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2-14 本館47F:レストランアベニュー

――――――――――――――――――――――――

馬絹(まぎぬ)百馬身差(ひゃくばしんさ)

2106 準決勝進出

2107 準決勝進出

2108 BEST8

2109 BEST8

――――――――――――――――――――――――


「戦うにしては……邪魔な小蝿(こばえ)が一匹飛んでいるようだがの」


 馬絹(まぎぬ)百馬身差(ひゃくばしんさ)は、俺の背後――天井近くで停空飛翔する庭鳥島へ、鋭い視線を向けた。


 殺気というほど荒くはない。怒気というほど感情的でもない。ただ、走路に紛れ込んだ障害物を見つけた競走馬のように、冷たく、静かに、庭鳥島を視界へ入れている。


「まぎぬ……あんたもAブロックやったとね……」


「驚くほどのことでもなかろう。昨年のファイナリストが均等に振り分けられるわけでもなかろうに」


 馬絹百馬身差。昨年の本戦出場時のキャッチコピーは、「黄金郷の鬼神」。二年連続で〈極皇杯〉本戦へ進出し、その前二年も準決勝まで進んでいる。


 英雄級ユニークスキル・〈覇駆(チンギスハン)〉。下半身を馬の肢体へ変貌させ、超高速の疾走と、常識外れの脚力による近接戦闘を可能にする能力。


 忌住ほど筋骨隆々という訳ではない。だが、放っている圧は明らかに忌住以上だった。


 何より――俺の「千倍反射」が通じなかった。


 それだけで、この女が準決勝進出者(セミファイナリスト)とは一線を画す怪物であることは十分すぎるほど理解できる。


「だが、邪魔立てされるとは予想外であった。三万人ほどは(ほふ)ったがの」


 馬絹は、何でもないことのように告げた。


 ――三万人。


 その数字が、胸の奥へ重く沈む。


 人の気配がなかった理由。


 安全地帯の中心へ近付いているにも関わらず、客室フロアが異様な静寂に包まれていた理由。


 全て、この女が元凶だった。


 バトルロワイヤルにおける安全地帯とは、本来、散らばった出場者を段階的に集めるための仕組みだ。


 安全地帯が縮小すれば、参加者は嫌でも同じ場所へ移動する。


 隠れて時間を稼ぐ者も、逃げ回る者も、(いず)れ戦闘を強いられる。


 だからこそ予選は、時間経過と共に段階的に人数が減っていく。


 だが馬絹は、そのシステムを待たなかった。


 ホテル全体の回廊と連絡通路を自分の走路に変え、通行する者を片端から轢き殺した。


 安全地帯によって集められる前に、自分から会場全体を蹂躙したのだ。


 予選のルールさえ、踏み潰している。


「半分減らしてくれたならこっちとしては助かるけどな……」


「強がるな、雪村の」


 馬絹が、俺を見下ろす。


(なれ)では吾輩に勝てぬ」


 俺はその目を見据えた。


 背後、回廊と連絡通路の境界付近では、庭鳥島が低空で羽ばたきながら戦況を見守っている。


 ――「反射」は通じない。


 「千倍反射」も不発に終わった。


 だが、〈天衡(テミス)〉の防御は通る(はず)だ。


 反射には、攻撃の威力を俺が具体的に想像出来る必要がある。


 だが、「無傷で済む」という罰は違う。俺自身に与える結果は単純だ。自分が傷付かない状態なら、十分にイメージ出来る。


『掟:被弾を禁ず。

 破れば、無傷で済む。』


「来いよ、馬絹」


「――勇気は認めよう」


 馬絹が、巨躯を翻した。焦げ茶色の馬体が(しな)り、逞しい後ろ脚が床を蹴る。


 次の瞬間。


 蹄が、俺の腹部を撃ち抜いた。


 轟音。


 腹の奥で、爆発でも起きたような衝撃が弾ける。


 だが、痛みはない。肉体にも損傷はない。


 俺は一歩も退かず、馬絹の後ろ脚を腹で受け止めていた。


「こんなもんか?効きやしねーな」


