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1-57 C級昇格戦

 ――〈歌舞姫町エリア〉。


 眠らない街。夜の(とばり)が下りた中でも、その街は(にぎ)やかな色町(いろまち)の様相を呈する。無数のネオンライトが通りを毒々しく、そして艶やかに染め上げている。


 桃色、紫、青、金。派手な看板が濡れた舗装路へ光を落とし、その上を香水と酒と欲望の匂いを纏った男女が行き交っていた。呼び込みの声、笑い声、車の走行音、遠くのクラブミュージック――その全てが混ざり合い、街そのものが一つの巨大な享楽装置のように脈打っている。


 ――そんな〈歌舞姫町エリア〉の中心街。その一角に建つ高層ビルの壁面には、縦一列に並ぶ「I♡歌舞姫町(アイラブかぶきちょう)」の巨大なネオンサインが、赤い光を滴らせるように瞬いていた。


 そのビルの前で、雪村雪渚を除く〈神威結社〉の五名、そして〈十傑〉・第七席――日向陽奈乃は、一人の男を待っていた。


「……おっそいわね、雪村のヤツ」


 日向が苛立たしげに、しかしどこか落ち着かない様子で爪先を鳴らす。金髪ツインテールの毛先が、夜風を受けて桜色に揺れた。


「予定があるとのことでしたな。いやはや師匠はどういうおつもりですかな?」


「ハズレちゃん、飽きてきましたよーっ!」


「姉御は何も知らねェのかァ?」


「残念ながら私にもさっぱりです。せつくんは常に私の思考の遥か上を行きますから……」


 天音は普段通りの落ち着いた声でそう言ったが、その言葉の内容はほとんど信仰告白に近かった。


「そういやよォ!さっき〈極皇杯〉ファイナリストの幕之内に会ってよォ!」


「――ぶひっ!?幕之内(まくのうち)(じょう)氏ですかな!?」


「スゴい有名人ですねーっ!ボクシングの世界王者じゃないですかっ!」


「また凄い方と知り合いましたね……」


 歌舞姫町の派手なネオンの光の中で、彼等だけは妙に浮いていた。白メイド服の美女、警官制服の少女、丸眼鏡の巨漢、角の生えたドラゴニュート、三歳児、そして〈十傑〉のギャル。客観的に見れば、夜の繁華街に出てきていい集団ではない。


 だが――その中心たる男がいないだけで、彼等の輪は何処(どこ)か落ち着きを欠いていた。


「――うー、さむ。悪いな、待たせた」


 俺は両手に()めた白い手袋を擦り合わせて彼らの下へ歩み寄った。ネオンがレンズ越しに(にじ)み、白い髪の輪郭を妖しく縁取る。


「おォ、ボス!」


「おにいたま!」


「せつくん!」


「雪渚センパイっ!」


「師匠!」


 ――周囲に広がる夜の歓楽街。それを(きら)びやかに演出するネオンライトに行き交う若者達。その賑やかな光景は、八十五年前、俺が腐っていた頃に度々訪れたあの街のままだ。


「おにいたま、おんぶ」


「おう、フラン。俺達から離れないようにするんだぞ」


「あい!」


「ちょっと遅いわよ、雪村!アタシめっちゃ待ったんだからね!?」


 そう言って、金髪ツインテールに桜色の毛先を持つギャル――日向陽奈乃が、如何にも不満げに唇を尖らせた。前髪を留める太陽のバレッタが、月光とネオンを拾って小さく光る。


「悪い悪い、思ったより参加者が多くてな」


「参加者……?何の話……?」


 日向が眉を寄せる。


 俺はその問いには答えず、背後の騒めきに意識を向けた。周囲の若者達が、立ち止まり、こちらを見ている。視線の主は、(ほとん)ど日向だ。だが、昨日のニュースに出た俺へ向けられたものも、確かに混ざっていた。


