2-10 本館R:スカイプール
――予選開始から七分三十一秒。予選会場の最高高度――ドーム型の安全地帯の頂点に位置する上空で、俺はホバリングする庭鳥島の華奢な背に跨っていた。
俺の目下に広がる光景は、世界八国が一つ、〈常夏諸島ニライカナイ〉の〈渚岐南エリア〉が誇る五ツ星ホテル、〈竜宮楼〉である。
敷地の中央には、先程まで俺達がいた五十階建ての本館が、青空を貫くように聳え立っている。
その東西南北を取り囲むのは、それぞれ三十階建ての東館、西館、南館、北館。上空から見れば、中央の本館を王に、四つの別館を臣下に据えた城塞のようだった。
最初に俺が転移した客室は、本館四十四階。そこから更に百メートル以上、上昇した計算になる。
「みんなバトっとるねー!」
停空飛翔する庭鳥島。彼女の朗らかな声が、風に千切れそうになりながら届いた。
その言葉通り、〈竜宮楼〉の至るところで戦闘が始まっている。本館屋上のスカイプール。西館の窓越しに見える客室。北館の吹き抜けを囲む回廊。本館正面、車寄せの噴水付近。豆粒程の人影が衝突する度、炎が上がり、氷が弾け、外壁が崩れた。既にホテル全体が巨大な戦場と化している。
「開始からまだ八分も経ってないぞ」
「六万人もおるけんね!」
庭鳥島の翼は、成人男性一人を背負っているとは思えないほど力強く風を打っている。
俺は身長百八十センチ、体重六十五キロ。特別な巨漢ではないが、小柄な庭鳥島にとって決して軽い荷物でもない筈だ。それでも呼吸一つ乱していない。
「俺達に気付いている奴はいないな」
「まさか、こんな高いところに人がおるとは思わんたい。それに、みんな下の敵で精いっぱいばい!」
遥か下方。
南館の窓を突き破り、一人の男が外へ放り出された。空中で手足を滅茶苦茶に振り回しながら落下していく。
数秒後。地面へ激突した肉体が、赤い飛沫となって弾けた。
「うへぇ……グロかね……」
直後、男の血肉が淡い光へ変わり、跡形もなく消失した。
〈犠牲ノ心臓〉の発動。あの男にとっての〈極皇杯〉は、今の落下で終わった。この光景も、世界八国へ生中継されている。
天音、陽奈乃、雷霧、師匠。拓生、ハズレちゃん、フラン。〈真宿エリア〉や〈神屋川エリア〉、〈花畑エリア〉の住民、元・〈韮組〉の連中。
俺を知る者も知らない者も、今この瞬間を見届けている。
ふと頭上を見上げる。空は、直ぐそこにはなかった。あるのは、半球状の安全地帯を埋め尽くす黒い毒霧。指先を伸ばせば届きかねないほど近い。
触れた瞬間、致死量の毒が体内へ侵入する。〈犠牲ノ心臓〉によって死亡は帳消しに出来ても、その時点で敗退だ。
今はまだ一回戦の段階。黒い霧は、まだ微動だにしない。
が、眼下の街は大部分が毒霧に沈んでいる。
アメリカ西海岸を思わせるモーテル、ダイナー、大型マーケット。反対側には白い砂浜と、陽光を反射する青い海。楽園じみた景観を、死の霧が静かに食い潰していた。
「てかせつな、聞きたかったことがあるとよ」
「聞きたかったこと?」
「外から見てたばってん、さっきの蝋のユニークスキルの男、凍らせて倒しとったやろ?あれがせつなのユニークスキルと?」
「あー、あれか」
この一週間で用意した、〈エフェメラリズム〉用の特殊弾の一つ。パチンコ玉に似た薄い金属殻の内部へ封入したのは、魔道工学によって生成された疑似冷媒――通称・「超液体窒素」。
通常の液体窒素とは似て非なるものだ。
肉体の温度ではなく、対象の精神状態へ反応する。
恐怖、焦燥、興奮、動揺。感情の振幅が大きいほど冷却作用が増幅し、対象を瞬間的に凍結させる。逆に、冷静な相手や感情を持たない非生物には効果が薄い。