 ――馬の蹴りの威力は凄まじい。良くて大怪我。最悪の場合は死に至る。競走馬の調教師が最初に教わることは「馬の後ろに立つな」ということらしい。


 だが、今の俺には通じない。


「うむ……吾輩の攻撃も通じないと見た。どうしたものかの」


「ファイナリスト様が、もう打つ手なしってことはねーだろ」


「否」


 馬絹は後ろ脚を静かに下ろし、俺へ向き直った。慌てる様子はない。攻撃が通じなかったというのに、動揺もない。


「雪村の、(なれ)の底は知れた」


 その言葉が、嫌に重く響いた。


 馬絹は、俺に後ろ蹴りが通じないのを見るやいなや、静かに両脚を地に下ろし、こちらに向き直った。常人ならば対峙するだけで萎縮する程の、凄まじい圧を放っている。


 「無敵状態」は、飽くまで防御策。攻撃されても死なないだけで、こちらから相手を倒せる訳ではない。


 だが、新しい掟を定めれば、現在の掟は上書きされる。つまり、この「無敵状態」も解除される。


 馬絹の速度と脚力を前に、防御を捨てて攻撃へ移る。それは自殺に近い。


 どう勝つ。


 どうすれば、馬絹百馬身差を倒せる。


『掟:攻撃を禁ず。

 破れば、炎上する。』


 ――獣は炎に弱いが……どうだ……!


 そう判断した瞬間。


 馬絹の前脚が、俺を軽く蹴り上げた。


 軽く。


 そう見えただけだった。


「――が……はッ!」


 衝撃が腹部を貫通する。


 内臓が潰れた。


 肺から空気が消え、胃の奥から血が逆流する。俺の身体は力なく宙へ打ち上げられ、天井へ叩き付けられた。


 口から鮮血が飛び散る。


「――せつな!」


 庭鳥島の叫びが響く。


 その代償として、馬絹の身体が炎に包まれた。


 だが馬絹は、己の毛並みと上半身を舐める炎を全く気にしない。


 天井から落下してきた俺を、馬体の背で乱暴に受け止める。


 そのまま庭鳥島の横を駆け抜け、連絡通路へ向かって疾走した。


「――まぎぬ!せつなに何しとっと!」


 俺は馬絹の背に乗せられていた。


 いや、乗っているというより、投げ置かれているに近い。両脚は浮き、身体は上下左右へ揺さぶられる。


 馬絹を包む炎が、俺の服にも燃え移った。


「雪村の……ぼうぼうと燃えておるわ」


「あっ……つ……」


 痛覚が戻っている。


 「無敵状態」は、先程の掟で解除された。


 炎が柄シャツを焦がし、熱が皮膚を焼く。


 馬絹は連絡通路を駆け抜け、再び本館二十階の客室フロアへ突入した。


 血濡れの回廊に、馬の蹄の音だけが響く。


 パカラッ、パカラッ、パカラッ。


 規則正しい音が、恐ろしく速い間隔で迫り、遠ざかり、階段へ吸い込まれていく。


 ――コイツ……!まさか……!


 馬絹はエレベーターフロア裏の屋内階段へ入った。


 そのまま、階段を駆け上がる。


 二十一階。


 二十二階。


 二十三階。


 赤いカーペットが敷かれた豪奢な階段には、至るところに血痕が残っていた。


 ホテルの内装としては申し分ない。


 だが今は、馬絹が作り上げた処刑場の一部でしかない。


 凄まじい速度によって発生する風が、俺達の身を包む炎を削っていく。


 (やが)て炎は消えた。


 だが腹部の痛みは消えない。


()……(ぎぬ)……お前……」


「まだ喋れるか、雪村の」


 馬絹は速度を緩めない。


「だが、酷く痛むであろう。()ぐに楽にしてやろう」


「――せつな!早く飛び降りんと!」


 庭鳥島が赤い翼を広げ、必死に追い縋っている。


 馬絹の目的は、十中八九、俺を安全地帯外へ放り出すことだ。


 俺のユニークスキルがどれほど厄介であろうと、毒ガスに触れれば〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が発動する。その時点でゲームセット。〈天衡(テミス)〉の構造を理解せずとも、俺に勝てるという算段だ。実に合理的。


