2-12 本館50F:展望フロア
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2-12 本館50F:展望フロア
――本館五十階、展望フロア。
先程まで戦っていた屋上、その真下に位置する〈竜宮楼〉本館の最上階だった。
広大なフロアを囲む一面のガラス窓からは、南国の海と東西南北四棟の高層ホテル、そして敷地全体を包む球状の安全地帯が一望出来る。
但し、優雅な眺望を楽しめる状況ではない。
床には大小幾つもの血溜まりが残り、白い壁には斬撃や弾痕が刻まれている。割れたテーブル、抉れた床、原形を失ったソファ。敗退者の肉体だけが〈翔翼ノ女神像〉によって転送され、流した血と戦闘の傷痕だけが置き去りにされていた。
人の気配はない。
予選開始から、三十二分十八秒。
毒ガスの進行速度を考えれば、屋上は既に完全な安全地帯外へ沈んだ頃だろう。五十階にも、そう遠くないうちに黒い霧が到達する。
外周に沿って並べられたソファの近くで、俺は両腕を軽く広げて立っていた。
「もうちょっとばい!」
眼前では、庭鳥島が赤い翼を忙しなく羽ばたかせている。翼が生み出す温かな風を全身に浴び、濡れていた赤いニット帽や柄シャツが徐々に乾いていく。
服を乾燥させるだけなら〈天衡〉でも可能だ。掟の罰を利用すれば、それくらい造作もない。
それでも庭鳥島の好意を受け入れたのは――聞いておかなければならないことがあったからだ。
「――庭鳥島」
「どうしたと?せつな」
「何故俺を助けた?」
庭鳥島の翼が、一瞬だけ止まりかけた。
プールで忌住に拘束されたあの瞬間。
俺の頭上へ庭鳥島が飛び込まなければ、忌住へ落ちる筈だった雷に俺も巻き込まれていた。忌住を視界へ収められない状況では、〈天衡〉によって自分を守ることも出来なかった。
庭鳥島が現れたことで、俺は彼女を対象に掟を定め、「無傷で済む」という罰を与えられた。
つまり――庭鳥島がいなければ、俺は既に敗退していた。
「うーん」
庭鳥島は外ハネした黄緑色の髪を揺らし、大袈裟に首を傾げた。
「気付いたら身体が動いとったばい!」
「……理由になってないだろ」
「ならんと?」
「ならない」
「でも、ほんなこつばい。せつなが危なかと思ったら、もう飛んどった」
屈託のない笑顔だった。打算も、嘘もない。
あの瞬間、庭鳥島は自分が雷を受けて敗退する可能性もあった。それでも考えるより先に、俺を守るため飛び出したのだ。
「あの雷は、俺のユニークスキルによるものだ」
「知っとるばい」
「俺が自分の能力を過信して、忌住に利用された。危険な目に遭わせたな。……悪かった」
「むー」
庭鳥島の頬が、不満そうに膨らむ。
「『悪かった』じゃなくて『ありがとう』の方が嬉しかばい!」
不意を突かれ、言葉が止まった。
謝罪をすればいいと思っていた。自分の失敗を認め、迷惑を掛けた相手に頭を下げれば、それで筋は通ると。
だが、庭鳥島が求めていたのは謝罪ではなかったらしい。
「……そうだな」
俺は庭鳥島の目を見た。
「ありがとう。助かったよ」
「うん!どういたしましてばい!」
再び翼が動き出す。勢い良く送られてくる風を浴びながら、俺は先程の戦いを思い返した。
俺は予選を勝ち抜けると確信していた。
神話級ユニークスキル・〈天衡〉と、〈エフェメラリズム〉。加えて、俺自身の頭脳。それだけ揃っていれば、六万分の一を勝ち取れると思っていた。
だが、実際に戦場へ立ってみればわかる。
全員が本気だ。全員が自分こそ勝つと信じ、それだけの準備を重ねてここに来ている。
俺だけが特別な訳ではない。
そんな当たり前のことを、俺は理解したつもりになっていただけだった。
