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1-37 D級昇格戦:結

 麻疹の唇が(わず)かに吊り上がる。勝利を確信した捕食者の笑み――。


「……ふひひ、勝った」


 確信に満ちた声音。勝利を確信し、北叟(ほくそ)笑む麻疹。勝利を手の中に収めた者だけが浮かべる、余裕と愉悦がその声にはあった。ぐるぐる眼鏡の奥で、瞳が細く光る。白衣の肩からも、もう緊張は抜けていた。


 ――だが次の瞬間、麻疹の瞳が揺らぐ。俺の頭上に浮かぶカード。その中央に浮かび上がったのは、無慈悲な――「×」。


「……ふひっ、ひ?」


 笑みが凍り付く。表情だけではない。部屋の空気そのものが、一瞬だけ静止したように感じた。


 さっきまで麻疹の側へ傾きかけていた勝敗の天秤が、音もなく、しかし決定的に反転する。


「勝負あったな。麻疹。面白かったぞ。――だが、甘い」


 白衣の肩が小さく震える。丸眼鏡の奥で、瞳が信じられないものを見るように揺れた。彼女の思考の中で、今(まさ)に、組み上げた答えが音を立てて崩れていくのが見えるようだった。


「……そんな……嘘……」


「せつくん……!わかったんですね……!」


「当てちゃってくださいっ!雪渚センパイっ!」


「師匠!行けますぞ!」


 視線が一斉に俺へと集中する。部屋の空気が、音を立てて張り詰めた。この一言で、全てが決まる。


 俺は静かに笑った。


「――『回答』。『それは「影」ですか?』」


 ――瞬間。


 ピンポンピンポンピンポーン


 バラエティ番組の正解音のような、場違いなほど軽快な電子音が、部屋中に派手に弾けた。麻疹の頭上に浮かぶカードへ、「影」の一文字が鮮烈に浮かび上がる。黒とも青とも付かないその文字は、今まで掴めなかった輪郭を、(ようや)く一つの形として世界に定着させた。


 次いで、ホログラムが硝子(がらす)片のように砕け散る。青白い光の破片がふわりと宙へ舞い、回転しながら消えていった。ほぼ同時に、俺の頭上にあったカードも役目を終えたように淡く(にじ)み、その輪郭を解いていく。


『Dランク昇格戦の勝利を確認しました。雪村雪渚様のランクはDランクへ昇格となります』


 淡々としたアナウンス。だが、それを最後まで聞き届ける者は誰もいなかった。仲間達の歓声が、それを一瞬で掻き消したからだ。


「おにいたま、かった!すごい!」


成程(なるほど)……!『影』……!盲点でしたぞ……!」


流石(さすが)せつくんです」


「雪渚センパイっ!すごいですっ!」


 抱きつく者、ハイタッチを求める者、喜びを(はしゃ)ぐ幼女まで。勝利の熱と笑い声が、ついさっきまで張り詰めていたリビングの空気を一気に塗り替えていく。


 その輪の外で、敗者は一人、そっと膝を折った。


「……ふひっ、今度こそ……Dランクだと思ったのに……」


 白衣の裾が床に触れ、麻疹は小さく縮こまる。丸眼鏡の奥で揺れる瞳は、(にじ)み出す涙を必死に堪えていた。勝負を面白がる余裕も、研究者ぶった冷静さも、今はその薄い肩に乗っていない。ただ、負けた悔しさだけが、そこに残っていた。


 俺は立ち上がり、その前に歩み寄る。


「麻疹、楽しかったぞ」


 そっと差し伸べた手に、彼女の肩がびくりと震える。負けた相手に手を差し伸べられることに慣れていないのか、それとも、予想以上に真正面から負けを突き付けられたのか。


 麻疹は数秒だけ躊躇った末、ゆっくりと顔を上げた。そこにあったのは、泣き出す一歩手前の目だった。


「……ふひっ、完敗」


 握り返される指は熱く、(かす)かに震えていた。


「……ふひひ、結局、単語はなんだった?」


「――『心臓』だ」


 短く答えると、麻疹は息を呑み――(やが)て、ふっと肩の力を抜いた。敗北を受け入れるというより、(ようや)く腑に落ちた、といった顔だった。


「……ふひっ、そういうこと……」


「『心臓』だったのですな!確かに、人間の心臓は食べませんが、豚や牛の心臓は『ハツ』として焼肉屋のメニューにも並びますからな!」


「あーっ!『それは食べ物ですか?』って質問の回答が『△』だったのって、そういうことだったんですねっ!」


「確かに人間がいる以上、『この部屋にあるもの』……と言えますね。お見事です」


  ――そう。この部屋には今、人間がいる。ならば「心臓」はこの部屋の中にある。しかも手で持てる大きさで、日用品ではなく、電気も使わず、人体に触れている。食べ物かと問われれば、人間のそれは違うが、牛や豚のそれは食べる。だから「△」だった。


