1-56 二人の妹
『急で悪いんだけど……明日の夜、〈歌舞姫町エリア〉よ。詳細はDMで送るわ』
液晶画面の向こうで、金髪ツインテールの女――日向陽奈乃が、何処か投げやりで、それでいて妙にこちらを気に掛けるような声音でそう告げた。
「おォ!ボスが〈十傑円卓会議〉に出るのかァ!」
「〈十傑〉と円卓を囲むなんて……とんでもないことですぞ!」
「わぁっ!雪渚センパイっ!大抜擢ですねっ!」
竜歌と拓生、ハズレちゃんが、揃って大袈裟な反応を見せる。反応の方向性こそ違えど、世界の頂点たる〈十傑〉と同じ卓に着く、という事実が、彼らの胸を大きく揺らしているのは明白だった。
『何言ってるの、アンタたちも参加するのよ?』
「あァ!?なんでだァ!?」
竜歌が、文字通り飛び上がる。
『当事者なんだから当然でしょ?第一席の皇さんが、みんなからきちんと話を聞きたいって言ってるわ』
「やべェ!ボス!緊張してきたぞォ!」
「ちょ……まずいですぞ!〈十傑〉の面々といきなり……!」
『そんな緊張することはないわよ。まあ、ちょっとだけ……いや、だいぶ変人ばっかだけど』
日向が肩を竦める。軽く言っているようでいて、その言葉の奥には、同じ〈十傑〉である彼女にしかわからない、疲労めいたものが微かに滲んでいた。
この新世界の頂点に君臨する、神話級ユニークスキル保持者達――〈十傑〉。世界そのものの秩序に食い込む怪物達。その全員が一堂に会する場に、俺達のような新参クランが呼ばれる。冷静に考えれば、異常事態もいいところだ。
だが、不思議と嫌ではなかった。緊張の奥に、確かな熱がある。いずれ相対することになるとわかっていた相手と、ようやく同じ視界に立てる――そんな予感が、胸の奥で静かに燻っていた。
「そう言えば日向、〈十傑〉の第二席は自身が〈十傑〉だと世間に公表してないんだったよな?そいつも来るのか?」
『あー、えーと、そうね……。来るかわかんないけど』
途端に日向の歯切れが悪くなる。その言葉が、何処か引っ掛かる。
「なんだそれ」
『えっと、いや、来るのは来るんだけど……なんというか……』
「おォ?そういやァ、第二席だけは誰も名前も知らねェよなァ」
「そうですなぁ。同じ〈十傑〉の面々ならばご存知なのでしょうが、〈十傑〉程の強さで公表しないというのも腑に落ちませんからなぁ」
「そうですね。もしかすると、第二席の方にはそうせざるを得ない特殊な事情があるのかもしれませんね」
天音の推測は静かだったが、その一言が場に小さな余韻を残した。確かに、態々存在だけ秘匿されているというのは、単なる気紛れでは済まない匂いがある。
『……まあいいわ。明日の夜はアタシと待ち合わせして〈十傑円卓会議〉に向かいましょ。〈十傑円卓会議〉が行われる場所には〈十傑〉しか行けない造りになってるから』
「わかった……が、明日の夜は別に予定があってな。遅れたら悪い」
『そうなの?わかったわ。そのときは連絡してね』
「ああ。じゃあ日向、明日はよろしく」
「うん。じゃあね」
通信が切れ、リビングに沈黙が落ちる。だがそれは重苦しいものではなく、嵐の前の、どこかそわついた静けさだった。
「まずいぞボス!〈十傑〉と会うなんて緊張するじゃねェかァ!」
「わぁっ!ドキドキですねっ!」
「まずいですぞまずいですぞ!小生、臭くないですかな!?」
「汚宅部さん……それは普段から気を付けてください」
天音が淡々と刺しにいく。拓生は本気で自分の脇や襟元を嗅ぎ始めていた。
「いや待て、拓生にハズレェ!アタイらがこんな調子じゃァボスの股間に関わるぞォ!」
「『沽券に関わる』だろ。なんで俺の股間が関わってくるんだよ」
「ふふ……」
ぴしゃりと訂正すると、竜歌は「おォ?」とよくわかっていない顔をした。天音が堪えきれず小さく笑う。張っていた空気が、その笑み一つで少しだけ解けた。
