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1-32 ミスプリント

「捕まる前に遊びに来ただけだったんですがネ……。あなたも殺して差し上げましょうかネ……」


「その話し方キショいな。辞めらんない?」


 露骨な挑発。だが都井を怒らせるには十分だった。都井の口角が、ぴくりと吊り上がる。その笑みは人間のものというより、獲物を前にした肉食獣のそれに近い。


 都井は鎌を振るった。


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、無効化される。』


 ――頼む。この掟が通じてくれ……!


「きゃああああああああああああああああああああああああ!!!」


 天音の悲鳴。鎌は俺の腹を一刀両断した――かに思われた。――が、驚くべきことに、俺の身体を鎌は貫通し、俺の身体に僅かな傷さえ付けられていなかったのだ。


 刃が肉を裂く感触すらない。ただ、死ぬ(はず)だったという事実だけが、数瞬遅れて背筋を冷やした。


「ふぅ……良かった……」


「どういうことですかネ……?」


 ――〈天衡(テミス)〉の掟。上手いこと使えば、防御にも使える。いざという時のために温めておいたが、正解だった。


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、無効化される。』


 ――ただし、罰が下れば掟はリセットされるのが〈天衡(テミス)〉の鉄則。敵の攻撃の度に掟を定める必要があるとなると……こればかりに頼ってはいられないな。


「よくわかりませんが……あなたのユニークスキルですかネ?」


「ゴチャゴチャ言ってねえで来いよ、三硫(さんりゅう)殺人鬼」


 ――瞬間。頭上から滝。粘性のある無色の液体が、頭上から降って来た。引っ繰り返したバケツのように俺を襲うその液体は、空気に触れた時点で鼻の奥を灼くような刺激臭を放っていた。


「ありゃ、死にましたかネ?」


 ――途轍もない刺激臭。この臭いは……硫酸か……?


「さあ、何かしたか?」


「あはは、そうじゃないとですネ!」


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、無効化される。』


 乱暴に鎌を振るい始める都井。都井を視界から外さないよう留意しながら、掟を定め続ける。


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、無効化される。』


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、無効化される。』


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、無効化される。』


 掟を定める。無効化する。また定める。ほんの一拍でも遅れれば、その瞬間に身体のどこかが飛ぶ。綱渡りだった。いや、足場のない空中を無理矢理歩いているに等しい。


 ――コイツ……「虚空から鎌を手にするユニークスキル」だと思ったが……硫酸だと?どんなユニークスキルだ……?


「さぁて、どう殺して差し上げましょうかネ!」


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、無効化される。』


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、無効化される。』


「お前には(ころ)されねぇよ」


 ――そう言葉を発した瞬間、足が(もつ)れる。前倒(まえのめ)りに倒れてしまう俺。不覚。


 床が急に遠くなり、視界が傾く。


 ――しまった。視界に入れなければ、掟が……!


「終わりですネ」


「くっ……!」


「――せつくん!」


 縦薙ぎに振るわれる鎌。必死に身を(ひね)る。辛うじてのところで一命を取り留めた。頬から血が滴る。


 数ミリ遅れていれば首が飛んでいた。それがわかるからこそ、頬の浅い傷がやけに生々しく感じられた。


「首の皮一枚で繋がりましたネ」


「うるせえよ……!」


「どうしてそこまで必死になるんですかネ?葉月(はづき)(はずれ)はあなたの仲間でもないでしょうに」


「お前の言葉に腹が立ったからだ」


「あはは、腹が立ったって!間違ったことは言っていないでしょう?私と葉月(はづき)(はずれ)は同族なんですよ!」


「違ぇよ……!ハズレちゃんは殺したくて殺した訳じゃねえ。殺したくて殺してるお前と一緒にすんな……!」


「雪渚センパイ……!」


「まあ何でもいいですよ。どうせみんな死ぬんですからネ」


「その前に俺がと目手(めて)やる」


 ――刹那。俺の視界が真っ暗になる。後でわかった話だが、俺の目が虚空から現れた手で覆われたそうだ。


 ――見えない……!これじゃ掟が……!


「――死ネ」


 風を切る音。鎌が振るわれる。俺は一か八か、後ろに大きく跳躍した。


「うぐっ……!」


 前倒(まえのめ)りに倒れる。視界が晴れる。腹がぱっくり割れ、辛うじて背中の肉で繋がっていた。


 世界が、一瞬、無音になる。自分の腹の中身が零れ落ちていないのが奇跡なくらい、綺麗に、深く、裂けていた。


「ああ……また勝ってしまいましたネ。つまらなくはなかったですよ」


 意識が薄れそうになる。血が熱を持って流れ出ていく感覚だけが妙に鮮明だった。見上げる都井は恐ろしい程に口角が上がっていた。


 ――嗚呼(ああ)、やっとわかった。コイツのユニークスキル……!