「最後にせつなと戦うとに、こんなとこでやられとったらつまらんばい!」
「当然たい!去年より強くなったあたしと、〈十傑推薦枠〉のせつな!最後の二人になって、正々堂々決着つけるばい!」
「ああ。それも悪くないな」
「せつな!服、乾いたばい!」
柄シャツの袖へ触れる。ほんの僅かに湿気は残っているものの、戦闘に支障が出る程ではない。
「ありがとう」
「それでせつな、次どうすると?」
「この階も、あと十分程度で毒ガスに呑まれる。階下へ移動するぞ」
「そぎゃんこつせんでも、あたしに乗って飛んで降りればよかたい」
「いや」
即答した。
「俺はもう油断しない。安全地帯の端から狙撃される可能性もあるし、着地地点で待ち伏せされる可能性もある。慎重に下りるぞ」
「ほーん。賢かね」
「ついさっき、油断して負けかけたんだよ」
庭鳥島が半人半鳥の姿を解く。赤い翼は人間の腕へ戻り、猛禽類の鉤爪を備えていた脚も、健康的な女性の脚へと変わった。
俺達は展望フロアを横切り、〈竜宮楼〉の外壁に設置された非常階段へ向かう。
エレベーターは使わない。停止した階で扉が開いた瞬間、敵が待ち構えていれば逃げ場がない。足場が狭くとも、上下へ退路を確保出来る非常階段の方がまだ戦いやすい。
「庭鳥島はどうしてまた〈極皇杯〉に出場したんだ?」
「およ?いきなりなんね?」
「一度ファイナリストになれば、賞金やスポンサー契約で一生遊んで暮らせるんだろ。どうして態々この大変な〈極皇杯〉にまた出場するのかと思ってな」
「そぎゃんこつか」
庭鳥島は考えることもなく答えた。
「やったら答えは——優勝したいけんに決まっとるばい!」
「はは、そうだよな。みんな優勝したくて出てるんだもんな」
余りにも真っ直ぐな答えに、自然と口角が上がった。
金も、名声も、既に手にしている。それでも勝ちたいから、もう一度命を懸ける。結局、この場に集まった四十八万人の根底にあるのは、同じ感情なのかもしれない。
「せつなもそうじゃなか?あんたの奥さんや親善試合であんたのこと好きって言っとった陽奈乃様――〈神威結社〉の仲間を守りたいから出たんじゃなかと?」
「そうだな」
俺は金属製の扉へ手を伸ばしながら答えた。
「だがそれ以上に、一人の人間として、〈極皇杯〉を優勝したい。勝ちたい」
――そうだ。もう俺だけの人生ではない。
ユニークスキルという凶器が世界中に溢れ、力のない者から奪われていく新世界。
そんな世界で〈神威結社〉の頂点に立つ以上、負ける訳にはいかない。
「俺についてきてくれるアイツらに、胸を張って仲間だと言える結果を残したい」
「うんうん!」
庭鳥島が何度も頷く。
「せつなは、それでよかと!」
「つーか庭鳥島……陽奈乃のフォロワーなのか」
「もちろんたい!陽奈乃様は全ギャルの憧ればい!」
――庭鳥島はギャルだったのか……。
旧世界でもそうだったが、ギャルという存在の定義は八十五年を経ても曖昧らしい。
陽奈乃も外見だけなら典型的なギャルだが、中身は恋愛経験のない乙女だったりする。人間を分類するための言葉など、その程度のものなのかもしれない。
非常階段へ続く金属製の扉。ドアノブへ手を掛け、耳を澄ませる。
外から戦闘音は聞こえない。気配もない。
ゆっくりとドアノブを捻った。
扉を数センチ開けた瞬間、強い風が隙間から吹き込み、赤いニット帽が持ち上がりかける。片手で帽子を押さえながら、外の様子を窺った。
「非常階段には……誰もおらんみたいばい」
「そのようだな……」
俺が先に踊り場へ足を踏み入れ、庭鳥島が続く。
決して広くはない金属製の外階段。手摺や床には、既に乾き始めた血がこびり付いていた。
戦闘があった形跡はある。だが、人はいない。足下も濡れていなかった。
