1-2 アンドロイドは異能羊の夢を見るか?
――目を覚ます。
視界を満たしたのは、光だった。瞼の裏に刺すような光が溢れ、俺は思わず目を細めた。頬を撫でる風の温度も、鼻を擽る土の匂いも、さっきまでいたあの凍て付いた海底のものではない――それだけは直ぐに理解出来た。
ゆっくりと瞼を持ち上げ、思わず息を呑む。
――何処だ?ここは……。
いや、問うまでもなかった。白い天井。白い壁。柔らかな寝具。一面が白で統一された空間を見渡して、俺は即座に結論を出した。
――病室……。
背中に感じるマットレスの反発。腕に走る軽い違和感。視線を落とせば、身体のあちこちにチューブが繋がれている。点滴。心電図。生命維持装置の類だろう。
だが、それ以上に異常だったのは、自分の身体の方だった。
病衣の胸元を乱暴に開く。腹部、胸部、脇腹。あの夜、自分で穴を開けた筈の場所を確かめる。
――ない。
傷跡どころか、皮膚の乱れひとつ見当たらない。
――巫山戯るな。死に損ねた、で済む話じゃない。
「――せつくん……っ!せつくん……っ!」
左手に俺の名前を呼ぶ声。全く以て聞き馴染みのない声が響いている。振り向くと、純白が飛び込んできた。
白いミディアムヘア。レースのカチューシャ。蒼い瞳。胸元の開いたメイド服。日本人離れした顔立ちの美女が、今にも壊れそうな顔で俺を見ていた。目元は真っ赤で、涙でぐしゃぐしゃだ。
「せつくん……っ!せつくん……っ!」
俺の胸に顔を埋めて泣く真っ白のミディアムヘアの髪型の女。レースのカチューシャ。胸元を露わにしたメイド服。混乱する思考の中で、俺は必死にその人を思い出そうとする。――だが。
――全く知らない女だった。
「……誰……だ?」
「ううっ……せつくん……っ!うう、うわあああああああああん!!」
こちらの質問なんて聞いちゃいない。豊満な胸を俺に押し付けて泣きじゃくるメイド服の美女。
「うわああああああああああああああああん!!!」
二人だけの病室に響き渡るメイドの泣き声。彼女の前髪――そのX字型の黒いばってんヘアピンが、窓から差し込んだ陽光を反射して煌めいた。
「ああっせつくん!せつくん……っ!」
――何だこれは。何が起こっている?
俺の顔を両手で優しく包み、涙で腫れた両の蒼い眼で俺の顔を見つめるメイド。
――この子は……どれほど泣いたんだ。今日だけじゃない。何日も泣いて……いや、それよりもずっと長い期間、泣き続けた目だ。
「……ごめん。君が誰なのか、わからない」
「いいんです……!いいんです……!せつくん!本当に……本当に……私……ううっ……」
思うように動かせない右手を、ぎこちなく動かし、彼女の白い髪に触れた。
「ああっ……せつくんの手だ……せつくんの手……っ!」
縋るように俺の手を抱き締める彼女。本当に俺のことを大事に想ってくれているのが痛い程に伝わった。――しかし、思い出せない。自殺のショックで記憶が飛んだのではない。本当に彼女を知らないのだ。
――本当に誰なんだろう……。
「――Aさん?どうしまし――」
そのときだった。メイドの泣き声を聞いてか、白いスライドドアを開けて顔を出すのは、白衣に身を包んだ、黒髪の眼鏡の若い男。
「――雪渚……」
男は驚嘆一色の表情を浮かべ、そしてじわじわと涙を浮かべた。端正な顔立ちが台無しな程に。彼は左手で涙を拭って、ゆっくりと歩み寄って来る。
――この男は……知っている。無二の親友だ。
「一二三……」
「雪渚……目が覚めたのか……」
「どういう……」
「色々思うところはあるだろうが、俺は嬉しいよ。お前とまたこうして話ができるとは……。すまない……」
そう断りを入れながら、溢れ出る涙を拭う男――一二三。その隣で、メイドは俺の頭をその豊満な胸で抱き締めながら、未だに啜り泣いている。
「ぐすっ……ううっ……」
「雪渚、お前には伝えなければならないことが沢山ある。そうだな……。一度診察室に来てもらえるか。車椅子を用意する」
