表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/52

1-38 天網エンタープライズ

「では御三方、社長がお待ちなのです。ご案内するのです」


 知恵川は電動車椅子の車輪を静かに回して方向を変えると、本を片手で開いたまま、、まるでこの程度の移動など日常の呼吸に過ぎないとでも言いたげな滑らかさで、エレベーターホールへ向かっていった。


 俺達はその後を追う。高級感のあるロビーの空気は静かで、靴音すら必要以上には響かない。


 ――〈極皇杯〉のファイナリスト。(すなわ)ち、四十万人超が参戦する〈極皇杯〉の予選から、(わず)か八名のファイナリストの枠に残った猛者中の猛者。


 知恵川が上階行きのボタンを押下(おうか)するのと、(ほとん)ど同時だった。待ち構えていたかのようにエレベーターの扉が静かに開く。


 箱の内部へ足を踏み入れる。後方は全面ガラス張りで、そこから〈超渋谷エリア〉の街並みが見下ろせた。人の流れも、ビル群も、巨大広告も、ここまで来ると既に地上の出来事ではなく、模型か何かのように見える。


 知恵川がエレベーターの扉の脇に備え付けられたかご操作盤――その無数のボタンの中から、最上階を示す「200」のボタンを押した。エレベーターが、(ほとん)ど身体に負荷を感じさせない滑らかさで上昇し始める。


「噂には聞いていたでありますが……天プラのNo.2(ナンバーツー)はやはりあの知恵川女史だったのですな……」


「社長――一二三(ひふみ)様には遠く及ばないのです」


 ――一二三様、か。一二三がそう呼ばせているとは考えづらい。一二三のカリスマ性がそうさせるのか……()しくは――周囲が勝手に(かしず)いてしまうのか。


「知恵川さん、副社長なら忙しいだろうに来客対応とは悪いことしたな」


「とんでもないのです。社長から大事な親友だと聞かされているのです。私が対応するのも当然の義務なのです」


「そうか」


 短い()り取り。だが次の一言で、その穏当な空気は一瞬で切り裂かれた。


「――ですが……貴方に一二三様が親友と呼ぶだけの価値がある人間だとは思えないのです」


 静かに、しかしはっきりと落とされた侮蔑。空気が一段、冷える。


「……は?今、あなた、何と言いました?」


 それまで静観していた天音が、怒りを露わにした。白い髪の奥で瞳が細まり、口元だけが上品に微笑んでいる。逆に怖い。


 俺はそっと天音の方へ身体を寄せ、耳打ちした。


「……おい天音、落ち着け」


「誰なのです?この程度の挑発で取り乱す時点で程度が知れるのです」


「コホン……そうですね。失礼しました。雨ノ宮天音と申します。初対面の相手に喧嘩を売る時点であなたの頭の程も知れますが」


 にこやかな声音。だが、その手は強く握られ、小刻みに震えている。表情だけ見れば完璧なメイド然としているのに、中身は沸騰寸前だ。


 ――不味(まず)いな。この二人、相性が悪すぎる。


「女の戦いですなぁ……」


 間の抜けたことを独り言のように呟く拓生を他所(よそ)に、エレベーターの扉が静かに開いた。


 視界が、一気に開ける。


 広い。ただ広いだけではない。余白に金が掛かっている空間だった。一面に紫色の高級感あるカーペットが敷かれ、奥には大型のデスク。その背後の壁は全面ガラス張りで、〈超渋谷エリア〉の街並みを一望出来るようになっている。まるで空の上に浮かぶ執務室だ。


「おーっ!広いですねーっ!」


 ハズレちゃんが素直に感嘆の声を上げる。


 エレベーターを降り、その最上階フロア――社長室へ足を踏み入れる。すると、デスク脇の椅子に座っていた、黒いワイシャツに白衣を羽織った男が、こちらに気付き、すっと立ち上がった。