先ほど庭鳥島が敗退させた冴積浪漫の〈降雨〉は、この場所にまで影響を及ぼしていない。正確には、「局所的に雨を降らせるユニークスキル」だったのだろう。
「そういやさっきの冴積浪漫って……名前から察するに――」
「――そうたい!アイツの妹たい!」
庭鳥島の言う「アイツ」。
昨年の〈極皇杯〉でBEST4に入り、〈世界ランク〉でも幕之内と並ぶ世界十四位。——〈陸軍〉・大将、冴積四次元。
「昨年の〈極皇杯〉のBEST4――冴積四次元か……」
「そうたい!去年の本戦であたし、アイツにやられたとよ!」
昨年の第九回〈極皇杯〉本戦。一回戦第三試合。
庭鳥島萌と冴積四次元は、そこで激突した。
試合時間――僅か十六秒。
勝者、冴積四次元。
映像を何度見返しても、何をされたのか判別できないほど一方的な決着だった。
年中雪が降ることで知られる〈城塞都市イーハドーブ〉出身の冴積四次元は、隣国との異能戦争に兵士として参加している。雪原へ潜伏し、スナイパーライフルによる狙撃だけで敵将を含む二千人以上を討ち取った。
取る異名は――「白と雪の銃殺王」。
「きーっ!今思い出しても悔しかばい!」
「俺もアーカイブ映像を観たが……ユニークスキルの推測すらさせてくれなかったな……」
「あーっ!せつな!それ遠回しにあたしが瞬殺されたこといじっとると!?」
「違うわ……」
四十九階へ下りる。
階段を下る俺達の足音だけが、乾いた金属音となって響いた。
コツ。
コツ。
コツ。
屋内から物音はしない。
扉の向こうにはレストランアベニューが広がっている筈だが、怒号も戦闘音も聞こえなかった。
四十八階。
誰もいない。
四十七階。
ここにも、乾いた血だけが残っている。
――庭鳥島ほどの実力者が、僅か十六秒で敗退した。
そんな男が、このAブロックへ振り分けられている可能性もある。
ブロック分けは完全なランダム。歴代ファイナリスト同士が同じ会場に集まっていても、何ら不思議ではない。
「あんまり人の気配もなかね……」
「そうだな」
「この三十分ちょっとで、かなり減ったとやろうか」
「それにしたって、静か過ぎる」
俺は足を止めず、耳だけを澄ませた。
風音。足音。
それ以外には、何もない。
「……せつなは生き返ったとやろ?」
「ん……?ああ、もう蘇って三週間か……」
「新世界は、どうね?」
随分と漠然とした質問だった。
普段なら「答えづらい」と流していたかもしれない。だが、予選という極限状態の所為か、それとも庭鳥島の屈託のなさに絆されたのか。
俺は、真面目に考えていた。
「最初は、驚いたよ」
背中越しに答えながら、一段ずつ階段を下る。
「八十五年後だってことも、ユニークスキルが存在することも。それが原因で文明が一度崩壊して、世界人口が十一億人まで減ったことも」
庭鳥島は何も言わず、俺の直ぐ後ろを歩いている。
「正直に言えば、クソみたいな世界だと思う」
「せつな……」
「毎日どこかで人が殺されて、力がある奴が正義を名乗る。〈極皇杯〉なんて大会に世界人口の九割以上が熱狂してるのも、旧世界の俺から見れば完全に狂ってる」
「そうたいね……」
「でも――旧世界で生きてた頃より、今の方がマシだ」
冷たい風が、階段の隙間を抜けていく。
「世界は腐ってる。でも、仲間のお陰で毎日が楽しいよ。俺は」
庭鳥島は少し黙った後、柔らかく答えた。
「……そんなら良かったばい。あ、仲間って言うたらあんたの仲間ももう一人、〈極皇杯〉に出とるんやろ?心配じゃなかと?」
「ああ、竜歌か」
竜歌がどのブロックへ振り分けられたのか、俺には知る由もない。
アイツの戦闘スタイルは、鉤爪を振り回して正面から敵を切り裂く、極めて豪快なものだ。〈竜宮楼〉のような狭い屋内ステージでは、その長所を活かしきれない可能性もある。