「おいあの人、〈十傑〉の陽奈乃様じゃねーか?」


「ホントだ、顔良っ」


「一緒にいるの昨日ニュースに出てた奴じゃね?」


「え?誰?」


「ほらあの白い髪の奴」


「あーなんか五六(ふのぼり)社長と並ぶ天才……とかいう?」


「ねえ見て、メイドの人めっちゃ美人じゃない?」


 ――〈十傑〉の日向に昨晩のニュースで話題に挙がった俺……か。余り注目を集めるのも良くないな。


「さあ、〈十傑円卓会議(サミット)〉だろ。行こうぜ」


「いよいよですな!」


 ――その時。


 ピロリン♪


 軽い通知音が、場違いなくらい能天気に鳴った。同時に、俺のスマホが独りでに眼前へ浮かび上がる。


『――昇格戦のお知らせです。Cランク昇格を懸けた昇格戦を承諾しますか?』


「わっ!そういえば、こんなのありましたねっ!」


「タイミング悪いですな……」


「せつくん、どうされますか?」


「悪いな。さっさと終わらせる」


「仕方ないわね。無様に負けるんじゃないわよ?」


「わかってる……」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 スマホが示していたのは、一軒のホストクラブだった。〈歌舞姫町エリア〉でもそれなりに目立つ位置にあり、女性客の往来が激しかった。今日は初回デーらしく、通りには普段以上の熱気が漂っていた。


「ホストクラブですな……。初めて来ましたぞ……」


「わぁっ!ハズレちゃん、この格好だと摘発だと思われちゃいますかねっ?」


 警官制服のままのハズレちゃんが、自分の胸元を見下ろして首を傾げる。


「ガッハッハ!ハズレは変な服着てるからなァ!」


「私服が『忠誠』白Tの人がなんか言ってますな……」


「おにいたま、いこ」


「ホストクラブにフランか……教育上よろしくないな……」


「とは言え仕方ありませんね……」


 ――ここまで来てフランを置いて行く訳にもいくまい。仕方ない。


 俺達は覚悟を決めて、その店の扉を潜った。


 瞬間、香水と酒とシャンプーと煙草が混ざった濃密な空気が押し寄せる。シャンデリアの光。煌びやかな内装。壁際に並ぶシャンパンボトル。作り物めいたほどに整えられた豪奢さが、ここが夜の歓楽街の中心であることを強烈に主張していた。


「いらっしゃいませ、お姫様――って、日向(ひなた)様!?」


 黒服の男性が日向を見た瞬間、声色が変わる。その一声で、店内が騒めいた。


 〈十傑〉・第七席。スーパーインフルエンサー。神話が歩いて入店してきたようなものだろう。


「おにいたま、きらきら」


「はは、そうだな。キラキラだな」


「へー、ホストクラブの中ってこんな感じなんだ」


 騒めき立つ店内を他所に、日向は平然とした顔で感想を漏らす。〈十傑〉の癖に、変なところで庶民的だ。


「日向はホストクラブ、初めてなのか?」


「まあ興味ないしね」


『Cランク昇格を懸けた昇格戦を承諾しますか?』


 機械音が、再び耳元に流れた。


 その声に応じるように、その通路の先で、今し方、初回接客を終えたばかりであろう茶髪の男が立ち上がった。高身に四角いサングラス。艶やかな茶色の髪に、赤い派手なスーツ。出で立ちからしてホスト然とした男だった。


 男の眼前にも、俺と同様にスマホが浮かんでいる。


「君が、僕の昇格戦の相手だね?」


「ああ、雪村雪渚だ」


「ふぅん。僕は二階堂流星。よろしく頼むよ」


 言葉は柔らかい。だが、その奥にあるのは露骨な値踏みと、自分が上に立つ側だという確信だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 二階堂と向かい合うように卓へ着く。


