2-19 2F出発ロビー:7番搭乗口
――時は、〈極皇杯〉予選開始直後へ遡る。Hブロック。竜ヶ崎竜歌サイド。
〈翔翼ノ女神像〉による転移。一瞬、視界が白く弾けた。足下の感覚が消え、内臓だけが置き去りにされたような浮遊感が走る。
次の瞬間、竜ヶ崎竜歌は、見知らぬ空間の中央に立っていた。
「――おあッ!?……何回やっても慣れねェなァ。この感覚はよォ……」
長い黒髪。二本の黄色い角。黒い軽装鎧。その背に、いつでも獣のように跳ねられる緊張を宿した女。
自称、〈神威結社〉の一番槍。竜ヶ崎竜歌。
彼女の足下には、薄紫色のタイルカーペットが一面に敷かれている。目の前には、黒い背景に白く「7」と書かれたサインプレート。その隣には、搭乗時刻や発着状況を表示するための電光掲示板がある。
だが、表示は空白だった。この空港は、〈極皇杯〉のために貸し切られている。
乗客はいない。便も飛ばない。飛ぶのは、人間の首か、血飛沫くらいのものだ。
少し奥へ視線を向けると、反時計回りに「6」、「5」、「4」、「3」と印字されたサインプレートが並んでいるのが見えた。
ガラス張りの窓の向こうには、長く伸びる滑走路。駐機された飛行機。遥か先には、高架道路と空中橋が複雑に絡み合う巨大都市の影が見える。
「ここはァ……空港かァ……」
〈日出国ジパング〉・〈天空橋エリア〉。無数の高架道路と空中橋によって構成された立体都市。地上へ降りること自体が危険とされるそのエリアの中心に位置する、新世界最大級の空港――〈天空橋空港〉。
その二階出発ロビー。保安検査場を抜けた先の、エアサイドに広がる巨大コンコース。竜歌が転移したのは、その突き当たりを曲がった先にある、七番搭乗口前だった。
竜歌は息を吐く。そして、身体の奥でユニークスキルを起動した。上位級ユニークスキル・〈竜鱗〉。
肌の一部に、不気味な光沢を放つ鱗が浮かび上がる。両手の指先からは、黒い鉤爪。愛用の鉤爪・〈ヴァンガード〉と噛み合うように伸びた鋭い爪が、空港の照明を鈍く反射した。
腰の後ろでは、鱗を纏った大きな尻尾が床を軽く叩く。その姿は、創作作品に登場するドラゴニュートそのものだった。
竜ヶ崎竜歌は、考える。
彼女なりに。
必死に。
――こんな頭の悪いアタイを、長年の呪縛から解放してくれたボス。
兄の支配。神屋川の地獄。殺すことしか考えられなかった日々。
そこから、自分を引っ張り出してくれた男。
雪村雪渚。
――仲間として温かく受け入れてくれた姉御、拓生、ハズレ、フラン。
――弱いアタイを見下さず、友達みてェに接してくれた陽奈乃。
今、この〈極皇杯〉は世界中に観られている。一挙手一投足が、〈神威結社〉の評価に繋がる。
負けるだけなら、まだいい。だが、情けなく負けるわけにはいかない。〈神威結社〉の顔に、泥を塗るわけにはいかない。
今年のアタイは違う。
竜歌は、自分に言い聞かせる。
これまでは、考えなしに駆け回って負け続けた。怒って、突っ込んで、暴れて、殺される。それだけだった。
だが、今年は違う。
ボスは言っていた。
バトルロワイヤルの定石は、序盤は隠密に徹し、終盤の戦いに備えること。
ならば、まず会場構造の把握。敵の数。安全地帯。移動経路。逃げ道。そういうものを――。
「クッソォ……やっぱ難しいことは性に合わねェ」
竜歌は頭を掻いた。
「ボスならこの空港の構造なんて行かずとも把握してるんだろォけどよォ……」
自分には無理だ。少なくとも、今すぐボスのように盤面を読むことはできない。
だが、何も考えずに突っ込むだけの自分では、もういたくなかった。
――――――――――――――――――――――――
竜ヶ崎竜歌
2103 1回戦敗退
2104 1回戦敗退
2105 2回戦進出
2106 1回戦敗退
