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1-3 医学部次席入水自殺事件

 ――「ユニークスキル」。


 漫画やアニメ、ゲームで幾度となく見た在り来りな設定。ファンタジー作品における、「固有の特殊能力」。現実から最も遠い場所に置かれていたはずの概念が、今はこうして白い診察室のただ中に、血と涙の匂いを伴って存在している。


天使(あまつか)さんのユニークスキルは、中位級ユニークスキル・〈癒光(ヒール)〉だ」


「ふぇぇ、致命傷でない程度の傷なら迅速に傷を癒やすことが出来ますぅ」


成程(なるほど)……。話が見えてきたぞ。俺が自殺したにも関わらず生きているのは、ユニークスキルが関係しているんだな?」


「そういうことだ、雪渚」


 点と点が、遅れて線になる。あの夜、海へ沈んだ(はず)の俺。傷一つない肉体。八十五年後の世界。アンドロイドになった親友。傷を数秒で塞ぐ異能。どれもこれも、現実離れしている癖に、互いを補強し合うように噛み合っていた。


「確認するが一二三、俺は一度『死んだ』んだよな?」


「雪渚……俺はお前のことを親友だと思ってるんだ。そんなことを言わせるか?しかもお前を愛するAさんの前で……」


「悪い、大事なことだ。答えてくれ」


「…………ああ、『死んだ』よ。雪村雪渚はあの冬の夜、死んだ。お前は有名人だからな、マスコミが随分と騒がしかった……」


 ――死んだ。


 他人の口から断定される自分の死は、妙に現実味があった。いや、現実味があるというより、余りにも整合していた。あの夜の海の冷たさも、肺へ水が入り込む感覚も、最後に意識が解けていくあの静けさも、何一つ夢ではなかったのだと、改めて突きつけられる。


「入水自殺を図る直前に身体中の臓器に穴を開けて、死後に腐敗ガスが溜まって浮かないようにした。死ぬ寸前に身体を丸めて浮く確率を下げた。真冬の冷たい海、かつ水深が深い海を選んだのも浮かないためだ。それでも発見される可能性はあるだろうが……俺が考えた最もお前に迷惑を掛けずに死ぬ方法だった」


「やめろ、雪渚……聞きたくない。お前の自殺の意図なんて聞かせるな。キレるぞ……」


「ううっ……せつくん……」


 一二三は額を押さえ、苦々しげに眉間へ(しわ)を刻んだ。Aはその横でまた涙を滲ませている。


 自分の自殺方法を説明しただけで、こうも他人の顔を歪ませる。それだけでも、俺が死んだという事実が、俺一人の中だけでは完結していなかったことがわかる


「そうか……。じゃあ、俺は――『生き返った』んだな。ユニークスキルで」


「そういうことになるな」


「――誰だ?俺を生き返らせた馬鹿は」


 声に滲んだ棘は、自分でも驚くほど鋭かった。


 腹が立っていた。俺は人生が嫌になって、考え抜いた末に海へ沈んだのだ。(ようや)く終われたはずだった。それなのに勝手に引き戻されて、自殺したという最悪の事実だけが残る。無様にも程がある。そんな怒りだった。


「雪渚……」


 その一言に、責めるでもなく、ただ疲れた響きが混ざっていた。そして次の瞬間、空気が崩れた。


「――ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!」


 唐突に床へ膝を突き、額が擦れんばかりの勢いで頭を下げたのは――Aだった。


 白い髪がばさりと垂れ落ち、華奢な肩が壊れた玩具のように震えている。謝罪の言葉は言葉というより、半ば悲鳴だった。罪悪感が舌の形を借りて噴き出しているだけの、痛ましい音。


「そうか……。お前か……。俺を生き返らせたのは」


 問い掛けるまでもなく、答えはそこにあった。Aは次の瞬間、床を滑るようにして俺の膝へ(すが)りついた。細い指が、逃がすまいとするみたいに病衣を掴む。


「せつくんが死にたいって思ってたのに……!私……せつくんにあんな絶望したまま死んでほしくなくて……!せつくんに会いたくて……っ!勝手なことをしました……!ごめんなさい!お許しください!」


 泣きながら、言葉の順番も形も崩して、それでも必死に伝えようとしている。俺には彼女が誰なのかわからない。けれど、俺のことを大事に思ってくれていることだけは、痛い程にわかった。


 だからまた会いたかった。たったそれだけの願いで、人はここまで壊れるのか。


「生き返ってしまったものは仕方ない。泣かないでくれ、A」


 そう言うしかなかった。叱責する理由は見つからない。責めようとしても、その前に彼女の八十五年が立ち塞がる気がした。


「……雪渚、捜査は難航を極めたと聞いている。お前の目論見(もくろみ)通りな。捜索の段階で出会ったAさんや警察の必死の捜査で何とかお前の特徴と一致する客を乗せたというタクシーの運転手が見つかった。海上保安庁によってお前の遺体が相模湾の水深一〇〇〇メートルの海底から見つかったのは十年後だったよ」