「やっとわかったよ……。お前のユニークスキル……」


「まあ答え合わせくらいはしてあげましょうかネ」


「『誤字』か……」


「お見事ですネ。上位級ユニークスキル・〈誤字(ミスプリント)〉。言い当てたのはあなたが初めてですよ」


 思えば簡単な話だった。鎌を取り出した時は「つ(かま)えろ」。硫酸の雨を降らせた時は「三硫(さんりゅう)殺人鬼」で三リットルの硫酸。転ばせた時は「(ころ)されねぇよ」。目を覆われた時は「と目手(めて)やる」。


 ――コイツは、相手の台詞を誤字らせて、その漢字の意味通りに効果を発揮していたんだ。それが上位級ユニークスキル・〈誤字(ミスプリント)〉……。


「さあ、トドメと行きましょうかネ……!」


 都井が鎌を振り上げる。


 ――だったら簡単だ。言葉を発しない〈天衡(テミス)〉の掟なら。


『掟:鎌の使用を禁ず。

 破れば、自滅する。』


「死に晒せ――!」


「――お前がな」


 都井が鎌を振り下ろした瞬間、鎌は突如として攻撃の軌道を変え――都井の腹部を派手に切り裂いた。都井の上半身と下半身が綺麗に分たれる。


 一瞬、自分が斬られたことすら理解出来ていない顔だった。次いで、血が噴いた。


「うぐっ……うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 そして、鈍い音を立てて、その場に力尽きてしまった。


 静かだった。さっきまであれ程不快に喋っていた口が、もう二度と動かない。


「はは……これで俺も殺人犯だな」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――またしても〈警視庁〉・屋上。


 〈神威結社〉の面々に加え、ハズレちゃんと飛車角がその場に集まっていた。飛車角は空を仰ぎながら煙草の煙を吐き出す。階下では事後処理が行われており、騒々しい。


 ぱっくり割れていた腹部も天音のお陰で今は完治している。ユニークスキル様様である。


「…………まあ殺人とはいえ正当防衛ってことで不問でいいだろう。…………警視監の俺が決めるんだ。…………文句はねぇな、葉月(はづき)の嬢ちゃん」


「はいっ!問題なしですっ!」


「正当防衛って……最初に殴ったの俺なんですけどね……」


「…………そうだったか?…………見ていなかったな」


 ――飛車角さん……怖い人ではないのかもしれないな。


 天音が俺にそっと耳打ちする。


「せつくん、安心してください。トドメの瞬間はフランちゃんの目を塞いでいましたから、フランちゃんは何が起こったのかよくわかっていませんよ」


「そうか、ありがとう」


「おにいたま、かった?」


「師匠の勝ちですぞ!」


「おー、おにいたま、すごい」


「よしよし、可愛いな。フランは」


「おにいたま、すき」


 フランは嬉しそうに俺の膝に頬擦りをした。フランの頭を優しく撫でてやる。


「――あの、雪渚センパイっ!助けてくれてありがとうございましたっ!」


「いいよ、何もしていない……はカッコつけ過ぎか」


「カッコつけ過ぎですよっ!めっちゃ戦ってたじゃないですかっ!」


「そうだな。救えなかった人がいたのは残念だが、あれ以上の犠牲が出なくて良かった」


「…………事実、雪村の坊主が駆け付けなかったら葉月(はづき)の嬢ちゃんも死んでただろうからな」


「そうですねっ!ハズレちゃん、嬉しかったですっ!あの人とハズレちゃんは違うって言ってくれてっ!」


「それを言ったら俺も殺人犯だぞ、これで俺も殺人犯の仲間入りだな」


 ほんの少しだけ、自嘲を混ぜて笑う。それは冗談というより、ハズレちゃんが抱えていた鎖を少しでも軽くするための言葉だった。


「あははっ!」


 ハズレちゃんが笑った。泣き顔じゃなく、怯えた顔でもなく、ちゃんと笑った。それだけで、戦った甲斐があったのかもしれない。


「――飛車角センパイっ!」


「………………何だ」


「ハズレちゃんを警察に誘っていただいてありがとうございましたっ!」


「…………そうか」


「そして、お世話になりましたっ!ハズレちゃんは、〈神威結社〉の皆さんに着いていきますっ!」


「…………そうか」


「また遊びに来てもいいですかっ?」


「…………勿論だ。籍は残しておく」


「ありがとうございますっ!」


「ハズレ女史!〈神威結社〉に来てくださるのですな!」


「はいっ!ハズレちゃん、まだ自分のことは好きになれませんけどっ!雪渚センパイと同じ殺人犯だって言われて救われましたっ!警察官なのにそんなこと言っちゃダメですけどねっ!」


「…………心配するな。…………どっちにしろ今の発言でクビだ」


 飛車角の発言に笑いが木霊(こだま)した。張り詰めていたものが、(ようや)く少しだけ緩む。笑いが、空に溶けてゆく。

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