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1-35 D級昇格戦:承

 麻疹の頭上に浮かぶ赤い「×」。それは、俺の最初の一手が完全に的外れだったことを示す、無慈悲な宣告だった。ホログラムの淡い赤が、妙に腹立たしく揺れて見える。


「――ぶひっ!?師匠、いきなり外してしまいましたぞ!?」


「あちゃぁ!最初は運ゲーとはいえ、雪渚センパイっ、やっちゃいましたねっ☆」


 拓生とハズレちゃんが騒ぐ後ろで、麻疹は椅子に深く腰掛けたまま、微動だにしない。薄く笑うその目は、盤面を眺めているというより、もう既にこちらの癖を観察し終えた研究者のそれだった。


「……ふひひ、その調子で大丈夫そ?」


「………………」


「……ふひひ、無言でヒントを与えない。……賢明。……私の番」


 麻疹は迷いなく、最初の矢を放つ。まるでカードの裏面に隠された文字が既に見えているかのように。


「……ふひひ、『質問』。……『それは手で持てる大きさですか?』」


 ――次の瞬間。俺の頭上のカードがふっと発光し――「○」が浮かび上がる。


「――ぶひぃぃぃぃ!?『○』が出ちゃいましたぞぉ!?」


「あはは、拓生さんは興奮し過ぎですねっ!」


 両者の第1ターン目を終える。麻疹は余裕の表情だ。こちらは、一手目から最悪のスタートを切った格好だ。盤面は早くも「追う側」と「追われる側」に分かれた。


「……ふひひ、余裕そう」


「そうか?『×』なら『×』で、得られる情報はあるぞ」


「……ふひひ、負け惜しみ。……油断はしないけど」


 常人ならここで少し浮つく。先に『○』を引き当てた側は、得てして表情や声に甘さが出る。だが麻疹にはそれがない。盤面を一つ進めただけで、勝ったつもりにはならない。こいつ、場慣れしている。


「よし、俺の番だ。――『質問』。『それは手で持てる大きさですか』?」


 同じ『質問』をぶつけ返す。観衆が息を呑む。――しかし。麻疹の頭上に現れた記号は――「×」。二度目の、赤い否定。


「――ぶひぃぃぃぃぃぃっ!?師匠ォォォォォォォォォォォォォ!!!」


汚宅部(おたくぶ)さん、うるさいです」


「たくおおにいたま、しずかにして」


「うるさいですよっ!拓生さんっ!」


「……も、申し訳ないですぞ。……師匠なら大丈夫な(はず)ですからな」


 三方向からガン詰めされ、拓生ががくりと項垂(うなだ)れる。不憫だ。


 だが、実際かなりキツい。こちらは一問目から外し、相手は一問目で○を引いた。情報量に明確な差が付いている。


「……ふひひ、私の番。……『質問』。『それは日用品ですか?』」


 俺の頭上に記号が浮かび上がる。回答は――「×」。


「ふぅ……首の皮一枚繋がりましたな……」


「まだお二人の単語の特定には至りませんね……。せつくんの単語が『手で持てる大きさのものだが日用品ではない』。麻疹さんの単語は『市販されているものではなく、手で持てる大きさでもない』……」