「雪渚、来てくれたか」


「おう、一二三」


 白衣が映える、ウェーブがかった短い黒髪。スマートな印象の眼鏡。端正な顔立ち。その男――五六(ふのぼり)一二三(ひふみ)はデスクの前に回り、歓迎の言葉を述べた。


 一二三は、知恵川、俺の背後の天音、ハズレちゃん、フランへと順に一瞥(いちべつ)をくれる。そして最後に、拓生へ目を留めた。


「それにAさん――いや、雨ノ宮さんだったな。それと……む、君は汚宅部(おたくぶ)拓生(たくお)君だね?」


「お、覚えてくれているでありますか?」


「無論だ。一緒に仕事をしたことがあったね。そうか、君が雪渚の仲間か」


「そ、そうですぞ!師匠のクラン――〈神威結社〉に加入させていただきましたぞ」


「はは、緊張しなくても構わない。それで雪渚、その女の子は?」


「フラン、俺の友達だ。挨拶してくれ」


「ゆきむらふらん!」


「フランちゃんと言うんだな。よろしくな。……色々事情があったようだな。さあ、こっちに来てくれ」


 一二三に促されるがままに、俺達はデスクの前へと横並びになって立った。そして俺は、室内を見回して素直な感想を口にした。


「立派な会社じゃないか」


「雪渚にそう言ってもらえると嬉しいよ。何とか世界一の業績や年商と共に世界一のホワイト企業と呼ばれる程には上り詰めた」


「そうらしいな、流石一二三だ。ここなら俺が働いてやってもいいぞ」


 ――〈天網(てんもう)エンタープライズ〉――通称、天プラ。

 フレックス制度。

 一年で有給九十日。

 有給取得率百パーセント。

 残業禁止。

 離職率は驚異の〇・〇二パーセント。

 福利厚生は充実し、私服出勤も可能、社食も無料。

 旧世界基準なら、最早(もはや)幻想か都市伝説の部類。

 誰もが羨む超絶ホワイト企業だ。


「はは、冗談だろ雪渚。俺にお前ほどの才能は扱えないよ」


「つーかお前マジで医者が副業なのな……」


「医者は引退して後継の信頼できる者に任せたがな」


「お前な……我らが東慶(とうけい)大学医学部が泣くぞ」


「言っただろう?雪渚が回復するまでの面倒を見るために建てたような病院さ。天プラの運営とは違って俺でなくとも命は救えるからな」


「お前一度学長に頭下げてこいよ……」


「ああ、そうだ。東慶大学と言えば彼女も東慶大学の出身でな。昨年文学部を首席で卒業している。この異能至上主義の新世界における彼女の異名は――『(こと)の葉のアカシックレコード』だ」


 そう言って一二三が指し示した先――電動車椅子の女、知恵川(ちえがわ)言葉(ことのは)は軽く頭を下げた。


「『アカシックレコード』ねえ……」


 ――第八回〈極皇杯〉、そのファイナリストの一角である知恵川言葉のユニークスキルは、偉人級異能・〈詞現(ワーズワース)〉。言葉にした名詞を具現化する異能らしい。現実改変。余りに強力である。


「言葉に関する知識量では雪渚や俺と同格と言って差し支えない。彼女もまた天才だよ」


「私は幼い頃から一二三様のお(そば)で働きたいと考えて努力を重ねたまでなのです。一二三様には到底敵わないのです」


「ほー、一二三。部下に愛されてるじゃないか」


「勘弁してくれよ、雪渚。俺は何もしていない、知恵川君が優秀だったというだけの話さ」


「――我慢ならないのです」


 唐突だった。知恵川が、空気を裂くように口を開いたのである。


 拳がわなわなと震えている。彼女の前に展開される黒いディスプレイは、まだ何も表示していないのに、窓から差し込む陽光だけを受けて不気味に光っていた。


「――知恵川君?」


「こんな白いボサボサ髪の品のない男が一二三様の親友などと……。一二三様の品格に関わるのです」


「知恵川さん……あなた、さっきからせつくんに対して無礼ですよ?」


「はわわわ……」


 拓生は俺の背に隠れて恐怖に震えている。


 俺は軽く溜息を()いた。


「天音……怒ってくれるのはありがたいが落ち着け。なあ一二三、ちょっと部下の教育がなってないんじゃないか?ビジネスの場なら大問題だぞ」


「悪いな、雪渚……知恵川君はどうにも俺に心酔してくれているようでな」


「いえ一二三様、そもそもこのギザ歯の男に一二三様の親友を名乗る資格などないのです。事前に調べさせていただきましたがこの男、二次試験では一問失点しているのです。一二三様の方が優れているのは明らかなのです。とても一二三様と同列に語る立場にはないのです」