2107 2回戦進出
2108 1回戦敗退
2109 2回戦進出
――――――――――――――――――――――――
過去七回。一度として、三回戦へ進んだことはない。
毎年、兄を殺すための資金を求めて出場した。毎年、力任せに暴れた。そして毎年、途中で敗れた。
だが、今年は違う。
兄を殺すためではない。ボスのため。〈神威結社〉のため。そして、自分自身のため。今年の竜歌は、勝たなければならなかった。
周囲が、徐々に騒がしくなり始める。遠くで金属音。怒号。床を蹴る足音。どこかで爆発音。各所で戦闘が始まったらしい。
七番搭乗口前にいるのは竜歌だけだが、正面突き当たりを曲がった先の広大なコンコースからは、既に剣と剣がぶつかり合う音が漏れ聞こえていた。
「……つーかボスはこのブロックじゃねェのかァ?」
周囲を見渡しながら、竜歌はコンコースへ向かって歩く。
彼女にとって、雪村雪渚は単なるクランマスターではない。
救世主。ヒーロー。恩人。一生を懸けてでも恩を返したい相手。だからこそ、同じブロックではなかったことに、少しだけ寂しさを覚えた。
だが、すぐに首を振る。
「――っしゃァ!難しいことはわかんねェ!」
竜歌は牙を剥くように笑った。
「ボスに言われた通り暴れてやるかァ!」
彼女が角を曲がる。薄紫色のタイルカーペットが敷かれた広大なコンコースが、視界いっぱいに広がった。
脇には各搭乗口。中央にはオートウォーク――通称・動く歩道。機械音を低く響かせながら、無人のまま奥へ伸びている。
その動く歩道の脇で、二人の男が剣を交えていた。重厚な鎧を纏った男たち。鍔迫り合い。互いに一歩も引かず、膠着状態に陥っている。その二人が、竜歌の姿を見た瞬間、目を見開いた。
「――テメェはっ!」
「――竜ヶ崎竜歌っ!」
二人は一瞬だけ視線を交わし、同時に頷いた。先ほどまで殺し合っていたはずの男たちが、即座に共闘へ切り替える。それだけ、〈神威結社〉の名は既に危険視されている。
「――竜ヶ崎竜歌!悪いが先に潰させてもらうぜ!」
「――〈神威結社〉の一人を倒せば大手柄だっ!」
二本の剣が、左右から竜歌を襲う。重装備の剣士二人。並の出場者なら、それだけで致命的な状況だろう。
だが。
竜歌は、彼らより早かった。
「遅ェ」
黒い鉤爪が、空をX字に裂く。
竜の爪痕が、二人の胸元を斬り抜けた。
鎧が裂ける。
肉が裂ける。
血が噴き出す。
二人の男は、何が起きたのか理解することもできず、前のめりに倒れ込んだ。
床へ触れる寸前、淡い光が身体を包む。
〈犠牲ノ心臓〉の発動。
「……〈神威結社〉じゃ、アタイがダントツで弱ェんだァ」
竜歌は消えていく光を見下ろし、ぽつりと呟く。
「そのアタイに殺られてるようじゃァ、名を揚げるのは無理な話だなァ」
嘘ではない。
単純な身体能力と近接火力なら、竜歌は汚宅部拓生を上回る。
だが、〈神威結社〉内の模擬戦では、拓生の戦略に呑まれることが何度もあった。雪渚、天音、陽奈乃は言うまでもない。ハズレは陽奈乃には劣るものの超火力に長ける。
戦績だけ見れば、戦えないフランを除いて、竜歌は〈神威結社〉の中で最弱だった。
だからこそ。
証明しなければならない。
一番槍を名乗るだけの意味を。
ふと、竜歌はオートウォーク越しに向かい側を見る。
八番搭乗口。その隣に、土産物を扱う売店があった。商品棚の一角に、黄金色のカステラが並んでいる。
「カステラ……美味そうだなァ……」
涎が出た。食欲に負け、竜歌はカステラへ吸い寄せられるように歩き出す。
そのときだった。
背後の男子トイレの中から、聞き覚えのある声が微かに響いた。
「――やめるのだ!あんまりなのだ!」
「――なんで……なんでこんなことするアル!強姦なんて最低アル!」
――この声は……。
