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2-8 心臓破りの十秒間

『さあさあ!!色々ありましたが〈極皇杯〉開会式はこれにて閉幕!!!これからいよいよ予選に移ります!!!』


 見来(みくる)未流流(みるる)――愛称、ミルルンの宣言が、〈天上天下闘技場〉を揺らした。


 その瞬間。出場者観覧席を満たしていた四十八万人の空気が、一変した。


 つい先刻まで〈十傑〉同士の親善試合(エキシビションマッチ)に沸いていた者達の顔から、笑みが消える。


 淡々と武器の最終調整を始める者。


 瞼を閉じ、雑音を遮断するように精神統一を行う者。


 壁へ向かい、祈りとも呪詛ともつかない言葉を独り呟く者。


 震える指を落ち着かせようと、何度も拳を握り直す者。


 隣に立つ仲間と無言で背中を叩き合い、互いの生還を誓う者。


 恐怖。興奮。緊張。覚悟。


 四十八万人分の感情が渦を巻き、出場者観覧席を巨大な生き物へ変えていた。


 無数の武器が擦れ合う金属音。


 冬の冷気の中でも感じる、人間の体温。


 肺へ入り込む油と革と火薬の匂い。


 これから六万人に一人しか生き残れない殺し合いへ向かう者達の殺気が、肌を刺していた。


『その前に五分間の休憩時間を設けます!特に出場者の皆さんは、ブロックによっては予選が長引く可能性もございますので今のうちにお手洗いを済ませてくださいね!「トイレ我慢してたから負けた~!」なんて言い訳はナシですよ!』


 遠方の一般観客席から、笑いが起こる。張り詰めた空気を一瞬だけ緩める、ミルルンなりの配慮なのだろう。


「――よう、雪村」


 不意に背後から呼び掛けられた。


 振り向く。


 長いストレートの金髪を後ろで束ねた、色黒の大男が立っていた。


 上半身は裸。雫型に先端の尖ったサングラスを掛け、筋骨隆々の肉体へ、背中に虎の刺繍が施された赤いスカジャンを羽織っている。


 赤く縁取られた白いボクシングトランクス。その裾から伸びた両脚は、丸太のように太く逞しい。


 真冬の風が吹き抜け、男のスカジャンと金髪を激しく(なび)かせた。


「幕之内……」


 ――幕之内(まくのうち)(じょう)。四十万人以上が参加する〈極皇杯〉の予選を、二年連続で突破。僅か八名しか辿り着けない本戦へ二度進んだ、〈世界ランク〉十三位の男。疑いようのない、優勝候補の一角だ。


