2-23 2F出発ロビー:北側コンコース
『ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』
保安検査場の金属探知ゲートが、耳障りな警告音を鳴らし続けていた。赤いランプが点滅する。
その光を浴びながら、ゲートの側面に凭れ掛かっていた全身アルミホイルの男は、ぱちぱちと乾いた拍手をした。
頭には、アルミ箔を幾重にも重ねて作られたティンホイル・ハット。先端は天井に届きそうなほど尖っている。目元だけを残して、顔も胴体も腕も脚も、全身がぎらぎらとした銀色で覆われていた。空港照明を受けて、アルミホイルが異様な光を反射する。
滑稽だった。
だが、そこにいた誰も笑わなかった。
竜ヶ崎竜歌でさえ、眉を吊り上げたまま男を睨んでいた。
「いやはやお見事お見事。我が劇団の精鋭達を歯牙にも掛けないとは」
男は妙に芝居がかった口調で言った。
「あァ?アレが精鋭だとォ?」
竜歌が鼻を鳴らす。
「保安検査場を制圧し、待ち伏せしての奇襲作戦……上手くいくと思ったんだけどね」
男の言葉は、作戦としては間違っていなかった。
空港という施設は、大きくランドサイドとエアサイドに分かれる。
ランドサイドは、誰でも立ち入り可能なエリア。レストラン、ショップ、チェックインカウンター、到着ロビー。空港利用者ならば比較的自由に出入りできる場所だ。
一方、竜歌たちが今までいたエアサイドは、保安検査場を通過した先にあるエリアである。本来なら、飛行機の搭乗者や空港職員しか立ち入れない。
つまり、複数ある保安検査場は、この二つのエリアを行き来するための数少ない接続点だった。
〈極皇杯〉予選Hブロックにおいて、保安検査場を押さえることは、極めて有効な戦術である。
ランドサイドとエアサイドを移動しようとする出場者へ、待ち伏せで一方的に奇襲を仕掛けられる。
しかも空港内の構造を知らない者ほど、自然と保安検査場へ吸い寄せられる。
それは実際、理に適った罠だった。
ただし、相手が悪かった。
「――みんな気を付けるのだ!きっと優勝候補なのだ!」
「とんでもない格好アルネ……。今年のHブロックの阿呆率は異常アルヨ……」
「ああ、格好は気にしないでくれ」
アルミホイルの男は、真顔で自分の銀色の身体を軽く叩いた。
「思考を盗聴されては〈極皇杯〉では勝てないからね」
「そういうユニークスキルもあるかもしれないアルガ……かなりピンポイントな対策アルネ……」
「アルミを巻いたところで効果はないだろう」
桔梗が、淡々と言った。
「アルミを重ねるよりも鍛錬を重ねるべきだ」
「おっ、桔梗、上手いことを言うのだ!」
「そういう意図ではなかったのだが」
桔梗は真顔のまま首を傾げる。
アルミホイルの男は、そんな空気を気にする様子もなく、深々と一礼した。
「おっと……挨拶が遅れたね。僕はクラン・〈劇団ビショップ〉の座長を務める、アルミホイル中村という者だ」
「よーし!」
手毬が前へ出た。
「さっきは出番を譲ってあげたから、ここはボクが相手してやるのだ!」
「手毬サン……」
蓬莱が、ほんの少しだけ心配そうに声を漏らす。
「ほう、羊ヶ丘手毬は戦えるのか」
桔梗も興味深そうに見る。
手毬は、羊の着ぐるみを揺らしながら、どたどたとアルミホイル中村の前へ向かっていった。そして、羊の着ぐるみの手を伸ばし、銀色のアルミ服へ触れる。
「――超必殺技!!」
手毬が、全身全霊の声で叫んだ。
「『絶対無敵女神』!!!」
沈黙。
何も起こらない。
少なくとも、竜歌たちの目にはそう見えた。
数秒後。
アルミホイル中村が、腹を抱えて笑い出す。
「――ははははははははははははは!!!」
彼は本当に可笑しそうに、身体を折り曲げて笑った。
「まさか今の微弱な静電気が君の攻撃かい!?名前負けにも程があるだろう!!!」
「なにっ!?効いていないのだ!?」
「アルミホイルは電磁波攻撃を通さないのさ!有害な電波はシャットアウトだ!」