 抵抗しようにも、身体が思うように動かない。


 内臓のどこかが破れている。


 呼吸が浅い。


 視界の端が白く霞む。


 (やが)て、馬絹は本館四十七階へ到達した。


 レストランアベニュー。


 階段を抜け、広々としたコンコースへ出る。


 大理石の床。左右に並ぶ高級レストラン。食品サンプルが照明を受けて艶やかに輝くショーケース。本来ならば観光客や宿泊客で賑わう場所なのだろう。


 今は誰もいない。


 ただ、馬絹の蹄が大理石を叩く音だけが響いた。


 庭鳥島も、()ぐに後方へ追いついてくる。


「――せつな!」


 俺は血の混じった息を吐きながら、脳内で掟を定めた。


『掟:赤いニット帽の着用を禁ず。

 破れば、全快する。』


 俺は今、赤いニット帽を(かぶ)っている。


 掟を破った。罰が下る。


 砕けた内臓が繋がる。焼けた皮膚が戻る。焦げて穴の空いた柄シャツも、時間を巻き戻すように元のトランプ柄を取り戻した。


 身体を蝕んでいた痛みが消える。俺は赤いニット帽を押さえながら、馬絹の背から大理石の床へ飛び降りた。


「おい……何が目的だ」


 呼吸を整え、周囲を確認する。


「ここは完全に安全地帯内だろ」


嗚呼(ああ)、既に理解しておるのならば、話が早い」


 馬絹は、俺の回復にもまるで動じない。想定内。そう言わんばかりだった。


 次の瞬間。


 馬絹がその場で高く跳躍した。


 巨体が空中で反転する。後ろ脚が、天井へ向けて振り抜かれた。


 轟音。


 大理石の床が震え、天井が爆ぜる。


 瓦礫が雨のように降り注いだ。


 だが、壊れたのは四十七階の天井だけではない。


 見上げた先。


 四十八階。


 四十九階。


 五十階。


 更にその上まで、一直線に大穴が穿たれていた。


 たった一撃の後ろ蹴りで、複数階層の床と天井を(まと)めて貫いたのだ。


 穴の向こう。


 上階には、黒い霧状の毒ガスが満ちていた。


 安全地帯内である四十七階へ流れ込んでくる気配はない。


 だが、四十九階より上は既に完全に死の領域と化している。


「お前……!」


「うむ」


 馬絹が、こちらへ身体を向ける。


「死ぬが良い、雪村の」


 回避する時間などなかった。


 馬絹の後ろ脚が、俺を下から蹴り上げる。


 内臓が悲鳴を上げる。


 肺から空気が消え、口から血が噴き出した。


「ぐ……はッ……!」


「――せつな!」


 俺の身体は、天井に空いた穴へ向かって打ち上げられる。


 四十八階の穴を抜ける。


 四十九階へ近付く。


 その先には黒い毒ガス。


 触れた瞬間に敗退する、絶対の死。


 だが。


 身体の痛みに反して、頭は冴えていた。


「――庭鳥島!来るな!」


「なっ……!?」


 穴の下。


 四十七階のレストランアベニュー。


 こちらを見上げる馬絹の姿が見えた。


 勝利を確信した、不敵な笑み。


 俺の肌が毒ガスへ触れるまで、残り数メートル。


 ここで下手に「無敵状態」を作っても意味がない。


 必要なのは、防御ではなく――質量。


 重さ。


 落下。


 衝突。


 俺が具体的に想像出来る、単純で暴力的な罰。


『掟:滞空を禁ず。

 破れば、鉄塊と化す。』


 直後。


 全身が、内側から軋んだ。


 皮膚が銀色の光沢を帯びる。


 柔らかい肉も、骨も、服も、帽子も、眼鏡も、全てが重く硬い金属へ変貌していく。


 俺の身体は、人間ではなくなる。


 銀色の塊。


 重力に引かれた凶器。


 鉄塊と化した身体が、上昇の勢いを失った。


 一瞬の静止。


 そして、落下。


 行き先は、真下で目を見開いている馬絹百馬身差。


