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1-36 D級昇格戦:転

 麻疹の単語の条件――「市販されていない」、「手で持てない」、「物質ではない」、「特定の形がない」。


 霧の中で輪郭だけ撫でているような、掴みどころのないヒントばかりが並んでいた。近付いたと思えばするりと抜けていく。盤面だけを見れば、確かに前進している(はず)なのに、答えの実体だけが何処(どこ)までも遠い。


「更科女史の単語も意味不明でありますが……師匠の単語も意味不明ですな……」


「『食べ物かどうかわからないもの』……あっ!『ミルワーム』とかどうですかっ?」


「ハズレおねえたま、『みるわーむ』ってなに?」


「ウネウネしたキモイ虫ですっ!私は食べないですけど、食べる人もいるらしいですよっ!まさに、『食べるかどうかわからないもの』じゃないですかっ!?」


 背筋が凍る。ハズレちゃんの説明が耳に入った瞬間、心の底から嫌な寒気が走った。ワーム系の虫の話は本当にやめていただきたい。頭の中に映像が浮かぶ前に、全力で叩き潰さねばならない類の話題である。


「ハズレちゃん……ワーム系は無理なんだ。その話は広げないでくれ……」


「あははっ☆ごめんなさいっ!雪渚センパイっ!」


「師匠の反応からして、『ミルワーム』は違うようですな……」


「ますますわかりませんね……」


「おにいたまのたんご、わかんない」


 ――(ちな)みに、少なくとも俺の選んだ単語は、学術用語や専門用語のような難解な単語ではない。フランでも知っている、(ごく)一般的な単語だ。


「フランも知っている単語だ。考えてみな」


「あい!フラン、かんがえる!」


 対する麻疹は、「それは食べ物ですか?」という『質問』に「△」が出たことが相当な誤算だったらしく、ここに来て初めて眉間に(しわ)を寄せていた。だが、俺自身の感覚でもあれは「△」だ。麻疹の上位級ユニークスキル・〈言戯(ワードゲーム)〉の判定は正しい。


「……ふひひ、わからん。……取り敢えず、次、行こう」


「よし、俺の番だな」


 ――さて、麻疹の単語に関して現段階で得られているヒントは、「市販されているものではない」、「手で持てる大きさではない」、「物質ではない」、「特定の形を持たないものである」の四つ。まだ、該当する候補は多くある。


「――『質問』。『それは大気中に含まれますか?』」


「――おおっ!上手いですぞ!」


 拓生が前(のめ)りになる。


「確かに『酸素』や『二酸化炭素』といった気体が該当しますな!」


「はい、私も同じ考えでした」


 ――しかし。麻疹の頭上のカードには、大きな――「×」。


「――ぶひっ!?違うのですかな!?」


「あれっ?本当にわからなくなってきましたよっ!?」


 ――そうか。ここも潰れるか。


 気体の類をこの時点で消せるのは大きい。大きいが、同時に「典型的な逃げ道」がまた一つ塞がれたことも意味している。答えはもっと別のところにある。


「……ふひひ、良い勝負。……次、私」


 麻疹は一呼吸置き、淡々と矢を放つ。その声には焦りもあったが、同時に、焦りを無理矢理にでも理性の箱へ押し込める執念もあった。


「……『質問』。『この部屋の中にありますか?』」


 ――苦し紛れの一手。打つ手がないと言っているのと同じ……。だが……。


 俺の頭上。記号が浮かび上がる。浮かび上がった記号は――「○」。


「……ふひひ、キタコレ」


「なっ!雪渚センパイっ!何してるんですかっ!?」


「師匠!よりにもよってこの部屋にあるものを選ぶなんてナンセンスですぞ!?」


「せつくん……」


 今の「○」で、相手の手掛かりも一気に増えた。趨勢(すうせい)がじわじわと変わっていくのを肌で感じる。こちらは終盤に入った感覚があるのに、向こうにも一気に階段を駆け上がらせてしまった。


 ――さて、不味(まず)いな。俺の番か。


「――『質問』。『それは視認することが出来ますか?』」


 こちらも畳み掛けることを選んだ。麻疹の頭上のカードが瞬き――「○」。


「おおっ!師匠も答えに近付いていますぞ……!」


 ここで、初めて確かな手応えがあった。「物質ではない」、「特定の形がない」、「視認できる」。この三つが揃った時点で、候補の輪郭が一気に絞られる。まだ断定はしない。だが、もう闇雲ではない。


 続いて麻疹。さっきまで余裕を崩さなかった彼女の口数が、ここ数ターンで目に見えて減っている。慎重に言葉を選ぶように、低く問い掛けた。


「……『質問』。『それは人体に触れるものですか』?」


 回答――「○」。


「――ぶひっ!?もう、答えに近付かれている感覚がしますぞ!」


 ――さて。ここまで来れば、麻疹の選んだ単語の正体には、もう目星が付いている。だが、まだ「決め打ち」するには候補が少し多い。外してターンを捨てるのは愚策だ。あと一手だけ、盤面を締める。


「――『質問』。『それは光と関係するものですか?』」


 麻疹の頭上に現れた記号は――「○」。盤面は、完全に終盤戦の様相を呈していた。


 その瞬間、俺の中で幾つかの候補が一気に収束した。輪郭だけだったものが、急速に一つの像へ結び付いていく。


「ちょっ!ちょっと待ってくださいねっ!」


 ハズレちゃんは、カミネイター開始時からずっと走らせていたボールペンを止めると、記入したメモを俺だけに向けて見せてくる。言わば「探偵ごっこ」の一環だ。


「雪渚センパイっ!もう把握されてると思いますが……今こういう状況ですっ!」


――――――――――――――――――――――――

雪渚センパイの選んだ単語「???」

・手で持てる大きさである

・日用品ではない

・電気を使うものではない

・食べ物かどうかはわからない

・この部屋の中にある

・人体に触れるものである

――――――――――――――――――――――――


――――――――――――――――――――――――

麻疹さんの選んだ単語「???」

・市販されているものではない

・手で持てる大きさではない

・物質ではない

・特定の形を持たないものである

・大気中には含まれない

・視認することが出来る

・光と関係する

――――――――――――――――――――――――


「そうだな、間違いない」


 俺が頷いたその時――麻疹の顔が、ぴくりと上がった。ぐるぐる眼鏡の奥の瞳が、獲物を捕らえた猛禽(もうきん)のような光を放つ。その表情でわかった。こいつも、到達した。


「……ふひひ、そうか。……そういうこと。……やられた。……危なかった」


「なんだ?俺の選んだ単語がわかったか?」


「……ふひひ、わかった」


 そう言って麻疹は、ぐるぐる眼鏡のブリッジをくい、と持ち上げた。その仕草一つで、部屋の空気がすっと細くなる。天音が息を止め、拓生が唾を呑み、ハズレちゃんのペン先がぴたりと止まる。フランだけが、きょとんとした顔で俺と麻疹を交互に見ていた。


 白衣の研究者は、静かに口角を吊り上げる。勝利を確信した笑みではない。盤面の深淵を覗き込み、その底に(ようや)く手が届いた者の笑みだった。


「……ふひひ、『回答』。『それは「舌」ですか?』」

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