2-25 犬猿の仲、時々、ドラゴニュート
――予選開始より、五十九分四十一秒。〈極皇杯〉予選Hブロック。
会場である〈天空橋空港〉二階出発ロビー、北側コンコースの喫煙室には、白い煙がゆるやかに充満していた。
全面鏡張りの狭い空間。壁際に並ぶ灰皿スタンド。中央の灰皿台。ガラス扉の向こうには、毒ガスと殺し合いに満ちた空港のコンコースが広がっている。
だが、喫煙室の中だけは、奇妙なほど時間の流れが違っていた。
煙草の匂い。白い煙。鏡に幾重にも反射する五人の姿。竜ヶ崎竜歌。李蓬莱。羊ヶ丘手毬。犬吠埼桔梗。猿楽木天樂。つい数分前までなら、互いに殺し合っていてもおかしくない顔ぶれだった。
そのうちの一人――羊ヶ丘手毬が、昨年の〈極皇杯〉ファイナリストへ向かって、あまりにも突飛な一言を放った直後である。
「――て、手毬サン!それはいきなりすぎるアル!」
最初に声を上げたのは蓬莱だった。
竜ヶ崎竜歌と犬吠埼桔梗も、手毬のあまりに突飛な発言に目を丸くしている。
蓬莱は思案する。
――手毬サン……阿呆すぎるアルヨ……。
引く手数多の〈極皇杯〉本戦進出経験者を、初対面でクランへ勧誘する。
しかもここは〈極皇杯〉の予選会場。本来なら、戦って蹴落とすべき相手である。常識知らずにも程があった。
だが、蓬莱の予想と、猿楽木天樂の反応は大きく異なっていた。
「――おもろいこと言うなあ!着ぐるみの姉ちゃん!」
天樂は破顔した。煙草を指に挟んだまま、手毬の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「姉ちゃんのランクはなんぼや?」
「ま、まだボクはF級なのだ……。まだ仲間もいないのだ……」
「羊ヶ丘手毬……」
桔梗が真顔で呟く。
「〈極皇杯〉の予選の最中にクランの勧誘とは……私の想像を超えてくるな」
「おいおい手毬ィ!」
竜歌もさすがに額へ手を当てた。
「さすがにそれは通用しねェって、アタイでもわかるぞォ!本戦進出経験者はクランに入らなくてもやってけるんだからよォ!」
竜歌の言葉は、珍しく正論だった。
無等級ユニークスキルや下位級ユニークスキルを持ち、一人で新世界を生き抜くことが困難な者にとって、クランへの加入は「生きるための術」である。
弱い者でも、力を合わせれば生き残れる。任務を受けられる。生活基盤を作れる。新世界の荒波に、どうにか抗える。
しかし、〈十傑〉や〈極皇杯〉の本戦進出経験者のような圧倒的強者にとって、クラン加入は必ずしも利益にならない。
否。むしろ、足枷になる場合の方が多い。
強者は一人で稼げる。一人で守れる。一人で選べる。下手に弱者と手を組めば、その弱者を守るために動きが制限される。事実、〈十傑〉の過半数はクランに所属していない。強すぎる者ほど、群れる必要がないのだ。
「ど、どうなのだ?天樂」
手毬が、おずおずと見上げる。
赤を基調とした虎皮の腰布を着用した圧倒的強者――猿楽木天樂は、口腔から吐き出した煙を見上げた。白い煙が、鏡張りの天井へ薄く伸びていく。
そして彼女は、満面の笑みで答えた。
「――ええで!入ったる!」
「はァ!?」
「猿楽木サン!?」
「マ、マジなのだ!?」
竜歌、蓬莱、手毬の声が重なる。
桔梗でさえ、わずかに目を見開いた。
「ウチそんなおもんない冗談言わへんわ!」
天樂はけらけら笑う。
「よろしゅーな着ぐるみの姉ちゃん――ってそや、名前すら聞いてへんかったわ!」
「嬉しいのだ!」
手毬の顔が、ぱっと明るくなる。
「ボクはクラン・〈十二支〉のクランマスター!羊ヶ丘手毬なのだ!よろしくなのだ、天樂!」