「幕之内氏!EMB以来ですな!」


「おォ!テメェは幕之内じゃねェかァ!」


「幕之内さんっ!」


「おう、拓生に竜歌ちゃん、ハズレちゃん」


「じょーおにいたま!」


「フラ公も元気そうだな」


 幕之内は一同へ軽く挨拶を返した。


 次の瞬間。


 傷だらけの巨大な両手が、俺の双肩をがしりと掴んだ。


「――おい雪村てめえ!陽奈乃ちゃんに告られたってマジかよ!」


 ――そういやコイツ……陽奈乃の大ファンらしいな。


「……誰から聞いたんだ」


「ンなことはどーでもいいんだよッ!それで付き合ってんのか!?二股しちゃってんのか!?」


「いや……別に付き合ったわけじゃないが」


「はあ!?フッただあ!?」


 幕之内の怒声が周囲の視線を集める。


「有り得ねえだろ、あの顔面にあの身体だぞ!?それに陽奈乃ちゃんをフるとかお前人間じゃねーよ!チンコ付いてんのかてめえ!ぶっ殺すぞ!」


 ――声がデカい。五月蝿(うるさ)い。


「なんでフッたんだお前!オレの方が先に好きだったのに!くそっ!寝盗られた気分だぜ!」


「一度もお前の女だったことはないだろ……。そんな話をしに来たのか?幕之内」


「――おっ、そうだ!おい雪村、お前な、ずっと思ってたんだが筋肉が足りねー」


 話題が飛んだ。


 幕之内は突然スカジャンを広げ、大胸筋へ力を込める。


「見ろよ、オレのこの大胸筋の輝きを!」


 鍛え抜かれた胸筋が、意思を持つ生物のように左右交互に動いた。


 ――一体何を見せられているんだ。


「なんなんだお前は……」


「ま、冗談はさておき、悪いがオレもガチだ」


 巫山戯(ふざけ)た空気が、一言で消えた。


 サングラスの奥から向けられる視線に、先程までとは別人のような鋭さが宿る。


「当たったら、勝たせてもらうぜ?」


 ――幕之内も。終征さんも。知恵川も。竜歌も、手毬も、そして俺も。


 ここへ立つ全員が、負けられない理由を背負っている。


 金。名誉。復讐。夢。誰かとの約束。(ある)いは、生きてきた人生そのもの。


 四十八万人の中で、本戦へ進めるのは僅か八人。誰もが勝利を願いながら、(ほとん)ど全員が今日、敗者になる。簡単に勝たせてもらえる(はず)がない。


 だが俺にも、期待を託してくれた仲間がいる。

 

「――やってみろよ、幕之内」


「お、おォ!アタイも負けねェからなァ!」


「はっ、その意気だ」


 幕之内は俺達へ背を向けると、片手を軽く掲げた。


「じゃ、決勝で会おうぜ」


「ああ、決勝で」


 クールに去っていく幕之内の背中。その姿は、俺の目に何処(どこ)か寂しく映った。後ろで束ねた長い金髪が、冬の陽光を反射している。


 ――その時だった。


『――では皆様!!!予選のルール説明を始めます!!!』

アリーナに立つミルルンが、高らかに宣言した。


 直後。


 視界が歪む。


「なっ……」


 足元の感触が消失した。一瞬だけ身体が宙へ投げ出されたような浮遊感。


 次に視界が安定した時、俺は出場者観覧席にはいなかった。


 足の裏が踏み締めているのは、〈天上天下闘技場〉のアリーナだった。


 だが、驚くべき現象ではない。この感覚には、一度覚えがある。


 周囲を見渡す。四十八万人の出場者全員が、俺と同じようにアリーナへ転送されていた。途方もない数の人間が、一つの空間へ密集している。


 頭。肩。武器。旗。どの方向を向いても、人間しか見えない。四十八万の心臓が脈打ち、四十八万の呼吸が重なり、地面そのものが微かに震えているようだった。


 つい先刻までいた出場者観覧席を見上げる。人影はごっそりと減っていた。それでも、出場者のクランメンバーや関係者が大勢残っている。


 拓生とハズレちゃんが、俺達を見つけて大きく手を振っていた。ハズレちゃんの腕の中では、フランも小さな手を一生懸命に動かしている。


 近くへ転送されていた竜歌と共に、三人へ手を振り返す。

 

「ボス!いよいよ始まるなァ!」


「ああ……」


『さっ!皆さん整列してくださいね!』


 目と鼻の先に立つミルルンが、両手を使って整列を促す。


 四十八万人の出場者は、混乱することなく動き始めた。号令もないのに列が作られていく。


 俺も人の流れに従い、竜歌の()ぐ後ろに立った。


 アリーナを囲う一般観客席へ視線を巡らせる。黒いスーツ姿の強面の男達が並んでいた。〈韮組(にらぐみ)〉の元構成員達だ。


 俺と目が合うなり、全員が立ち上がり、大きく手を振る。何かを叫んでいるが、一千万人の観客の熱狂に掻き消され、内容までは聞き取れない。


 少し離れた場所には、〈神屋川エリア〉の住民達。〈真宿エリア〉の住民達。〈花畑エリア〉の住民達。


 俺や竜歌が関わってきた人々が、それぞれの場所から声援を送ってくれている。


『整列できましたね!では改めてルール説明です!初出場者の方も多くいらっしゃるので一応説明しておきますと、今皆さんがテレポートしたのは、この魔道具の力です!』


 ミルルンは背後を振り返り、巨大な女神像を親指で指し示した。


『魔道具・〈翔翼ノ女神像(セラフィム)〉!!〈極皇杯〉のエントリー証明でもある〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉を持つ方を対象に、闘技場内部へテレポートさせました!!』