「『凍結弾』——感情が乱れてる相手ほど、良く凍る弾丸……ってとこだな」
「ほー、ようわからんけど、賢かねー」
庭鳥島の感想は、説明する前と何も変わっていなかった。
「でも、日和って殺せん奴も多いばってん、せつなは迷わんかったね」
「結果だけ見れば『死んでいない』んだから『殺してない』と見るべきだろ。〈犠牲ノ心臓〉がなきゃあんなことしねーよ」
「あんたの言う通りばい。てかそうせんと勝てんけんね、〈極皇杯〉は」
強さだけでは勝てない。相手の命を奪う行動を、実際に選べるか。例え死が魔道具によって取り消されると理解していても、人の頭を蹴り飛ばし、心臓を撃ち抜くことを躊躇する者は多い筈だ。
技量。判断力。そして、殺意を受け入れる精神。その全てが、この大会では試されている。
「それでせつな、どぎゃんすると?」
「そうだな……。このままあとどれくらい飛んでいられる?」
「んー……」
庭鳥島が首を傾げる。
背に俺を乗せたまま、最高高度でホバリングを続けている。大きな翼の動きが、先程より僅かに鈍っていた。
「この高さで、せつなを乗せたままなら……」
庭鳥島は大袈裟に考え込み――軈て満面の笑みを浮かべた。
「――あと一秒ばい!」
「――はあっ!?」
翼が止まった。庭鳥島がまるで猟銃に撃ち抜かれた鳥のように、力なく落下する。次の瞬間、俺達は真っ逆さまに落下した。
「おいおいおいおいッ!」
庭鳥島の背から手が離れる。必死に腕を伸ばすもその手は空を掴んだ。
眼下の本館屋上。青く輝くインフィニティプールと、白いプールサイドが凄まじい速度で迫ってくる。
――この野郎……!
落下しながら庭鳥島を視界へ捉え、脳内で掟を定める。
『掟:落下を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
――俺に発現した神話級ユニークスキル・〈天衡〉は随分と都合が良い。雷霧戦が正にそうだった。
――雷霧とのバトルでは、『掟:感電を禁ず。破れば、その電撃を相対する者へと反射する。』、『掟:被弾を禁ず。破れば、無傷で済む。』という掟を定めたが、この罰は厳密には罰になっていない。俺にメリットしかないからだ。単なる罰の悪用だ。
――だが〈天衡〉は、如何なる罰も許容する。
地上まで、残り僅か。
「もっと早く言え!」
「ちょっと見栄張ったばい!」
眼前で赤い翼が再び大きく開く。
庭鳥島はインフィニティプールの水面すれすれで落下を止めた。
一方、俺は止まらない。
凄まじい速度のまま、プールサイドへ叩き付けられた。
轟音。
硬い床材が放射状に割れ、白い粉塵が噴き上がった。
「……ったく」
倒れた姿勢から身を起こす。痛みはない。骨も内臓も、赤いニット帽も、眼鏡も、トランプ柄のシャツも無傷だった。
服に付いた白い粉を手で払いながら立ち上がる。周囲では、屋上で戦っていた出場者達が一斉にこちらを見ていた。
突然空から降ってきて、床を砕きながら平然と立ち上がったのだ。注目されない方がおかしい。
「てか、ようあの高さから落ちて無事やったね!?」
プール上空で停空飛翔を再開した庭鳥島が、感心したように目を丸くする。
「お前、後で覚えてろよ……」
「もー!ごめんて、せつな!」
「無事だったからいいけどよ……」
言葉を交わした、その瞬間だった。
「死ねやァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!〈十傑推薦枠〉ォォォォォォォォォォォォォ!!!!」