 周囲には〈神威結社〉の仲間達に加え、ホスト達や客達まで集まり、完全に見世物の輪が出来上がっていた。


「流星さん!やっちゃってください!」


「ウチのNo.1ホスト!」


 二階堂はそんな声援を当然のように受け流し、カクテルグラスを傾けた。琥珀色の液体がグラスの中で揺れ、その向こうで男の口元だけが薄く笑う。


「さて、雪村君。わかるよね?お姫様の前で殺し合いだなんてクールじゃない」


 ――麻疹(はしか)と同じパターンか。またしても異能による直接戦闘ではない……。


「――僕と、将棋を一局、どうかな?」


「将棋か……」


 ――将棋……。(しばら)くやっていないが……。


「構わない。悪いがこの後予定があってな。やるなら早くやろう」


「まあそう焦らないでくれよ」


 二階堂は卓上に将棋盤を置き、駒を一枚ずつ、やけに丁寧な手つきで並べ始めた。無駄に絵になる所作が腹立たしい。


 だが――そこで違和感が生じる。


 俺の前に置かれたのは、玉将のみ。それ以外の駒が、一向に置かれない。


 周囲から、くすくすと笑いが漏れた。


「ちょっとっ!ズルいですよっ!雪渚センパイの駒が少ないですっ!」


「玉だけ……裸玉とはあんまりですぞ……!」


「おっと、ごめんごめん。駒をなくしてしまってね。でも問題ないだろう?昨日のニュースで観たよ、君、『天才』なんだって?」


 ――成程(なるほど)。そういうことか……。


「僕は『天才』に勝てると思うほど自信家じゃなくてね。これぐらいのハンデは容赦してもらいたい」


 またしても、周囲に笑いが起きる。〈神威結社〉の仲間達は明らかに不満そうだ。


「おい!よくわかんねェけどズルはダメだぞォ!ちゃんとやれェ!」


「……品がない子もいるね。この店に相応しくない」


「クッソがァ……!」


 竜歌は今にも怒り狂いそうに顔を歪めているが、俺を立てるために辛うじてのところで踏みとどまっている。


「最悪だわ。こんなことして、恥ずかしくないのかしら」


陽奈乃(ひなの)ちゃん、〈十傑〉である君にならわかるんじゃないかな?勝つことの重みが――」


「………………」


 日向が無言になる。軽蔑で言葉を失った顔だった。


 卓上の盤面は、二階堂側には歩兵、香車、桂馬、銀将、金将、飛車、角行、王将と磐石の布陣。対して俺は玉将のみ。六枚落ちや八枚落ちという次元ではなく、十九枚落ちの裸玉。普通なら、将棋ですらない。


「あのおにいたま、きらい。おにいたま、いじめる、だめ」


「こんな勝負、無効ですぞ!」


「ボス!こんな勝負、受けてやる必要はねェぞォ!」


 ――逃げ道はある。だが、それを選べばこいつの思う壺だ。


 野次を飛ばす仲間達を一瞥し、二階堂は笑みを落とす。


「おや?逃げるのかい?それなら仕方ないね。旧世界の天才は、勝負を捨てて逃げた卑怯者と広めておくよ」


「雪渚センパイっ!」


「雪村……」


 俺は表情一つ変えないまま、盤上の玉将に指を添えた。そして、口角を上げる。


「――問題ない。始めようか」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 最初の数手で、二階堂は笑っていた。


 裸玉相手に、ゆっくりと包囲を狭めていく。王道の勝ち筋だ。飛車角金銀桂香歩。全てがある側が、玉一枚を追い込めばいいだけの話。普通なら、考えるまでもない。


 だが。


 五手。十手。十五手。二階堂の眉間に、徐々に皺が寄っていく。


 俺の玉は、まるで盤上を滑るように動いた。王手を掛けられる直前に一歩外れ、囲いが完成する前に一マス抜ける。追えば追うほど、自分の陣形が綻びていくように見える。


「なっ……なんで……どうして……」


 二階堂の声が、初めて揺れた。


 俺は何も答えない。ただ、盤を見ているだけだ。


 将棋盤の上で起きているのは、単なる逃走ではない。裸玉が追われているように見えて、実際には逆だ。駒数が多い側ほど、選択肢が多い側ほど、思考の負荷は増す。盤上に存在する情報量が、そのままノイズになる。


 玉一枚しか持たない側は、見るべきものが少ない。


 つまり――この勝負において「複雑さ」は、二階堂だけの足枷だ。


 俺は盤上の(わず)かな歪みを見逃さず、相手の飛車を誘い、角を閉じ込め、金銀を互いに邪魔させ、歩を壁に変えた。気づけば二階堂の軍勢は、自らの駒同士で身動きを奪い合っていた。


 それは将棋というより、盤上で起きる解体作業だった。


「――王手」


 淡々と放ったその一言に、観衆が息を呑む。


 盤上には、逃げ惑う二階堂の王将と、静かに追い詰める俺の玉将だけが残るばかりだった。二階堂の大駒は既に失われ、金銀も消え、歩も散り、結局最後に残ったのは、彼の慢心が剥き出しになった王将一枚だけだった。


 店内の空気が死んでいる。


 誰も、今目の前で何が起きたのか、完全には理解出来ていない。ただ、最初に見た盤面と、今ここにある盤面が、常識では繋がらないことだけは全員にわかっていた。


 日向が、顳顬(こめかみ)を押さえながら呟く。


「雪村……アンタ……化物よ……」


「褒め言葉として受け取っておこう」


 〈神威結社〉の面々も、歓声を上げることすら忘れていた。余りに一方的で、余りに異常だったからだ。勝った、ではない。「成立しない勝負を成立させた」――その異様さに、全員が言葉を失っている。