「ああ……悪いな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――数分後。患者用のスリッパを履き、看護師の女が持って来た妙に未来的な電動車椅子に乗せられ、俺は左手に掴んだ点滴スタンドと共に、一二三の待つ診察室へと向かっていた。車椅子を押す天音は未だに泣き止まない。
清潔感のある白い廊下では、往来する看護師や他の患者とも擦れ違った。彼等は泣きながら電動車椅子を押す天音を見て怪訝そうな表情を浮かべていた。
「ぐすっ……ぐすっ……うぅっ……」
「あのー……」
「ごめんなさいせつくん……。私が……私がせつくんをもっとちゃんと支えていれば……せつくんが自殺なんてしなくて良かったんです……。ごめんなさい、ごめんなさい……」
「君は悪くないだろ……。えーっと、Aさん?」
「はい。Aとお呼びください」
白い廊下を進む。行き交う看護師、患者、スタッフ。総合病院らしい規模感だが、ところどころ妙な違和感がある。壁面表示は発光パネルだし、ストレッチャーの駆動音は静か過ぎる。清潔感の質そのものが、俺の知っている病院と違った。
「あ……せつくん、ここが診察室です……」
「ああ、ありがとう」
「せつくん、段差で少し揺れますよ」
メイド――Aが診察室のスライドドアを三回ノックすると、中から声が聞こえる。
「どうぞ」
「失礼します」
Aが丁寧に言葉を返して扉を開くと、キャスター付きの椅子に腰掛ける一二三と、その背後の通路を往来する看護師がいた。
そこで俺は、はっきり異常を見た。机の上にモニターがない。キーボードもない。代わりに、空中へ半透明のディスプレイが投影されていた。――ホログラム。
思わず目を細める。SFの小道具だったものが、自然にそこにある。
――何だ?妙に未来的だな。
「来たか、雪渚」
改めて紹介しよう。眼前の男は五六一二三。毛先がウェーブがかった短い黒髪にスマートな印象の眼鏡、端正な顔立ちのこの男は俺の大学時代の無二の親友だ。
「俺を覚えてくれていたことが嬉しいよ、雪渚」
「おう一二三、暫く会ってなかったがお前はやはり医者になったか……ん?」
――いや、それはおかしい。日本で医師になるには、医学部医学科で六年間の教育を受け、医師国家試験に合格して医師免許を取得し、二年間の臨床研修を経て漸く医師だ。つまり最低でも八年間掛かる。これは日本の医師法で定められている絶対不変の事実だ。
「雪渚……」
――海外の医学部を卒業し日本の医師免許を取得する場合や戦時中等の例外はあるが、一二三はそれには当て嵌まらない。
「雪渚……お前が今抱いた疑問だがな。俺がお前に話したい話と密接に関係する」
Aが、キャスター付きの椅子の隣に電動車椅子を止め、俺の背後でしおらしく、手を腹部の下辺りの位置で合わせて礼儀正しく立っている。着熟したメイド服も相俟って、まるで屋敷の主人に仕える使用人かのように。
「……わかった。取り敢えず話を聞きたい。あとAさん……?椅子空いてるだろ、座らせてもらおうぜ」
「いえ、せつくん。私は大丈夫ですから……」
「一二三……彼女は誰なんだ?」
「む、雪渚の彼女じゃないのか?」
「勘弁してくれよ、こんな美人の彼女がいてたまるか」
――一二三も知らないのか。本当に誰なんだ?
「せつくん、私のことはいいので、お話を進めてください」
「あ、ああ……」
ふと視界の端に映ったデスクの上に投影されたホログラムディスプレイ。その右下に表示されている日時。俺はそれを見て目を丸くした。
――四月十日。マジか……俺が入水自殺を図ったのは十二月だ。半年経ったことになるのか。だが、一二三が医師になっている事実を考えると、下手するともっと……。
眼前の椅子に座る一二三は、覚悟したような表情を浮かべたのち、口を開いた。
「――単刀直入に言おう。雪渚、お前は八十五年間眠っていた」
「は…………?」
――何を言ってるんだコイツは。ずば抜けて優秀な奴だったがいよいよとち狂ったのか?