——攻撃する際に叫んでいては、防御しろと言ってるようなモンだろ……。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
横合いから、轟々と燃え盛る炎が襲い掛かってきた。視界が橙色に染まる。
炎の向こうに見えたのは、白いタンクトップを着た角刈りの大男。両手で大型の火炎放射器を構えている。
炎が全身を包む。だが、熱くない。呼吸も出来る。髪の一本、衣服の繊維一本さえ燃えなかった。
炎の中で微動だにしない俺を見て、大男の表情が恐怖に歪んだ。
「なっ……なんで……!」
赤い閃光が、炎を横切った。
次の瞬間、男の首へ一枚の赤い羽根が突き刺さっていた。
刃物のように鋭い羽根が、頸動脈を深々と断ち切る。
血飛沫。
火炎放射器が床へ落ち、噴射が止まった。
男は両手で首を押さえたまま崩れ落ち、光に包まれて消失した。
「――せつな!ぼーっとしとる場合じゃなかとよ!」
「そう言う割には余裕そうだな」
「当然たいね!格が違うとよ!」
インフィニティプールの上空。庭鳥島が巨大な翼を振り抜く。数十枚の赤い羽根が、一斉に射出された。羽根は空中で軌道を変え、屋上にいた出場者達へ襲い掛かる。
剣を構えた男の眉間。氷の盾を作った女の喉。建物の陰から銃を向けていた男の眼窩。狙いは一つとして外れない。出場者達が、次々に鮮血を噴き上げて倒れていく。
剣。銃弾。炎。氷柱。
反撃が庭鳥島へ殺到するが、その身体を捉えられない。
大きな赤い翼を翻し、ある時は水面すれすれを滑り、ある時は空中で鋭角に方向転換する。彼女が舞う度、鮮血と赤い羽根が宙へ散った。
半人半鳥の舞姫。
昨年のファイナリストへ付けられた異名は、伊達ではなかった。
「……俺の出番、なさそうだな」
鮮やかだった。
陽光を反射する水面の上で、庭鳥島だけが別の時間を生きているように見える。
見蕩れている場合ではないと理解した直後、正面の人影が俺の視界を塞いだ。
「狩らせてもらうぜ……!雪村雪渚……!」
短機関銃を構えた男。
銃口は、既に俺の胸へ向けられている。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
迷いなく引き金が引かれた。
乾いた連射音。
至近距離から放たれた弾丸が、胸、腹、肩、額へ次々に命中する。
だが肉体を貫かない。トランプ柄のシャツに穴一つ開けることもなく、弾頭は潰れてプールサイドへ転がった。
「なっ……!」
「そんな武器使ってる時点で、大したことないユニークスキルだと教えてるようなモンだろ……」
「なんなんだ……!どうして効かねえんだよ……!」
男は弾倉が空になっても、引き金を引き続けている。その顔が青ざめていく。
ここで攻撃用の掟を定めれば、現在の掟は上書きされる。「無敵状態」が解除された瞬間、次の弾倉を装填した男に蜂の巣にされる可能性がある。〈天衡〉の難しいところだ。
ならば、ユニークスキルは使わない。
この程度の相手なら、必要ない。
〈エフェメラリズム〉にパチンコ玉を番え、ゴム紐を思いっきり引き絞った。
「まっ、待ってくれ……!」
男が銃を取り落とす。
「俺はまだ負けたくない……!こんなところで終わりたく――」
旧世界であれば、その声に何かを感じたのかもしれない。
人へ銃口を向けておきながら、自分が殺される番になれば命乞いをする。その身勝手さを責めながらも、最後の一線で指を止めた可能性はある。
だが、この新世界で過ごした三週間が、俺の感覚を少しずつ変えていた。
