2-6 天使と太陽の親善試合
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
一千万人の歓声が、冬空を打ち鳴らした。先程までアイドルライブに酔い痴れていた観客達の熱が、今度は純粋な闘争への期待へ姿を変える。
歌と踊りの祝祭から、世界最高峰の暴力へ。空気の匂いすら変わったように感じた。
『――戦っていただく〈十傑〉のお二人をお呼びしましょう!』
ミルルンが片腕を大きく広げ、背後に位置する〈十傑〉観覧席を指し示す。
揃えられた五本の指。その先に横並びとなった十一脚の玉座から、二人の女が同時に立ち上がった。
次の瞬間。二つの人影が、〈天上天下闘技場〉の上空へ舞い上がる。
一人は、純白の翼を羽ばたかせて。
一人は、全身から太陽にも似た光を放ちながら。
『ご紹介しましょう!まずは!先日公開されたばかりの!遂に明かされた〈十傑〉・第二席!〈神威結社〉所属!!』
闘技場上空へ投影された巨大ディスプレイが、白い女の姿を映し出す。
『「大天使メイド長」!!雨ノ宮天音様ッ!!!』
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
メイド服を身に纏った、白いミディアムヘアの美女。前髪を留める黒いクロスピン。サファイアブルーの瞳。俺にとっては見慣れた天音の姿だった。
だが今、彼女の背からは、メイド服を突き破るようにして、三対六枚の巨大な翼が伸びている。
純白の羽毛を幾重にも重ねた翼。頭上には、天使の輪を思わせる光輪。陽光を受けた輪郭から、白い光の粒子が絶え間なく零れ落ちていた。
『人智を超越する死者蘇生すらも可能にした神話級ユニークスキル・〈聖癒〉!!』
三対の翼が、冬空をゆっくりと打つ。その度に白い羽根が数枚抜け、光の粒へ変わりながら消えていく。
『未だ多くの謎に包まれた〈十傑〉・第二席!彼女はこの〈極皇杯〉にどんな福音を齎すのかッ!?』
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
日輪を背負い、六枚の翼を広げる天音。白い毛先が風に靡く。
八十五年間、数え切れない程の命を救い続けてきた彼女の姿は、天界から地上を見守る天使長そのものだった。
『対するはッ!SSNSのフォロワー数は世界最多の四億人!!スーパーインフルエンサーにして〈十傑〉・第七席!同じく〈神威結社〉所属!!』
巨大ディスプレイの映像が切り替わる。
『「#ぶっ壊れギャル」!!日向陽奈乃様!』
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
天音と向かい合うように、もう一人の女が空へ静止している。
短い丈の白いトップス。黒いレザーショートパンツ。腹部と太腿を大胆に露出させた、陽奈乃らしいギャルファッション。
高い位置で結ばれた金髪のツインテールは、毛先へ向かうにつれて桜色に染まっている。前髪を留める太陽形のバレッタが、陽光を受けて黄金色に煌めいた。
『人気・実力共に〈十傑〉の肩書きに偽りなし!戦闘スタイルは人体の限界を超越した「光速」の近接格闘!!』
陽奈乃の身体から放たれる光が、その輪郭を白く灼く。
『その拳は、最強の不沈艦をいかにして穿つのかッ!?』
二人の名が読み上げられただけで、闘技場が揺れる。
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
「スゴい盛り上がりですーっ!」
「おォ……!姉御と陽奈乃……どうなるんだよこれよォ!――いでッ!」
興奮した竜歌が、前方へ身を乗り出した。ごちん、と鈍い音が鳴る。何もない筈の虚空へ、竜歌の額が衝突していた。
「痛ってェ……!なんだこれよォ……!」
竜歌がぶつかった箇所へ、正六角形の光が浮かび上がる。青白く発光する正六角形が無数に連結し、俺たちの観覧席とアリーナを隔てる巨大な壁の一部を可視化した。波紋のように広がった光は、数秒も経たず空気へ溶けていく。
「……〈継戦ノ結界〉か」
「観覧席に危害が及ばないようにするため、そして思いっきり出場者が戦えるようにするための最新の魔道具ですな」
拓生が眼鏡の位置を直した。
「近接、遠隔を問わず、ユニークスキルによる影響の一切を通さないんだよな」
「そうですぞ。開発には〈十傑〉も携わっており、〈十傑〉の攻撃を受けても破壊されない耐久性を備えていると聞きますぞ」
「最強じゃないですかっ!」
「これがある限り、観客には一切危害が及ばない訳か」