「このボクを対策していたとは……さすが優勝候補なのだ!」
手毬は本気で動揺していた。
その後方で、蓬莱が頭を抱える。
「アイギスってギリシャ神話に出てくる『盾』の名前アル……。阿呆アルネ……」
「蓬莱……アレだよなァ。手毬のユニークスキルってよォ……」
「成程。静電気……となると下位級ユニークスキル・〈微電〉か。だが驚くべき弱さだな……。良く今日まで、この修羅の新世界で生き残れたものだ」
「――桔梗!うるっさいのだ!」
「む、気を悪くしたか。すまない、詫びよう」
羊ヶ丘手毬のユニークスキルは、下位級ユニークスキル・〈微電〉。掌――厳密には指先から、微弱な静電気を発生させる程度の能力である。あの雪村雪渚をして、はっきりと「弱い」と言わせた過去を持つ。
とはいえ、ユニークスキルとは本人の才能総合値に強く依存する。才能が低い者には階級の低いユニークスキルが、才能に溢れる者には階級の高いユニークスキルが発現する。事実、世界総人口十一億人のうち、およそ六割は下位級ユニークスキルだ。
つまり羊ヶ丘手毬は、世界的に見れば圧倒的な多数派だった。ただ、この〈極皇杯〉という舞台においては、下位級はあまりにも非力だった。
刹那。
蓬莱が駆け出した。
向かう先は、当然アルミホイル中村。
「――蓬莱!?」
「ワタシが殺るアル」
「ははははははは!!来たまえ!!!」
アルミホイル中村は、身体へ巻き付けたアルミホイルの隙間から二丁拳銃を取り出した。
銃口が蓬莱へ向く。
二発の銃声が、保安検査場に響いた。
同時だった。
アルミホイル中村の首が、あり得ない方向へ曲がった。
「あ……が…………」
首の骨が砕ける音。
銃弾は、蓬莱の身体を捉えていない。
彼女は撃たれるより先に、弾道を読み、踏み込み、射線の内側へ入り、拳を叩き込んでいた。
「ワタシ、元暴力団の幹部アルヨ」
蓬莱は静かに言う。
「銃の扱いも、その対処法も熟知しているアル」
頚椎の骨折は、その程度にもよるが、全身麻痺や即死など深刻な結果を招く。
今回の場合は、即死だった。
アルミホイル中村の身体が淡い光に包まれる。
〈犠牲ノ心臓〉の発動。
クラン・〈劇団ビショップ〉座長、アルミホイル中村はその場から消滅した。
「――蓬莱!かっけえのだ!」
「朝飯前アルヨ」
蓬莱は振り返る。
「それより手毬サン、怪我はないアルカ?」
「何とか大丈夫なのだ!みんなありがとうなのだ!」
蓬莱は小動物を可愛がるように、手毬の頭を撫でる。
手毬は満面の笑みでそれを受け入れた。
そして手毬は竜歌にも礼を言おうと、後方を振り返る。
だが、そこにいた二人の間には、険悪な空気が流れていた。
竜ヶ崎竜歌と、犬吠埼桔梗。
竜歌は明らかに苛立っていた。
「――テメェ」
低く、唸るような声。
「なんでちゃんと戦わねェんだァ?一度ファイナリストになったからってよォ、〈極皇杯〉舐めてんのかァ?」
「……そんなつもりはない」
桔梗は静かに答える。
「ただ……勇気が持てないだけだ」
「チッ……」
竜歌は舌打ちした。
「目見てりゃわかんだよォ。テメェ……迷ってんなァ?」
桔梗の瞳がわずかに揺れる。
「殺人にならねェのはわかってっけど、敵を倒していいのかわかんねェ……そんなトコだろォがァ」
「ほう……」
桔梗は、竜歌を見た。
「竜ヶ崎竜歌は先刻あの場にいなかったはずだが……読み当てるか」
「根っからの悪人じゃねーと斬れねー、なんて自分に言い聞かせて、テメェは戦うことから逃げてるだけだァ!チキン野郎がァ!」
「そう……かもしれないな」
桔梗は否定しなかった。
その態度が、竜歌の苛立ちをさらに燃やす。
「アタイは頭も記憶力も悪ィけどよォ」
竜歌は、自分の胸を拳で叩いた。
「ボスの言った言葉だけは忘れねェんだァ」
黄色い双角が、保安検査場の光を反射する。