「……知恵川君、君も満点という訳ではないだろう」


「おいおい一二三、お前の部下は就職してまだ大学受験の話してんのか?」


「ほら見たことなのです。品がないからこうして()ぐに(あお)ることしか脳がないのです」


「最初に煽ったのあんただろ……」


 両手を黒のスキニーパンツのポケットに突っ込んだまま、吐き捨てるように呟いた。一二三は呆れたように知恵川を(たしな)める。知恵川は本を閉じもしないまま、しかし敵意だけは剥き出しだ。


「知恵川君……大学受験の点数だけが人生ではない。それに雪渚が一問失点したのも家庭の事情があったからだ」


「――〈極皇杯〉で白黒はっきりさせるのです」


 パタン、と本が閉じられた。一瞬の静寂が、その広い社長室をすっぽりと包む。


 知恵川の眼前に浮かぶディスプレイに、「FUCK YOU」という文字列が、不気味なまでにくっきりと浮かび上がった。


「あ?」


「一二三様、私に〈極皇杯〉の出場許可をいただきたいのです」


「それは構わないが……待ってくれ、知恵川君。〈極皇杯〉で雪渚と戦うと?」


「回答はYESなのです。この雪村雪渚という男が『本物』なのであれば予選を勝ち上がることは造作もないはずなのです。私の仕掛ける『言語ゲーム』の上でボコボコにしてやるのです」


「……知恵川君、君は昨年は出場していなかったが……」


「二年前、私がファイナリストに名を連ねたときは、私が一二三様のお側に立つのに相応しいことを証明するために出場したのです。今回は、一二三様に(たか)(はえ)の害虫駆除のためなのです」


「……ということだが、雪渚はどうだ?」


「『言語ゲーム』ってあんた、ウィトゲンシュタインじゃあるまいし……。まあ構わねえよ。どうせ出場するつもりだ」


 ――「言語ゲーム」――言語哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの語を、()りにも()って異能バトルの挑発文句としてぶつけてくるあたり、確かに厄介な女だ。


「一切油断はしないのです。頭脳戦で全身全霊を(もっ)て叩き潰すのです」


「はっ、俺に頭脳戦を挑んだこと、一生後悔させてやるよ、電波女」


「そうか……雪渚、知恵川君。健闘を祈るよ」


「はいなのです。では一二三様、私は仕事に戻るのです」


「ああ、ありがとう知恵川君」


 知恵川は一二三に(うやうや)しく(こうべ)を垂れた。そして、電動車椅子の車輪を回転転させ、何事もなかったかのようにエレベーターへ向かい、階下へと降りていった。


 扉が閉まる。(ようや)く空気が少しだけ軽くなる。


「雪渚……」


「なんだ?」


「目が変わったな。お前の今の目には、『生きる意志』がある」


 その言葉に、ほんの一瞬だけ息が止まりそうになる。だが俺は()ぐに笑い、軽く肩を竦めた。


「ああ、死ねない理由も腐るほど出来たしな。生き抜いて覆して、最期には笑って死んでやるよ」


「せつくん……」


「そうか雪渚、それでいい」


 短い沈黙の後、俺は思い出したように口を開いた。


「そういや一二三、聞きたいことがあった」


「む、なんだ?」


「クランランキング――〈天網エンタープライズ〉はSランクの世界十位だよな」


「そうだな。無論俺が操作したわけではない。俺は世界六国から委託されてランキングを視認出来るアプリを開発したというだけで、クランランキングや〈世界ランク〉を決定するのは飽くまで世界六国だからな」


「まあお前の独断で〈世界ランク〉決めてりゃお前は無事じゃ済まないだろうからな……。だとすればクランランキング世界十位――これは一二三、お前の手腕による功績か?」


「そうだ……と言いたいところだが実情は若干(じゃっかん)異なる。クランとしての〈天網エンタープライズ〉を大きくしたのは、知恵川君による功績が大きい」


「あの電波女がか……」


「世界中の極めて優秀な人材を異能バトル――彼女の場合はユニークスキルによる頭脳戦、と言い換えた方が適切だが、それによって仕事を賭けさせた。要するにヘッドハンティングだな」


