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1-20 海底都市エリア

 ――深海。俺達三人を乗せた潜水艦は、暗い水の層をゆっくりと潜っていた。舷窓の外では、(かす)かに光る魚影が無数の星座のように浮かび、深い藍の静寂を縫うように泳いでいる。地上の夜空を逆さに沈めたみたいな光景だった。


「おにいたま、おさかな!」


 フランが小さな手を窓に押し当て、瞳を輝かせた。その純粋な声が、鉄と油の匂いが満ちた潜水艦の空気を柔らかく揺らす。俺は彼女の銀髪を撫でながら、思わず頬を緩める。


「はは、そうだな。お魚だな」


「おにいたま、おねえたま、つれてきてくれて、ありがと」


 ――かわいい~。


「ああっ!フランちゃんが可愛過ぎます!」


 堪え切れなくなったのか、天音が座席から身を乗り出し、そのままフランをぎゅっと抱き締めた。ふわりと石鹸の香りが漂い、豊かな胸元がフランの小さな身体を包み込む。


「むぎゅ、おねえたま、くるしい」


「ご、ごめんなさい、フランちゃん。痛くありませんでしたか?」


「うん、いたくない。――あっ、おにいたま、おねえたま、みて」


 フランの指差す先。海の底に――巨大な光のドームが、暗闇に浮かび上がっていた。その内側では無数の都市の灯が星雲のように連なり、闘技場、カジノ、劇場のネオンが、深海の闇に幻想的な色を散らしている。海の底に、もう一つの夜の空があるみたいだった。


「見えてきましたね。〈海底都市エリア〉……」


「海底でここまでの文明を築けるのか……。凄まじいな……」


「市長が有能だったみたいですね。カジノとアイドル産業で都市を興したとか」


「おにいたま、あたらしいおともだち、いるかな?」


「ああ、仲間な。きっといるさ」


 フランの期待に、俺は静かに頷いた。この旅の先に、また何かが待っている。そう思わせるには充分過ぎる景色だった。


「せつくん、仲間といっても私達は、戦えないフランちゃんを除けばまだ二人。どのような人物を探すのがよろしいでしょうか?ご命令いただければ、私が探して参りますが」


「命令ってな……。でもまあそうだな、足りないポジションが多過ぎる。差し当たっては商人と戦闘員か」


「戦闘員はわかりますが……商人ですか?」


「今のところ、資金面は天音の貯金頼りという中々に情けない状況だからな。有望な商人がいれば生活は担保されるだろ?」


「……なるほど。理に適っています」


「――お客様、間もなく〈海底都市エリア〉に浮上します」


 潜航士の声。窓の外、暗い深海の闇に、一筋の光が差し込んだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 鉄の扉が、重たい音を響かせて横へ滑った。湿り気を帯びた空気がどっと流れ込み、鼻腔を鉄と潮の匂いが満たす。視界の先には、深い青の水面が静かに揺れていた。


「到着しました。〈南国諸島ニライカナイ〉の首都・〈海底都市エリア〉です」


「ありがとうございました」


 赤い潜航艇が、ゆっくりと潜水艦ドックに浮上する。水面を割る音が反響し、閉ざされた空間に低く響いた。壁面に並ぶ無機質な照明が、潜航艇の濡れた装甲を鈍く照らし出す。光が波に揺れ、赤の(つや)が水面越しに歪んで揺らめいた。


 (やが)てポンプの(うな)りと共に水門が閉じ、水位がゆっくりと下がっていく。水面の代わりに金属床が姿を現し、排水の音と共に白い蒸気がふわりと立ち上る。金属の足場が(きし)む低い音が、妙に耳心地が良かった。


「フラン、着いたぞ。足下、滑らないように気を付けろよ」


「あい!」


「ここが〈海底都市エリア〉ですか……」


 鋼鉄の扉が完全に閉じた瞬間、世界は再び静寂を取り戻した。人工照明の白光の中で、ドック中央の赤い潜航艇だけが、一際鮮やかな色を保ち続けている。


「呼吸も出来るみたいだな」


「そのようですね」


 通路の先、開かれたゲートを抜けた瞬間――視界は一気に光で満たされた。ネオンの群れ。揺らめく泡の粒。寒色を基調とした街並み。そして、耳を打つ人々の騒めき。


「うわぁ……」


 フランが息を呑む。そこは確かに「海底都市」だった。紫と青の光が霧のように混ざり合い、建物の輪郭を歪める。濡れた舗道は鏡のように反射し、歩く度に水音が柔らかく響いた。


 行き交う人々の大半は、鱗を纏っていたり、水色の肌を持っている。恐らく、水棲に特化したユニークスキルの者達が築き上げた文明なのだろう。地上の都市とは、街の呼吸そのものが違っていた。