「ボスのありがてェお言葉を伝えてやるから、頭に叩き込めェ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――時は少し遡る。二一一〇年十二月二十日。〈極皇杯〉開催が迫る夜の〈オクタゴン〉。
〈神威結社〉の七名は、いつものように食事と入浴を済ませ、一階のリビングへ集まっていた。
外は冬の夜だった。窓の向こう、〈真宿エリア〉の街明かりが冷たい空気に滲んでいる。
だがリビングだけは暖かかった。ソファ。ガラスのローテーブル。床に転がったクッション。湯上がりの湿った髪。アイスの袋。そして、もうすぐ始まる新世界最大の祭典を前にした、少しだけ浮ついた空気。
雪渚はフランを膝の上に乗せ、そのほっぺたを触っていた。
「フラン、ほっぺたもちもちだな」
「フラン、もちもち?」
「もちもちだぞ」
「おー」
雪渚はフランの頭を撫でてやる。
フランは嬉しそうに目を細めた。
「それにしても、もうすぐ〈極皇杯〉ですねっ!」
ソファに座るハズレが、アイスを咥えながら楽しげに告げる。
「楽しみですっ!」
「そうですな……。とはいえ、小生は出ないのに緊張しますぞ……」
拓生が続く。
「同じクランからお二人も出場しますからね。無理もないです」
キッチンで食器を片付けていた天音が、リビングへ戻ってくる。
メイド服の袖口を整えながら、彼女は柔らかく微笑んだ。
「でも〈極皇杯〉で結果を残せれば、〈神威結社〉は安泰よ」
陽奈乃が告げる。
「そうだな。頑張らないと」
「おォ!アタイに任せとけェ!」
竜歌が拳を突き上げた。
「せつくんが私たちを守るために戦ってくださるなら、せつくんが参加すると仰るのでしたら、私からは何も言うことはございません。陰ながら応援させていただきます」
天音は穏やかに微笑んだ。
その眼差しには、心配と信頼が同居している。
「雪渚、竜歌ちゃん、頑張ってね」
陽奈乃が明るく笑う。
「アタシもあまねえと親善試合で、雪渚が言ってくれたみたいに、『〈神威結社〉には敵わない』と新世界中に思わせられるくらいの試合をしてみせるから」
「ああ、その件は〈十傑〉である天音と陽奈乃にしか出来ない仕事だからな。頼むぞ。陽奈乃が全力出すと不味いことになるが……まあ二人なら上手くやってくれるだろ」
「うん!任せて!」
「はい、私たちは大丈夫ですから。無理はなさらない範囲で、せつくんはご自身のことに注力なさってください」
「感激ですぞ、師匠……」
拓生が大げさに目元を拭う。
「〈極皇杯〉の開会式で行われる親善試合まで利用して〈神威結社〉――小生たちを守ろうとしてくれてるんですな……」
「〈神威結社〉に入って良かったですーっ!」
「当然だろ」
雪渚は、こともなげに言った。
「俺は〈神威結社〉を誰一人欠けさせるつもりはねえ。拓生も『あの件』は頼んだぞ」
「お任せくだされ!ファイナリストが決定し次第、直ぐに動けるようにしておきますぞ!」
「――おあッ!?ボス!アタイの仕事は何かねェのかァ?アタイにも仕事をくれよォ!」
竜歌が身を乗り出す。
黒髪が揺れ、黄色い角が照明を受ける。
雪渚は小さく笑った。
「おいおい、竜歌と俺が一番頑張んなきゃいけないんだぞ」
「おォ?」
「俺達の仕事はシンプルだ。当初の目的通り、〈極皇杯〉で勝って勝って勝ちまくれ」
「おォ!わかりやすくていいじゃァねェかァ!」
竜歌は嬉しそうに笑った。
「アタイも〈神威結社〉大好きだからよォ!みんなが幸せになれるように頑張るからなァ!」
「竜歌ちゃん……」
陽奈乃が少しだけ目を細める。
天音も、ハズレも、拓生も、フランも。その瞬間の竜歌を見ていた。
昔の竜歌を知る者が見れば、信じられなかったかもしれない。兄を殺すためだけに金を集めていた少女。〈神屋川エリア〉で暴力に晒され、暴力でしか生き方を知らなかった少女。その竜歌が今、誰かの幸せのために戦いたいと言っている。
雪渚は、そんな竜歌へ言った。
「竜歌、覚えとけ」
声は静かだった。けれど、不思議とリビングの空気が変わった。
「本当に守りたいものがあるなら、世間体も体裁も捨てちまえ」