が、戦闘力に不安はない。不安があるとすれば、九九すら怪しい頭の方だった。
「……うーん、まあアホだが、やる時はやる奴だ。大丈夫だろ」
「ほほう、いい信頼関係ばい」
「つーかそれで思い出したんだが、この〈竜宮楼〉――庭鳥島にとっては不利なフィールドじゃないか?」
「およ?なしてそう思うと?」
「なんでって……さっきは屋上だったけど基本的にはこの五ツ星ホテル、〈竜宮楼〉……屋内で戦闘が始まるパターンが殆ど。庭鳥島の飛行能力は開けた場所でこそ活きるだろ」
「そぎゃんこつね。そんなら問題なかとよ!去年ファイナリストに残ったときの予選も空港の中で戦ったけんね!フィールドがどこだろうと関係なかばい!」
〈極皇杯〉予選の空港会場。Hブロックの〈天空橋空港〉だ。〈日出国ジパング〉の〈天空橋エリア〉に存在する、世界八国最大規模の国際空港。
「成程……。フィールドで有利不利だの嘆いていてはファイナリストになれないか」
「そうばい!」
一度、この予選を勝ち抜いた経験。
それは単なる知識ではない。
何万人という敵の中から、最後の一人になるために必要な判断、覚悟、体力配分。それらを庭鳥島は身体で知っている。
明確な強みだった。
俺達は階段を下り続けた。
四十階。
三十五階。
三十階。
どの階にも、血はある。
壊れた扉も、弾痕も、焦げた壁もある。
だが、人だけがいない。
一度目の縮小は既に終了している。遥か頭上の黒い毒霧も、一時的に動きを止めていた。完全な安全地帯外となったのは、屋上から四十九階付近まで。ならば、下層へ行くほど出場者は増える筈だった。
安全地帯の中心へ人が集まり、そこかしこで戦闘が起きていなければおかしい。
それなのに。
静かだった。
余りにも、静かすぎる。
――数分後。
俺達は本館二十階の非常階段、その踊り場に到達した。
ここは安全地帯の中心部に近い。
階段の外壁を隔てた向こうには、広大な客室フロアがある。
だが、足音一つ聞こえない。
怒号もない。
武器がぶつかり合う音もない。
ユニークスキルによる爆発音すらない。
聞こえるのは、外壁を撫でる風と、俺達の呼吸だけだった。
「……いや」
俺は足を止めた。
「おかしい」
「せつな?」
「五十階から、三十階分下ってきた」
「そうたいね」
「今は安全地帯の中心に近い。上階から追い出された連中も、下から移動してきた連中も、この近辺に集まっているはずだ」
庭鳥島の表情から、笑みが消える。
「それなのに――どうして、物音一つしない?」
視線を、客室フロアへ続く鉄扉へ向ける。
手摺には、乾いた血。
床にも血。
その量は、下へ行くほど増えている。
戦闘は間違いなく起きていた。
だが――戦った者達は、もう誰も残っていない。
「言われてみれば……確かに、変ばい」
その瞬間。
「ぎゃあ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛ッッッ!!!!」
壁の向こうから、絶叫が響いた。
悲鳴ではない。
人間が死の間際に、喉も肺も壊しながら絞り出す――断末魔。
俺と庭鳥島は同時に身構えた。
絶叫は一度きり。
その後には、再び静寂が戻ってくる。
何者かの足音もない。
勝者の声もない。
ただ一人分の命だけが、壁の向こうで唐突に途絶えた。
――予選開始から、四十六分五十三秒。
この時点で、六万人いたAブロックの生存者は、既に千人を割っていた。
俺達が知らないだけで。
この〈竜宮楼〉では既に――何かが、始まっていた。
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