竜歌の足が止まる。その声には、覚えがあった。忘れるはずがない。竜歌は迷わなかった。男子トイレであることなど、頭の片隅にも引っ掛からなかった。
彼女は大股でトイレへ踏み込む。清潔に保たれた、小綺麗な空間だった。白い壁。並ぶ小便器。磨き上げられた床。
その床の上で、赤いチャイナドレスを着た女が、泥塗れの男に押さえ付けられていた。
その男を引き剥がそうと、羊を模した着ぐるみに身を包んだ金髪の少女が必死に奮闘している。
だが、泥で手が滑る。男の身体は掴みどころがなく、少女の力では引き剥がせない。
「――やめるのだ!蓬莱を離すのだ!」
「――手毬サン!逃げるアル!ワタシのことはいいアル!」
「そんなこと言ってはいけないのだ!ボクと蓬莱と竜歌は三人で幼馴染なのだ!」
「――むっ……ロリっ子……静かにして……」
全身を泥状に変化させた男が、右手を大きく振り抜く。泥が散弾のように飛び、羊の着ぐるみの少女の顔面へ叩き付けられた。
「――ぎゃっ!痛いのだ!」
「――手毬サン!」
着ぐるみの少女――羊ヶ丘手毬は、両手で目元を押さえ、床を転げ回る。外傷はない。だが、泥が目へ入り、視界を奪われている。戦闘能力を削ぐには十分すぎる攻撃だった。
泥男は赤いチャイナドレスの女を押さえ付けたまま、低く笑う。
「むっ……トイレにカメラは入ってこないから……こんないい女とヤれるなら〈極皇杯〉……一度死ぬ価値はあるっ……!」
「下衆が……アル」
「どうせ犯罪者……真面目に生きている僕のために尽くすべし……!」
茶髪を左右で団子状にまとめ、白いシニヨンカバーを被せた糸目の女。李蓬莱。
泥男は、泥で形作られた右手で、その女の胸を鷲掴みにする。彼女は声を漏らし、苦悶の表情を浮かべた。
「あっ……」
「蓬莱ママ……胸でかっ……!これは……惚れる……っ!ガチ恋……っ!」
その瞬間、竜歌の意識が赤く染まった。理屈ではない。作戦でもない。怒りが、竜の血を沸騰させた。
「――『竜ノ両鉤爪』ッ!!」
黒い鉤爪が、X字に空間を切り裂く。
完全な不意打ち。
泥男の背中へ爪撃が直撃し、その身体を構成していた泥が爆ぜた。
天井。壁。床。トイレの至るところに、泥が飛び散る。
「――竜歌!?竜歌なのだ!?」
「……手毬もこのブロックだったのかァ」
「竜歌……サン」
「蓬莱……」
十三年間、〈神屋川エリア〉を支配し続けた〈韮組〉。赤いチャイナドレスに身を包む糸目の女――李蓬莱は、その幹部の一人だった。
竜歌と蓬莱。二人の間に、言葉にし難い緊張が走る。
助けた。助けられた。だが、それだけで全てが元通りになるほど、二人の過去は単純ではない。
李蓬莱は、ゆっくりと立ち上がった。泥に汚れたチャイナドレスを軽く整え、竜歌へ頭を下げる。
「……竜歌サン。助けてもらって謝謝アル」
――――――――――――――――――――――――
李蓬莱
2108 3回戦進出
2109 3回戦進出
――――――――――――――――――――――――
蓬莱はチャイナドレスに付いた泥を手で払い、そのまま立ち去ろうとした。
竜歌は慌てて声を上げる。
「――おあッ!?ま、待てよ、蓬莱ィ!」
「――蓬莱!待つのだ!」
視界を取り戻し始めた手毬も、泥だらけの顔で叫ぶ。
「折角やっと幼馴染三人が揃ったのだ!協力するのだ!」
竜ヶ崎竜歌。
羊ヶ丘手毬。
李蓬莱。
三人は、〈神屋川エリア〉で五歳までの幼少期を共にした幼馴染だった。
だが、三人の道は早々に断ち切られた。
友人である竜歌と手毬を守るため。二人へ危害を加えないことを条件に、幼い李蓬莱は自ら〈韮組〉へ加入した。
それは裏切りではなかった。けれど、竜歌にとっても、蓬莱にとっても、簡単に割り切れる過去ではなかった。
「竜歌サンには合わせる顔がないアル」
「だっ……大丈夫なのだ!」