夜は、そうして静かに更けていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――翌日、昼。
緩い陽光が二階の回廊に差し込み、床に淡い光の帯を落としている。俺は、よちよちと後ろをついてくるフランと共に階段を下りた。小さな足音が、俺の足取りに遅れまいと一生懸命ついてくる。
リビングには既に〈神威結社〉の面々が揃っていた。
地下のトレーニングルームから戻ってきたばかりらしい竜歌は、肌に汗を光らせ、肩で息をしていた。だが俺の姿を見つけるなり、途端に顔を綻ばせる。
「おォ!ボス!おはようなァ!」
駆け寄ってきた竜歌が、そのまま犬のように俺へ頬を擦り寄せてくる。濡れた黒髪が肩口に触れた。俺は半ば反射でその頭を撫でる。
「おはようございます、せつくん、フランちゃん」
「おはようございますですぞ!」
「雪渚センパイっ!フランちゃんっ!朝ごはん出来てますよっ!」
「おはよう、みんな」
テーブルには、天音の手による朝食が整然と並んでいた。焼き立てのパン、卵料理、野菜、温かいスープ。食卓の匂いだけで、ここが「帰る場所」になってしまったことを、改めて実感させられる。
「今日はいよいよ〈十傑円卓会議〉ですねーっ!緊張しますっ!」
「おにいたま、さみっとてなに?」
「〈十傑〉が集まる会議だぞ」
「じっけつ!えんじゅおねえたまと、しきみおねえたまと、るいおねえたまもいる?」
「ふふ、皆さんいらっしゃるはずですよ」
「おー」
フランはそれだけで十分らしく、嬉しそうにクロワッサンを頬張った。頬が小動物のように膨らみ、口元にパン屑が付く。
「おいち」
フランが両手を頬に添え、俺達に笑顔を向ける。
「フランちゃんっ!可愛いですっ!」
ハズレちゃんが身悶えするように抱きつく。その向こうで、拓生が湯気の立つスープを啜りながら口を開いた。
「師匠!小生は夜まで商売をして参りますぞ!」
「おう、拓生。よろしく頼むぞ」
「ボス!アタイは夜まで地下で修行するぞォ!」
「待て、竜歌。お前は〈十傑円卓会議〉まで俺と出掛けるぞ」
「――おあッ!?いいけどよォ、何すんだァ?」
竜歌の顔から、さっきまでの勢いが少しだけ引く。その理由に、彼女自身も気付いているのだろう。
「竜歌、お前は竜ヶ崎龍帝に金を貢ぐためにカツアゲを繰り返してただろ。この〈真宿エリア〉に暮らす人々にもその被害者は多い。謝罪と返金に行くぞ」
「おォ……でも逃げちゃいけねェよなァ」
絞り出すような声だった。強くなりたいだの、戦うのは得意だのと豪語する女が、こういう種類の強さの前では途端に年相応――いや、それ以下の、傷だらけの娘に戻ってしまう。
「安心しろ。お前のやらかしたことはクランマスターである俺の責任でもある。俺も一緒に謝ってやるから」
「すまねェな、ボス」
「おにいたま、フランもいく」
袖をちょん、と引かれる。見下ろせば、フランが真っ直ぐにこちらを見上げていた。
「お、フランも来るか?」
「あい!」
「わかった。だったら天音とハズレちゃん、〈オクタゴン〉の留守は任せるぞ」
「了解ですっ!雪渚センパイっ!」
「かしこまりました。でしたら夜、〈歌舞姫町エリア〉で合流といたしましょう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「本当に〈神威結社〉の竜歌が申し訳ございませんでした」
「すまねェ……!アタイが悪かったァ!」
「ごめんなたい」
〈真宿エリア〉の住宅街を回ること数時間。白い塀と花壇の並ぶ穏やかな一角で、俺達三人は玄関先で頭を下げていた。