 風を切る音が、金属化した耳を劈く。


「――ははっ」


 自然と笑いが漏れた。


「こりゃいいや」


「雪村の……(なれ)は……!」


「――挽肉(ひきにく)にしてやるよ……!」


 銀色の身体が、馬絹へ直撃した。


 衝撃音。


 避ける時間など与えていない。


 質量と落下速度が合わさった一撃が、馬絹の上半身と馬体を真上から押し潰す。


 だが、それだけでは終わらない。


 大理石の床が、重みに耐えきれず砕けた。


 俺と馬絹は、床を突き破って下の階へ落ちる。


 四十六階。


 衝突。


 更に床が砕ける。


 四十五階。


 四十四階。


 四十三階。


 どすん。


 どすん。


 どすん。


 階層を貫く度、ホテル全体が悲鳴を上げた。


 レストラン。


 客室。


 設備フロア。


 壁も床も天井も、二十トンの鉄塊と化した俺の落下を止められない。


「――せつな!」


 馬絹を下敷きにしたまま、俺たちは〈竜宮楼〉本館を縦に貫いていく。


 破砕音が連続する。


 鉄筋が千切れ、配管が破裂し、照明が火花を散らす。


 粉塵と瓦礫と血が、後方へ巻き上がった。


 (やが)て。


 本館一階のエントランスの床すら突き破り、俺達は地下駐車場へ到達した。


 最後の衝突。


 コンクリートの床が、蜘蛛の巣状に割れる。


 周囲へ砂埃が爆発的に広がった。


 衝撃と共に役割を終えた罰が解除される。


 銀色だった皮膚が、通常の肌へ戻った。


 俺はゆっくりと立ち上がる。


 粉塵が肺へ入り、咳が漏れた。


「ゴホッゴホッ……」


 視界は悪い。


 砂埃の奥に、駐車された車両の影が幾つも並んでいる。


 〈極皇杯〉のため貸し切られたホテルに、宿泊客はいない(はず)だ。


 それでも車両が残されているのは、戦略に組み込めということなのか。


 天井に空いた大穴から、庭鳥島が降りてくる。


 赤い翼で粉塵を払いながら、こちらへ近付いてきた。


「――せつな!」


 今の一撃は、俺が〈天衡(テミス)〉で出せる最大火力に近い。


 「鉄塊化」。


 落下。


 質量。


 衝突。


 それらは全て、俺が具体的に想像出来る現象だった。


 イメージした重量は二十トン。


 単純な計算でも、時速二百キロメートルで走る車両が衝突する以上の破壊力を持つ。


 それを、四十七階から地下駐車場まで連続で叩き込み続けた。


「せつな!なんしよっとね!?」


「これくらいしないと倒せないだろ」


 砂埃が徐々に晴れてゆく。


「いや……そうじゃなかばい」


「……え?」


 庭鳥島のその視線は、俺の足下へ向けられている。


「――ファイナリストを舐めすぎばい」


 ――足下から(おぞ)ましい声がした。


 俺の声ではない。


 庭鳥島の声でもない。


 低く、静かで、底冷えするような声。


「――ふむ」


 粉塵の中で、何かが動く。


「今のは効いたぞ、雪村の」


 身震いした。


 晴れていく砂埃の向こう。


 褐色の肌が見える。


 次に、焦げ茶色の逞しい馬体。


 血は流れている。


 全身に傷もある。


 毛並みは粉塵と血で汚れ、白いファーショールは破れ、サラシにも赤い染みが広がっていた。


 だが、馬絹百馬身差は立っていた。


 四十七階から地下まで叩き落とされ、何十もの床を粉砕しながら押し潰されたというのに。


 まだ、立っていた。


 ――この時。


 俺は(ようや)く理解した。


 〈極皇杯〉ファイナリスト。その真の強さを、俺はまだ本当の意味では理解出来ていなかったのだ。

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