 仕組みがわかれば単純だ。だが、単純であることと、見抜けることは別だ。


 その時だった。俺のSSNS(スーパーエスエヌエス)に、一件の着信が入った。


「悪い、電話だ。もしもし」


『おう、雪渚。俺だ』


一二三(ひふみ)か。どうした?」


『なに、お前の様子が気になってな』


「ああ、こっちは上手いことやってるよ。クランの仲間も増えて来たしな」


『なっ……!お前クランを設立したのか……。そういうことは親友の俺にも言っておくものだろう』


「悪い悪い、丁度今も昇格戦が終わったところだぞ」


『ほう、相手は誰だったんだ?』


更科(さらしな)麻疹(はしか)って奴だ。なかなか良い勝負だったぞ」


『……っ!?更科(さらしな)さんと戦ったのか?』


「なんだ?知り合いか?」


『知り合いも何も、彼女はウチ――〈天網(てんもう)エンタープライズ〉で働いてくれてる主任研究員だ』


「お前の部下かよ……」


 電話越しに苦笑が聞こえる気がした。


『まあ折角だ。良かったら顔を見せに来てくれ。お前の仲間も会ってみたいしな』


「ああ、問題ないが……一二三、お前忙しいんじゃないのか?」


『雪渚のために時間を空けることほど容易(たやす)いことはない』


「お、おう、そうか。それで天プラ――〈天網(てんもう)エンタープライズ〉まで行けばいいか?」


『悪いな、こちらから誘っておいて』


「ああ、別にいいさ。親友が経営する会社を見てみたいっつー好奇心もあるしな」


『わかった。では明日の十四時に秘書の知恵川(ちえがわ)君をロビーで待たせておく』


「知恵川さんな、わかった。じゃあまたな」


『ああ』


 終話ボタンを押し、麻疹に声を掛ける。


「お前……一二三の会社の研究員だったのか」


「……ふひひ、聞かれなかったから。……君のことはCEOから聞いてたよ」


「せつくん、天プラに行かれるのですね?」


「ああ、聞いての通りだ」


「雪渚センパイっ!天プラのCEOと知り合いだったんですねっ!」


「ですが五六(ふのぼり)CEOは百年以上も生きているアンドロイドの(はず)ですぞ?どうして師匠と知り合いなのですかな?」


「あー、その辺りも追々な……。麻疹は今日は遅いから泊まっていけ」


「……ふひひ、感謝」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――翌朝。柔らかな陽光が部屋のカーテン越しに差し込み、(まぶた)の裏を温める。ベッドの中でぐいっと大きく伸びをした。骨が心地良く鳴る。


 隣ではフランが天使のような寝顔で眠っている。


「むにゃ……おにいたま」


 壁掛け時計の針は、綺麗に正午を指していた。


「今日も寝過ぎたな……」


 快適だ。何分、目覚まし時計をセットしなくて良いのだから。いや、前世でも最終的には引き(こも)っていて、目覚まし時計を使う機会はなかったのだが。


「フラン、もう昼だぞ」


「むにゃ、おにいたま、おはよ」


 フランの顔を洗ってあげ、クローゼットから衣服を取り出す。白黒豹柄の柄シャツに黒スキニー、赤のニット帽。いつもの服装に着替え、姿見の前に立つ。真っ白でボサボサの髪、金縁の色付き眼鏡、ギザギザの歯――見慣れ過ぎた、自分の顔。


「……よし」


 部屋を出ると、回廊の硝子(がらす)越しにリビングに集まる〈神威結社〉の仲間達の姿が見えた。階段を下りる。階段には陽光が差し、その足取りを温かく照らしてくれた。リビングへと足を踏み入れる。


「おはようございますっ!雪渚センパイっ!」


「――ちょっと!ハズレさん!せつくんに一番に朝の挨拶をするのは私の役目です!……コホン、おはようございます、せつくん」


「師匠!おはようございますですぞ!」


「…………ふひひ、おは」


「おう、おはよう。みんな早いな」


「師匠が遅過ぎるんですぞ……」


汚宅部(おたくぶ)さん、せつくんに文句があるのでしたら〈神威結社〉から抜けてください」


「――ぶひっ!?厳し過ぎませんかな!?」


 笑いが弾け、空気が柔らかく揺れる。


「ふふ、冗談です」


「師匠……この人怖いですぞ……」


 ――昨日、俺が昇格戦に勝利したからか、天音も上機嫌だ。


 テーブルには、豪華な朝食。目玉焼き、焼き立てのパン、スープ、果物。まるで――家族の温かな食卓のようだ。続々と食卓に集まってくる面々と共に、席に着く。


「フラン、おなかすいた」


「いただきましょうぞ!」


 食卓を囲みながら、何気ない話に花を咲かせる。温かい、柔らかい時間。剣もユニークスキルも、血の匂いもない――平穏な幸せ。既に、こうして〈神威結社〉の仲間達と過ごす時間が俺にとっては確かな憩いになっていた。


「雪渚センパイっ!今日も頑張りましょうねっ!」


「今日は天プラに行くのでしたな」


「…………ふひひ、案内する。……天プラの本社は〈超渋谷エリア〉にある」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――スマホのロック画面に映る時刻は十四時前。俺は黒のサコッシュを肩に掛け、〈超渋谷エリア〉の中心地、超渋谷駅から()ぐ近くにあるロータリーに立っていた。