 左胸の奥で、もう一つの心臓が存在を主張するように脈打った。本物の心臓と同期した、赤い魔道具。俺の一度きりの死を肩代わりする、偽物の命だ。


『予選ルールは毎年恒例のバトルロワイヤル!!この場に集まった全四十八万名の出場者を、今からランダムに八つのブロックに振り分けます!つまり、一つのブロック当たり六万名です!』


 聞いていた通りだ。単純な確率で考えれば、本戦へ進出できる確率は四十八万分の八。六万分の一。宝くじならば、到底当たるとは思えない数字だ。


 だがこれは、運だけで決まる抽選ではない。敵を倒し、生き残った者が、その確率を自ら一へ変える戦いだ。


『そのブロック分けを行うのが、まさにこの〈翔翼ノ女神像(セラフィム)〉!!予選開始の合図と同時に、皆さんを各ブロックの会場へテレポートさせます!!その瞬間から予選スタートです!!』


 目の前に立つ竜歌の肩が、微かに震えた。


 緊張か。武者震いか。(ある)いは、過去七度の敗北を思い出しているのか。


 竜歌は本気だ。そのことだけは、後ろ姿からでも痛いほど伝わってきた。

 

『各会場は今年も、新世界中の大型施設なんかを貸し切ってます!!とにかくルールは一つ!!最後まで生き残ること!!!!』


 六万人規模のバトルロワイヤル。全員を倒す必要はない。最後の一人として立っていればいい。だが、強者同士が潰し合うまで隠れていれば勝てる程、甘いルールでもない。


『各会場では、段階的に球状の安全地帯が縮小します!!安全地帯の外には、容赦なく、一ミリグラムでも吸い込めば即死する毒ガスが噴射されますので、常に安全地帯の中に入っていないと死にます!!!』


 ――球状。平面ではない。X軸とY軸だけでなく、Z軸方向にも安全地帯は縮小する。


『安全地帯の縮小は計七回!一度目の縮小までに敗退すれば一回戦敗退、二度目の縮小までに敗退すれば二回戦敗退、最後の縮小まで生き残っていれば準決勝進出——といった具合です!』


 仮に会場が四階建ての施設なら、二階と三階だけが安全地帯へ入り、一階と四階が全て毒ガスに覆われる状況もあり得る。


 高所を取れば必ず有利とは限らない。地下へ潜れば安全とも限らない。


 安全地帯の中心座標と縮小速度。施設の構造。敵の分布。全てを同時に把握し、移動経路を更新し続ける必要がある。


『当然〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が死を打ち消してくれますが、〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が発動したその時点で即敗退!!即座に出場者観覧席へ強制送還です!!』


 死ねば、終わり。本物の命は助かる。


 だが、〈極皇杯〉に懸けた願いは、その瞬間に断たれる。


 安全地帯の縮小がある以上、待ち伏せや隠密だけで最後まで逃げ切る――所謂(いわゆる)、芋戦法も難しい。どこかで必ず移動を強いられる。接敵は避けられない。


『当然接敵すれば戦闘もアリ!!お手持ちの武器も、もちろん持ち込めます!!』


 黒いスキニーパンツの右ポケットへ手を差し込む。指先に触れたのは、念入りに整備したスリングショット――〈エフェメラリズム〉。その隣では、大量のパチンコ玉が、じゃらりと小気味良い音を鳴らした。


『六万人の中から最後の一人になるまで生き残れば、ファイナリスト!!!本戦進出が決定します!!!そうして集った各ブロックの代表者八名のファイナリストで、明日の本戦トーナメントを戦うというルールです!!!』


 極めてシンプルだ。


 〈天衡(テミス)〉。〈エフェメラリズム〉。そして、俺の頭脳。三つの武器を最大限に使い、六万分の一を掴み取る。


 (もっと)も、能力を序盤から無闇に晒すつもりはない。


 世界中へ生中継される以上、本戦へ進むことだけを考えて戦えば、明日の対戦相手へ情報を与えることになる。


 可能な限り〈天衡(テミス)〉の詳細を隠し。余力を残し。それでも最後の一人になる。


 必要なのは、派手な全滅ではない。


 極めて確実な勝利だ。


『もちろん全ブロック、会場の至るところを徘徊する超小型カメラによって、世界八国へ生中継されます!!!!ですので皆さん、気を抜かないように!!!!と、いったところで質問のある方はいらっしゃいますか!?!?』