俺の横では竜歌が、そして背中のフランまでがぺこりと頭を下げている。フランは謝罪の意味を完全には理解していないだろうが、それでも「一緒に頭を下げる」ということを、自分なりに大事だと思っているらしかった。
相対する初老の女性は、そんな俺達を前に困ったように微笑んでいた。
「いいのよ、雪渚ちゃん、竜歌ちゃん、それにフランちゃんも。ニュース観たわよ、みんな大変だったみたいね」
「でもよォ、アタイは悪いことしちまったぞォ」
竜歌の声は、思いのほか弱かった。殴り合いの最中より、遥かに弱々しい。これまで、兄貴を殺すことだけに執着してきた十八歳の女。まだ精神は子供同然だ。
「竜歌ちゃんも色々事情があったのよね。〈真宿エリア〉のみんな、誰も怒ってないから安心してほしいわ」
「すみません、そう言っていただけると救われます」
「それに私たち、〈神威結社〉のみんなには感謝してるのよ。拓生ちゃんが安価で譲ってくれる武器や防具……昨日もお隣の佐藤さんがそのお陰で強盗を撃退したそうよ」
「そうですか……。拓生が皆さんのお役に立てているなら何よりです」
「天音ちゃんもこの前買い物の帰り道で荷物を持ってくれたし、ハズレちゃんや元・〈韮組〉の構成員の皆さんもこの〈真宿エリア〉のパトロールをしてくれてるでしょう?お陰で〈真宿エリア〉の治安も格段に良くなってるわ」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
俺が思いつきで作ったクランが、もう、誰かの生活の一部になっている。誰かの安心の理由になっている。その事実は、柄にもなく、誇らしかった。
「いえ、俺達は出来ることをやっているだけですよ」
「そんな謙遜しないで、雪渚ちゃん。住民達の間では、〈真宿エリア〉のエリアボスは雪渚ちゃんが相応しいって話も出てるわ」
「俺が……〈真宿エリア〉のエリアボスですか……」
――エリアボス。世界八国に六十四あるエリア。そのそれぞれのエリアで最も強い者をエリアボスと呼ぶ。正にそのエリアの顔という訳だ。
「おォ!ボスがエリアボスなら納得だなァ!わかってんじゃねェかァ、ババア!」
「おい竜歌、失礼だぞ」
「ふふ、いいのよ」
「それじゃあ田中さん、俺達は行きます。貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
「ええ、今度はゆっくり遊びにいらっしゃいね」
初老の女性と別れ、その住宅街の石畳を三人で歩く。俺の背に乗るフランがご機嫌そうに俺の肩をぽんぽんと叩いてリズムを取っている。
「フラン、ご機嫌だな」
「おでかけ、たのち」
「フランもすまねェなァ、アタイのために謝ってくれてよォ……」
「りゅーかおねえたま、なかま。フランもあやまるの」
「フランは偉いな」
「あい!」
「ボス!さっきのババアが持ってたのはなんだァ?」
「おい、田中さんな。スマホか?」
「おォ!アタイもアレ欲しいぞォ!」
「そうか、竜歌はまだ持っていなかったな。今度買ってやろう」
「ボス!ありがとうなァ!」
俺が軽く頭を撫でると、竜歌はまたしても素直に目を細めた。その懐きようは大型犬と大差ない。
「さて、これで挨拶回りも終わったし、天音から頼まれたおつかいを済ませたら一度〈オクタゴン〉に戻るか」
「おォ!そうだなァ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――〈真宿エリア〉・住宅街の外れにあるスーパーマーケットは、昼下がりの買い物客で程良く賑わっていた。
自動ドアが開いた瞬間、ひんやりした空気が肌を撫でる。野菜コーナーの青臭さ、総菜コーナーの揚げ物の匂い、惣菜パックの透明な蓋に反射する蛍光灯。ごく平凡な日常の匂いが、一斉に押し寄せてくる。
「おォ!涼しくて気持ちの良いとこだなァ!ボス、ここに置いてあるバナナ、食べてもいいのかァ?」
