1-33 オクタゴン観光ツアー
――〈警視庁〉での戦いを終え、〈オクタゴン〉。そのリビングには、〈神威結社〉の四人と、新たに仲間に加わったハズレちゃんがいた。
「いやーっ!お風呂いただきましたっ!浴室も綺麗で広くて最高ですねっ!」
青髪を結い直しながら、ハズレちゃんがバスルームからひょこりと顔を出す。頬は上気しており、〈警視庁〉で見せていた翳りは今のところ薄い。つい先刻まで「人殺し」と自分を責めていた人物と同一とは思えない程、声は明るかった。
彼女はそのまま、ちょこんとリビングのソファに腰掛けた。白を基調とした広い空間に、彼女の弾けるような声が良く通る。
「天音さんの料理も美味しいですしっ!フランちゃんも可愛いですしっ!拓生さんがデカすぎてちょっと邪魔なくらいしか欠点がないですっ!」
「――ぶひっ!?」
「ふふ、ありがとうございます」
「フラン、ハズレおねえたま、すき」
ハズレちゃんはぱっと顔を輝かせ、フランの頭をわしゃわしゃと撫でた。フランは嫌がるどころか、嬉しそうに目を細めている。どうやら相性は悪くなさそうだ。
「まあ兎も角だ。ハズレちゃんが仲間に加わってくれた。改めてよろしく頼むな」
「はいっ!よろしくお願いしますっ!」
その返事は大きく、真っ直ぐで、そして少しだけ照れ臭そうだった。「必要とされた」ことをまだ上手く飲み込めていないのだろう。それでも、受け入れられた場所に自分から立とうとしているのがわかった。
「そう言えば、ハズレ女史のユニークスキルは何なのですかな?」
「確かに、E級昇格戦の時はユニークスキルを使っていませんでしたね」
「あーっ!そうなんですよっ!聞いてくださいよっ!」
拓生が出した話題に、ハズレちゃんは思い出したように手を叩く。
「ハズレちゃんのユニークスキル、中位級ユニークスキル・〈怪力〉って言うんですけどっ!『身体能力が一時的に五倍になるユニークスキル』なんですっ!」
「えっ、あれの五倍?」
俺は思わず眉を寄せた。ユニークスキル未使用の時点で、ショッピングモールの壁に穴を開ける女だ。それが五倍。想像しただけで嫌な汗が出る。
「だから安易に使えないんですよっ!使えばデコピンで〈オクタゴン〉も壊せますっ!」
「成程……強力とはいえ使い所が難しいですな」
「ですが戦闘員としては申し分ないですね。戦力面の強化は順調ですよ」
「はいっ!頑張りますねっ!――あっ!そう言えばトレーニングルームとかあったりしますかっ?」
「はい、地下にございますよ」
「よし、この際だ。〈オクタゴン〉を案内しておこう」
――一階。
「まず俺達のいるここが一階だな」
正八角形の広いリビング。白い壁、木目の柔らかい床、中央に置かれたローテーブル。大きなテレビとL字型ソファが、この家の中心がここであることを一目で物語っている。
「正八角形のリビングを中心に、玄関、キッチン、倉庫、トイレ、エレベーターと階段の区画、ランドリー、バスルーム、シャワールームが集まってるんですねっ!」
「そうだな。大抵誰かはリビングにいるから退屈はしないだろう」
この家の良さは広さだけじゃない。誰かが自然とここに集まり、顔を合わせ、飯を食って、下らない話をする――そういう構造になっていることだ。
「フラン、ここのおふろすき」
「ふふ、フランちゃんは可愛いですね」
「因みにユニットバスだが入浴は個室でも出来る。好みで好きな方を使ってくれ」
ハズレちゃんは、キッチンやバスルームを覗く度に「わあっ」と感嘆の声を漏らしていた。その様子は、どこか子供じみていて――そして、ちゃんと嬉しそうだった。
――二階。
「二階は個室階ですな!」
「ああ、七部屋ある」
ガラス張りの回廊。そこから見下ろす一階のリビングは、まるで小さなホテルのロビーのようだった。人の気配が常に下にありながら、部屋に戻れば一人になれる。その距離感が丁度良い。