「おにいたま、おんぶ」


「よし……」


 フランを背に乗せ、ネオンの川の中を進む。紫の光とネオンの看板が滲む通りでは、舗道が常に薄く濡れており、その水膜が街灯の色をより滲ませていた。何処(どこ)か潮と酒の匂いが入り交じる。


 遥か先から、カジノの歓声と電子音が混ざったような喧騒が押し寄せてくる。ピンク、青、(だいだい)――幾色もの光が空気の層を歪ませ、海底にいるのだという現実を視界の端で主張していた。


「俺もカジノで人生逆転だー!!」


「お前の所為ですっからかんじゃないか!どうしてくれるんだ!」


「なんだと!」


 口論する声が()ぐ脇を通り過ぎる。金と運と破滅に踊らされる連中が、ここには山程いるらしい。


「騒がしい街だな……」


「〈海底都市エリア〉――別名は『幸運の街』。人生一発逆転を求めて、世界中から人が集まる場所ですからね」


「おにいたま、かじのってなに?」


「……お金を賭けてゲームをする場所なんだが……フランにはちょっと早いな」


 その時、人の波が騒めいた。十字路の先――群衆の中心に、一際大きな影。ホオジロザメを想起させる程に(えら)張った強面の、水色の肌の大男。上裸の上にオレンジのアロハを羽織り、胸板は岩のように厚い。


「――マルコ様!今日も(たくま)しいお姿です!」


「〈海底都市エリア〉の偉大なる市長にして涙様の守り人!」


「千歯のマルコ様、万歳!」


「あぁ……マルコ様……今日もカッコイイわ……」


 偉く持て(はや)される彼を中心に、群衆が取り巻いている。歓声と拍手。マルコと呼ばれた男は、人々の中心で不動の存在感を放っていた。四人の護衛が周囲を固め、群衆の熱気が渦を巻く。


「ふーん、あれが市長か……」


「そのようですね。せつくんの方がカッコいいと思いますが」


「張り合うな……」


 取り巻きの一人が、マルコに尋ねる。


「マルコ様、涙様のソロライブを明日に控えておりますが、いかがでしょうか?」


 マルコが声を張る。その声は、重く海を震わせるようだった。


「涙様がいらっしゃらなければ今の俺はない。だから、明日の涙様のソロライブは必ず成功させなければならない!」


流石(さすが)マルコ様!」


「そして涙様さえいらっしゃれば、この〈海底都市エリア〉は未来永劫、平和が(もたら)される!」


「おお!そうだそうだ!」


「マルコ様、カッコいいー!!」


「全ては〈海底都市エリア〉のために!」


「「「〈海底都市エリア〉のために!」」」


 マルコは大量の金貨を鷲掴みし、空へ散蒔(ばらま)いた。金の雨が舞い、群衆が歓声と共に群がる。その間を悠然と歩み去る彼の姿は、まるで王の行進だった。この街そのものが、自分の庭であると言わんばかりに。


「なんだありゃ……」


「げひん」


「ですが人望だけは厚いようですね。〈海底都市エリア〉の歌姫・漣漣漣(さんざなみ)(るい)さん――彼が涙さんのマネージャーにして〈海底都市エリア〉の市長・鮫万代(さめばんだい)圓湖(まるこ)さんのようです」


「取り敢えずマルコに会いに行ってみるか。優秀な商人を探すなら、街のトップに聞くのが早い」


「かしこまりました、せつくん。マルコさんはあの奥に(そび)える竜宮城に向かったようですね」


 視線の先には、周囲の雑多なネオン街とは明らかに一線を画す巨大建築――竜宮城がそびえ立っていた。珊瑚と貝殻を編んで築かれた城壁は、光を受けて静かに(きら)めいている。波の揺らぎを透かしたような柔らかな青白い光が、竜宮城を包んでいた。


 真っ直ぐ大通りを進む。正面の大階段は真珠の粉を敷き詰めたかのように白く輝き、その両脇を流れる水流には金魚の群れが舞う。彼等は警備兵のように列を成し、侵入者を見張るかのように眼を光らせている。


「おにいたま、おっきい」


御伽噺(おとぎばなし)かよ……」


 城門の前。警備の水色の肌の男が二人、槍を交差させる。


「お待ちください、関係者以外の立入は禁止しております」


「む……」


 ――〈天衡(テミス)〉の掟によって警備兵を強引に気絶させ、中に押し入ることも出来るが……面倒事は起こすべきではないだろう。


「お引き取り願います」


 きっぱりとした声。こちらを一切客人として扱う気配はない。――その時、澄んだ声がそれを遮った。


「――待ってっ☆」


 姿を現したのは、海色のケープを(まと)う、十代後半らしき女。向日葵(ひまわり)色のサイドテールに青の螺旋メッシュ、星のように輝く瞳。その笑顔は、水底に射す一条の光そのものだった。