「アホ竜歌、それは商品だ。お金を払わないと食べちゃダメだ」
「なんだァ!ケチくせェ店だなァ!」
「お前な……」
竜歌は目に映るもの全てが珍しいらしく、あちらこちらへ首を振っている。兄に支配される側の人生しか知らなかった女にとって、「普通の買い物」は未知の娯楽なのだろう。
「竜歌、危ないから走り回るんじゃないぞ」
「おォ!」
「おにいたま、なにかうの?」
「卵が2パックに、白菜、玉葱、トマトに豆腐、じゃが芋――」
「――おあッ!?ボス、全部覚えてるのかァ!?すげェなァ!」
「これくらいは当然だ……。さあ、早いところ買い物を済ませるぞ」
――十分後。レジを通り、袋詰めをする。レジ袋の中で卵がぶつからないよう位置を整えながら、俺はふと、こういう平凡さが今の自分にはどれほど救いかを思った。
戦うための準備でも、死ぬための段取りでもない。夕飯の材料を買うだけの時間。前世の俺には、案外こういう時間が一番遠かったのかもしれない。
――その時だった。
「ボス!あれなんだァ?」
竜歌が出口の向こうを指差す。
「……ん?ただの乗用車だろ」
「おォ!フラン、見に行こうぜェ!」
「あい!」
「――おい、勝手に――」
制止が、遅れた。
フランが、出口から小さな身体で飛び出していく。その先、面する道路から、凄まじい速度で一台の車が突っ込んできていた。
世界が、妙にゆっくりになったように見えた。
フランの小さな足。竜歌の顔から血の気が引く瞬間。タイヤの擦過音。運転手の悲鳴にも似たクラクション。俺の喉が、言葉になる前に凍り付く。
「――フラン!」
竜歌の絶叫。
衝突音。噴煙。ひしゃげたボンネット。周囲の悲鳴。
外へ飛び出した時、視界の先には、灰色の煙と、立ち尽くす野次馬達の輪があった。その中心から、一つの影が現れる。
「……大丈夫か?ガキ」
「あい!」
「なら問題ねえ。気を付けるんだぜ?」
低く、良く通る声だった。
フランはその男に抱き上げられたまま、きょとんとしていた。
男は、小指一本を車のフロントへ押し当てている。その小さな接点だけで、激突の勢いを受け止めたのだと理解した瞬間、背中に冷たいものが走った。
長いストレートの金髪を後ろで束ねた、色黒で上裸の、大柄な男。その腰にはチャンピオンベルトが巻かれている。尖った形のサングラスを掛けた男の、その筋骨隆々の肉体の上から羽織った、背中に虎が刺繍された赤いスカジャンが、吹き付けた風を受けて靡く。
フランが地面へ降ろされ、よちよちと俺の裾へしがみつく。
「おにいたま」
「フラン、怪我はないか?」
「だいじょぶ」
「すまねェ……ボス!アタイのミスだァ……」
「いや、目を離した俺も悪かった……」
俺は顔を上げ、立ち去ろうとしていた男に声を掛ける。
「フランを助けてくれてありがとう。怪我はないか?」
「あ?構わねーよ。これくらい屁でもねえ」
「名前を聞いてもいいか?」
「あー、面倒臭えな……」
男は金の頭髪を面倒そうに搔き、徐に答えた。
「……幕之内丈だ」
竜歌が目を見開く。
フランもまた、俺の裾を引く。
「フラン、このおにいたま、しってる」
「ボス!こいつは――」
「つよいひと」
「〈極皇杯〉、二年連続ファイナリスト――幕之内丈じゃねェかァ……」
その名が空気に落ちた瞬間、場の密度が変わった。
単なる強者ではない。四十万人超が参戦する〈極皇杯〉で、二年連続で予選を勝ち抜いた化物。つまり、今この場に、また一人、明確な「上位」が立っているのだ。
男――幕之内丈は、俺達の顔をざっと眺めた。興味があるような、ないような、どちらともつかない目だった。だが、その身体の奥に眠る暴力の密度だけは、嫌でも伝わってくる。
次の一歩で、何かが大きく動く。そんな予感だけを残して、昼下がりの風が静かに吹いた。