半泣きになって額を押さえる竜歌の頭を摩ってやりながら、透明な結界越しにアリーナを見下ろす。
ユニークスキルは、未だ未知に満ちた力だ。原理すら十分に解明されていない力を文明の中核に据え、社会制度も軍事力も人間の価値すら、それを基準に再構築した新世界。改めて考えれば、異常な世界だった。
俺が蘇ったのも、天音の心が壊れたのも、元を辿ればユニークスキルが原因だ。
当面は〈神威結社〉の戦力強化と、仲間たちの安全を確保することが最優先。だが何れ、ユニークスキルという力の正体へ踏み込まなければならない。避けては通れない課題だった。
そんな俺の思考を置き去りにし、陽奈乃が急降下する。全身を包む光が、空へ一本の白い軌跡を描いた。
地面へ激突する――寸前。陽奈乃は重力の法則を嘲笑うように、アリーナの大地から僅か数センチの位置で停止した。風圧だけが地面へ叩き付けられ、円形の砂埃を巻き上げる。
遅れて、天音が舞い降りた。三対の翼をゆったりと畳みながら、地上から数メートルの位置で静止する。
二人は互いに空中へ浮いたまま、真っ直ぐ相対した。
――まず不可思議なのは、二人とも当然のように空を飛んでいる点だ。
旧世界で人類初の動力飛行を成し遂げたライト兄弟が見れば、卒倒するか、研究者として狂喜するかのどちらかだろう。
『ルールは簡単!いずれか一方が降参を宣言、もしくは戦闘不能状態に陥った場合、決着とします!』
陽奈乃が両手を開いた。掌を中心に光が集束する。神々しい光が一度弾け、その中から太陽の刻印を施した一対のガントレットが姿を現した。
〈キラメキ〉。オレンジを基調としたシリコン製の外装が、陽奈乃の拳から手首までを隙間なく覆う。拳を握る度、表面を金色の光が走った。
応じるように、天音の背後にも四つの物体が出現する。淡い水色。金と白の装飾。細長い注ぎ口を持つ、四つの美しい水瓶。
天音の専用武装――〈アクアリアス〉。四つの水瓶は弧を描くように配置され、天音を惑星とする衛星のように、その周囲をゆっくりと旋回し始めた。
周囲の出場者達は、既に会話すら忘れている。全員が、アリーナの二人へ釘付けになっていた。誰かが息を呑む音さえ聞こえそうな静寂。その中央で、風だけが轟々と吹き荒れる。
「やべえ……雨ノ宮様のバトル観られるのかよ……!」
「てか神話級ユニークスキルとは言え回復のユニークスキルだろ?〈十傑〉最高火力の陽奈乃様相手に勝負になるのか?」
「いや、それすらも回復するんだろ?」
「無敵じゃねーか!」
観衆の疑問は、尤もだった。
回復能力者。その言葉だけを聞けば、戦闘の主役ではなく、後方から仲間を支援する存在を想像する。
だが――それで世界第二位へ座れる程、この新世界は甘くない。
陽奈乃が両手を腰へ添え、堂々と胸を張った。
「――あまねえ!アタシ、絶対に勝つから!」
「ええ、受けて立ちますよ」
天音は、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。だがその笑みには、揺るぎない余裕があった。
陽奈乃も、天音も。互いが互いを強者として認めながら、自分が敗北する可能性など微塵も疑っていない。
一千万人の観衆が、二人の最初の一手を待つ。
『――では皆さん!私の合図で掛け声をお願いします!行きますよ!』
「始まりますぞ……!お二方の戦いが……!」
上空のホログラムディスプレイ。そこに表示されたコメントは、最早、文字の群れにしか見えない速度で流れている。
ミルルンが腕を掲げた。
『Ready――』
一千万人が、同時に息を吸う。
「「「「「――Fight!!!」」」」」
その戦いは、始まった瞬間には既に動いていた。
陽奈乃の姿が消える。
否。上へ跳んだのだと認識出来たのは、彼女が残した光の残像が、地上から天空へ一本の柱となって伸びていたからだった。
数瞬遅れて、快晴の空へ目を凝らす。太陽と重なる位置。遥か上空に、陽奈乃の黒い影が浮かんでいる。
天音だけは、その軌道を初めから見切っていたように動いた。
背後を旋回していた四つの〈アクアリアス〉が、一斉に静止する。注ぎ口が、天空の陽奈乃へ向けられた。
「『ベトサダの聖なる雨』——」
天音の静かな詠唱。
直後。四つの水瓶から、光り輝く水流が噴き出した。
ただの水ではない。内部に星屑を溶かしたような、青白い光を放つ水。聖水と呼ぶ以外にない神秘的な輝きを纏いながら、四本の流線が天空を駆け上がる。
直進はしなかった。蛇のように畝り、互いに交差し、逃げ道を塞ぐように異なる四方向から陽奈乃へ殺到する。
陽奈乃が空中で身体を捻った。
一筋目が脇を抜ける。
二筋目を蹴るように回避。