「うーんっ、でもやっぱり、『○』の分だけ、麻疹さんの方が答えに近付いてる感じはありますねっ!」


 ――その通りだ。「市販されていない」、「手で持てる大きさではない」だけでは、相手の単語はまだ広過ぎる。抽象度が高いにも程がある。


 ならば、こちらは盤面を大きく切り分けるしかない。


「――『質問』。『それは物質ですか?』」


 第三ターン目。俺は次の矢を放つ。麻疹の頭上に浮かび上がるのは――またしても「×」。拓生が頭を抱えた。


「ノォォォォォォォォォォン!!!師匠ォォォォォォォォォォォォォ!!!」


汚宅部(おたくぶ)さん、集中させてください」


「しかし!雨ノ宮女史!師匠は三連続で『×』ですぞ!?」


「といっても雪渚センパイの策……ってワケでもなさそうですよねっ?」


 ――ああ、策なんてないさ。俺は三連続でミスって外した。それだけだ。


「……ふひひ、運悪過ぎワロタ」


「笑えねえって、大事な昇格戦でこんなミス」


「……ふひひ、失敬。……私の番」


 麻疹はカフェオレを一口、口に運び、口元を拭って言葉を発する。


「……ふひひ、『質問』。『それは電気を使うものですか?』」


 回答。頭上のカードに浮かび上がる記号は――「×」。


「おおっ」


 拓生が安堵の声を漏らす。だが、まだ差は埋まらない。こっちは三手空振りだ。


「ふむふむ……お互い三つずつ『質問』しましたが……まだ見えてきませんねっ!」


「そうですね……。お互い、かなり難解な単語を選択しているのかもしれません」


 ――この手のゲーム、初心者が犯しがちなミスとして、目に入るものを単語として選んでしまう、というのがある。この部屋であれば、「蝋燭(ろうそく)」や「カンテラ」、「テレビ」、「時計」、「ティッシュ」、「テーブル」等がそうだ。


「……ふひひ、外した。……ワロタ」


 ――だが麻疹はそんな初歩的なミスは犯さないだろう。そもそも俺の最初の「それは市販されているものですか?」の回答が「×」だったことで、それらの可能性は全て否定されている。


 続く第四ターン目。そろそろ特定に近付きたいところだ。俺の番。


「――『質問』。『それは特定の形を持たないものですか?』」


 麻疹の頭上。巨大なカード型のホログラム。浮かび上がった紋様は――ここに来て初の、「○」だった。


「おおっ!」


 拓生が感嘆の声を上げる。


「やりましたねっ!雪渚センパイっ!」


「やっとだけどな……」


 胸の中で、(ようや)く霧が少しだけ薄くなる。ここまで全く掴めなかった相手の単語に、初めて輪郭らしきものが生まれた。


 天音が手帳に走り書きをしながら、冷静に整理してくれる。


「ですが……難しいですね。『市販されているものではなく、手で持てる大きさでもない』。そして、『物質でもなく、特定の形を持たない』……」


「『特定の形を持たないのに物質でもない』……って、『金属』とかそういうことじゃなさそうですねっ?」


「『感情』、『夢』、『時間』とか……ですかな?」


「フラン、むずかしい」


「フランにはちょっと難しいかもな」


 対峙する麻疹の表情にはまだ余裕がある。こちらが(ようや)く一枚剥がした程度で、向こうから見れば、まだ勝負は優位のままなのだろう。勝負はまだ中盤戦だ。


「……ふひひ、一個くらいなら、セーフ。……次、私の番」


 麻疹がカフェオレを置く。丸眼鏡が光り、次の言葉が静かに落ちた。


「……ふひひ、『質問』。『それは食べ物ですか?』」


 しかし、俺の頭上に浮かんだ記号は「○」でも「×」でもなかった。


 カード型のホログラムに刻まれた記号は――「△」。


「……?『△』ですとな……?」


「『食べ物かどうかわからない』ってことですかっ?どういうことですっ?」


「せつくん……妙な単語を選びましたね……」


「……ふひひ、どゆこと……?」


 リビングの空気が、そこで一瞬だけ止まった。


 一方、ハズレちゃんはこのカミネイターが始まってから、ずっとメモを取っていた。盤面を視覚化するためだ。そこには、こう記されている。


――――――――――――――――――――――――

雪渚センパイの選んだ単語「???」

・手で持てる大きさである

・日用品ではない

・電気を使うものではない

・食べ物かどうかはわからない

――――――――――――――――――――――――


――――――――――――――――――――――――

麻疹さんの選んだ単語「???」

・市販されているものではない

・手で持てる大きさではない

・物質ではない

・特定の形を持たないものである

――――――――――――――――――――――――


 「△」。その曖昧な一文字が、盤面を(かえ)って濃くした。『○』でも『✕』でもない。肯定でも否定でもない。その中途半端さが逆に、「単語の異様さ」だけをはっきりと浮かび上がらせていた。

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