毎日のように報じられる異能犯罪。些細な諍いで命が消える世界。勝者が全てを手にし、敗者から全てが奪われる社会。その中で仲間を守るには、勝ち続けるしかない。
俺が最期に笑って死ぬためにも。
「『通常弾』」
指を離す。
硬質のパチンコ玉が、空気を撃ち抜いた。
弾丸は男の左胸へ吸い込まれ、心臓を正確に貫通する。
男の身体が小さく跳ねた。
落とした短機関銃が、床へぶつかって乾いた音を立てる。
胸元へ広がっていく赤い染み。
男は何かを言おうと口を動かしたが、声にはならなかった。
膝から崩れ落ちる。
身体が床へ触れる寸前、淡い光となって消失した。
静寂が戻る。
「人に銃口向けといて、『待ってくれ』じゃねーんだよ馬鹿が……」
先程まで二十人強いた屋上プールには、俺と庭鳥島しか残っていない。
白いプールサイドの至るところに、赤黒い血溜まりが点在していた。
青く澄んだインフィニティプールにも血が流れ込み、淡い赤色の筋となって水中へ広がっている。
この惨状を世界中へ生中継し、人々は娯楽として歓声を上げている。旧世界の倫理なら、間違いなく異常だ。
だが、俺は正義の味方ではない。この世界を一から作り直すつもりもない。
仲間を守れるなら。
俺が最期に笑えるなら。
少なくとも今は、それでいい。
「――せつな!そっちも終わったと?」
庭鳥島がゆっくりと降下してくる。床へ着地する寸前で〈彩羽〉を解除し、人間の腕と脚を取り戻した。
「こっちは問題ない。万年予選落ちみたいな奴しかいなかったな」
「まだ序盤やけんね。時間が経つにつれて、強者しか残らんくなるばい」
矢張り、障壁になるのは、歴代のファイナリスト経験者。或いは、それに準ずる者。六万人もいれば、庭鳥島以外にも数人は混ざっていると考えるべきだろう。
――その時。
冷たい水滴が、頬へ落ちた。
「……雨?」
一滴。
二滴。
瞬く間に数を増し、横殴りの豪雨がプールサイドを叩き始める。
先程まで雲一つなかった空を、鉛色の雨雲が覆っていた。
陽光が遮られる。気温が急激に下がる。強風に波立っていた筈のインフィニティプールの水面が――不自然なほど静止した。
「せつな!」
庭鳥島の叫び。
雨幕の向こうから、何者かが突進してくる。
速い。
姿を認識したときには、既に俺の懐へ入られていた。
俺は半ば反射のように掟を定める。
『掟:被弾を禁ず。
破れば、無傷で済む。』
筋肉質な女。俺よりも頭一つ以上大きい巨躯。
その拳が、何の予備動作もなく放たれる。
腹部へ直撃。
空気そのものが爆ぜるような衝撃音が、屋上に轟いた。
常人であれば、上半身と下半身が泣き別れていただろう。
だが、俺の身体は一歩も動かない。
現在の掟による「無敵状態」。
その恩恵で、肉体には何の損傷もなかった。
——あっぶ……!掟の制定が〇コンマ一秒遅れていたら終わっていた……!
拳を腹へ突き立てたまま、その女は俺を見下ろす。
攻撃が通じなかったというのに、驚愕も動揺もない。
分厚い唇の端が、ゆっくりと持ち上がった。
雨水が女の筋肉を伝い落ちる。
灰色の世界の中で、その巨躯だけが、異様な存在感を放っていた。
――来たか。強者。
これまで屋上にいた連中とは、纏っている空気そのものが違う。
俺の腹から拳を引き抜き、女は愉快そうに首を鳴らした。
横殴りの豪雨の中、その巨大な影が妖しく揺らめく。
――予選開始から、十三分四十二秒。
Aブロックの生存者数は、既に三万人を下回っていた。
評価(すぐ下の★★★★★)やブックマーク、感想等で
応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。