手毬が必死に首を振る。
「蓬莱がボクたちを守って〈韮組〉に加入したことは、ボクたちはわかってるのだ!」
「それに蓬莱は毎回、クソ兄貴に負けて傷だらけのアタイを、こっそり手当てしてくれたじゃねェかァ!」
竜歌は拳を握る。
「今更、水臭ェぞォ!」
「手毬サン……竜歌サン……」
蓬莱の糸目が、わずかに揺れた。
だが、三人の再会は長く続かなかった。
トイレの床、壁、天井に飛び散った泥が蠢く。べちゃり、べちゃりと不快な音を立てながら、それらは一箇所へ集まっていく。そして再び、人の形を成した。
「――終わった感じ……出さないでほしい……」
泥男が、トイレの出口付近に立ちはだかっている。
「テメェ!まだ死んでなかったのかァ!」
「……こっちは泥……あんな攻撃……効かない」
男は、ぼそぼそと小さな声で話した。
細い目。若干突き出た口元。左頬のホクロ。手入れされていない眉。無造作で脂ぎった髪。地味な黒縁眼鏡。泥状の身体の上から羽織ったチェックシャツ。色白の肌。猫背気味の姿勢。言葉を選ばずに言えば、冴えない見た目の男だった。
だが、見た目で判断して良い相手ではない。
竜歌の一撃を受けてなお、敗退していない。
泥状の身体。物理攻撃の無効化。間違いなく、厄介な相手だった。
「テメェ!もっとはっきり喋れやァ!」
「チーズ牛丼を食べてそうな顔のクセに……しつこいのだ!」
「――蓬莱!下がれェ!」
竜歌の一声に、蓬莱は素早く後退した。洗練された足運び。チャイナドレスの裾が揺れる。
三人と、泥の男が向かい合う。
「この男……ワタシじゃ手も足も出なかったアル……」
「ボクはたまたま遭遇して蓬莱を助けようとしたのだ!」
手毬が胸を張る。
「ボクの最強のユニークスキルでも通用しない……きっと優勝候補に違いないのだ!」
手毬の発言はともかく、蓬莱の攻撃が通じないのは当然だった。
李蓬莱の戦闘スタイルは、中国拳法――功夫。そして、敵の弱点すら嗅ぎ分けるほどの嗅覚を得る上位級ユニークスキル・〈香薫〉。近接戦闘と弱点看破に長けた能力。
だが、泥の身体を持つ男には、そもそも物理攻撃が通じない。どれだけ正確に急所を突こうとも、泥に急所は存在しない。
「……テレビで観た」
泥男が、竜歌を見る。
「〈神威結社〉の竜ヶ崎竜歌……」
「あァ?だったらなんなんだァ?」
「絶壁……萌えない……」
「……あァ?何言ってんだァ?」
「竜歌……バカにされてるのだ」
「――おあッ!?テメェ……アタイをバカにしてんのかァ!?」
「オマケに頭も悪そう……萌えない……」
「竜歌!気を付けるのだ!敵は強大なのだ!」
「手毬サン……ナチュラルに竜歌サンに押し付けようとしてるアル……」
「はッ!」
竜歌は爪を鳴らした。
「問題ねェ!こんな雑魚一人倒せねェようじゃァ、ボスの右腕としてふさわしくねェからなァ!」
泥男は、ゆっくりと名乗った。
「……稚田牛太郎……二十四の代……対よろ……」
――――――――――――――――――――――――
稚田牛太郎
2105 1回戦敗退
2106 不参加
2107 3回戦進出
2108 準々決勝進出
2109 準々決勝進出
――――――――――――――――――――――――
竜歌は一歩前へ出た。黒い鉤爪を構え、牙を剥く。
「〈神威結社〉の竜ヶ崎竜歌だァ!」
手毬が目元の泥を拭い、蓬莱が静かに構える。
幼馴染三人。〈神屋川エリア〉で引き裂かれた三人が、十数年ぶりに同じ敵を前に並び立つ。
「いっちょ暴れてやらァ!」
――予選開始より、五分十一秒。〈天空橋空港〉、二階出発ロビー。七番搭乗口近く、男子トイレ内。
世界中継のカメラが届かない密室で始まる、秘密裏のバトル。
〈神威結社〉所属、竜ヶ崎竜歌が、今年の〈極皇杯〉に嵐を巻き起こす。




