2-11 方々から迫る脅威
ザーザーと、天を引き裂くような雨が降っていた。
灰色に沈んだ本館屋上。インフィニティプールの水面を無数の雨粒が穿ち、白い飛沫を絶え間なく跳ね上げている。
その豪雨の中、俺の眼前に立っていたのは、一目見たら二度と忘れられない風貌の女だった。
青い肌。肉厚な唇。長く波打つ青髪。長い睫毛に縁取られた、ぎょろりと大きな両眼。
そして青いリングコスチュームから露出するのは、鋼鉄を何本も束ねたかのような、はち切れんばかりの筋肉だった。二メートル近い巨躯を包むコスチュームには金色の縁取りが施され、悪趣味なほど豪奢に雨光を弾いている。
「あらぁ♡アタシの攻撃に眉一つ動かさないなんて、さっすが〈十傑推薦枠〉ね♡」
女は拳を俺の腹部へ押し当てたまま、厚い唇を艶やかに歪めた。
〈極皇杯〉予選における、安全地帯の縮小。
一度目の縮小までに敗退すれば一回戦敗退。二度目までなら二回戦敗退。それ以降も縮小の段階に応じて戦績が記録され、最終七度目まで生き延びた出場者は、準決勝進出者と呼ばれる。
この女の名も、過去大会の映像を調べた際に何度も目にしていた。
「準決勝進出者――忌住鱚子か……」
女子プロレス界で、その名を知らぬ者はいない。
異名は――「青き重戦車」。
小細工を嫌い、正面から相手の全てを受け止め、その上で圧倒的な力によって叩き潰す。そんな戦闘スタイルで人気を集めているプロレスラーだ。
――――――――――――――――――――――――
忌住鱚子
2103 1回戦敗退
2104 2回戦敗退
2105 3回戦進出
2106 4回戦進出
2107 5回戦進出
2108 準々決勝進出
2109 準決勝進出
――――――――――――――――――――――――
過去七年間、一度として前年より戦績を落としていない。昨年は、ファイナリストまであと一歩。今年こそ本戦へ上がる――その執念を、目の前の女は全身から放っていた。
「あらぁ♡アタシのこと知っててくれてるのね♡嬉しいわぁ♡」
「――せつな!」
プール上空から庭鳥島が急降下する。大きく広げられた赤い翼が撓り、無数の羽根が射出された。先程まで屋上にいた出場者達を、一撃で死に追いやった刃だ。
赤い軌跡が雨幕を切り裂く。
忌住は避けなかった。真正面から巨大な掌を突き出し、迫る羽根を鷲掴みにする。
「ふんっ♡」
握り潰された羽根が、硬質な音を立てて砕け散った。
掌へ深々と突き刺さった刃が青い皮膚を裂き、拳から血が滴り落ちる。それでも忌住は眉一つ動かさない。
「……なかなかやるったい」
「ふふ♡それに萌ちゃんも♡会えて嬉しいわぁ♡まさかアナタ達が手を組んでるとは思ってなかったけど♡」
少なくとも忌住は、ファイナリスト経験者である庭鳥島を前にしても、全く気圧されていない。
――序盤からバッキバキの難敵……!運が悪い……。
――いや、違うな。どうせ勝ち残りを狙うなら衝突は避けられない敵だ。寧ろ体力の消耗の少ない段階で戦えるなら僥倖か。
「〈神威結社〉だったわよねぇ♡覚えてるかしら♡アナタたちが倒した〈アトランティス市議会〉のシャスコ——アタシの後輩なのよ♡」
「知らねえな」
〈エフェメラリズム〉を構える。ゴム紐を限界まで引き絞り、忌住の眉間へ照準を合わせた。
「正々堂々やりましょ♡」
「『通常弾』」
放たれたパチンコ玉が、豪雨を弾き飛ばしながら直進する。
先程、短機関銃の男の心臓を容易に貫いた一撃。師匠との修行で、以前の数倍の威力にパワーアップしている。真面に受ければ、頭蓋骨ごと脳を撃ち抜く威力だ。
「舐められてるわねぇ♡」
忌住は大きな掌を、無造作に振り下ろした。
乾いた破砕音。
パチンコ玉は忌住へ届くことなく、プールサイドへ叩き落とされた。玉は衝撃に耐えきれず潰れ、砕けた金属片が雨水の中を転がっていく。
――マジか。
「ふふ♡そんなおもちゃ屋で買ったような武器でアタシを殺そうだなんて、面白い子ね♡」
忌住の声には、虚勢も怒りもなかった。極めて冷静。動揺や興奮へ作用する『凍結弾』も、この女には通用しない。
見た目だけなら冗談のような女だが、実力は本物だった。
俺、庭鳥島、忌住。三者が互いの間合いを測る。
「いくわよ♡」
忌住が拳を構えた。
反射で掟を定める。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
次の瞬間、その巨躯が視界から消える。
「――っ!」
頭部へ衝撃。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
続けて胸。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
腹。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