 ロータリーに囲まれた、天空まで(そび)え立つ超高層のオフィスタワー。このタワーが丸々、〈天網エンタープライズ〉なのだと言う。冷たい風が頬を(なぶ)る。


「おにいたまのおともだち、えらいひと?」


「うーん、そうだな……。CEOだからこの会社では一番偉いことになるな」


「おー」


「わあっ!ワクワクしますっ!」


「…………ふひひ、帰って来た」


「何度か商談で来ましたが……何度見ても圧巻ですなぁ……」


「せつくん、秘書の方もお待たせしているようですし、入りましょうか」


「ああ」


 大きな回転ドアに足を踏み入れ、その流れに身を任せてタワー内に足を踏み入れる。眼前には、高級感のある広いロビーが広がっていた。


 黒い大理石の床。その隅には、ジュエリーショップやブランド物の腕時計を扱う高級時計店が見える。そして、その手前には、横一列に並んだセキュリティゲートと、その一つ一つに付いた警備員の姿がある。


「せつくん、武器は預けなければならないようですね」


 天音の視線の先では、警備員が入館する来客から剣を預かっていた。セキュリティゲートには大勢が列を作っている。その最後尾に続けて並んだ。


 ――流石一二三と言うべきか。セキュリティも万全を期しているわけか。


 俺の番が来ると、警備員が右手でセキュリティゲートを通るように促した。セキュリティゲートを通るとビー、ビーと警告音が鳴った。


「お客様、大変失礼ですが武器等はお持ちではありませんか?」


「ああ……これか……」


 肩に掛けた黒のサコッシュからスリングショット――〈エフェメラリズム〉を取り出し、警備員に預ける。警備員は、その〈エフェメラリズム〉の(さお)部分に、手元の機械から発行されたバーコード付きの紙を巻き付けた。


「ではもう一度お通りいただけますか」


「はい」


 促されるがままにセキュリティゲートを通過すると、今度は警告音が鳴ることはなかった。警備員がチケットのような、紙を一枚手渡してくる。そのチケットにはバーコードと、何かしらの数字が印字されていた。


「ご協力ありがとうございます。こちらの手荷物預入券てにもつあずけいれけんで、先程お預かりした荷物と引き換えができますので、お帰りの際に警備員にお声掛けください」


「わかりました」


「あい!」


 手荷物預入券をポケットに突っ込み、警備員に軽く会釈をした。そのままロビー内に立ち入って、後方に振り返る。天音と拓生、ハズレちゃんも問題なく通過したようだ。


「せつくん、お待たせしました」


「セキュリティも厳重ですなぁ」


 ――拓生の偉人級異能、〈霧箱(ウィルソン)〉によって、亜空間に色々道具が収納されている(はず)だが、セキュリティゲートには引っ掛からないか。


「……ふひひ、じゃあ私はここで」


「ああ、案内ありがとうな」


 麻疹と別れ、エントランスを見渡す。


「さて……一二三の秘書の知恵川さんとやらが待っている(はず)なんだが……」


 眼前に広がる黒い大理石の床――そのロビーには大勢の人が集まっている。ビジネスマンらしき人々が行き交い、奥には数基のエレベーターがある。その様は、(まさ)に大企業そのものだった。すると、その瞬間、ウィーン――という機械音と共に、何者かが右手から俺達に声を掛けた。


「――雪村雪渚様なのです?」


 そちらを向くと、未来的な電動車椅子に座った、青みがかった銀髪の女の姿があった。


 丸みを帯びたAラインシルエットのボブカットは、毛先に向かって若干広がり、ふんわりとした印象を与える。ぱっつん前髪と淡い髪色も相俟(あいま)って、何処(どこ)か儚さを感じさせる女だった。


 頭に(かぶ)る、白くモコモコした円柱型のロシアンハット。口元を隠した、首元の白いファーティペット。防寒性と高級感を兼ね備え、裾が広がったロイヤルブルーのロングコート風のアウター。ハイカットブーツ。まるで冬の寒冷地の貴族のような装いだ。


 電動車椅子の両端から伸びたアームに大型のディスプレイが取り付けられ、女の前に展開されている。「Welcome」という文字がディスプレイの画面の中で軽やかに踊る。


 女は『Flowers for Algernon』――というタイトルの書籍を片手で開いて読んでいた。『アルジャーノンに花束を』の日本語訳されていない原書だ。


 その青い瞳が、ゆっくりとこちらへ向く。


「ああ、じゃああなたが知恵川さん……」


「師匠!この方は……!」


「ん?」


「二年前の第八回〈極皇杯(きょくのうはい)〉のファイナリストですぞ!」


「ご紹介に預かりました、〈天網エンタープライズ〉・副社長兼秘書の、知恵川(ちえがわ)言葉(ことのは)なのです。お見知り置きを――」


 女の青い瞳は、俺をじっと見つめていた。その瞳には、酷い狂気が宿っているような、そんな感覚がした。

知恵川(ちえがわ) 言葉(ことのは)

挿絵(By みてみん)


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