「ほな手毬って呼ぶわ!よろしゅーな!」
「――いやいやいやいや待て待て待てやァ!」
竜歌が全力で割り込んだ。
「竜歌!どうしたのだ!?」
「いやおかしいだろォ!」
「そうアル!何の茶番アルカ!?これは!」
「何もおかしいことなんてあらへんやろ?」
天樂は飄々と言う。
「両者が同意してのクラン加入やで?」
「そうなのだ!やっと初のクランメンバー獲得の瞬間なのだ!余韻に浸らせるのだ!」
「〈極皇杯〉の予選中にクラン加入なんて前代未聞アル!」
「お前ら感覚どうなってんだァ!?」
竜歌と蓬莱の意見は、どこまでも正しい。
本来、戦ってファイナリストの座を奪い合うべき〈極皇杯〉の出場者が、初対面の他出場者を自分のクランへ勧誘する。しかも相手は、昨年の本戦進出経験者。あまりにも異様だった。
世界六国へ中継されていることを考えれば、今頃、視聴者も運営も実況席も掲示板も大混乱しているに違いない。だが、当の本人たちは平然としている。
「そんなん言われてもなあ」
天樂は煙草を咥えたまま肩を竦める。
「おもろそうやん。理由なんて、それで十分やろ」
「竜歌!黙るのだ!」
手毬が胸を張る。
「ボクたちは今日からクラン・〈十二支〉なのだ!」
「せやで、ほんま!ウチのクランマスターに文句付けさせへんで!」
「いやァ……別に文句ってワケじゃァねェんだがァ。悪ィ……ちっと取り乱したなァ」
竜歌は頭を掻いた。黄色い双角が、喫煙室の眩い照明を受けて輝く。
竜ヶ崎竜歌は、上位級ユニークスキル・〈竜鱗〉によって、全身に鱗を纏い、角や尻尾、鋭い爪を生やすことができる。予選開始以来、彼女はずっと「ドラゴニュート化」状態を維持していた。その分、当然ながら体力は削られている。
ちなみに、黄色い双角だけは「カッコいいから」という理由で、就寝時を除き、〈オクタゴン〉の中でも常に生やしている。本来は、引っ込めることもできるのだ。
「嗯……猿楽木サンが予選中にクラン加入だなんて……今この中継を観てる世界の人たちはきっと沸いてるアル……なんか頭痛いアル……」
「わかるぞォ、蓬莱……」
こうして。
羊ヶ丘手毬がクランマスターを務める〈十二支〉に、第九回〈極皇杯〉ファイナリスト、猿楽木天樂が加わった。
ただし、その結論に一人だけ納得していない者がいた。
「……待て、猿楽木天樂。その判断はおかしいだろう」
犬吠埼桔梗である。
「はぁ?なんや騎士の姉ちゃん……」
天樂の目が、少しだけ細くなる。
「何度も言うけど、ウチが手毬と合意の上で加入したんや。第三者が口挟むのはお門違いやで?」
「重々承知の上だ。……いや、私は単に難癖を付けたいだけかもしれない」
「はぁ?騎士の姉ちゃん、どういうことや?」
「猿楽木天樂……貴殿が戦っていた昨年の予選の映像を目にしたことがある」
喫煙室の空気が、わずかに冷える。
「〈如意棒〉……とやらで敵を次々に貫いて本戦に進出したのだろう」
「せやで?それがウチのバトルスタイルっちゅうヤツや!」
「――天樂!喧嘩はやめるのだ!」
手毬が慌てて両手を振る。
「あかんで、手毬!」
天樂は煙草を灰皿の縁へ軽く当てた。
「騎士の姉ちゃんは〈十二支〉のクランマスターに反対しおったんや!ちゃんと話し合わな納得できへん!」
「わ、わかったのだ……」
「ほんでなんや?騎士の姉ちゃん」
桔梗は天樂を真っ直ぐ見た。
「貴殿の言うそのバトルスタイルだがな。私は嫌いだ、貴殿の戦い方が」
その声に、はっきりとした嫌悪が滲む。
「相手に敬意を払った戦い方だとは、まるで思えない」