「ガラス張りの回廊からはリビングが見下ろせるようになっていますね」
「個室はホテルの客室をイメージして貰えればわかりやすいな。見ての通り、ベッドに机、クローゼット、冷蔵庫とテレビ、ユニットバス――と一通りの設備は揃っている」
個室の扉を開ける。そこには生活を始めるのに充分過ぎるものが揃っていた。ベッド、机、収納、窓。派手ではないが、どの部屋もここで眠って、ここで朝を迎えられると思わせる落ち着きがある。
「フラン、さんかいいったことない」
「三階はまだ誰も住んでないからな。三階も二階と同じ構造だぞ」
今はまだ空いている部屋ばかりだが、いずれそこに仲間が増えていくのだろう。そう考えると、静かな廊下にさえ未来の気配があった。
――屋上。
〈オクタゴン〉・屋上テラス。階段を抜けた先には、夜空ではなく、広く開けた空と風があった。屋上中央には、三ツ星ホテルさながらの大きな正八角形のプール。水面は陽光を受けてきらきらと揺れ、周囲に並ぶプールサイドチェアと白いパラソルが、ここだけ別世界のような空気を作っている。
「わあっ!すごいですねっ!」
ハズレちゃんが素直な歓声を上げる。ヤシの木まで植えられている所為で、ここだけ妙に南国めいていた。
「エレベーターの隣に更衣室がございますから、そこで着替えていただければいつ使っていただいても構いません」
「ここには後々灰皿スタンドを置いておきたいな……」
「師匠はヘビースモーカーですからな……」
「フランもたばこすいたい」
「おー、ダメだろ」
風が強めに吹き抜け、フランの銀髪と天音の白髪を揺らした。ここは気晴らしには最高だろう。戦いで頭が煮えた時も、少しは冷やしてくれそうだ。
――地下。
「ここがお望みのトレーニングルームだ」
地下へ降りた瞬間、空気が変わる。黒いマットが一面に敷かれた広い空間。中央には金網で囲われた正八角形のリング。
その正八角形のリングの周囲を、テレビ番組のスポーツ・エンターテインメントのような大掛かりなアスレチックが囲っている。更に壁際には、的やサンドバッグ、ダンベル、ランニングマシーン、木製の訓練用人形が雑然と並んでいる。
地下闘技場。その言葉が最も似合う場所だった。
「おおっ!格闘技の漫画で見たヤツですっ!」
ハズレちゃんの目が子供のように輝く。警察を辞めたばかりの女が、こうして新しい居場所に胸を躍らせているのを見ると、悪くない気分になる。
「せつくんはこちらでたまにトレーニングなさっていますね。私はユニークスキルの都合上、なかなか使うことはございませんが……」
「小生もまだ使っていないですなぁ」
「拓生さんは運動した方がいいんじゃないですかっ?太り上げていますしっ!」
「――ぶひっ!?」
拓生の悲鳴が、地下に妙に心地良く響いた。
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――再び、〈オクタゴン〉・リビング。
「いやーっ!すごいですねっ!流石〈十傑〉の杠葉姉妹のプレゼントですっ!」
「元はシェアハウス物件らしいからな。クランで生活するには向いていると言えるな」
ソファに腰を下ろす。
仲間が増える。賑やかになる。この〈オクタゴン〉が、俺達全員にとっての「帰る場所」になっていく。そうやって少しずつ、この世界での足場を固めていくのだ。
前世の俺には、こうして誰かを迎え入れる場所なんてなかった。だからこそ、今この光景は少しだけ眩しい。
『――昇格戦のお知らせです。Dランク昇格を懸けた昇格戦を承諾しますか?』
――戦いは、いつも突然遣って来る。
平穏の中へ、無遠慮に割り込んでくる電子音。リビングに流れていた緩やかな空気が、一瞬で引き締まる。
甘いアイスの余韻が、ほんの少しだけ苦みを帯びた音がした。