側頭部。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
拳、拳、拳、拳。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
まるで数十門の機関砲から、至近距離で一斉射撃を浴びているようだった。
だが俺の身体には、傷一つ付かない。
殴打を受ける度、足下の床材だけが砕けていく。衝撃波が雨水を吹き飛ばし、周囲へ白い飛沫を撒き散らす。
「雪村ちゃんのユニークスキルは、まだわからないけど――」
忌住は止まらない。
「だったら、アナタの命が尽きるまで穿つのみよ♡」
痛みはない。
だが、一発ごとの本来の威力は明確に伝わってくる。
ガトリング砲などという生易しいものではない。
真面に受ければ骨格が砕け、内臓が潰れ、四肢のどこかが肉体から消し飛ぶ。
――開けた屋上じゃ、跳弾も使えない。〈エフェメラリズム〉の火力では倒せない。
〈天衡〉で攻撃へ転じるには、現在の「無敵状態」を捨てて新たな掟を定める必要がある。だが、このラッシュの中で「無敵状態」を解除すれば、その瞬間に殺される。
「――防御力は見事♡だけどそれじゃ勝てないわよぉ♡」
正論だった。
——「無敵状態」の罰を俺に与え続ければ確かに負けはしないだろう。忌住の消耗を狙うことも出来る。
が、そこで問題となるのは安全地帯の縮小だ。時間制限がある以上、どこかで被弾覚悟で攻撃に転じなければならない。
忌住の〈世界ランク〉は非公開。ユニークスキルの名称も能力も、一般には知られていない。
それでも、この火力が鍛錬だけで得られるものではないことは確かだ。何らかの条件によって、肉体の筋力を異常な領域まで増幅させている。
「――せつな!加勢するばい!」
「大丈夫だ!庭鳥島は周囲を警戒してくれ!」
「わかったばい!」
「――一対一に持ち込んだの♡立派ねぇ♡」
「俺の力がお前に通用するか試したくてな……!」
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
忌住の拳を浴びながら、俺は考える。
「無敵状態」を維持したままでは攻撃できない。解除すれば死ぬ。ならば。
解除したその瞬間、一撃で――忌住の蓄積全てを返す。
――踏み台にしてやるよ……!準決勝進出者……!
『掟:攻撃を禁ず。
破れば、この戦闘で俺へ与えようとした総ダメージと同等の衝撃を、己の身に受ける。』
掟を上書きする。その瞬間、全身を覆っていた不可視の加護が消えた。
忌住の拳が、俺の左胸を撃ち抜く。
「――がッ……!」
心臓が爆発したのかと思った。
胸骨が砕け、肋骨が内側へ折れ曲がる。潰された肺から空気が押し出され、血の味が口内いっぱいに広がった。
身体が宙を舞う。俺はプールサイドチェアとパラソルを纏めて薙ぎ倒し、床を何度も転がった。
「――せつな!」
「いってぇ……けど……生きてる」
崩れたパラソルを押し除け、上体を起こす。呼吸をするだけで胸に激痛が走った。口元から落ちた血が、雨水へ溶けていく。
遠方に立つ忌住の身体が、不自然に震え始めた。
「あっ――♡」
見えない拳が、忌住を四方から殴り始める。
顔面が弾かれ、腹部が陥没し、巨躯が左右へ揺さぶられる。
「無敵状態」の俺へ放ち続けた、数分間の猛攻。
本来なら俺へ与えられていた筈の総ダメージが、一つの衝撃となって忌住自身へ襲い掛かっているのだ。
青い唇から血が溢れた。
忌住の膝が一瞬沈む。
それでも倒れない。
「……流石だな」
血反吐を吐きながら、忌住へ歩み寄る。
一歩踏み出すごとに、折れた肋骨が肺を掻き回すように痛んだ。
この程度で倒せる相手ではない。
——ならば、倍プッシュだ。
『掟:攻撃を禁ず。
破れば、その身に雷が落ちる。』
忌住が顔を上げた。血に濡れた厚い唇が、獰猛に吊り上がる。
「まだよぉ♡」
巨躯が踏み込む。
振り抜かれた拳が、俺へ届くより早く――轟音が空を割った。
忌住が掟を破った。
黒雲から、白い雷柱が落ちる。
「――ッ♡」
青い巨体が電撃に呑み込まれた。
雷光が視界を真っ白に焼き、遅れて爆音が屋上全体を揺るがす。周囲に溜まっていた雨水が一斉に跳ね、熱風となって吹き荒れた。
鼻を突く、肉の焦げた臭い。
雷霧の〈雷槌〉には遠く及ばない。
だが、人間一人を仕留めるには十分過ぎる威力だ。
「うへぇ……こら耐えられんたい……」
庭鳥島がプール上空から、引き攣った顔でその光景を見下ろしている。
雷光が消えた。
煙の中に、忌住の影が残っている。
白目を剥き、口から煙を吐きながら、それでも女は両脚で立っていた。全身を痙攣させ、雨に打たれながら、倒れることを拒絶している。
〈犠牲ノ心臓〉は発動していない。
「……化物が」
——なら、もう一度……!