「はぁ!?」
天樂の眉が跳ね上がる。
「敬意どころか、ちゃんと戦いもせえへん自分に言われとうないわ!」
「……そうか。私たちは相容れないようだな」
犬猿の仲。まさに、その言葉が相応しかった。
正義を重んじる騎士。面白さを重んじる武闘派。
相手への敬意を問う者。戦う以上、倒し方に遠慮など要らないと笑う者。
竜ヶ崎竜歌、李蓬莱、羊ヶ丘手毬の三名は、その様子を静かに見守っていた。
厳密には、突然始まった口論に、まだ頭が追い付いていなかった。
「ほんま騎士様っちゅうんは頭が堅くて適わんわ」
「頭が堅いだと……?騎士を愚弄するつもりか……?」
桔梗の手が、腰の鞘へ伸びた。そこに納められた〈聖剣エクスカリバー〉の柄へ、そっと指が掛かる。
桔梗は、騎士であることに強い誇りを持っている。ただ強いから騎士なのではない。守るために剣を持つ。正義に忠誠を誓う。その生き方そのものが、彼女の芯だった。
だからこそ、それを侮辱されたように感じた瞬間、彼女の表情に明確な怒りが浮かんだ。
「――って!ジョークやんけ!」
天樂が慌てて両手を上げる。
「ほんま頭が堅いわぁ」
冗談めかしたその言葉に、少しだけ場が和んだ。少なくとも、今すぐ聖剣が抜かれることはなさそうだった。
竜歌は、すっかり短くなった煙草を灰皿に投げ捨てる。そして、二人の口論を遮るように口を開いた。
「――おォ、お前らよォ、そろそろ安全地帯も危ねェンじゃねェかァ?」
「あ、そうアルネ……。そろそろ移動した方がいいかもしれないアル!」
「じゃ、じゃあみんなで行くのだ!」
「……仕方ない」
桔梗は鞘から手を離す。
「猿楽木天樂、悪かった。口が滑ったようだ」
「おぉ……まあウチも言いすぎたわ。すまんかったな、騎士の姉ちゃん」
二人は一応、謝った。
竜歌は、喫煙室のガラス張りの扉へ歩み寄った。扉を開ける。
喫煙室は二重扉構造になっている。この扉を抜ければ短い通路。さらにもう一つ扉を開ければ、北側コンコースへ戻れる。
竜歌は開けた扉を押さえたまま、三人を先に通した。
「あっ、竜歌サン、謝謝アル」
「竜歌、助かるのだ!」
「悪いな、竜ヶ崎竜歌」
蓬莱、手毬、桔梗が順に喫煙室を出る。短い通路へ足を踏み入れた。
一方、それに続こうと煙草を灰皿へ捨てた猿楽木天樂が、思い出したように竜歌へ声を掛ける。
「おっと、忘れるとこだったわ!」
天樂は笑う。
「ライターの姉ちゃん、ライター感謝やで!」
猿楽木天樂はライターを竜歌へ投げ返した。
竜歌は片手で受け取る。そして、再び黒の軽装鎧と肌の隙間へライターを仕舞った。
竜歌は、まだ扉を押さえている。天樂が退室するのを待っているように見えた。猿楽木天樂も、そう受け取った。
「お、すまへんなあ! ライターの姉ちゃ――」
その瞬間。
竜ヶ崎竜歌の右脚が、天樂の行く手を塞ぐように壁へ叩き付けられた。
喫煙室の鏡張りの壁が、びりびりと震える。
逃げ道を塞がれた天樂が、ぴたりと足を止める。
竜歌の尻尾が、妖しく床を叩いた。
どん、と。
白い煙が揺れる。
さっきまでの気安い空気が、一瞬で消えた。
扉の向こう側に出た蓬莱、手毬、桔梗が振り返る。
竜歌は笑っていた。
牙を剥くような、獰猛な笑みだった。
「――まァ、何でもいい……猿楽木よォ」
竜歌の黄色い双角が、喫煙室の照明を受けてぎらりと光る。
「アタイと喧嘩しようやァ」
評価(すぐ下の★★★★★)やブックマーク、感想等で
応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。