雪渚は続ける。
「生きることは、貫き通すことだ」
竜歌は、その言葉を聞いていた。
難しい意味はわからない。世間体という言葉も、体裁という言葉も、正直あまりよくわからない。
けれど。
ボスが大事なことを言っている。
それだけは、わかった。
だから竜歌は、その言葉を胸に刻んだ。
頭ではなく。記憶でもなく。
自分の心臓に。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「そうか……」
竜歌の話を聞いた犬吠埼桔梗は、小さく呟いた。
「貴殿の主君……雪村雪渚は……強者なのだな」
「あァ!?」
竜歌は怒りを露わにして反駁する。
「ボスは強者なんかじゃねェよ!」
その言葉に、桔梗が目を見開いた。
「弱ェとこがいっぱい、いっぱいあんだぞォ!」
竜歌は知っている。雪渚がいつも余裕そうに笑っていることを。煙草を吸いながら、軽口を叩くことを。どんな強敵にも向かっていくことを。
けれど、それだけではない。雪渚は完璧ではない。迷う。傷付く。死を考えたこともある。弱さを抱えている。それでも立っている。それでも守ろうとしている。
だから竜歌は、雪渚を信じている。
「でもよォ、それでもボスが好きだから、姉御が好きだから、陽奈乃が好きだから、拓生が好きだから、ハズレが好きだから、フランが好きだから、みんな守りてェからアタイは戦うんだァ!」
竜歌は、真っ直ぐ桔梗を見る。
「強くなるんだァ!」
「……そうだな」
桔梗は、静かに頷いた。
「竜ヶ崎竜歌、貴殿の言う通りだ」
「犬吠埼ィ!テメェも守りてェモンがあんなら覚悟しろォ!」
竜歌は叫ぶ。
「この新世界は、そんな甘い世界じゃねェだろォがァ!」
桔梗は黙った。
正義。騎士道。罪なき者を斬らないという信念。それは間違っていない。少なくとも、間違っていると簡単に断じられるものではない。
だが、守りたい者がいるなら。見つけたい者がいるなら。救いたい者がいるなら。ただ立ち止まっているだけでは、何も届かない。
竜歌の言葉は粗い。乱暴で、論理も足りない。けれど、逃げ道だけは正確に潰していた。
「……少し、考える時間をくれ」
「……おォ」
竜歌は鼻を鳴らす。
「アタイはバカだけど、この予選……一人しか勝ち残れねェのは知ってんだァ」
その声は、不思議なほど落ち着いていた。
「だからよォ、アタイも、手毬も、蓬莱も、犬吠埼も、全員でファイナリストになれるなんてことはねェ」
極皇杯予選。各ブロック、最後の一人だけが本戦へ進む。
どれだけ一時的に共闘しても。どれだけ会話を交わしても。どれだけ相手を認めても。最後には、誰かが誰かを倒す。
「アタイは最初から覚悟はできてんだァ」
竜歌は笑った。
「いざとなったら、全員ブッ倒してでもファイナリストになるからなァ!」
「……そうだな」
桔梗は、その言葉を否定しなかった。
「――竜歌!桔梗!毒ガス!毒ガスが来てるのだ!」
突如、手毬の声が上がる。
「準々決勝が始まったアル!」
竜歌が右手へ目を向けると、目測数メートルの距離――直ぐそこまで黒い毒ガスが迫ってきていた。
保安検査場での戦闘。アルミホイル中村との遭遇。桔梗との会話。無駄話をしている間にも、安全地帯は縮小し続けていた。
「――おあッ!?来てんじゃねェかァ!」
「全員全速力で走るアル!指一本でも触れたら一瞬で敗退アルヨ!」
「急ぐのだ!競走なのだ!」
「……羊ヶ丘手毬、そんな余裕はないだろう」
四人は北側コンコースを一直線に走り抜ける。
背後では黒い毒ガスが、無音のまま保安検査場を呑み込んでいく。金属探知ゲートの警告音も、赤いランプも、壊れたベルトコンベアも、血痕も。すべてが黒い霧の向こうへ消えていった。
――予選開始より、四十六分十三秒。予選Hブロック、残り生存者数、二百六十五名。
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