 ――十年後。その時間の長さは、数字の上ではすぐに理解出来た。だが感覚は追いつかない。自分の白骨死体が十年もの間、海の底に沈み続けていたなど、どう受け取ればいいのかわからなかった。


 ただ、その「十年」が、Aと一二三にとっては決して抽象的な時間ではなかったのだろうということだけはわかる。毎日、見つからない死体を探し続けるには、十年は長すぎる。希望を()り減らし、人を壊すには十分すぎる。


「せつくん!ああっ、せつくん!ごめんなさい!ごめんなさい!泣いてしまってごめんなさい!!」


「だが……お前が死んで数週間が経った頃だったか。世界中で(まば)らに、ユニークスキルの存在が確認されるようになった」


「せつくん!あああああぁあぁぁあぁあぁああぁあぁ!!!勝手なことしてごめんなさい!ごめんなさい!せつくんには生きててほしいって思っただけなんです!!あぁああああぁああぁああぁああああぁああぁ!!」


 Aの泣き声が診察室に満ちる。もう病院の一室とは思えなかった。白い壁も、ホログラムの光も、消毒液の匂いも、この場だけ別の現実へ押し流されている。ここにあるのは、八十五年分の執着と後悔と祈りだけだった。


「……そしてそれはAさんにも。ユニークスキルが発現したAさんは『せつくんと一度でいいから話がしたい』、『せつくんにもう一度会いたい』、『せつくんに幸せになってほしい』――そればかり言っていた」


 一二三の声音は静かだった。その静けさが、かえって事実の重みを際立たせる。Aの願いは単純だ。単純であるが故に、歪んでいた。八十五年という長ささえ、たったその三つの願いの前では些細だったのかもしれない。


 電動車椅子に座る俺。

 膝に(すが)りついて泣き喚く白髪のメイド服の女。

 副業で医者をしているアンドロイドの親友。


 この光景は、悪趣味な夢か、出来の悪いSF映画みたいだった。けれど、誰一人として笑っていない以上、これが現実なのだ。


「それは俺も同感だった。お前が大学を辞めたと聞いてからも、お前は俺の連絡を返してくれることはなかったが……それでも俺はお前を親友だと思っている。俺もお前と話がしたい、そうでなければ納得できない。だが雪渚がいつ見つかるかわからない。その頃には俺は死んでいるかもしれない。だから持てる頭脳を使って肉体改造をした」


「一二三……」


 一二三は淡々と言う。まるで合理的な判断を説明するだけの口調だった。だが、その理屈の中心にある動機は、全く合理的ではない。たった一人の友人と、もう一度話したい。それだけのために人間の寿命を踏み越えるなど、正気の沙汰ではなかった。


「結果的にそれで良かった。あのときそうしなければ、俺はもう一〇八歳。()うの昔にくたばっていてもおかしくない歳だ。アンドロイドになったお陰でこうしてお前とまた会えた」


 ――それが、真相。俺の自殺が産んだ、二人分の狂気。


 Aは祈りの果てに壊れた。一二三は再会のために人をやめた。どちらも、俺の知らないところで。俺が海の底でただの死体になっていた時間の裏側で。


「雪渚……もうお前なら理解(わか)るだろう」


 ふと、一つの疑問が脳裏を(よぎ)る。


 ――ユニークスキルが何を燃料として発動しているのかはわからない。エネルギー保存則を踏み(にじ)る純粋な超常現象なのか、それとも何かしらの代償を要求する系統なのか。現時点では判別不可能だ。だが、少なくとも、人一人を死から引き戻すほどの力が無傷で済むはずがない。


「俺を蘇生させた……代償……」


「そうだ。Aさんは……お前に会いたいが(ため)に、お前に幸せになってほしかった為に、人としての禁忌(きんき)を犯した。そしてAさんは……『壊れた』んだ」


 壊れた。その単語は簡潔で、残酷だった。


「そうか……A。君は……名乗れないんじゃないんだな……」


「はい、せつくん……。覚えていないんです。――自分の名前も」


 その返答はあまりに静かで、逆に痛かった。自分の名前を失くすというのは、肉体の欠損なんかよりずっと深い喪失だ。人間の根幹をごっそり持っていかれたに等しい。


「Aさんは――人格も、話し方も、服装も、全てが変わってしまった。だからお前はAさんを思い出せないんだ」


「A……どうしてそこまで……」


 問いは(ほとん)ど独白だった。理解は出来る。だが納得は出来ない。そこまでの時間と、自我と、人生を、たった一人の死人に捧げるなど、常軌を逸している。


「……雪渚、話を続けるがな。そしてお前を捜し続けて十年間、遂に見つかったお前の白骨化した遺体を見て、絶望した。お前が大学に来ていた頃の姿なんか見る影もない。変わり果てたお前のあの遺体は……俺達の脳裏から一生離れないだろうな」