『掟:攻撃を禁ず。
破れば、その身に雷が落ちる。』
忌住の指が、ぴくりと動いた。
次の瞬間には、目の前にいた。
「――やるじゃない♡」
――速い。
拳が頬を捉える。
骨が砕けるような衝撃と共に、俺の身体はプールへ弾き飛ばされた。
水面へ激突する。
冷水が耳、鼻、口から一斉に入り込み、視界が泡で埋め尽くされた。
直後、巨大な腕が背後から首へ回される。
忌住が俺を追って飛び込み、羽交い締めにしていた。
上体を捻ろうとしても、万力のような腕が頭部を完全に固定している。力が更に増したようにすら感じられる。
忌住は俺の真後ろ。視界へ捉えることは出来ない。
「アナタのユニークスキル、まだ見えないけど――どうせ同じ手でしょ♡」
水中で、忌住の声だけが不気味に響く。
「一緒に死にましょ?」
水面の遥か上空では、黒雲の中に雷光が走っている。
忌住は先程の攻撃によって掟を破った。
裁定は既に下されている。
次の雷は、必ず落ちる。
だが対象を視認出来ない今、新たな掟を定めて自分を守ることはできない。
忌住はこの雷で、俺を道連れにするつもりだ。
――クソ……自爆オチかよ……!
雷鳴が轟いた。
その瞬間、赤い影が雨空を横切る。
「――庭鳥島……!?」
「せつな!何しとっと!」
庭鳥島が大きな翼を広げ、俺を庇うように雷雲の真下へ飛び込んだ。
――マジか……!ナイス……!
俺は水面越しに庭鳥島を視界へ捉える。
『掟:飛行を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
庭鳥島は、既に飛んでいる。
掟を破ったことで、罰として無傷の状態が与えられる。
一方、忌住に対して下された先程の裁定は、既に発動していた。今から掟を上書きしても、落下を始めた雷までは消えない。
白い雷が、天から落ちた。
庭鳥島は翼を盾のように折り畳み、一直線に迫る雷柱を受け止める。
轟音。
インフィニティプールの水面が爆発したように盛り上がった。
庭鳥島の赤い翼が、眩い電撃に包まれる。
だが、雷はその身体を越えなかった。
数秒後。
翼の隙間から煙を上げながら、庭鳥島が恐る恐る顔を出す。
「――おおっ!?痛くなかばい!」
「あら♡萌ちゃんのこと、忘れてたわ♡」
忌住が水中で俺の拘束を解く。そのまま俺の身体をプールサイドへ投げ飛ばし、自身も勢い良く水面から跳び上がった。
濡れた床へ叩き付けられ、転がりながら受け身を取る。水を吸った赤いニット帽と柄シャツが、鉛のように重かった。
戦場には依然雨が降る。
「庭鳥島、助かった」
「仲間ばい! 当然たい!」
「話は後だ。まずコイツを倒す」
「そうたいね! 毒ガスに呑まれるのも時間の問題ばい!」
上空を見遣る。先刻まで微動だにしなかった毒霧の輪郭が、徐々に、徐々に動き始めていた。まるでじわじわと俺達を追い詰めるように。
——最初の縮小……!二回戦が始まった……!