 誰も手を挙げない。


 四十八万人の出場者が、静かにミルルンを見つめている。誰もが当然のようにルールを理解している。(ある)いは、理解していなくとも、今さら引き返すつもりはない。


 武器を携えた四十八万人が整然と並ぶ姿は、巨大な軍隊を思わせるほど美しかった。


『質問は――――――なさそうですね!!では十秒のカウントダウンの後、皆さんをテレポートします!!皆さんのご健闘を祈ります!!!さあ!!!!それでは!!!!観覧席の皆さんもご一緒に!!!』


 世界が、息を吸った。


「「「10!!!!」」」


 一千万人の声が重なり、闘技場そのものが震える。


「「「9!!!!」」」


 対照的に、アリーナの出場者達は静かだった。


 目を閉じる者。深く息を吐く者。胸に手を当て、故郷や家族へ想いを馳せる者。刀の柄へ手を添える者。銃の安全装置を外す者。四十八万の心臓が、残り時間を刻む。


「「「8!!!!」」」


 〈翔翼ノ女神像(セラフィム)〉の真上。十傑観覧席を見上げる。


 十一の豪奢な玉座には、天音、陽奈乃、雷霧、師匠を含む〈十傑〉が横一列に座っていた。


「「「7!!!!」」」


 天音と目が合う。彼女は胸元で両手を重ね、祈るように俺を見つめていた。


 陽奈乃も真剣な面持ちで、静かに頷く。


 俺も二人へ、小さく頷き返した。


「「「6!!!!」」」


 玉座の上で胡座を掻く雷霧が、銀色のグリルを覗かせて笑う。


 ――見せてみろ。


 その表情が、そう語っている。


「「「5!!!!」」」


 糸目の師匠は微動だにしない。表情から内心は読み取れない。だが、こちらへ僅かに傾けられた顔から、視線だけは感じた。


「「「4!!!!」」」

 

「ボス……」


 目の前の竜歌が、不安そうに振り返った。いつも誇らしげに掲げている黄色の双角が、今だけは頼りなく見えた。


「なに不安そうな顔してんだ?『ワンツーフィニッシュ』するんだろ?」


「あ、あァ!当然だァ!」


「ああ、そうじゃなきゃな」


「「「3!!!!」」」


「ボス!同じブロックになる可能性が低いのは、アタイだってわかってる!だからよォ……!」


「何だ?」


「最後に『なでなで』――」


 竜歌が言い掛けて、口を閉じた。自分の中の弱さを噛み砕くように、奥歯を食い縛る。


「……いや。違ェなァ」


「「「2!!!!」」」


 竜歌が顔を上げた。赤い瞳には、もう迷いがなかった。


「本戦に残ったら、ご褒美に『なでなで』してくれやァ!」


 今、甘えるのではない。勝利した後の報酬として求める。それは小さな違いかもしれない。だが、(かつ)て泣きながら俺へ助けを求めた竜歌にとっては、大きな一歩だった。


「ああ」


 俺は笑った。


「竜歌。思う存分、暴れてこい」


「おォ!」


「お前は〈神威結社(ウチ)〉の一番槍だからな」


「――おォ!本戦で会おうぜェ!」


「「「1!!!!」」」


 左胸の〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が、強く脈打つ。本物の心臓と重なり、二つ分の鼓動が胸郭を叩いた。


 さあ。まずは予選通過だ。六万分の一の確率を、己の力で掴み取れ……!


「「「0!!!!!!!」」」


 光が弾けた。視界が白く塗り潰される。


 身体が空間から切り離される寸前。


 最後に映ったのは、風を受けて舞い上がる、竜歌の長く艶やかな黒髪だった。


 何処(どこ)か儚く。


それでいて、これまでのどの瞬間よりも(たくま)しく見えた。

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