき扉を開く。
「行ってらっしゃいませ」
中は、白を基調とした従業員用休憩室だった。ロッカー、机、雑然と置かれた備品。その隅にだけ、明らかに場違いなものがある。
女神像だ。
細部まで精巧に彫られた、柔和な表情の石の女神。余りにも見覚えがある。
「これよ」
日向が女神像を指差す。
「日向女史……これは〈翔翼ノ女神像〉ですかな?」
「そうよ」
――〈翔翼ノ女神像〉。〈オクタゴン〉の玄関にも設置されている、〈翔翼ノ女神像〉間でのファストトラベルを可能とする便利な魔道具だ。
「新世界で四箇所しかない、〈十傑円卓会議〉へファストトラベルできる、〈十傑〉専用の〈翔翼ノ女神像〉よ」
「これで〈十傑円卓会議〉に行けるわけですな!」
「おォ!やべェぞボス!また緊張してきたァ!」
「ふふ……竜歌さん、緊張しなくても大丈夫ですよ。取って食ったりはしませんから」
「天音……開き直ると怖いこと言うのな」
「ふふ……」
「さ、行くわよ。みんな、手を触れて」
日向の言葉を合図に、一斉に〈翔翼ノ女神像〉に手を触れる。
――この新世界の世界総人口十一億人――その頂点に座する世界上位十名――〈十傑〉。
その中心へ踏み込むのだと意識した瞬間、身体がふっと浮くような感覚に包まれる。空間が裏返る。次の瞬間、俺たちは別の場所に立っていた。
白一色の広い部屋だった。
壁も、床も、天井も、白。ただ白いだけなのに、病院のような無機質さではない。寧ろ逆だ。清潔で、静謐で、現実から切り離されたような白だ。音まで吸い込まれてしまいそうな、異様な静けさがある。
部屋の四隅には、同じく〈翔翼ノ女神像〉が配置されていた。そして中央には、巨大な白い円卓。その周囲を囲むように、金と白の玉座が整然と並んでいる。シンプルでありながら、言い逃れできない格の高さがあった。
目の前には、見知った双子の姉妹が、二つの玉座へ並んで腰掛けていた。玉座の目の前――その円卓には、「Ⅹ」――ローマ数字で「10」を示す金色の刻印が彫られている。
片方――左右非対称のウェーブがかったツインテールに、白い着物と赤い袴。和装の少女が、こちらへにこやかに目を向ける。
「あら……またお会いできましたわね?」
「ああ……槐……」
――マザーロマリオ協会で出会った杠葉姉妹の姉――〈十傑〉・第十席――杠葉槐。十四歳と聞くが……この子から感じる底知れない力は……。
「え、槐お姉様……駄目だよ。し、私語は慎まないと……」
もう片方は、水色の比率が高いツートンカラーのツインテールに、ゴシック調のロリータドレス。両手にクマの縫いぐるみを抱えた、気弱そうな妹。
――同じく〈十傑〉・第十席――杠葉樒。如何にも気弱そうに見えるが……既に姉と同等の、底知れない力を感じる……。
そんな杠葉姉妹が座る二つの玉座の背後には、これまた見知った人物が優雅な仕草で控えていた。端正な顔立ちで、清潔感のある短い黒髪。格式高い、黒い燕尾服を着た男――黒崎影丸だ。
黒崎は俺達を見ると、ぺこりと頭を下げた。俺達も、それに倣って一礼――会釈を返す。竜歌は、何処か緊張した面持ちで、遅れて会釈を返した。既に天音や日向は円卓に着席しているようだった。
大きな白い円卓には、杠葉姉妹の座席の目の前に掘られた「Ⅹ」と同様に、円卓の弧に沿って時計回りに、金色のローマ数字が彫られていた。「Ⅹ」から時計回りに、「Ⅷ」、「Ⅵ」、「Ⅳ」、「Ⅱ」、最奥に「Ⅰ」、「Ⅲ」、「Ⅴ」、「Ⅶ」、「Ⅸ」――そして再び「Ⅹ」へと戻る。
〈十傑〉の席次で言うところの、偶数席次が俺から見て左側に、奇数席次が俺から見て右側に配置され、奥に往くに従って席次が高い者が座っているらしい。左手奥の「2」を意味する「Ⅱ」の座席には天音が、右手前側の「7」を意味する「Ⅶ」の座席には日向が座っている。
「うわぁっ!緊張しますねっ!」
「おォ……なんつーか、アタイがいてはいけない場所な気がするぞォ……」
空間を満たす空気は余りにも厳かで、人によっては失禁すらしてしまうのではないか――そんな、有無を言わせぬ緊張感があった。俺は小声で、隣で明らかに挙動不審な拓生に耳打ちした。
「拓生、椅子貸してくれねーか」
「師匠!?この空気の中、座るおつもりですとな!?」
拓生は声を殺しながらも、驚いた様子を見せる。俺がこくりと頷くと、拓生は渋々と、虚空からキャスター付きの椅子を取り出し、静かに杠葉姉妹の背後――その白い床に置いた。拓生に小声で感謝を述べつつ、場違いなその椅子に座る。
「……サンキュ」
隣に立つ黒崎がくすり、と笑ったような気がした。俺が座る、キャスター付きの事務感丸出しの椅子の背後に、拓生と竜歌、ハズレちゃんが控えるように立つ。
俺の背にはフラン。フランはこの状況が良く飲み込めていないようで、親指を咥えてぼうっとしていた。
――さて、〈十傑〉の席次は、そのままこの新世界における序列を意味する。即ち、最奥の玉座――「Ⅰ」に座る人物が、この新世界において最強の人物……。
そして、俺達の様子を静観していた「Ⅰ」に座る人物――つまり、〈十傑〉・第一席のその男は、爽やかに告げた。
「――さて、揃ったね。〈十傑円卓会議〉を始めよう」
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