「……………………っ!」


 息が詰まった。


 白骨化した自分。それを、この二人は見たのだ。探し続けた果てに、ようやく辿り着いたものが、対話も謝罪も届かない、骨の塊だったのだ。


 想像した瞬間、胸の奥が(ざら)ついた。死んだ自分のことなのに、羞恥に近い何かが込み上げてくる。こんな形で見つかって、こんな形で他人の記憶に焼き付くつもりではなかった。


「そしてAさんは警察や海上保安庁の静止を振り切って、ユニークスキルによってお前を蘇らせた。とは言っても人を蘇らせるユニークスキルなんて本来あってはならないんだ。人は必ず死ぬ――それを破ったAさんは代償を払った。覚悟してのことだっただろうがな」


 人は必ず死ぬ。その当たり前を、Aは壊した。壊してしまった。しかも、その代償として壊れたのは、蘇った俺ではなく、術者であるAの方だった。


「わ、私は!私のことなんかどうでもいいから!せつくんに!せつくんに生きてほしくて!!生きてたら楽しいことが絶対あるってせつくんに言ってあげたくて……っ!」


 その叫びは、あまりにも真っ直ぐだった。打算も、理屈も、世界の常識もない。ただ「生きていてほしい」という一点だけが、八十五年の時間を貫いてここまで来てしまったのだとわかる。


「結果、Aさんはぶっ壊れた。お前の所為でな。それも()ぐに蘇ったわけでもない。白骨化した遺体をベッドに横たわらせて年月が過ぎた。いくら回復のユニークスキルとて、蘇生の力なんてないのかと何度も疑った。そして八十五年間のうち最初の五十年間、半世紀は本当に徐々に、徐々にお前の遺体に肉が付いていっただけだった」


 五十年。半世紀。人の一生に匹敵する長さだ。


 その間Aは、白骨死体が少しずつ人の形へ近づいていくのを見ていたのだろうか。指先に肉が戻り、肋骨が隠れ、頬の線が埋まり、けれど目覚めることはない。希望と絶望が、毎日ほんの数ミリずつ交互に訪れるような時間だったに違いない。


 想像するだけで気が遠くなる。それを想像ではなく現実として耐えた人間が、目の前で膝に(すが)って泣いている。


「せつくん……!せつくん……!あぁあああああぁああああああぁああぁああぁああ!」


「だが半世紀が過ぎ、お前の遺体に完全に肉が戻ってもお前は目を覚まさなかった。それから更に三十五年間……。八十五年間もの間、Aさんは(ほとん)どお前の(そば)を離れることはなかった。そして先刻、お前が突然、蘇った」


 言葉を失った。


 八十五年。十年ではない。二十年でも三十年でもない。文明が変わり、人が入れ替わり、常識が死ぬには十分過ぎる年月を、Aは(ほとん)ど俺の傍で過ごしたという。


 それは献身と呼ぶにはあまりにも重く、愛と呼ぶには余りにも狂っていた。最早(もはや)信仰に近い何かだった。


 ――俺は、Aになんて言葉を掛ければいい。


「――これが事の顛末(てんまつ)だ。八十五年も経てば、世界を構成する人間も大きく変わる。この時代にお前のことを知る人間はもうAさんと俺……あとは幼少期に名前を聞いたことがあるくらいのお年寄りだけだろうな」


「せつくん……っ!せつくん……っ!あぁああぁああぁあああぁぁああああぁあぁあぁあぁあぁ!!!」


 この空白の八十五年間に起こったこと。俺の死後、再会だけを願って八十五年という孤独を俺に捧げた、見知らぬ美女・A。俺と話すためだけに、人間の寿命を踏み越えた一二三。そして世界中に現れたユニークスキル。


 自分の知らない時間が、自分の知らない場所で、自分の知らない人間達をこれほどまでに変えてしまっていた。その中心にあるのが、自分の死だという事実は、重かった。(たま)らなく、重かった。


 呆然とする俺と、泣き喚くA。診察室には、もう説明すべきことは残っていない(はず)だった。なのに空気だけが張り詰めたまま緩まない。


「……話は済んだ。少し一人になりたい。病人はさっさと病室に戻れ」


 ――雪村雪渚、二十歳。二度目の人生は、祝福ではなく、八十五年分の祈りと狂気を背負わされた状態で始まった。

天使(あまつか)(ゆう)

挿絵(By みてみん)


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