毒霧までの距離は、既に十数メートルしかない。
俺は忌住へ視線を戻す。
「忌住鱚子……お前のユニークスキルがわかったよ」
「あら♡噂通り賢いのね、雪村ちゃん♡答え合わせをしてあげようかしら♡」
「まあお前のユニークスキルは、新世界中が観ている中で暴露されても弱体化するタイプじゃないもんな」
「そうよ♡」
「――せつな!忌住のユニークスキルがわかったと!?」
「ああ」
忌住が現れたのは、雨が降り始めた直後。
青い肌を惜しげもなく露出するリングコスチューム。
先程プールへ入ってから、更に増した速度と膂力。
全ての点が、一つの答えへ繋がっている。
「――『体表が水に濡れた状態で、筋力を倍加させるユニークスキル』だろ」
ユニークスキルの重複。盲点だった。以前〈アトランティス市議会〉戦で天音が破ったシャスコ。奴と同じユニークスキルだ。いや、だが恐らく、階級と倍率が違うのだろう。
忌住が不敵に笑った。
雨は、ザーザーと、ザーザーと降り続けている。
「――正解よ♡」
巨体が踏み込む。
拳が眼前に迫るのと同時に、掟を定めた。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、その攻撃を相対する者へと反射する。』
顔面へ拳が直撃する。
だが衝撃は俺の肉体へ浸透せず、不可視の力によって忌住へ跳ね返った。
忌住の頬が大きく歪む。
青い巨体が、僅かに後方へ傾いた。
「うふふ♡まあまあ効くわね♡」
――思い返せば、忌住が姿を現したのは降雨と全く同時だった。偶然ではない。自分のユニークスキルを最大限に活かせる天候を作り出した者が、この付近にいる。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、その攻撃を相対する者へと反射する。』
拳を反射。
罰が下った瞬間、掟は効力を失う。
再び、同じ掟を定める。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、その攻撃を相対する者へと反射する。』
三撃目。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、その攻撃を相対する者へと反射する。』
四撃目。
忌住が攻撃する度、同じ威力が自分自身へ返っていく。
それでも女は拳を止めない。
俺は眼鏡のブリッジを押し上げ、庭鳥島へ背中越しに告げた。
「庭鳥島、もう一人いるぞ」
「せつな?何言うとると?」
「『雨を降らせるユニークスキル』を持つ人間が隠れてる筈だ。そいつと忌住は共闘してんだよ。俺達のようにな」
「ぜんっぜん『正々堂々』じゃなかばい!」
「……っ♡全部……バレてるのね♡」
初めは、俺もそう思った。
正々堂々と相手を力で叩き潰す。それが忌住鱚子の戦い方だと。
だが、この女は雨に紛れて奇襲し、別の能力者に自分が最も戦いやすい環境を作らせていた。
信念などないのか。
勝つためなら、過去に掲げてきた戦闘美学すら投げ捨てるのか。
――違う。
忌住も、俺と同じだ。
勝ちたい。
それだけが、この女の絶対に曲げない信念なのだ。
「――いいよ、鱚子。だったら二対二で勝つだけ」
遠方から、平坦な女の声が届いた。プール設備を覆う物陰から、一人の女が姿を現す。
黄色いレインコート。端正に切り揃えた重めの前髪に、胸元まで流れる淡い金髪のロング。淡い微笑を湛えた表情は、雨景の冷たさを和らげるほど穏やかで、澄んだ青い瞳には無垢さと静かな芯が宿っている。
雨粒を弾くレインコートの裾を揺らしながら、女はゆっくりと歩み寄ってきた。
「……浪漫ちゃん♡」
「……隠れていて悪かったわね」
女は、微笑みながら名乗った。
「私は準決勝進出者――冴積浪漫。ユニークスキルは偉人級の〈降雨〉」
――――――――――――――――――――――――
冴積浪漫
2108 1回戦敗退
2109 準決勝進出
――――――――――――――――――――――――
僅か一年で、一回戦敗退から準決勝進出まで駆け上がった異端。
忌住も拳を止め、堂々と胸を張った。
「改めて名乗るわね♡同じく準決勝進出者――忌住鱚子よ♡ユニークスキルは偉人級、〈海衣〉♡」
――「レインメーカー」の異名を持つ、アメリカの気象事業家、チャールズ・ハットフィールド。
そして、大航海時代に世界一周航路を切り開いた航海者、フェルディナンド・マゼラン。
偉人級の名に恥じない能力だ。
「〈十傑推薦枠〉――〈神威結社〉の雪村雪渚だ」
「偉人級ユニークスキル・〈彩羽〉――第九回〈極皇杯〉、BEST8の庭鳥島萌ばい!まあ知っとるやろうけど!」