「天プラに入社しちまえば超絶ホワイト企業の超高待遇だ。人も離れないだろうからな。それによって企業としてもクランとしても大きく成長したっつーわけか」


「そんなところだ。雪渚、先刻も言ったが言葉に関する知識量においては、彼女は俺達と並ぶ。呉々(くれぐれ)も油断するなよ」


「お前がそこまで評価するならそうなんだろうな。肝に(めい)じておくよ」


「ああ」


「じゃあな一二三。お前とまた話せて良かった」


「俺もさ。また連絡させてもらう」


「おう」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――〈天網エンタープライズ〉を後にし、〈真宿(しんじゅく)エリア〉へと戻った俺達は、〈オクタゴン〉までの帰路に就いていた。街中を人が行き交う。夕方手前の陽光は柔らかく、建物の白を金色に染めている。


「あら、天音ちゃんたち!こんにちは!」


「こんにちは。心地の良い天気ですね」


「ふふ、天音ちゃんを見ると毎日癒されるわぁ。またね!」


「はい、お気を付けて」


 ――天音は〈真宿エリア〉の住民達からの信頼も厚いようで、こうして良く声を掛けられる。俺も自然とこの街に溶け込んでいった。


 帰る家があり、声を掛けてくれる隣人がいて、仲間がいる。昔の俺なら、こんな光景を想像すら出来なかっただろう。


「――いやはや、〈極皇杯〉に知恵川女史が出場となると、今年も荒れそうですなぁ。まさか知恵川女史が師匠に挑戦状を叩き付けるとは……」


汚宅部(おたくぶ)さん、あの程度の女はせつくんの敵ではありませんよ」


「〈極皇杯〉が楽しみになって来ましたねーっ!」


 ――知恵川言葉……〈極皇杯〉、か……。


「むむっ、あれは……どなたですかな?」


 〈オクタゴン〉の敷地――その洒落(しゃれ)縦格子(たてごうし)の黒い門に差し掛かった時だった。


 拓生が敷地内、玄関口へ目を向けて言った。


 そこには、一人の女がいた。


 黄色い二本の角。長い黒髪。黒を基調とした複数のパーツから成る軽装鎧。玄関の扉をドンドンと叩き、今にも()じ開けそうな勢いでガタガタ揺らしている。


「――開けんかいゴルァ!!」


 陽光が、彼女の姿を劇的に照らし出していた。


「――出てこいゴルァ!」


 見覚えがある。いや、あり過ぎた。


「大阪府警か、あいつは……」


「師匠、お知り合いですかな?」


「初戦でボロ勝ちした相手だ」


 門を解錠し、敷地内に足を踏み入れる。そして、荒れ狂う女に背後から声を掛けた。


「――おい、竜ヶ崎(りゅうがさき)竜歌(りゅうか)。何の用だ」


「――あァ!?」


 頭から二本の黄色い角が生えた、黒い軽装の鎧を身に(まと)うロングヘアの女――竜ヶ崎(りゅうがさき)竜歌(りゅうか)はこちらを振り返ると、目を丸くして、ニヤリと不敵に笑った。


「そうかァ!テメェの家かァ!こんな立派な家に住みやがってよォ!やっぱ金持ってんじゃねェかァ!」


 竜ヶ崎の身体がメキメキと悲鳴を上げ始めた。骨が(きし)むような音が、折角和やかだった空気を一瞬で戦闘色に染め替えていく。


「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォ!」


 竜ヶ崎の肌には鱗が現れる。黒い鉤爪の隙間(すきま)から覗く爪は、陽光を受けて一層の鋭さを見せた。黄色が映える双角は、庭園に差し込む陽の光を浴びて不気味な光沢(こうたく)を放っている。


「あれっ?この方、迷惑者のリューカさんですよねっ?警察も手を焼いていますっ!」


「うるせェ!その名前で呼ぶんじゃねェ!」


「雪渚センパイっ!リューカさんは、王都〈王手街エリア〉中で弱者から金銭をカツアゲして回ってる小悪党ですっ!二百八十万ゴールドの懸賞金が懸けられていますっ!」


「ガッハッハ!雪渚って言うのかテメェ!今日こそ金を奪ってやらァ!」


――――――――――――――――――――――――

「略奪」のリューカ

  2,800,000G

――――――――――――――――――――――――


「他を当たれと言った(はず)だぞ……」


 知恵川言葉との舌戦の余熱も、一二三との再会の余韻も、全部(まと)めて吹き飛ばすような、乱暴な咆哮が庭園へ響き渡る。


 ――戦いの火蓋は、いつだって突然に。

評価(すぐ下の★★★★★)やブックマーク、感想等で

応援していただけると執筆の励みになります。

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