1-34 D級昇格戦:起
『Dランク昇格を懸けた昇格戦を承諾しますか?』
唐突に、頭の奥へ機械的なアナウンスが流れ込んだ。静かな夜の空気を、見えない刃物のような電子音が裂いてゆく。ソファの背に身体を預けていたハズレちゃんが、ぴょこんと飛び跳ねるように振り返った。
「わぁ!昇格戦ですねっ!」
「マジかよ……。もう風呂入ったんだぞ……」
つい数分前まで、やれカフェオレがどうだの、〈オクタゴン〉が広いだのと、ようやく「帰宅後の空気」に戻り掛けていたところだった。そんな安堵を嘲笑うように、戦いはいつだって唐突に差し込んでくる。
「それで師匠……!肝心の相手は……?」
言葉より早く、肌が外の異物を感じ取った。庭の方角から、夜風に乗って刺さるような敵意が流れ込んでくる。殺気――というほど露骨ではない。だが、明らかに「待っている」気配があった。
「外だ。気配がある」
「雪渚センパイっ!行きましょうっ!」
ハズレちゃんが元気良く駆け出す。俺もその背中を追い、リビングを抜けて庭へ出た。
夜の庭は、月光に白く照らされていた。石畳の先、縦格子の黒い門。その向こうに、影が一つ。女は、門に凭れ掛かるようにして立っていた。
白衣。紫の髪。悪魔を思わせる二本の角と、背から覗く黒い翼。螺旋の丸眼鏡に指を添え、口元には怪しげな笑みが浮かんでいる。
「……ふひひ、昇格戦、キタコレ」
月の光がレンズに反射し、ぐるぐると巻いた眼鏡の奥の目は良く見えない。だが、あの笑い方一つでわかる。こいつは真面ではない。
「お前が昇格戦の相手か」
「……ふひひ、御明答。名は更科麻疹」
白衣の裾が夜風に揺れる。
『Dランク昇格を懸けた昇格戦を承諾しますか?』
「「……承認」」
声が同時に重なった直後、冷たい金属音のようなアナウンスが夜に響く。
『承諾を受け付けました。Dランク昇格戦を開始します』
「……ふひひ、取り敢えず、寒いから中入っていい?」
「……は?」
――昇格戦わい。
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湯気を立てるマグカップ。天音が淹れたカフェオレを、更科麻疹はまるで貴重な試薬でも扱うように両手で抱え込み、ふうふうと息を吹き掛けていた。
「……ふひひ、カフェオレ、うまし」
「おい、更科。昇格戦わい」
痺れを切らした俺が口火を切るが、麻疹は口元を白衣の袖で拭い、くぐもった声で応じた。
「……ふひひ、心配ない。……屋内で出来る」
「いやいや更科女史、折角雨ノ宮女史が綺麗に掃除してくれているのに、ここで暴れられては困りますぞ」
「そうですよっ!私の新居なんですよっ!」
――ハズレちゃん……順応早いなあ……。
「……ふひひ、心配ない。……私のユニークスキル、言っちゃうけど、上位級ユニークスキル・〈言戯〉。しりとりとか、山手線ゲームとか、『言葉を使ったゲームを可視化するユニークスキル』。」
「ほう?」
「麻疹さんっ!どういうことですかっ?」
「……ふひひ、このユニークスキル、どう考えてもバトル向きじゃない。……てか私、真面に戦っても、多分そこの子供にギリ勝てる程度……」
麻疹がフランを指差す。フランは小首を傾げながら、親指を咥えてぼうっとしている。そろそろおねんねの時間だ。仕方ない。
「……ふひひ、だから私が提案するのは頭脳戦。……どうも君となら、楽しめそう」
紫の髪を掻き上げながら、麻疹はにやりと笑う。咋な挑発。だが、不思議と嫌な感じはしない。戦えないから頭を使う――そう割り切っているのなら、寧ろ好感すら持てる。
――頭脳戦か。面白い。
「……せつくん相手に頭脳戦ですか。無謀極まりないと思いますが……」
「でも面白そうですよっ!?雪渚センパイの実力を見てみたいですしっ!」
「……ふひひ、どう?……悪くないでしょ?」