 ――可愛い。


 第一印象は、その一言に尽きた。女は星のような瞳をきらきらと輝かせて笑顔を向ける。


「何か竜宮城に用があるんだよねっ☆歓迎するよっ☆」


「――涙様!しかし!」


「いいからいいからっ☆」


 衛兵の制止を軽く往なすと、彼女――涙は俺達に向き直った。


「こっちだよっ☆」


 涙に案内されるがままに城門を(くぐ)れば、天井から吊るされた無数の海月(くらげ)の灯が、黄金よりも繊細な光を放っていた。灯りがゆらりと揺れる度、床のタイルに描かれた波紋模様が生きた水面のように(きら)めく。足を踏み出す度に、足元から小さな泡がふわりと浮かび上がり、(やが)て空気に溶けていった。


「君達〈海底都市エリア〉は初めてだよねっ☆」


「なんでそれを……?」


「見ればわかるよっ☆」


 奥へ進むにつれ、空気は何処(どこ)か潮の甘い香りを帯び、遠くで竜宮の楽団が奏でる竪琴の音が響いてくる。音は水の膜を通り、耳に届く頃にはまるで夢の中の旋律のように柔らかく歪む。


 広間に至れば、そこには巨大な貝殻を削り出した玉座が鎮座していた。玉座の背後では金色の鯉が泳ぐ水のカーテンが流れ落ち、光を反射して壁一面に七色の模様を描いている。そこに――マルコは立っていた。


「涙様……どちらに行かれたかと思えば」


「ごめんごめんっ☆」


 マルコの傍には、一際目立つ三人の男女が控えていた。


 蟹を想起させる巨大な多脚の赤い甲冑に身を包んだ、水色のロングヘアの女。


 黒と白のツートンカラーの髪にギザ歯、黒いライダースジャケットを羽織り、腰からイルカの尾鰭(おびれ)を覗かせる男。


 紫の肌に金髪モヒカン、厚い唇、筋骨隆々の肉体――その上から赤いビキニとメンズ用ラッシュパンツを着込んだ、女子プロレスラーめいた女。


 マルコの鋭い視線が、こちらに向けられた。


「そちらの者達は?」


「お客様だよっ☆マルコに用があるみたいっ☆」


「左様ですか。……それで、俺に何の用だ?」


 厳ついマルコの眼光に気圧(けお)されそうになるも、しっかりとマルコの目を見据え、俺は答える。フランはマルコが怖いのか、背中で俺の服にしがみ付いている。


「俺達はクランで……優秀な商人を探しています。市長であられるあなたなら何かご存知かと」


「――知らないな。用は済んだか?帰れ」


「――なっ!」


 余りにも露骨だった。人を人とも思っていない断ち切り方だ。マルコはそれだけ言い捨てると、(あからさま)に興味を失った顔で外方(そっぽ)を向いた。


 涙が慌てて一歩、前に出る。


「ちょっと待ってよっ☆マルコっ☆それはあんまりだよっ☆」


「しかし涙様、明日は世界中が待ち望んでいるソロライブの日です。このような何処(どこ)の馬の骨かも知らない客人に構っている暇はございません」


「でもっ☆話くらい聞いてもっ☆」


 ――この野郎。人が下手に出てやれば。


 その言葉に、天音が前へ出た。白い髪を掻き上げ、丁寧な所作ながらも苛立ちを露わにする。


「あなた、何なのですか?せつくんに向かって失礼ではありませんか?」


「フラン、このひと、きらい。おにいたま、いじめる、だめ」


「――好きに言えばいい。用は済んだだろう。帰れ。ここはお前らのような下等な人間が来る場所じゃない」


 露骨な蔑視に、喉の奥が熱くなる。だがここで()り合っても、得られるものは少ない。


「ちっ……時間の無駄だった。帰るぞ」


 (きびす)を返そうとしたその時、涙が再び呼び止めた。


「――待ってっ☆」


「…………?」


 涙の声に足を止める。


「商人ならボクのファンで優秀な人を知ってるんだっ☆名前は――汚宅部(おたくぶ)拓生(たくお)くんっ☆」


「涙様……!」


 マルコが眉を(しか)めるが、涙は一歩も引かなかった。


「先週の握手会は途中で体調不良で帰っちゃったみたいだから、ボクが心配してるって伝えてっ☆」


「……涙さん、ありがとう」


 短く礼を告げ、竜宮城を後にする。


 外に出ると、珊瑚の樹々が静かに揺れていた。枝に群れる小魚達が淡く光り、海底の庭を月光のように照らしている。海の底なのに――何処(どこ)か、蒼い満月の下にいるようだった。

漣漣漣(さんざなみ)(るい)

挿絵(By みてみん)


鮫万代(さめばんだい)圓湖(まるこ)

挿絵(By みてみん)


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