「待てよ一二三。お前そんなナンセンスな冗談言う奴だったか?」
「その反応が正解だろうな。だが事実だ雪渚。西暦二一一〇年の四月十日。これが今日の日付だ」
「いやいや……八十五年も経っていたと仮定すれば、お前が俺の知っている容姿のままなのはどういう了見だ?一〇八歳――老衰で他界していてもおかしくない歳だろ」
「何故歳を食ってないのか、という疑問なら俺に関しては……そうだな。俺が高性能なアンドロイドだからだ」
「――お前さあ!」
立ち上がる俺。空気が凍て付く。だが一二三は真っ直ぐな視線を俺に向ける。背後で佇んでいた天音が俺を慌てて静止する。
「いけません、せつくん!まだお身体も万全ではないのですから……」
その圧に気圧され、冷静さを取り戻した俺は再び電動車椅子へと腰を下ろす。
「……一二三、お前いい加減にしろよ。そりゃお前の頭脳ならアンドロイドの開発くらい造作もないだろうけどな」
「誰が言ってるんだ、雪渚。東慶大学医学部次席合格のお前にだって容易いことだろう」
――俺は日本最高偏差値の最高学府・東慶大学に次席で合格を果たした。一次試験の共通テストは堂々の満点、二次試験の各大学別の筆記試験は、ある一問のみ失点し、三席以下に大差をつけて次席合格。
――そして、俺の化物染みた得点率を超えて、一次試験、二次試験、共に堂々の満点。首席合格を果たしたのがこの目の前に座る男――五六一二三である。そもそもが一次試験――共通テストの満点という時点で有り得ない偉業。それを成し遂げた俺達二人は当時、連日連夜ニュースで崇め奉られたものだ。
「馬鹿、冗談だよ、一二三。まあ冷静になって考えれば……お前はそんな下らない冗談を言う奴じゃない」
「流石に順応が早いな。アンドロイドってのも冗談じゃない。俺は俺の頭脳をフルに使い、肉体改造の果てに不老不死を手に入れたと言うわけだ」
「はー、お前さ、息をするように人類の夢を叶えるよな」
「なに、雪渚にも可能だろう」
「出来るか、天才が」
「雪渚、実際俺の本業もそっちなんだ。俺は起業して今はそこで最高経営責任者として勤めてる。医者は殆ど雪渚の経過観察のためになったようなもんだからな、医者は副業だ」
「そんな奴いねえって。俺らの東慶大学医学部が泣くぞ」
「ははっ、雪渚。調子出てきたな」
「うるせえよ……」
「雪渚、お前も聞きたいことは山程あるだろう」
「まあ……そうだな。色々と気にはなるが、取り敢えず聞きたいのは一つだ」
それは当然の疑問であった。
「俺はあの冬の夜、海の底で死んだ筈だ。八十五年も経って、何故生きている?」
「せつくん……」
一二三は眼鏡のブリッジをクイッと持ち上げた。そして、一呼吸置いて言葉を返す。
「そこなんだよ、雪渚。まあ……百聞は一見に如かずだ。俺のユニークスキルだと少し危険か……。天使さん、ちょっと来てもらえるかな」
「ふぇぇ、は、はい!ふ、五六先生!」
一二三は、通路を往来していた看護師の女を呼び止め、診察室へと呼び寄せた。ピンクの髪に幸の薄い顔、気が弱そうな――悪く言うと何処にでもいるような女性だ。
「彼女はウチで働いてくれている看護師の天使遊さんだ」
「ふぇぇ、は、はじめましてぇ」
「はあ、どうも」
「見てろ、雪渚」
すると驚くべきことに、一二三はペン入れから万年筆を取り出し――自身の手の甲に凄まじい勢いで突き刺した。真っ赤な鮮血が溢れ出る。
「なっ……!」
鮮血が溢れる。肉が裂ける嫌な音。Aは動かない。天使も叫ばない。全員、これを知っている目だった。
「――『ヒール』!」
天使の一声。次の瞬間、一二三の手の甲の傷が塞がり始める。裂けた皮膚が逆再生みたいに噛み合って、血が引き、数秒後には傷跡すら消えていた。
言葉が出なかった。医療じゃない。奇跡だ。
「……は?」
「雪渚……これが『ユニークスキル』だ。世界はこの八十五年で変わった。嘗てあった国も常識もない。ユニークスキルが跋扈するこの世界は、今や『新世界』と呼ばれている」
誰も巫山戯てなどいなかった。一二三、天使、そして背後でしおらしく佇むAに至るまで、皆が真剣な面持ちでその様子を見守っていた。
「雪渚」
一二三の声が、真っ直ぐに届く。
「折角の第二の人生だ」
そんな診察室で一二三が広げた掌を、窓から差し込む陽光が優しく、優しく照らしていた。
「この新世界で、次は最高の人生を送ってみせろ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は思い出した。
冷たい海の底で、確かに願ったのだ。次に生まれるなら、今度こそ自由になりたいと。
なら――
今度は、笑って生きてやる。