「さて、名乗ったとこ悪いが、時間がない」
毒霧が、また一段低くなる。
「終わらせるぞ」
「ふふ♡やってみなさい♡」
忌住が三度、突進してくる。
猛烈なラッシュ。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、その攻撃を相対する者へと反射する。』
『掟:被弾を禁ず。
破れば、その攻撃を相対する者へと反射する。』
『掟:被弾を禁ず。
破れば、その攻撃を相対する者へと反射する。』
俺は拳を受ける度、同じ掟を定めて攻撃を反射し続けた。
忌住の身体に傷が増えていく。
頬が裂け、鼻血が流れ、口元から赤い唾液が飛び散る。
それでも、勝利への執念だけは微塵も揺らがない。
——一方。
「……負けない……から」
「うーん、強かったら隠れる必要なかけんね!」
相対するフーディ女――冴積と庭鳥島。
庭鳥島が赤い翼を大きく広げた。
無数の赤い羽根が庭鳥島の周囲へ舞い上がり、雨の中を一直線に冴積へ襲い掛かる。
「――っ!」
冴積が身構える。
だが、羽根は彼女の身体へ突き刺さらなかった。
身体の周囲を取り囲み、複数の巨大な球体を形作っていく。赤い羽根で覆われた球体から細い紐が伸び、冴積の手足と胴体へ巻き付いた。
遊園地で道化師が配る、色鮮やかな風船。
それを凶悪な処刑道具に作り替えたような光景だった。
「なっ……何を……!」
羽根の風船が浮上する。
冴積の華奢な身体が、為す術なく宙へ持ち上げられた。
十メートル。
八メートル。
五メートル。
頭上から迫る毒霧まで、残り僅か。
「待って……!」
初めて冴積の柔和な表情が崩れた。
「私の負けでいいから……!降ろして……!」
「萌ちゃんの必殺――」
庭鳥島が笑顔で翼を振る。
「『浪漫飛行』ばい!」
冴積の身体が、毒霧へ触れた。
露出していた顔の皮膚が、一瞬で紫色に変色する。
目、鼻、口から血が溢れ――直後、身体が内側から爆ぜた。
血。骨片。肉塊。
赤い飛沫が毒霧の中へ広がり、次の瞬間には、全て淡い光となって消失する。
〈犠牲ノ心臓〉が発動した。
「浪漫ちゃん……っ!」
「うわぁ……庭鳥島……容赦ねえな……」
「殺るか殺られるか――それしかなかばい!〈極皇杯〉は!」
その通りだ。手を抜けば、ああなるのは俺たちだ。
〈犠牲ノ心臓〉が存在する以上、これは殺人ではない――そう割り切らなければ、一歩も前へ進めない。
これは殺人ゲームではない。四十八万人が人生を懸けた、「真剣勝負」だ。
冴積が消えたことで、豪雨が急速に弱まっていく。
軈て雨は完全に止んだ。
灰色の雲の切れ間から、再び南国の眩しい日差しが差し込む。
だが、忌住の身体は今も全身ずぶ濡れだ。
〈海衣〉の効果は、まだ切れていない。
「よくも……やってくれたわね……♡」
忌住の表情から、初めて笑みが消えた。
仲間を敗退させられた怒り。
攻撃を何度繰り返しても俺へ通じない苛立ち。
或いは、今年も本戦へ届かないかもしれないという恐怖。
どれであっても、もう関係なかった。
何度も、忌住の拳を反射した。
速度。質量。衝撃。
その威力の輪郭は、既に掴んでいる。
ならば――この倍率までは届く。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、その攻撃を相対する者へと千倍の威力で反射する。』
掟が定まった。
忌住が、拳を振りかぶる。
その動作が、妙にゆっくりと見えた。
「きっと強いんだろうな、忌住は」
女の拳が、一直線に俺の鼻梁へ迫る。
「数年後には、ファイナリストになる器なのかもしれない」
「あっ――♡」
拳が直撃した。
次の瞬間。
忌住の巨躯が、内側から爆ぜた。
反射された衝撃が、青い肉体を構成する筋肉も骨格も、何もかも等しく粉砕する。
血肉が四方へ弾け飛び、赤い霧となってプールサイドを染め上げた。
一瞬遅れて〈犠牲ノ心臓〉が発動する。
散らばった肉片も、飛び散った血液も、全て光へ変わり――忌住鱚子という人間の痕跡が、その場から消えた。
「ただ――」
降り注ぐ血の雨を浴びながら、俺は静かに告げた。
「相手が悪かったな」
頭上を見上げる。
安全地帯を食い潰す毒霧は、既に目測数メートルの距離まで迫っていた。
赤いニット帽から、忌住の血とプールの水が滴り落ちる。
俺は静かに目を閉じる。
敵を倒した喜びではない。
生き残った安堵でもない。
ただ、自分が今、この六万人の頂点を目指す戦場に立っているという事実を、全身で確かめるように。
――予選は、まだ始まったばかりだ。