 二階堂のカクテルグラスは既に空だった。震える指先。乾いた唇。崩れた声。


「………………参り、ました」


 その言葉が、敗北の確認音のように店内に落ちる。


 直後、俺のスマホが再び浮かび上がった。


『Cランク昇格戦の勝利を確認しました。雪村雪渚様のランクはCランクへ昇格となります』


「……つまらん勝負だった」


 そう吐き捨て、俺は席を立った。もう、この場に用はなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――〈歌舞姫町エリア〉・「I♡歌舞姫町(アイラブかぶきちょう)」ビル前。通りに沿って置かれたベンチストーンに腰を下ろす。そこへ竜歌が当然のようにぴたりと身を寄せ、頬擦りしてくる。その頭を撫でながら、俺は夜風を吸い込んだ。


「ボスはすげェなァ!アタイ、『しょーぎ』ってのはよくわかんねェけどよォ、あの二階堂ってヤツの駒をどんどん取ってしまうのは気持ち良かったぞォ!」


「いやーっ!雪渚センパイが頭が良いのは知ってましたけどっ!想像以上ですねっ!スゴすぎますよっ!」


流石(さすが)師匠ですな……。正直ドン引きでしたぞ……」


「そうね、私も同感だわ……」


「ふふ、せつくんなら当然のことです。あの程度のハンデ、せつくんにとっては蚊が止まったようなものです」


 天音は、観衆が野次を飛ばしていた時から落ち着いていた。最初から俺の勝利を疑っていなかったのだろう。それが妙に心強い。


「おにいたま、かった?」


「おう、フラン。勝ったぞ」


「おにいたま、てんさい」


「よしよし、可愛いな、フラン」


「さて、それでは遅くなりましたが〈十傑円卓会議(サミット)〉に参りましょうか」


「そうね」


「日向、時間はまだ大丈夫か?」


「余裕よ。どうせ定刻通りに集まったことなんてないし、今やっと集まり始めたぐらいの時間だわ」


「そうか」


 ベンチストーンから立ち上がる。


 その瞬間だった。


 何か、生温かい感触が胸を包んだ。


「おにいたま!」


「師匠!」


「ボス!」


 視線を落とす。そこには、俺の胸へ深々と突き刺さったナイフがあった。


 柄を握っているのは――二階堂。


「――良くも恥を掻かせてくれたな……ッ!」


 歯を剥き、顔を歪め、プライドを破壊された男の成れの果てのような表情で、二階堂が叫ぶ。


「――せつくん!」


「雪村……!」


「雪渚センパイっ!」


 仲間達の声が、徐々に遠ざかってゆく。世界の輪郭が(にじ)む。薄れゆく意識の中で、俺は一筋の光明を見た。


 俺が良く知るその白髪(はくはつ)のミディアムヘアに、メイド服が良く似合う美女。彼女の背中から、メイド服を突き破って、三対六枚(さんついろくまい)の、白く、大きな翼が生えた。神々しく輝く光輪が、頭上に浮かんでいる。


 翼を広げて舞い上がった彼女。足許(あしもと)に立っていた二階堂流星は何か言い訳めいた声を発しようとして――「消滅」した。まるで神の怒りに触れたかのように。為す術もなく。


 月光をバックに、三対六枚の白い翼を生やし、頭上に天使の輪を浮かべた彼女は、天界から地上に舞い降りた天使を想起させる。そんな神々しい姿だった。


 幻想的だった。美しかった。そして、どうしようもなく、恐ろしかった。


 俺は遠のく意識の中で、一つの確信に至った。世間に正体が隠されたままの、世界上位十名――〈十傑〉・第二席、その正体。思えば、もっと早く気付くべきだったのだ。


 ――〈十傑〉・第二席に座するのは、雨ノ宮天音なのだと。


 「I♡歌舞姫町」という文字列に沿って赤い光を放つビルの壁面のネオンライトと、燦々(さんさん)と輝く月輪(がちりん)をバックに、白い翼を生やして宙に浮かぶ、美しい純白の髪のメイド。彼女が此方(こちら)を見下ろす様は、それはそれは幻想的な風景を映し出していた。

二階堂(にかいどう) 流星(りゅうせい)

挿絵(By みてみん)


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