悪くないどころか、望むところだ。正面から殴り合うだけが強さじゃない。こういう手合いは嫌いじゃない。
「問題ない。やろうか」
「……ふひひ、賢明」
「それで?ルールはどうする?」
麻疹は人差し指を一本立てる。ぐるぐる眼鏡の奥の視線が、こちらを射抜いてくる。
「……ふひひ、簡単。まずそれぞれ、『ある単語』を思い浮かべる。……そして、お互い、ターン制で『○』か『×』で答えられる『質問』を繰り返す。……そして、先に相手の単語がわかったならば『質問』の代わりに『回答』する。……先に当てた方の勝ち」
単純明快。だからこそ、地頭と『質問』精度がそのまま勝敗を決める。
「成程……。『カミネイター』ですな。今、世界中で一種のブームになっているようですな」
――カミネイター。この新世界でもプレイすることになるか。このゲームの単語をお互い三つずつにした高難易度版カミネイター――『トリプルカミネイター』、前世では一二三と良くやったなあ。
「……ふひひ、『質問』の答えは私のユニークスキルが自動で判定してくれる。……『質問』に『○』か『×』で答えられない時は『△』と回答する時もある。……ふひひ、以上。……質問は?」
ぐるぐる眼鏡越しに、真正面からこちらを射抜く視線。その瞳は、恐ろしい程の自信で満ちていた。
「――ない。始めよう」
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お互いの頭上に、トランプの裏面を模したかのような、巨大なカードがふわりと浮かび上がる。麻疹の上位級ユニークスキル・〈言戯〉によって生成されたホログラムだ。
「始まってしまいましたな……」
「せつくんはどんな単語を選んだのでしょう」
「フラン、わくわくする」
「きゃー!フランちゃん、可愛いですっ!」
背後は完全に観戦モード。ハズレちゃんが瞳を輝かせてフランに抱きつく。
ガラスのローテーブルを挟んで、俺と麻疹が正対していた。静かだ。妙に静かだ。殴り合いの前とも違う、思考だけが先に走る緊張がそこにはあった。
「……ふひひ、私はこのカミネイター、既に二十連勝してる。……先攻は譲る」
「あれっ?優しいですねっ?先攻をくれるなんてっ!」
――いや、案外そうでもない。
先に『質問』を投げられるのは一見有利に見える。だが、『質問』とはそのまま「こちらの発想の癖」でもある。何を重視して相手を絞ろうとしているか、そこから逆算される可能性もある。麻疹がそれを理解していない筈がない。策士め。
「ふーん、じゃあ有難く先攻はいただくか」
背後からひそひそと作戦会議の声。
「最初から『回答』は有り得ませんな。問題は、どう『質問』するかですぞ……」
「でも、はしかおねえたまのえらんだたんご、わからない」
「そうですねっ!何のジャンルの言葉なのかもわからないですから、最初は手探りになるんでしょうかっ?」
「このカミネイター……相当奥が深いですよ……」
――さて、この手のゲーム。ハズレちゃんが言ったことが的を射ている。
まずは大きく網を張って、相手の単語のジャンルを切り分けていく。そこから徐々に範囲を狭め、相手が何を頭に思い浮かべているか、その輪郭を削り出していく。そして、こちらが削り出される前に、相手を特定する。それだけの話だ。
「せつくんは何から『質問』するのでしょうか……?」
「この手のゲーム、まずは○を出して単語を絞っていきたいところですな……」
「おにいたま、がんばって」
「雪渚センパイっ!キュートでラブリーなハズレちゃんがついてますよっ!」
向かい合う麻疹は余裕の表情だ。俺は、徐に口を開いた。
「――よし。『質問』。『それは市販されているものですか』?」
麻疹の口角が上がり、頭上のカードが反応する。ホログラム――カードに浮かんだ模様は――「×」であった。