三筋目の下へ潜り込み、四筋目を紙一重で躱す。
だが、水流は陽奈乃を通過した後も勢いを失わない。空中で大きく弧を描き、再び彼女の背後へ迫った。
完全追尾。避けても、避けても、終わらない。青白い四本の軌跡が冬空を縫い、巨大な籠を形成するように陽奈乃を取り囲む。
「ボス……姉御のあの攻撃は結局なんなんだァ?」
「お前……天音とトレーニングしてたじゃないか……。理解してなかったのか……」
「おォ!避けることに必死だったからなァ!」
「寧ろ、正体を知らずによく戦ってましたな……」
天音が〈十傑〉として担ってきた主な任務。
それは、犯罪者を討伐することではない。
異能犯罪。国家間の衝突。各地で絶え間なく発生する異能戦争。その中で傷付いた人々を治癒し、失われかけた命を繋ぎ留めること。
戦場へ現れ、敵味方の区別なく負傷者を救う彼女は、いつしか「大天使メイド長」と呼ばれるようになった。
それを、八十五年間。俺が蘇る、その日まで。
「天音が異能戦争で出た怪我人の治療に当たっていたのは知ってるだろ?」
「おォ!そんな話だったなァ!」
「あの四つの武器――〈アクアリアス〉には、天音がこれまで治癒した人間の損傷が蓄積されている」
「——おあッ!?これまで……八十五年分のかァ!?」
「ああ。天音が他人から取り除いた全てのダメージだ。あの聖水は、それを具象化して放出している」
「それを小出しにしているのですな……!」
八十五年間に治してきた傷。塞いだ裂傷。繋いだ骨。取り除いた毒。癒やした火傷。死の淵から引き戻した命。それら全てのダメージが、〈アクアリアス〉の中へ蓄積されている。
そして、その中には――。
死んだ俺を蘇らせた際に引き受けた、死そのものに等しい損傷も含まれている。
実質一度きりの蘇生。その代償として蓄えられたダメージが、どれ程のものなのか。俺にすら想像出来ない。
「雨ノ宮女史にピッタリの武器ということですな!」
「攻防一体、理論上最強ですねーっ!」
「つーことは、当たるとやべェじゃねェかァ!」
「まあお二方共、殺すつもりはないでしょうが……だとしてもとても人間の戦いとは思えないレベルですな……」
天音は傷付かない。傷付いても、即座に治癒する。傷付けられた分だけ、攻撃へ転換出来る損傷が増えていく。攻撃すればする程、相手の敗北が近付く。正真正銘の、不沈艦。
――それにしても。
天音は、俺が死んだ頃は普通の女子大生だった。その頃の天音は、講義へ通い、友人と笑い、俺との将来を夢見ていた筈だ。
それが八十五年後。今や六枚の翼を生やして空を飛び、四つの水瓶から八十五年分の損傷を撃ち出し、世界第二位へ君臨している。しかも十億人以上に見守られ、賞賛されながら。
「全くだ……」
人生とは、何が起こるかわからない。
――だが。
感慨に浸っている暇はなかった。
冬空を縦横無尽に駆ける陽奈乃。
追い縋る四本の水流。
陽奈乃は紙一重の回避を重ねながら、徐々に高度を落としている。
追い詰められているのではない。天音との距離を詰めている。
青白い水流が、陽奈乃の頬を掠めた。光の粒が弾ける。
次の瞬間。
陽奈乃の身体が、強烈な閃光へ変わった。
視界が白く灼かれる。
「――っ!」
反射的に目を細める。
何が起きたのか。
理解出来た時には、もう遅かった。
先程まで上空にいた陽奈乃が、天音の眼前へ立っている。
「光速」移動。音は、後から届いた。
空を引き裂く轟音が闘技場全体を震わせ、〈継戦ノ結界〉の表面へ無数の六角形を浮かび上がらせる。
陽奈乃は既に、右拳を大きく引き絞っていた。
〈キラメキ〉の太陽刻印が、灼けるような黄金色に発光する。
天音は逃げない。防御もしない。ただ、穏やかな微笑みを崩さぬまま、迫る拳を見つめていた。
「『陽縄銃』」
拳が放たれた。打撃音はなかった。肉が潰れる音も、骨が砕ける音も聞こえない。
陽奈乃の右腕は、天音の腹部へ、肘近くまで深々と突き刺さっていた。
一瞬遅れて。
純白のメイド服の背中が、内側から弾けた。
血飛沫が、冬空へ咲く。真紅の花。
陽奈乃の拳は、天音の腹部を完全に貫通していた。
「――あまねえ……!」
陽奈乃の表情が、僅かに歪む。
天音の腹部から、どばどばと血が溢れ出す。
白いメイド服が、見る間に赤く染まっていく。
背中から突き出た陽奈乃の右手。
そこに装着された〈キラメキ〉もまた、吐き気を催す程の鮮烈な赤に塗れていた。
一千万人が、声を失う。誰もが理解した。これは余興ではない。
〈十傑〉同士の――世界最高峰の殺し合いだ。
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